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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


ジェレット・バージェス『不思議の達人(上)』(ヒラヤマ探偵文庫)

 「クイーンの定員」の五十番目に選ばれた、ジェレット・バージェスの『不思議の達人』を読む。けっこうボリュームがあるようで、本日はその上巻の感想である。まずは収録作。

Missing John Hudson「ジョン・ハドソンの失踪」
The Stolen Shakespeare「盗まれたシェークスピア」
The MacDougal Street Affair「マクドゥーガル街事件」
The Flashawe Ghost「ファンショーの幽霊」
The Denton Boudoir Mystery「デントンの婦人の間の謎」
The Lorsson Elopement「ロースソンの駆け落ち」
The Calendon Kidnapping Case「カレンドン誘拐事件」
Miss Dalrymple's Locket「ミス・ダーリンプルのロケット」
Murder Thirteen「十三」
The Trouble with Tulliver「タリヴァー事件」
Why Mrs. Burbank Ran Away「なぜバーバンク夫人は逃げたのか」
Mrs. Selwyn's Emerald「セルウィン夫人のエメラルド」

 不思議の達人(上)

 本作の探偵役は預言者にして占い師のアストロである。その活躍する作品が発表されたのは1900年ごろで、いうまでもなくホームズの活躍に影響されて誕生したライバルの一人だろう。ただ『不思議の達人』というベタベタのタイトルや探偵役の職業だけを見てしまうと、なんとなく虚仮脅し的というか胡散臭い感じがして、正直面白そうには思えない。
 ところが、いざ読み始めると意外なリーダビリティの高さに驚いてしまった。といっても謎解きとしてはそこまでのレベルではないのだが、設定やストーリー作りが上手いという印象である。クリスティのクイン氏とかパインとか、ちょっとあの辺を思い出した。

 そもそもアストロの本職が占い師だから、大きな事件はあまり持ち込まれない。悩み事があるから占ってもらおうぐらいの話が多いのだが、アストロはそれに対して占うわけではない。実は鋭い観察力と推理力を持って事実を探り当てるのである。ホームズが来客の素性をすぐに推理してみせるアレを、オカルトの力で当ててみせる体にしているわけである。
 犯罪現場にもちゃんと赴き、その場での波動を直接感じることが必要などと宣いながら、しっかりとホームズばりに現場を調査する。そうして論理的・科学的に謎を解決した暁には、事実が水晶玉に浮かび上がってましたといって一件落着。こうしてアストロは探偵としてではなく、占い師、預言者としての名声をあげ、ついには警察も協力を求めるようになる。
 探偵術をあえてオカルトにして稼ぐというパターンが、ミステリの逆張りのようでそこが面白い。

 アストロの占い師モードと探偵モードの切り替えぶり、助手のヴァレスカ(これまた謎多き美女)とのやりとりなども含め、とりあえず一作目の「ジョン・ハドソンの失踪」で全体のイメージを掴みやすく、これが気に入れば、どの作品も失望することはないだろう。先ほども少し書いたけれど、謎解きはともかく娯楽読み物としては悪くない短篇集である。
 特に気に入ったものとしては、「カレンドン誘拐事件」が、当時としては(おそらく)画期的な身代金の受け渡し方法を用いていて面白かった。

マージェリー・アリンガム『ファラデー家の殺人』(論創海外ミステリ)

 マージェリー・アリンガムの『ファラデー家の殺人』を読む。アルバート・キャンピオン・シリーズの一作だが、長編を読むのは随分久しぶりだ。作品ごとにかなり作風が変わるので、なかなかイメージを捉えにくいキャンピオンものだが、本作は初期には珍しいガチガチの本格探偵小説である。

 ファラデー家の殺人

 こんな話。職業冒険家を名乗るアルバート・キャンピオンの元へ一人の若い女性ジョイスが訪ねてきた。彼女の婚約者でもあるキャンピオンの旧友マーカスから紹介され、ある相談にやってきたのだ。
 現在、ジョイスは遠縁のファラデー家において、主人でもある大おばのキャロラインに請われ、一族の付添人のようなことをやっている。一家にはキャロラインの他に、その息子や娘、甥などが一緒に暮らしているが、その全員が老齢ながらこれまで職を持つでもなく、キャロラインの支配下に置かれていた。誰もが不満を抱え、不穏な空気が充満する中、ついに甥のアンドルーが行方不明になってしまう。何やら胸騒ぎのするジョイスは、恐ろしいことが起こるのではないかと、キャンピオンに調査をしてほしいというのだ。
 だが時すでに遅し。ジョイスが話を終えたそのとき、アンドルーの変死体が川で発見されたというニュースが飛び込んでくる。だが、それは連続して降りかかる悲劇の幕開けに過ぎなかった……。

 いわくつきの一族が暮らす屋敷を舞台に、次々と発生する連続殺人事件。一族の面々は信用できない者ばかりという設定がいかにもで、地味ながら緊迫感あふれるストーリーは、古典ミステリを読む喜びを十分に満足させてくれる。
 もちろん本格ミステリだから、サプライズや斬新なトリックもないよりはあった方がよい。実際、本作におけるメイントリックも、この種のものとしては先駆けらしく、当時はもちろん今読んでも十分に評価されて然るべきだろう。
 ただ、そのトリックが生きるには、やはり小説として諸々の高い水準が必要だろう。それがプロットであったり人物描写だったりするわけで、さらにはそれが説得力や作品の魅力にも通ずる。本書の「訳者あとがき」ではロバート・バーナードの「真祖がそれまでの経緯の論理的かつ唯一可能なクライマックスとなる、この上なく納得のいく探偵小説」という言葉を挙げているが、まさしくそのとおりである。ここに謎解き小説の本質がある。

 ちなみにアリンガムの人物造形にはいつも感心するが、本作のファラデー家の面々も全員捨てがたく、個人的には誰が犯人でも面白かっただろうなという、変な感想を持ってしまった。
 ネタバレ回避のため人物名は書かないが、誰それが犯人だったらクリスティのアレ風だったとか、こいつだったらクイーンのアレっぽいとか……そんな感じで全員分妄想できるわけである(決して推理ではない)。そういう意味では、アリンガムの作品は名優が勢揃いして演じる舞台を観るような、そんな楽しみもあるといえる。


鈴木悦夫『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』(中公文庫)

 何年か前にTwitterで少し話題になっていたジュヴナイル・ミステリ、鈴木悦夫の『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』が復刊されたというので読んでみた。解説が松井和翠氏だというのもびっくりで、復刊を知ったのも確か氏のXでの書き込みだったように思う。

 こんな話。カメラマンの中道勇一郎は妻の由美子、長女で高校二年生の一美、長男で中学二年生の行一、次男で小学六年生の省一の五人家族である。仕事に使うスタジオを備えた新居へ引っ越したばかりである。そこへ勇一郎の友人でCMの演出家をしている西浦尚平が、スタッフを連れて訪ねてきた。
 絵に描いたように幸せそうな中道一家を、一年がかりで撮影し、《幸せな家族》というシリーズのCMにしたいのだという。由美子は少し渋ったものの、最終的には賛成し、中道家の暮らしにCMスタッフが出入りするようになった。
 ところが肝心の勇一郎が仕事で忙しく、撮影は今ひとつ順調に進まない。そしてようやく勇一郎が撮影に参加できることになった日の朝、彼は死体で発見される……。

 幸せな家族

 なかなかネット上での評判が良かったものの、それはあくまでジュヴナイルというフィルターを通しての感想だと思っていたのだが、いやあ、これは確かに一読の価値がある。そもそも語り手が小学生というだけで、これはジュヴナイルというより、むしろ大人が読むべき小説ではないか。ただ、傑作というような印象ではなく、個人的には異色作とか怪作とか、そういう形容の方がふさわしいようにも思う。

 とにかく強烈な作品であることは間違いないのだが、個人的にそう感じた理由は二つある。
 ひとつはミステリとしてのスタイル・構成・大ネタである。ミステリにちょっと詳しい人なら、本作がクリスティの代表作のアレとアレを足して割ったような構成であることはすぐにわかると思う。この有名な作品のスタイルを借り、かつ物語の語り手を次男の小学生、省一にすることで、読者はすでに嫌な先入観を持ってしまう。著者の狙いは悪質である。
 しかし、そうはいってもジュヴナイルである。探偵小説とは論理が恐怖を鎮める物語である、とかいうような言葉もあるように、もし悲しい物語であったとしても、ラストには読者の子供たちに知的好奇心を満足させ、希望を与えるような本格ミステリ的なエンディングが待っていると思っていた。しかし、そんな大団円などはなく、本作はスリラーに終始する。ここにも著者の悪意が窺える。
 このミステリの型、ジュヴナイルの型といってもいいのだが、それをジュヴナイルにおいて壊すところに本作の大きな意味がある。

 ただ、実はミステリとしてどうこうではなく、本作が本当に強烈な理由はもうひとつの方だ。といっても結局はジュヴナイルの型を壊すことにも関連はするのだが、それが《幸せな家族》というテーマそのものであり、その描き方である。
 CM撮影に起用された幸せな家族は、本当に幸せな家族なのか。家族はカメラの前で幸せな家族を演じるが、普段の生活が演技ではないと誰が断言できるのか。そういう怖さがある。実際、著者の家族の描き方は非常に生々しく、特に人間のみっともない部分、いやらしい部分を見事に暴いている。
 語り手の省一などは特に兄に対してそういう気持ちを強く持っているのだが、その省一自身がよりモンスターであることに本人は気づいていない。そして省一をそうさせているのは、結局大人なのである。これもまた怖い。
 そして家族それぞれが持つそうした嫌な部分が連鎖する。同時にそれは家族の絆でもあるのだが、それが連続事件の鍵を握っているところが最も怖いのかもしれない。

 《幸せな家族》どころか、家族という概念すら幻想なのではないか。救われないラストに恐怖するのは、やはり大人の読者なのだろう。


ヘザー・ヤング『円周率の日に先生は死んだ』(ハヤカワ文庫)

 ヘザー・ヤングの『円周率の日に先生は死んだ』を読む。知らない作家ではあるが、これは完全にタイトル買い。原題は The Distant Dead という抽象的なものなので、これは邦題が上手い。

 まずはストーリー。3月14日は円周率にちなんで円周率の日とされている。その日、ネヴァダ州の田舎町ラヴロックで、数学教師のアダム・マークルが焼死体で発見された。第一発見者はアダムの教え子であるサル・プレンティス。物静かで聡明なアダムだったが、生徒の人気は決して高くなく、親しい友人もいなかった。唯一、アダムを気にかけていた社会科教師のノラは、事件後何も話そうとしないサルに疑念を持ち、独りで二人の間に何があったのか調べようとするが……。

 円周率の日に先生は死んだ

 事件は主に少年サルと教師ノラ、さらにはサルの母親に惹かれていた地元消防団のジェイク、保安官補でノラの元夫メイスンらの視点で交互に語られる。また、事件後のパートと、アダムが学校に赴任してきた頃から遡って語られる過去パート、この二つも交錯するスタイルをとり、なかなか凝ったストーリー構成である。
 ただ、そこにミステリ的な意味はあまりない。アダムを殺害したのは誰か、という興味はもちろんあるものの、重きを置かれているのは、あくまでサルとアダムの交流であり、内面であり、さらには事件に自己の半生を投影して苦悩するノラの姿である。ここにサルの伯父やアダムの元妻、元教え子も絡んで、閉塞した田舎町での社会や人間を掘り下げてゆく。
 語り口も丁寧で、キャラクターもしっかり立っており、けっこうなボリュームもあって読み応えは十分である。

 一方、ミステリとしてはまずまずといったところ。事件関係者が少ないこともあって真相は読まれやすいが、どんでん返しも一応用意されている。ただ、全般的にミステリらしさが薄く、捜査の進展も終盤に入ってようやく、といった感じだから、そちらを当てにするとやや肩透かしをくう。
 とはいえ先に書いたように人間ドラマとしては読み応えもあるし、全然悪い小説ではない。そういう意味では普通小説として味わった方がよいのかもしれない。

 なお、タイトルからくる数学的なイメージが思ったほど内容に生かされていないことは少し残念。面白い数学に関する話は出てくるが、雑学的な範囲で止まっているため、もう少し事件に絡められると、また違った面白さも加えられただろう。といっても、これは邦題のせいなので著者には罪がないのだけれど。


森咲郭公鳥、森脇晃、Kashiba@猟奇の鉄人『Murder, She Drew Vol.4 Quick frowned A. B. Cox jumps over the lazy dog』(饒舌な中年たち)

 森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人の三氏によるミステリ同人誌〈Murder, She Drew〉の最新刊『Murder, She Drew Vol.4 Quick frowned A. B. Cox jumps over the lazy dog』を読む。
 同人誌とはいえ、すでに海外クラシックミステリのファンであれば知らない者はいないであろう絵ときガイドブックであり、ディクスン・カーの別冊を含めるとこれで六冊目。今回は嬉しいことにアントニー・バークリーが産んだ探偵、シェリンガムとチタウィックの登場長篇12作を取り上げている。

 Murder She Drew Vol4_Quick frowned A B Cox jumps over the lazy dog

 内容はいつもどおり。作品ごとに殺人現場や舞台となる館のイラストを掲載し、それをもとに三人による鼎談を行う。鼎談は例によって、通常編とネタバレ編との二部構成である。
 この辺りについては前作の『Carr Graphic Vol.2 In the midst of the golden age』の感想で少しまとめたので、興味がある人はそちらを参考にしてほしい。
 なお、付け加えるとすれば、バークリーはあまり犯罪現場や世界観の創造に力を入れるタイプではないので、従来のカー作品などに比べると、だいぶイラスト作成に苦労したようだ。『毒入りチョコレート事件』なんて『最後の晩餐』みたい(笑)。

 それはさておき、本書で何より注目すべき点は、単純にアントニー・バークリーのシェリンガムとチタウィックの全登場長篇を取り上げたことだろう。我が国でもそれなりに海外ミステリ作家のガイドブックがあるけれど、いかんせんほとんどがビッグネームばかりである。おそらく作家数にして二十名にも満たないはずだ。まあビジネスとして見れば無理のない話ではあるのだが、バークリーのような大御所でも、これまでガイドブックや伝記等でまとめられたことはなかったのである。
 それが同人誌とはいえ、こうしてその業績を時系列で眺められるのは非常にありがたい。個人的にお気に入りの作家は、刊行順で読みたい派なのである。その作家の文章やミステリとしての質や方向性など、流れで掴んでおきたいのだ。ただ、不幸にもバークリーは評価が遅かったこともあって、原書の刊行順と日本での刊行順はバラバラ。面白い作品を書いていることはわかっても、実は「点」でしか理解していない。それでは作家としての真の実力を理解したことにはならないだろう。
 そういったモヤモヤを本書は晴らしてくれるわけである。多くのミステリファンがこれでバークリーを再読したくなったのではないか、そう思わせる一冊である。

三崎律日『奇書の世界史』(PHP文庫)

 このブログでは小説やミステリ関係以外の本の感想はあまりアップしていないのだが、実は息抜きに読んでいる雑学本もけっこうある。本日はそんな中から三崎律日の『奇書の世界史』がちょっと面白かったので取り上げてみたい。

 奇書の世界史

 内容はタイトルどおり世界史に影響を与えた奇書を紹介するというもの。ミステリファンであれば、奇書といえば『ドグラ・マグラ』や『黒死舘殺人事件』を思い浮かべるだろうが、本書で扱うのはそういう得体の知れない奇書ではない。いま読むと確かにトンデモ本だが、書かれた時代においては世の中に大きな影響を与えた書物である。また、その反対に当時は悪書として非難されたが、実は名著だった本。そういった本の数々を紹介している。

 たとえば魔女狩りに関するハンドブックとも言える『魔女に与える鉄槌』。野球がいかに若者にとって有害なものか解説した『野球と其害毒』。貧困層において増え続ける子供とその子供に悩まされて子殺しまで多発する状況を解決するために、富裕層のために子供を食糧として販売せよと提案する『穏健なる提案』などなど。
 まさにトンデモ本ばかり。『穏健なる提案』の内容などは俄かには信じられないほどだが、これを書いたのがあの『ガリバー旅行記』を書いたスウィフトの作品というのだからびっくりである。いや、考えたら『ガリバー旅行記』だって実は後半はかなりのトンデモ本だから、むしろ当然なのかも。

 まあ、そんな本の中身を読むだけでも普通に面白いのだが、本書がいいなと思ったのは、その本が世間でどのように評価されたか、著者がなぜそのような本を書いたのか、そういった周辺のストーリーも一緒に解説されているところだ。先ほどの『穏健なる提案』も、実は真面目に訴えているのではなく、母国の現状を嘆くあまりの怒りや諦め、皮肉などがないまぜになったもので、本の内容だけで判断すべきものでないことがわかる。

 総じてテレビの情報番組を観るノリというか、そういう感じで楽しめる一冊だろう。本書はもともと動画でアップされていたものを文章に再構成したものらしいので、動画のリズムやテンポなどが説明のわかりやすさや簡潔さに反映されているのかも知れない。


マイクル・コナリー『正義の弧(下)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『正義の弧』上下巻読了。
 ううむ、これはまた、いろいろとぶっ込んできたな(笑)。ただ、ストーリー上での衝撃はそれなりにあるけれども、どうにも描き方として浅いし、そもそも警察小説やハードボイルドとしては凡庸な出来だ。

正義の孤(下)

 まずミステリとしてみた場合、つまり警察小説やハードボイルドとしての評価になるが、女子高生殺人事件と一家殺害事件、二つの事件を並行して描いてはいるが、プロット上の工夫や捻りはあまり見られない。女子高生殺人事件の方では中盤の盛り上げは悪くないし、サプライズもないではないが、犯人の行動にそこまで説得力が感じられないのが残念。あまりに現実的ではないし、その解決の仕方、事後処理も含めてスッキリしないことだらけである。
 ただ、一家殺害事件の方はもっとシンプルなうえ、この事件に至ってはボッシュの苦悩や葛藤を描くために書かれたようなエピソードで、正直、事件としての面白みはない。

 本作は結局、ミステリとしての興味より、ボッシュとレネイのドラマに重点を置きすぎた感じである。
 つまり、かつての師弟関係から立場が逆転したボッシュとレネイの内面である。さらに老境に入ったボッシュの覚悟、その結果、正義を遂行することへの意識みたいなものが混然となって描かれる……はずだったのだが、こちらもまた消化不良である
 おそらくは全体においてボッシュがあっさりと割り切りすぎなのが原因だろう。かつての怒りに狂っていたボッシュも歳をとって丸くなったというのは簡単だが、丸くなったというより葛藤しなくなったという方が正解かもしれない。ボッシュは本作でとんでもない決断を二度ばかり行うのだが、本来それらは相当にショッキングなはずなのに、その際のボッシュの葛藤や苦悩の描き方が非常に少ない。そのせいで説得力にも欠けるのである。

 マンネリ化を防ぐために主人公の置かれる立場をしょっちゅう変えているのかも、というのは先日の感想でも書いたとおり。本作ではそれらに加え、上記のようなドラマ上のさまざまな爆弾を仕込んでいるのだけれど、それすらストーリーに変化を持たせるためのギミックに思えてしまう。

 ネット上ではまあまあ好意的な感想は多いし、確かに客観的に見ると凡百の警察小説に比べれば全然出来はいい方だろう。ただ、シリーズ中では落ちる方だろうし、個人的にはまったく納得のいくものではなかった。


マイクル・コナリー『正義の弧(上)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『正義の弧』をとりあえず上巻まで。前作『ダーク・アワーズ』に続いて、ハリー・ボッシュとレネイ・バラードの共演作である。

正義の孤(上)

 前作で警察を辞めることになったレネイ・バラードは、ボッシュのパートナーとして私立探偵になる寸前だったが、ラストで再び警察に戻るよう本部長に懇願される、というところで幕を下ろしている。
 本作はそれから一年後が舞台。レネイはロス市警に復帰したようで、彼女の希望によって、ロス市警に未解決事件を専門に扱うチームが立ち上げられる。彼女はそのチームのリーダーになるが、正規の警官は彼女一人、あとはみなパートタイムやボランティアというメンバーだった。市警に戻ったことでボッシュとは疎遠になっていたレネイだったが、このチームにこそボッシュが必要だった。
 ボッシュのもとを久しぶりに訪れたレネイは、ボッシュを誘い、三十年前の女子高生殺人事件を追う。だが、ボッシュはかつて解決できなかった一家殺害事件に執念を燃やしてしまい……。

 ボッシュとレネイのシリーズはなんだか一作ごとに主人公たちの状況が変わってしまい、ちょっと落ち着かない。これもまたマンネリ化を避けるための策の一つだとは思うが、主人公の立ち位置をあまり変えるのは、主人公の考え方や生き方がぶれてしまい、あまり得策とは思えない。
 実際、本作の上巻ではレネイがすっかり管理職になってしまい、どうにも精彩に欠ける印象だ。事件の方も過去の二つの未解決事件を追うが、そこまで動きは見られず。さあ、これを下巻でどう巻き返すか。


エドワード・D・ホック、他『Re-ClaM eX vol.5』(Re-ClaM eX)

 海外のクラシックミステリを専門にする同人誌『Re-ClaM Vol.11』とその別冊の短編アンソロジー『Re-ClaM eX vol.5』が届いたので目を通してみる。

 ReClaM eX Vol5

 本誌の『Re-ClaM Vol.11』は、アメリカのミステリ界において多大な作品と貢献を残した「ダブルデイ・クライムクラブ」の特集で、アメリカの探偵小説などの研究家エド・ハルスによるエッセイを掲載している。ダブルデイについては名前こそ知ってはいるが、その内幕や歴史などまったく知らなかっただけに、これはなかなか面白い読み物だった。
 「ダブルデイ・クライムクラブ」が素晴らしい作品を多く出版できたのは、もちろん編集者の力によるところは大きいのだが、個人的には興味深かったのは、初期の出版ビジネスへの意欲である。経営陣は売り上げを伸ばし、安定させるべく、さまざまなアイデアを出し、新たなシステムを構築していく。たとえば探偵小説のブランド化であったり、定期購読制を始めたり、印刷や製本も含めてワンストップで行うようにしたり、などなど。今でも行われているようビジネスモデルを次々と打ち出していたのだ。
 ハードで独裁的な業務体制方ら反発も少なくなかったようだが、少なくとも初期のこういう展開があるからこそ、のちの繁栄はなかったはずで、これには驚くばかりである。
 また、本誌でもうひとつ面白かったのがミルワード・ケネディの掌編「愚か者の選択」。完全犯罪を見抜いた貧乏医師が犯人と対峙するが……という内容で、短いながらも終盤に二転三転する展開が見事。


 『Re-ClaM eX vol.5』は以下の短編三作を収録。

エドワード・D・ホック No Good at Riddles「レオポルド警部と深夜の放火」
エドワード・D・ホック The Spy Who Had Father in Double-C「ダブルCを信じたスパイ」
シリル・ヘアー The Death of Amy Robsart「エイミー・ロブサートは死んだ」

 ホックのレオポルド警部は久しぶりに読んだが、相変わらず手堅い。ホックの他のシリーズものと違い、本格でありながら警察小説の雰囲気も大事にしている感じで、そこまで驚きはないけれどクセになる。

 「ダブルCを信じたスパイ」もホックのシリーズもの。暗号解読の専門家ジェフリー・ランド・シリーズの一作で、本作も例によって暗号もの。ただ、本作のネタは日本人には少し辛い。クリスチャンならわかるのだろうか?
 少し話は逸れるが、ホックのシリーズキャラは、怪盗ニックとかサム・ホーソーン、サイモン・アーク、コンピューター検察局はほぼほぼ翻訳されているが、それ以外のシリーズが完全放置なのはもったいないかぎりである。せめてレオポルド警部ものぐらいは、長らく品切れ中の講談社文庫『こちら殺人課!レオポルド警部の事件簿』と合わせて本にならないものだろうか。

 シリル・ヘアーの短編も嬉しい。緻密なプロットで登場人物の行動などすべてが計算されている印象。たまたまだろうけれど、なんとなくトリックの構成が「レオポルド警部と深夜の放火」と似ているイメージ。

ジョルジュ・シムノン『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』(ハヤカワ文庫)

 ジョルジュ・シムノンの『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』を読む。かつて『EQ』で『メグレと超高級ホテルの地階』として掲載されたものの新訳。一度読んでいるがまったく内容を覚えていないし、新訳文庫化とあれば、これはやはり読むしかあるまい。

 パリの高級ホテル〈マジェスティック〉の地下で女性の死体が発見された。発見者はホテルの従業員ドンジュ、被害者は宿泊客のアメリカ人実業家の妻であった。メグレ警視が捜査を続けるうち、ドンジュがかつてカンヌで被害者と関係があったことが明らかになり、状況はドンジュの怨恨による殺害であることを示していた。おまけに匿名の手紙によって、ドンジュはますます危うい立場に陥るが、メグレはどうしても彼の犯行だとは思えなかった……。

 メグレとマジェスティック・ホテルの地階

 当たり外れの差があまりないメグレものだが、そんな中でも本作は上位に位置する作品だろう。
 基本ストーリーは容疑者ドンジュの人生を再構築することが中心になる。性格はおとなしく、財産や外見も含めて何の取り柄もないドンジュの人生は、極めて寂しいものだった。しかし、同じように社会の底辺で生きる人たちにとって、彼は誠実な友人であり、彼のことを庇ってくれる者もいる。メグレもまた彼を信じようとする一人になる。
 捜査と並行してドンジュの人生にも迫ってゆくメグレが読みどころだが、下層階級と上流階級の差など、当時のフランスの厳しい現実を突きつけてくるところも鮮やかだ。しかし、これだけだと、まあ、いつものメグレものである。

 本作がいつものメグレものと比べて面白いのは、いつにも増してシムノンがサービス満点のところだ。メグレが女性にケチョンケチョン(死語)に言われたり、関係者に殴られたり、言葉が通じないアメリカ人と堂々巡りのやりとりを見せたり、対立する判事にネチネチ言われたり、挙句にそれまで溜まった鬱憤を晴らすかのように犯人を殴ったりもする。とにかく珍しくメグレがフル回転するイメージなのだ。
 極め付けはラスト。なんとメグレが皆を集めて謎解きをするのである。それだけに謎の設定もいつもより凝っている印象だし、それなりに意外性もある。

 メグレものは一応ミステリながら、まるで心理小説のような趣を備えている。特に初期作品はその印象が強いが、本作はそんなメグレものをエンターテインメントに寄せたという感じである。本作はシリーズ中期の作品だが、中期はそもそもそうしたエンタメ路線が強いといわれており、そういう意味ではメグレ初心者にもおすすめしやすい作品といえるだろう。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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