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 大下宇陀児の『夜光魔人』を読む。かつて小学館が発行していた『中学生の友』。その昭和三十一年七月号の付録としてついていた小冊子を湘南探偵倶楽部さんが復刻したものだ。
 ちなみにこの『中学生の友』の付録小冊子だが、「中学生新書」というシリーズ名、しかも通し番号までついていて、マニアの収集癖を刺激すること夥しい(笑)。ネットでザクっと調べたところ、乱歩の『幽霊塔』や黒沼健の『ラドンの誕生』、『遊星人現わる』などは確認できたが、全ラインナップはどうなっているんだろう?

 夜光魔人

 それはともかく。『夜光魔人』だがこんな話。
 いま、世間を騒がせている「夜光魔人」。美術品や宝石を狙う盗賊だが、暗がりで怪しく光るその姿が人々を恐怖に陥れている。中学生の藤村信吉少年も気にはなっていたが、三人組の不良少年とトラブったり、トラックに轢かれそうになった少女を救ったりと、「夜光魔人」どころではない。ところが三人組の不良少年のリーダー・今村が夜光魔人と関係あるのではないかと考え、信吉少年は新聞記者をしている兄の信太郎に相談しようとするが……。

 当時の子供向け探偵小説の王道ともいえる怪人もの、しかもボリュームも中編ぐらいはあるので、けっこう期待したのだが、ううむ、これはちょっと残念な感じである。
 せっかく「夜光魔人」という面白そうなキャラクターを作りながら、事件がなんとも小粒。というかストーリーがちょっと不可解で、主人公、夜光魔人ともにほぼ見せ場がないのである。そもそも主人公と夜光魔人の対決シーンすらないのはいかがなものか。事件解決も主人公とは関係ないところで進んでしまい、これには当時の子供たちもちょっと拍子抜けだったのではないだろうか。
 まあ著者の狙いはわからないではない。学習誌での掲載ということもあるし、まだ戦後を引きずる社会事情を取り込みつつ、おそらくはヒューマン・ドラマに仕上げたかったのだろう。登場する子供たちの設定や、ラストの決着のつけ方もそれを反映している。
 ただ、そちらを意識しすぎたか、主軸が信吉少年と子供たちのドラマに流れすぎて、いまひとつカタルシスに欠けた一作となってしまったようだ。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 先日の『怪しい来客簿』の記事で触れた田畑書店の二冊だが、まずは田畑書店編集部/編の『色川武大という生き方』を消化する。
 色川武大の没後30年、生誕90年を記念して編まれた『色川武大・阿佐田哲也電子全集』が完結するということで、福武書店版全集(1991~92年刊)の月報に寄せられた文章三十一編に、全集解題から立川談志、伊集院静を加えた三十三人分のコラムがまとめられている。

 色川武大という生き方

大原富枝/長部日出雄/種村季弘/田中小実昌/中山あい子/柳橋史/畑正憲/福地泡介/山田洋次/野口久光/夏堀正元/荻野いずみ/山田風太郎/高橋治/笠原淳/奥野健男/高井有一/立松和平/都筑道夫/黒川博行/田久保英夫/吉行和子/小林信彦/秋野不矩/小林恭二/江中直紀/山際素男/小田三月/津島佑子/佐伯一麦/井上ひさし/立川談志/伊集院静

 全執筆者は以上。あまりに豪華すぎるラインナップである。まあ、元になっているのが全集の月報だからできることだが、各人の付き合い方もさまざまなので、一般にイメージされている色川武大以外の顔も垣間見えて実に興味深い。内容だけならとにかく文句なしの一冊である。
 ついでにもう一つ褒めておくと、月報をまとめるという企画がいい。全集の副産物的な本とはいえ、そもそも全集をすべて最後まで揃える人はそれほど多くない(色川全集にかぎらず)。第一回配本では相当な部数が出ても、普通は徐々に部数が減少し、最悪中断することもある。したがって月報の文章はなかなか読まれることが少ないわけである。一つのテーマでまとめられた智の集合体であるはずなのに、これはあまりにもったいない。もしかすると本書がなければ、管理人など死ぬまでこれらの文章を読む機会はなかったかもしれない。そんな悲劇を防ぐ意味でも、各出版社はぜひ一考をお願いしたいところである。

 かように本書は非常に満足のゆく一冊ではあるが、実は不満がないわけではない。
 まずは本書が小学館の電子全集完結を記念しているのに、なぜか福武版全集の月報をまとめていること、そしてなぜか田畑書店から出版されていること。これらの事情が一切不明なのはいただけない。まあ、気にしない人もいるだろうが、やはりアンソロジー的な本であれば、どういう経緯で、どういう意味合いでまとめた本なのか、「まえがき」なり「あとがき」で説明してほしいところだ。
 もうひとつは執筆者の紹介がほしいということ。もしかすると色川武大の良い読者であれば常識なのかもしれないが、管理人のように素性のわからない執筆者がいて、イライラしている読者もそれなりにいるはず。そんなに詳しくなくてもかまわないので、後からネット検索するぐらいのとっかかりはほしいところである。
 以上、二点が残念な点だが、おそらく担当編集者は幅広い読者に向けた本を作った経験があまりないのかもしれない。次に似たような本を作ってもらえるなら、ぜひその際は改善していただきたいものだ。



 三月ほど前に田畑書店という出版社から、ちょっと気になる本が出た。田畑書店編集部/編『色川武大という生き方』と北上次郎の『阿佐田哲也はこう読め!』の二冊である。
 ご存知のように、色川武大=阿佐田哲也は本名の色川名義で純文学系、阿佐田哲也名義では麻雀小説を書いた作家で、亡くなって三十年経った今でも多くのファンがいる。管理人も学生時代に麻雀にハマっていたのだが、おりしも阿佐田哲也の作品が角川文庫から続々出てくるタイミングと重なり、それこそ貪るように読んでいた時期がある。麻雀小説はもちろん面白いが、その他のギャンブルや裏社会を描いた作品も面白いし、何よりダメ人間の生き様がよかった。ドロップアウトし、格好悪い生き方しかできない男たちが、時折垣間見せるかっこよさ。そこに痺れたのである。
 まあ、そんな色川武大=阿佐田哲也の電子版全集が。二年ほど前に小学館から出たのだが、先の二冊はこの電子全集の解説などをまとめたものらしい。そこで懐かしさもあって両方とも購入したのはいいが、「解説」だけ読むのも物足りない気がしないではない。そこで景気づけに読んだのが、本日の読了本『怪しい来客簿』である。

 怪しい来客簿

 今では二つのペンネームどちらも十分に知られていると思うのだが、著者のブレイクは阿佐田哲也名義による麻雀小説が全然早い。文壇デビューこそ色川武大名義だったが、その後低迷し、阿佐田哲也として成功したのちに再び色川武大名義でも執筆活動を再開する。『怪しい来客簿』はそのリスタート作品でもある。

 本作は連作短篇で、ストーリーというほどのものはない。戦前から戦後にかけて作者が出会った、有名無名(ほぼ無名だが)の人々のエピソードを描いている。
 ほとんど実話のようであり、エッセイのようでもあるのだが、夢の話や怪談のような話も織りまぜ、結局はフィクションなんだかノンフィクションなんだか釈然としないまま綴られていく。それはまるで作者の頭の中をダラダラと案内されているようで、行き着く先がわからない不思議な読書体験となる。
 たとえば死んだ人間の思い出を語る。それは親戚だったり中学時代の同級生だったりするが、それが終わって別のエピソードに移ってしまい、最後の最後でまた当の親戚や同級生が登場する。幽霊とは書かないが、それが死者なのか生者なのかもわからないまま妙な地点に着地する。こういうフラフラした視点というか、意識というか、著者ならではの感性を味わうのが極めて面白いのである。
 著者は特殊な病気を患ってもいたし、若い頃はアウトローな暮らしも送っていた。普通の人とは感覚にかなりのズレもあり、描写としてはなかなか刺激が強いものもある。しかし、そんな裏社会の体験もあるから、著者の視線は根っこのところでどこか優しくもある。それもまた面白い。

 阿佐田哲也『麻雀放浪記』がどんなに面白くても、麻雀を知らない人には流石にオススメしにくいが(本当は麻雀を知らなくても一級のビカレスクロマン、ビルドゥングスロマンとして楽しめるのだが)、本書は幅広くオススメしたい一冊。


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 R・オースティン・フリーマンの『ソーンダイク博士短篇全集 II 青いスカラベ』を読む。第二巻では後に長篇化された中篇の二作、短篇集『大いなる肖像画の謎』に収録されていたソーンダイク博士もの二作、そして短篇集『ソーンダイク博士の事件簿』を丸ごと収録している。詳しくは以下のとおり。

中篇
31 New Inn「ニュー・イン三十一番地」
The Dead Hand「死者の手」

『大いなる肖像画の謎』
Percival Bland's Proxy「パーシヴァル・ブランドの替玉」
The Missing Mortgage「消えた金融業者」

『ソーンダイク博士の事件簿』
The Case of the White Footprints「白い足跡の事件」
The Blue Scarab「青いスカラベ」
The New Jersey Sphinx「ニュージャージー・スフインクス」
The Touchstone「試金石」
A Fisher of Men「人間をとる漁師」
The Stolen Ingots「盗まれたインゴット」
The Funeral Pyre「火葬の積み薪」

付録
「『ソーンダイク博士の著名事件』まえがき」
「探偵小説の技法」

 ソーンダイク博士短篇全集II青いスカラベ

 『ソーンダイク博士短篇全集 I 歌う骨』の記事でも書いたが、ソーンダイク博士シリーズの特徴といえば、科学捜査とロジックの重視、倒叙ミステリというところだろう。ただ、科学捜査はロジックの根拠になるものだし、倒叙ミステリはロジックの重要さを推し進めた結果、誕生したという経緯もあるので、詰まるところソーンダイク博士ものにおいては、ロジックこそすべてということになるのかもしれない。
 ロジックによる真実の追求こそミステリの真髄。著者もいくつかのコラム等でそのようなことを書いているほどだが、あまりにロジックを重視するあまり、ミステリのセンセーショナルな装飾をかなり嫌っていたのは興味深い。アクションや恋愛興味、ユーモアのような味付け的なものなら、まだわからないでもないが、それがレッド・ヘリングといった要素にまで及ぶのは強烈だ。
 本書収録の「『ソーンダイク博士の著名事件』まえがき」、「探偵小説の技法」にもその一端が示されているが、これが他の作家、さらには読者にまで辛辣な書き方で恐れ入る。
 まあ、どうしても狭量な感じも受けるし、こういった考え方が自作におけるミステリの幅を減じているところはあるのだけれど、この時代にここまで本格探偵小説を意識していたことは何より評価していいだろう。

 ちなみにフリーマンの作品に出来不出来のバラツキが少ないのも、ロジック重視の副次的な効果ともいえるだろう。長編だとどうしても地味な部分が勝ってしまうところもあるが、短編は押し並べて安心して読めるものばかり。ただし、短すぎる作品はロジックの過程を楽しむ部分が犠牲になりがちなので、中篇ぐらいがちょうどいい塩梅なのかもしれない。
 したがって全般的におすすめの一冊ではあるが、強いていえば長めの「ニュー・イン三十一番地」、「死者の手」、倒叙の「パーシヴァル・ブランドの替玉」、「消えた金融業者」、味付けが濃いめの(笑)「ニュージャージー・スフィンクス」、「盗まれたインゴッド」などが気に入った。


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 サックス・ローマーの『悪魔博士フー・マンチュー』を読む。世界征服を企む中国の天才科学者にして大犯罪者フー・マンチュー博士と、その野望を食い止めようとする英国政府の弁務官ネイランド・スミスとピートリー医師の対決を描いたシリーズである。
 シリーズ一作目『怪人フー・マンチュー』はハヤカワミステリから出ており、本作はその続編、シリーズ二作目にあたる。

 こんな話。怪人フー・マンチューとの死闘から二年。英国政府の弁務官ネイランド・スミスと共に活躍したピートリー医師も、今は本業に打ち込む日々であった。そんなある日の深夜のこと、ピートリーはエルサム牧師と酒を楽しんでいたが、突然の電話で往診を頼まれる。
 しかし、それは一緒にいたエルサム牧師を誘拐するための、偽の呼び出し電話であった。おりしもロンドンに戻ってきたスミスが現れ、ピートリーと共にエルサム牧師の行方を追うが……。

 悪魔博士フー・マンチュー

 いやあ、疲れた(笑)。疲れたけれど面白い。
 一作目の『怪人フー・マンチュー』は既読なのでだいたい雰囲気はわかっていたつもりだったが、二作目はさらにパワーアップしている印象。リーダビリティもかなり上がったのではないか。とにかく各章ごとにヤマ場があって、しかもたいていスミスとビートリーがピンチに陥る展開なので、読んでいるこちらまで体力を使う。あまりにもフー・マンチューの策略に嵌るものだから、ビートリーなど「全然教訓にできていない」と嘆く始末だ。
 もちろん活劇メインのスリラーなので、あまり深く考えるような内容ではない。フー・マンチューとスミスたちの対決にハラハラドキドキするだけの物語なのだが、とにかくこの徹底したエンタメ感&疾走感が最大の売りなのは間違いない。

 とはいえ魅力はそれだけではない。活劇前提とはいいながらもときどき不可能犯罪らしき事件も放り込んでくるから見逃せない。だいたいは密室ものなのだけれど、トリックがどれもこれも●●系というのはある意味すごいし、それ以外のトリックも脱力間違いなし(笑)。
 ただ、けっこう好き勝手に風呂敷を広げているようで、意外にポオやドイルの影響は受けているなぁという感じも受ける。単純ながらクラシックミステリの中でここまで個性を確立させているのは見事だし、むしろミステリファンなら一度は読んでおくべきシリーズなのではないか。

 なお、前作『怪人フー・マンチュー』の感想で、「英国の覇権の危機、不安定なヨーロッパの政情、戦争への恐怖などをイメージとして具現化させたものがフー・マンチューの正体なのでは?」なんてことを書いたのだが、解説によるとまさに当時のヨーロッパで流行していた「黄禍論」がベースにあるという。
 「黄禍論」でバッシングされているのは中国人だけでなく、むしろ日本人こそ蔑視や畏怖の対象だったのだから、もしかするとフー・マンチューは中国人ではなく日本人だった可能性もあったはず。世紀の悪役だから日本人でなくとよかったと思う反面、ちょっと残念な気もするなぁ。

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 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』を読む。翻訳ミステリのファンなら、「翻訳ミステリー大賞シンジケート」というサイトは当然ご存知だろうが、その中で七人の書評家による新刊レビューのコーナーがあり、本書はその連載十年分をまとめたものだ。
 だから読んだとはいっても、ザクっと全体に目を通し、気になるところを拾い読みした程度なのでご承知あれ。

 書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト

 さて、書評七福神の内訳だが、川出正樹/北上次郎/酒井貞道/霜月蒼/杉江松恋/千街晶之/吉野仁の七名。ただこのメンバーで固まる前の最初期には、池上冬樹、村上貴史の両氏もおり、それが諸事情(?)で降板している。先の七名で固定化されたのが2011年5月のレビューからということで、本書ではそれ以降のレビューを掲載している。
 まあ、どうせなら最初から載せればいいのにと思いつつ、それぞれの事情はあるのだろうし、また、そんな事情とは別に、初期のレビューはほんの数行で済ませて内容に踏み込んだレビューが少なかったこともあるので、区切りを付けたのはある意味正解だろう。それにどうしても読みたければ、そもそもネットでは全レビューが残っているはずなので、そちらを読めばいいわけだし。
 ついでに書いておくと、ネットでタダで読めるものをわざわざ本にする必要があるのかと、疑問に思う向きがあるかもしれないが、個人的には本という形にするだけでも大いに意義はあると思う。

 中身に関しては特に文句のつけようもない。それぞれ得意分野の異なるミステリの目利き七人が、旬のミステリをこぞって挙げているのだ。ましてや弱めの最初期のレビューは割愛しているのだから(笑)、これは役に立たないわけがない。
 特別変わったことをやっているわけではなく、各人がその月読んだ面白い新刊、おすすめの新刊をシンプルにプッシュしていること、それがいいのだろう。だから月によってはおすすめの作品がダブることもあり、それだけ信頼度も高くなる。
 その一方でメジャーな作品や作家に関してはあえて執着せず、ミステリファンに届きにくい、ややマイナーどころを各人がプッシュしているのもいい。そういう作品を紹介できるかどうかが、書評家の腕の見せどころでもあるわけで、これがあるから本書の価値も高くなるのだ。
 ただ現状では、強いていえば本格、とりわけクラシックの採り上げられ方が少なく、一人ぐらいはそちら系のメンバーを入れてもいいのになとは思う。

 たまにアレッと思う作品が紹介されているのはご愛嬌か。レビューを信じて読んだものの、意外に大したことのない場合もあるので、そこは読者が自己責任で判断するしかないだろう(笑)。
 まあ、マイナーどころを狙いすぎると、どうしても評価が分かれる作品が出てくるのは致し方あるまい。むしろ、そこは書評家の個性、味だと思えばよろしい。
 一番いいのは自分と好みが似ている書評家を参考にすることだが。個人的には池上冬樹がお気に入りだったので、早々の降板はちょっと残念だった記憶がある。

 ともあれ、このボリュームと内容は、冗談抜きで向こう十年ぐらいは役に立つと思うが、気になる点を一つだけ。それは著者名索引での、ドイツ人名などに使われるvon(フォン、ヴァン)の扱い。
 vonは姓の一部なので、索引に載せる際は姓に入れないとダメではなかったか。たとえば、「シーラッハ, フェルディナント・フォン」という表記は誤りで、正しくは「フォン・シーラッハ, フェルディナント」だと思うのだが。管理人も自信がないので、ご存知の方はご教授ください。


テーマ:評論集 - ジャンル:本・雑誌


 結膜結石でできた傷がようやく完治。読書ペースをゆるゆる復活させて、本日は山尾悠子の『飛ぶ孔雀』を読む。

 まずはストーリー……と行きたいところだが、この物語をザクっと紹介するのはかなり難しい。あまり粗筋らしい粗筋というものを感じさせず、さまざまなイメージの断片だけを垣間見せられているような、そんな物語なのである。

 舞台となるのは、石切り場で事故があったため、火が燃え難くなった世界。その中で可能なかぎり簡略化された氏名の人々が営みを続けている。真夏の夜の庭園で開かれる大茶会、その大茶会へ火を運ばなければならない娘たち、その娘たちを襲う飛ぶ孔雀。一方では高温の湯を運ぶダクトが複雑に入り組む地下世界、その地下世界で蠢く大蛇。そして並べられたカードによって示される運命……。

 飛ぶ孔雀

 イメージの断片だけを見せられていると書いたが、加えて時系列もはっきりせず、登場人物も記号的だ。とはいえ完全なランダムだったり、曖昧模糊とした世界というわけではない。ひとつひとつの場面や語りは印象的で、それらが着実に連なっているのも確かなのだ。
 普段、論理によって物語を完結しようとするミステリという世界に遊ぶ管理人にとって、そんな山尾悠子の世界を頭の中で再構築する作業は半端でなく大変だ。しかし、繋がりはぼんやりとしていても、それらを物語として消化する作業ははなかなか刺激的な読書体験だった。

 もちろん完全に腑に落ちたなどというつもりはさらさらない。それでも繰り返し描かれるモチーフやエピソード、特に火や熱、電気といったエネルギーに関する描写は、このイメージの奔流ともいうべき物語の中で、ひときわ印象的であり、そこに大きな意味を見出すのは、それほど間違ってはいないだろう。また、それらエネルギーに関わる人々の運命に、不穏なものを感じるのも確か。
 ベタな解釈かもしれないが、管理人としてはやはりそういったものの陰に、東日本大震災以降の原発問題を感じずにはいられない。
 著者の奔放な想像力の賜物たる本作に、そういう生々しい現実問題が取り込まれているかどうかはわからない。ただ、いったん意識すると、孔雀にしろ大蛇にしろ、すべてがそういう読み方に通じるのは我ながら困ったものだ(苦笑)。まあ、こういう読み方をする者もいるということで。


テーマ:幻想文学 - ジャンル:本・雑誌


 数日前に突然、瞼の裏側にゴロゴロした痛みと異物感が出た。最初はまつ毛でも入ったかと思っていたのだが、眼を洗っても、一日過ぎても一向に改善しない。我慢できる痛みではあるが、とても落ち着いて本を読めるような状態ではなく、仕方なく眼科にかかる。
 結果はなんと結膜結石との診断。石といってもカルシウムや脂質が固まったもので、これを取ったら嘘のように痛みは引いて、とりあえずはひと安心。しかし傷が付いているとのことで、しばらくは点眼液と眼軟膏をつける羽目になってしまった。
 これがまた厄介で、点眼液はともかく、眼軟膏の方はつけた後、視界が濁ってまったく読書にならないのである。まあ、一週間ほどの我慢でなんとかなるそうだが、目の大切さを改めて感じた次第である。読書家の皆様、くれぐれもご自愛ください。


 そんな状態なので読書ペースがガタッと落ちてしまったが、何とかダニエル・フリードマンの『もう耳は貸さない』を読了。

 こんな話。引退して数十年になる八十九歳の元刑事バック・シャッツ。心身ともに弱り、妻のローズも大病を煩い、今後についての選択を迫られていた。しかし、シャッツの信念が周囲との軋轢を生み、カウンセリングを受ける羽目になる。
 そんな時、ラジオ番組のプロデューサーからシャッツにインタビューの申し込みがあった。シャッツが過去に逮捕し、まもなく死刑を執行されようとしている男が、暴力的に自白を強要されたと主張しているというのだ……。

 もう耳は貸さない

 八十九歳の殺人課元刑事、バック・シャッツを主人公にしたシリーズの三作目である。
 正義を執行するという信念に燃え、若い頃はその荒っぽい捜査方法が非難の的にもなったシャッツだが、確かな結果を残し、周囲からは一目置かれる存在であった。八十九歳の今ではすっかり衰えたものの、それでも精神だけは変わらず、老いた体に鞭打って事件を解決したのが、一作目『もう年はとれない』、二作目『もう過去はいらない』である。
 もちろん“老い”というテーマはあるが、あくまでエンターテインメントとしての印象が強く、むしろハードボイルドのパロディという側面も強かったように思う。

 しかし、三作目となる本作ではかなりシリアスな路線に舵を切った。
 シャッツは認知症まで始まり、妻のローズにも大病が降りかかる。この先二人はどう生きていくべきか、現実を直視するどころか周囲と対立してしまうシャッツに、“老い”という問題の難しさを感じるが、問題はそれだけではない。
 シャッツがかつて捕らえた死刑囚が、シャッツの暴力的な捜査によって虚偽の自白をしたと主張し、それがラジオ番組で流されているのだ。こちらは死刑制度の問題についてクローズアップされており、シャッツの現状を重ね合わせることで、“正義とは何か”というより大きなテーマに踏み込んでいる。
 ストーリーはシャッツの現状と過去の事件の再現、ラジオ番組という三つのシーンで構成されており、これがまた理解を助ける意味で実に効果的。テーマが大きすぎることで明確な答えを導き出せていない恨みはあるが、非常に読み応えがあった。

 惜しむらくはミステリとしてはまったく弱いことだが、三作目にして単なるエンタメから脱却したことで、個人的には忘れられない作品になった。二作目から五年後に書かれた本作だが、著者も相当考えたのではないだろうか。
 ただ、ここまでくると次作はいよいよ最終作になる可能性も高くなり、できればこのまま終わってもらいたい気もするわけで悩ましいところである。


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 『Re-Clam』といえば、おそらくは今の日本で唯一、一定のペースで刊行されている海外クラシック・ミステリ専門の同人誌である。まあ、商業誌を含めても唯一だろうけど。
 寄稿する方々も名だたるマニア諸氏からプロに至るまでの豪華メンバー。まだ創刊間もないながら、ROMの後継誌として獅子奮迅の活躍といってもいいのではなかろうか。とにかくクラシックミステリのファンにはたまらない雑誌といえるだろう。
 そんな『Re-Clam』は雑誌だけでなく、別冊という形で長編ミステリの出版も行っている。これがまたマニアックな作品揃いで恐れ入る。本日の読了本は、その別冊Re-Clamの三冊目にあたるサミュエル・ロジャース『血文字の警告』である。

 アメリカは中西部、ウィスコンシン州の森深くにあるグラッドストーン邸。女子大生のケイトは、グラッドストーン家の次女ジェーンに誘われ、休暇を過ごすためにその屋敷を訪れる。だがケイトには気になることがあった。彼女が出発する直前、血文字のような赤いクレヨンで書かれた匿名の警告文を受け取っていたのだ。
「グラッドストーン氏の屋敷に行ってはいけない。もしそうすれば、おまえは後悔するだろう」
 警告を無視して出かけたケイトだったが、やがて警告文を裏付けるかのような事件が発生する……。

 血文字の警告

 これは面白い。
 まずは舞台設定がよい。富豪一家と使用人が暮らす森のポツンと一軒家。そこに訪れるヒロインのケイトは不吉な事件の陰に怯え……とくれば、これは『レベッカ』のようなゴシックミステリを連想するところだが、本作はひと味違う。
 普通、ゴシックミステリといえば登場人物が何かしらみな秘密を抱え、それが謎や不安を高めてゆくのがお約束。しかし本作では登場人物はそろいもそろって奇妙な人物ばかり。ヒロインも辟易して早々に帰りたい気持ちも出てくるが、そこへ誘拐事件が降りかかり、帰るに帰れなくなってしまう。ゴシックミステリはいつしか“嵐の山荘”的世界へと変貌しており、不安は恐怖へと昇華するのだ。
 受け身一方のサスペンスではなく、クセ者ぞろいの人物たちが積極的に掻き回してくれるのが愉快で、意表をつくストーリーにすっかり引きこまれてしまった。

 しかし、本作の魅力はそれだけではない。歪な登場人物やストーリーの線上には、それにふさわしい犯人や動機が隠されている。かなり特殊といえば特殊で、サイコスリラーばりといえばいいか。
 とはいえ純文学畑の作家だけに(こういう書き方はアレだが)人物造型が非常に効いていることもあって、意外性はあるが、その真相は納得できるものだ。むしろ今の時代にこそ理解しやすく、逆にいうと当時はさぞ衝撃的だったろう。

 しいて難を挙げれば、本格ミステリとしては弱め。もちろんゴシックミステリというのは舞台設定の話であり、本作には名探偵もしっかり存在する。だが、探偵役がそこまで探偵として機能しておらず、謎解きの魅力としてはあまり期待しない方がいいだろう。
 それでも伏線を振り返るのは楽しい一冊だし、何よりこの真相の意外性は十分に味わう価値がある。同人誌ゆえ今となっては入手も難しいかもしれないが、著者のミステリはあと二冊残っているので、三冊まとめてどこかが面倒を見られないものだろうか。

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 また数年前に流行った京都本から一冊。岸本千佳の『もし京都が東京だったらマップ』を読む。
 京都に東京を当てはめた場合、どこはどこになるか、というのをまとめた本である。たとえば京都の岡崎であれば、大規模な文化施設が集中し、緑や広場も多くて文化的な交流が盛んな場というイメージで、これは東京の上野に似ているとなる。もちろん細かいことを言えば異なる点も多いのだが、あくまでザクっとしたイメージである。

 もし京都が東京だったらマップ

 本書はほかにも赤羽と四条大宮、北山と代官山、京都駅と品川駅など、実に四十以上の例を挙げて比較している。
 ただ、これを以って京都と東京が同じだと勘違いしないように。そもそも京都ほどの大都市であれば、都市が昔から備えている機能や文化はだいたい揃っているものだ。これは京都に限らず、大阪や札幌、名古屋、福岡だって同様である。だから似たようなエリアをはめ込もうとすれば、正直いくらでもはめ込める。
 だから著者の狙いは双方の都市機能が同じだと証明することではない。京都でこれから暮らそうとする人に対し、東京の街にたとえることで京都の街の特徴をわかりやすく伝え、移住の参考にしてもらおうということなのだ。本書はある意味、京都人による京都のガイドブックなのである。

 本書の後半はすべて、そんな京都での暮らし方について書かれており、実はここがそれほど面白くないし、おそらくあまり役に立たないのが残念。ぶっちゃけ不動産屋の口上みたいになってしまっている(実際、著者はそちら関係の方である)。
 また、本書の一番の落とし穴は、赤羽と四条大宮、北山と代官山がいくら似ているといっても、その質量に大きな差があることだ。先程、京都が大都市とは書いたものの、東京に比べるとその規模はかなり小さく、東京の街のイメージのまま京都を訪ねると、その狭さに驚くかもしれない。場所によっては100メートルも歩けば、違うエリアに入ってしまうぐらいだし。
 また、精神的な意味でよそ者が暮らしやすい場所、暮らしにくい場所があるのが京都。京都移住はそういう観点抜きにして語るべきではなく、旅行ならまだしも移住を考えるなら、本書はかなり力不足といえる。

 というわけでカジュアルな新書という性質もあるだろうが、あまり真面目に旅行や移住の参考として使うのはお勧めできない。あくまでネット上の遊びの延長として読むぐらいでちょうどよいだろう。


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