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 ちょっと面白そうな本が出ていたので買ってみた。『みうらじゅんの松本清張ファンブック 清張地獄八景』である。松本清張生誕110年を記念して編まれたガイドブックだが、編者が文学畑の人ではなく、イラストレーターであり、いくつものニッチなマイブームをもつみうらじゅん氏ということで、他の類似本とはさすがに一味違ったものになっている。

 みうらじゅんの松本清張ファンブック 清張地獄八景

 第一章 崖
 第二章 小説
 第三章 人間・松本清張
 第四章 映像

 目次はこんな感じだが、異色なのはやはり「第一章 崖」だろう。
 二時間サスペンスなどでおなじみの、追う者、追われる者が最後に立ち尽くす、あの“崖”である。その“崖”の佇まいに魅了されたみうらじゅんが、“崖”シーンのルーツともいえる『ゼロの焦点』に登場した能登金剛「ヤセの断崖」を語る一章。
 まあ、ぶっちゃけ一章を費やすような内容ではないけれど(笑)、「二時間サスペンスドラマの帝王」の異名を持つ船越英一郎との対談はなかなか面白い。

 まあ、第一章はともかくとして、それ以後は比較的オーソドックスな構成で、それぞれのテーマに沿ったコラム等を集めている。
 清張作品の魅力は、ミステリーとしての要素、社会問題を扱う時事性、リアルな世界観、端正な文体など、いろいろな面があるのだが、みうらじゅんが特に重きを置くのは、人間の普遍的な弱さだ。
 人間の業といってもいいのかもしれない。野心や功名心、独占欲など、人間が生きている限りまとわりつく、こうしたドロドロの部分を清張はリアルに描く。弱い人間が日常から踏み外す、そうした瞬間が堪らないといい、これを「清張ボタンを押す」と表現する。さらにはそこに同情心を盛り込むことなく、それによって転落し、破滅する姿を容赦なく描くのも、清張ならではの因果応報の世界であり、これもまた魅了されるところだという。

 本書はみうらじゅんのそんなフィルターを通してまとめられた松本清張に関するエッセイやコラム集といってもいいだろう。
 ただ、基本的には楽しく読めるのだが、残念ながら目新しいところは特にない。というのも収録原稿のほとんどが再録であり、本書のための書き下ろしはほぼないからである。内容自体はいいのだが、企画はけっこう安易なところが残念な一冊であった。


テーマ:評論集 - ジャンル:本・雑誌


 ハーマン・ランドンの『怪奇な屋敷』を読む。
 ちょうど一ヶ月ほど前に、同じ論創海外ミステリから出ている『灰色の魔法』を読んだのだけれど、そちらは活劇を中心とした怪盗ものシリーズの一作。ミステリではあるが謎解き要素は少なく、キャラクターとストーリーで読ませるストレートなエンタメという印象だった。
 一方、本作は帯に“本格密室推理小説”という文字が踊って期待を煽るが、なんせすでに『灰色の魔法』を読んでいる身としては、やや眉唾に感じられたりもするわけで(苦笑)、それほど期待せずに読み始める。

 こんな話。ニューヨークのホテルに現れたみすぼらしい身なりの青年、ドナルド・チャドマー。彼こそ長い間、消息不明だったチャドマー家の次の後継だった。家を飛び出し、さまざまな仕事を転々とし、ついには暴力沙汰からの刑務所暮らしを経て帰ってきたのだ。
 ただし、ドナルドが戻るべき屋敷は、不吉なことが起こると評判の屋敷であった。歴代当主も次々と財産を失う羽目に陥り、その屋敷のみが財産のすべてであった。そんな彼をつけ狙う謎の男たちも現れるが、なんとか危機を切り抜け、ようやく屋敷にたどり着く。
 しかし、ドナルドの叔父で、現在の屋敷の主人でもあるセオドアが、不可解な状況で殺害される……。

 怪奇な屋敷

 一応は“本格密室推理小説”という謳い文句を信じつつ読み始めたが、のっけから冒険活劇小説風の展開。この時点でやはりランドンは本格を書く気がないと確信するが、その後、殺人事件が発生するとかなりそれっぽい展開になるため、「これはもしかすると」と考え直す。
 だが、しょせんぬか喜び。本格のコードを踏まえているようで、実はかなり緩い書き方をしているため、本格としての満足感を得ることはできなかった。
 本作が発表されたのは1928年。英米ミステリの黄金時代ではあるのだが、その影響を受けつつも、やはりランドンの興味はストーリーやキャラクターにあるのだろう。また、極論をいえば、真犯人の設定、殺害方法、登場人物の言動などから察するに、ランドンは肝心なところで本格推理小説としての肝を理解していない節がうかがえる。
 これも極論になるが、要は著者のセンスの問題だろう。オカルト的な雰囲気、謎のポイントなど、書く人が書けばそれなりにちゃんとした本格になるはずだが、ランドンは結局そちら側の人ではなかったということだ。

 ただし、本格云々を脇に置いておけば、本作はそれなりに面白い。『灰色の魔法』などを見てもわかるようにストーリーの盛り上げなどは達者である。特に本作では探偵役の候補者が複数いて、それが徐々に絞られてくる展開は当時では珍しいパターンでちょっと興味深い。
 当時のエンタメとしてみれば充分、及第点に達しているのではないだろうか。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 日本ハードボイルドの先駆者の一人、河野典生の『陽光の下、若者は死ぬ』を読む。
 本書は河野典生の初期のハードボイルド作品を集めた短編集である。ちなみに著者のデビュー短編集は荒地出版社から同じ題名で発行されているが、収録作はけっこう異なるので一応は別物とみてよいのだろう。こちらの収録作は以下のとおり。

「陽光の下、若者は死ぬ」
「溺死クラブ」
「憎悪のかたち」
「ガラスの街」
「カナリヤの唄」
「新宿西口広場」
「ラスプーチンの曾孫」
「殺しに行く」

 陽光の下、若者は死ぬ

 おお、これはいい。全体に漂うピリピリした空気が堪らない。
 河野典生のハードボイルドは代表作の『殺意という名の家畜』を読んでいるが、これはどちらかというと正統派のハードボイルドという印象でった。一方、本書に収められた諸作品は“ハードボイルド系の作品”ではあるのだが、そのテイストは意外に幅があって、正統派ハードボイルドから、もう少し強烈なノワールっぽいもの、犯罪小説的なものなど、予想以上にバリエーションを楽しめる。
 驚くべきはこれらが著者の二十代に書かれたということである。まだ構成等でバランスが悪かったり、展開を急ぎすぎたりするなど、荒っぽいところはあるのだけれど、先にも書いたようにとにかく全体的に感じられるピリピリした空気が気持ちよい。
 意図してチープに描いている節はあるけれど、扱っている内容やテーマは重く、まさに下手に触ると火傷をするといった感じである。

 表題作の「陽光の下、若者は死ぬ」はアナーキーな若者たちが企むテロを描く秀作。テロに走る若者たちの鬱屈と虚無が混じり合った独特な心情を、この短いページのなかでカットバック的に描いている。設定的には冒険小説風だが、その味わいは犯罪小説やノワールに近い。プロローグとエピローグも巧い。

 普段は敵対する殺し屋たちが集まってカクテル・パーティを開くというのが「溺死クラブ」。冗談のような設定だが、著者もこれはハードボイルドのパロディとして描いたと告白している。しかし、その語り口は焦げるほどに熱く、後半の殺し合いへと雪崩れ込む。

 「憎悪のかたち」は見事な和製ハードボイルド、いや和製ノワールというほうが適切か。テキ屋として働く若いチンピラが主人公で、あるとき二人暮らしをしている養父が殺され、その真相を追うことになる。
 上の二作に比べるとストーリーがしっかり展開しており、登場人物たちの設定やリアル感もすごい。昭和三十年代の香り濃厚な一作。

 テレビ局のディレクターがドキュメンタリーで取材した若いヒッピーの女が死亡した……。「ガラスの街」はプロットがきっちりしており、本書中でももっともミステリらしいミステリといえるが、主人公がマスコミの人間であるせいか、他の作品ほどにはエッジが効いていない。

 「カナリヤの唄」はとある観光地の湖畔で出会った謎の中年男とヒッピーの少女の物語。ちょっと理屈っぽいというか説明が多すぎる。その割に主人公の二人の心情が共鳴するところがわかりにくいのが難。

 「新宿西口広場」はデモに巻き込まれたあるOLのエピソード。この作品が書かれた昭和三十年代の新宿の猥雑さや荒っぽさが魅力。管理人も新宿に出没するようになってン十年以上経つが、その空気もずいぶん変わってしまった。

 「ラスプーチンの曾孫」はなかなか技巧的である。主人公がとある安手のキャバレーで出会った女性について語る話だが、クライムノベル風でありながら「ですます調」を用いているところがミソ。雰囲気だけで読ませる感じだが、これはこれで悪くない。

 ラストを飾る「殺しに行く」は「憎悪のかたち」と同じ系統の和製ノワール。カタストロフィに向かうしかない二人のやくざ者の運命が胸を打つ。

↓なぜかAmazonで角川文庫版が見つからないため、代わりに荒地出版社版のリンクを貼っておきます。

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 マイクル・コナリーの『贖罪の街』を読む。
 リンカーン弁護士の異名をとるミッキー・ハラーから、ダクァン・フォスター弁護のための調査を依頼された元刑事のハリー・ボッシュ。だが被害者が保安官補の妻だったため、退職した刑事が弁護側につくのは警察への裏切りに等しいことだった。
 ボッシュは真実と正義のためだからと、自分に言い聞かせながら調査を続けていくが、次第に警察関係者が事件に関わっていくとこが明らかになる……。

 贖罪の街(下)

 ボッシュの地道な調査を中心とした物語で、派手さや驚きといったケレンにはやや欠けるけれども、全体的には安心して読める佳作といってよいだろう。
 刑事を辞めたボッシュなので、その行動には制限を受けてしまうが、基本的なところに変わりはない。自分の勘を信じ、事件の不自然な点や気にかかる点を頑なに追うところが魅力であり、説得力をもつ。
 また、行動に制限を受けるとはいいつつ、刑事時代もそこまで科学、もしくは権力に頼った捜査をしていたわけではないのでそこまで不自由にも見えない(苦笑)。むしろ友人知人の助けを借りつつ、意外と小器用に立ち回っているのが面白い。ボッシュのそんな姿に古くからのファンも思わずニンマリすることだろう。

 本作では犯人を追いつめる側から弁護する側に移り、それゆえに葛藤するボッシュも大きな読みどころである。
 かつての仲間からの批判はもちろん、最愛の娘からも一歩距離を置かれてしまうボッシュだが、真実と正義のため自らの信念とも妥協する。
 それは自らの信念を決して曲げないボッシュにとってひとつの矛盾ではあるのだが、反面、それは真実と正義を追い求める気持ちの強さの表れでもある。以前のボッシュだったら、ここで絶対に白黒はっきりつけてしまうのだが、意外と自然な形で気持ちに折り合いをつけているのが興味深い。個人的にはやや物足りなさも残るが、まあ、ボッシュも歳をとったということか。

 ということで、長年のコナリーファンからすると若干の物足りなさもあるが、完成度の高さ、プロットの巧さなども申し分なく、まずは良質の警察小説、ハードボイルドといっていいだろう。

 ちなみにコナリーの著書は長編がほとんどだけれど、唯一、2012年に短編集『Mulholland Dive』が刊行されている。収録しているのは三作で、そのうち二作は雑誌やアンソロジーで翻訳済みだが、おそらく残り一作は未訳のはず。こちらもできれば刊行してほしいところである。


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 マイクル・コナリーの『贖罪の街』を上巻まで。
 本作は久々の弁護士ミッキーー・ハラーと刑事ハリー・ボッシュの豪華共演作である。ただし、ボッシュはロス市警をすでに退職しており、本作ではハラーが扱う事件をフリーとして手伝うことになる。

 贖罪の街(上)

 こんな話。
 あるときハラーから食事の誘いを受けたボッシュ。退職したボッシュに事件の調査を手伝ってもらいたいのだという。
 その事件とは、ウエスト・ハリウッド市で市制管理官補を務めるレクシー・パークスが殺害された事件であった。容疑者は元ギャングで古くからのハラーの顧客でもあるダクァン・フォスター。ハラーは彼の主張を信じて弁護を引き受けたのだという。しかし、ボッシュとしてはそう簡単に承諾はできなかった。それもそのはず、レクシーの夫は保安官補であり、退職した刑事が弁護側につくのは警察への裏切りに等しいからだ。
 しかし、ダクァンと面会して彼の無実を信じたボッシュは、ついに事件を引き受けることにする。それはダクァンを救うためではない。実際に殺人を犯した者が自由に歩き回っていることが許せないからだ。ボッシュはそう自分に言い聞かせ、行動に移るが……。

 豪華共演とはいいながらも上巻でのハラーはかなり控えめ。ほぼボッシュメインで進んでいるのだが、なんせ警察を退職してしまったので、今までのような特権は使えない。そこで『燃える部屋』で登場したソト刑事や恋愛関係にあったスキナーなどの助けを借りながら調査を進めるのがミソ。
 ちょっとボッシュにしては小器用に立ち回りすぎる嫌いもあるが(大きなヘマもあるけれど)、まあ、まだ上巻。下巻ではどのように驚かせてくれるか楽しみだ。


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 このところ湘南探偵倶楽部さんが古い子供向け探偵小説、特に児童書に連載されたものを頻繁に復刻してくれているのだが、本日の読了本もそんな中から楠田匡介のレアなところを一冊。しかもタイトルが『少年少女探偵冒険小説選1』などということになってしまい、いよいよシリーズ化の気配である。
 この「1」という数字が、普通に「少年少女探偵冒険小説選」にかかるのか、それとも楠田匡介も含めてのナンバリングなのか不明だが、どちらにしても楽しみな展開ではある。

 少年少女探偵冒険小説選1

「海底旅行」
「良夫君の事件簿 I」

 その記念すべきシリーズ化一冊目の収録作は以上。「海底旅行」は小学館の『小学四年生』に昭和三十年から三十一年にかけて連載された長篇、「良夫君の事件簿 I」は昭和三十九年に旺文社『高一時代』に連載された連作短編である。
 なんと、どちらの作品にも、『都会の怪獣』、『深夜の鐘』に登場した少年探偵・小松良夫君が登場する。

 まずは長篇の「海底旅行」。これまで読んだ小松良夫少年ものについては基本的に探偵小説だったのだけれど、本作ではとうとうSFになってしまった。同一主人公でここまでやるかという、相当なアバウトな設定だが、内容も『都会の怪獣』『深夜の鐘』をはるかに凌駕するツッコミどころ満載の一作。

 こんな話。何者かの手によって姉の幸子とともに車で誘拐された良雄少年。なぜか白ほうたいで顔を覆った男に助けられ、ひょんなことからその“白ほうたい男”が指揮をとるスーパー潜水艦「ピース号」に匿われる。海底を潜行するピース号だったが、今度はエビの姿をした兵器によって、またも幸子が敵に誘拐されてしまい……という展開。

 基本的には『海底二万マイル』のノリか。謎の敵が二人をつけ狙う動機や“白ほうたい男”の正体などはラストで明かされるが、まったく伏線も何もないところで説明されるので、正直、どうでもいいです(苦笑)。海底での冒険シーンと数多いツッコミどころを楽しむのが吉かと。
 ちなみに一番驚いたのが、スーパー潜水艦だと思っていたら、なんと飛行機能もあったことで、いや、もう何でもありか。

 それに比べると「良夫君の事件簿 I」はいたってまともである。毎回、読み切り形式の探偵小説で、よくある推理クイズみたいなレベルを想像しておけばOK。実際、第一回目だけは本当にクイズ形式になっているのだが、評判がよくなかったか、二回目からは普通の小説形式に落ち着いている。
 こちらで気になったのは本作が『高一時代』連載ということで、媒体の割にはちょっと文章などが低年齢層向けに思える。第一回目のクイズ形式もそうだけれど、編集者とのすり合わせがうまくできていなかったのかもしれない。

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 『金来成探偵小説選』を読む。論創ミステリ叢書の中でもかなり異色の部類に入るのだろうか。金来成(キム・ネソン)は名前からもわかるように韓国人作家であり、韓国ミステリの父祖とも言われる作家だ。
 その作品集が論創海外ミステリではなく、論創ミステリ叢書から出た理由は、本書の解説に詳しい。まあ早い話が、金来成は日本での留学経験があり、その期間中に日本語で探偵小説を書いたというのが大元である。日本留学は五年に及び、その間に三作の日本語による短編を残している。

 金来成探偵小説選

「楕円形の鏡」※
「探偵小説家の殺人」※
「思想の薔薇」
「奇譚・恋文往来」※
「恋文奇譚」

 収録作は以上。※のついているのが日本語で書かれ、日本で発表されたすべての短編である。
 注目作品は「思想の薔薇」で、これは金来成が韓国に帰ってから、日本語で書いた長編。だが、本作については発表するあてがなかったようで、結局、韓国語で書き直した後、韓国の雑誌に発表されている。本書に収録されているのは、この韓国語版を翻訳したものである。
 「恋文奇譚」は「奇譚・恋文往来」をベースに韓国語で書き直した作品。ほぼ同一の内容なので、参考として収録したということだ。
 ということで、本書の意味合いとしては、金来成が日本語で書いた作品をすべて網羅した初期作品集ということになるのだろう。

 肝心の中身だが、長編「思想の薔薇」の序文にあるように、金来成自身は探偵小説と純文学の融合を目指していたようだ。どちらが主でもなく、探偵小説のスリルや興味を損ねることなく、人間についても考えさせるもの、そのようなところである。
 長編「思想の薔薇」はまさにそれに挑戦した作品。
 主人公は先代からの宿命や幼少からのトラウマに苦しみながら、売れない作家として生きる白秀(ペクス)。彼が犯したかもしれない殺人事件を探る、気の弱い親友の司法官試補・劉準(ユジュン)の二人である。ある夜のこと、劉準は白秀に呼び出され、女優の秋薔薇(チュチャンミ)殺しを告白されるが、その真偽や意図ははぐらかされてしまい……という一席。
 金来成の意気は買いたいが、やはり探偵小説と文学の両立はなかなか難しい。本作でとにかく引っかかったのは白秀の言動である。シニカルな面と激情家の面を併せもつ(これがそもそも理解&納得しにくいところなのだが)白秀は、“信頼できない語り手”どころではない。彼の行動や記憶、思考などを含め、さまざまな事実関係が嘘かもしれないという前提で読み進めなければならず、本格探偵小説としては早い段階で破綻している。
 そういった混乱が人間を描くことに奉仕していればよいのだが、基本的には劉準含めて主人公たちの言動が誇張されすぎなのだろう。その大仰なセリフや行動からは、文学的な感動や面白みはあまり伝わってこないのが残念だ。

 二作の短編「楕円形の鏡」と「探偵小説家の殺人」は、どちらも演劇や映画という要素を重要なギミックとして取り込み、狙いは面白い。
 ただ「楕円形の鏡」は雑誌の誌面という構成をとったのがむしろ逆効果か。途中からは誌面という体裁もなし崩しになっており、この構成で得られるべきメリットがあまり感じられない。
 「探偵小説家の殺人」は「楕円形の鏡」を踏まえたような作品だが、これも凝りすぎて自滅の感は否めない。
ただ、全体的な熱気というか迫力は注目すべきところで、トータルでは本作中で一番気に入った作品。

 「奇譚・恋文往来」と「恋文奇譚」は同一のネタを使った元作品(日本語で書かれたもの)とアレンジ後の作品(韓国語からの翻訳)。他の収録作品とは異なり、コミカルな味わいが悪くない。ただ、ネタはちょっと無理矢理な感は強い。

 ということで金来成の作品を初めてまとめて読んだが、探偵小説を単なる謎解きに終わらせたくないという著者の熱意は実に強く感じられた。文学との融合であったり、特殊な構成をつくってみたり、この時代のチャレンジ精神はときとして変な方向に向かったりもするが、それがまた味になったりもする。
 本書の収録作も、残念ながらチャレンジがすべて成功しているとは言い難いが、金来成という作家を知る上ではこれもまたよしである。
 ちなみに論創海外ミステリでは本書刊行後に『魔人』や『白仮面』が出ており、これらは通俗作品のようなので、金来成のまた異なる面を楽しめそうだ。こちらの感想もいずれまた。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 創元推理文庫の『世界推理短編傑作集2』を読む。江戸川乱歩の選んだベスト短編をもとに編まれた全五巻のアンソロジー、その新版の第2巻である。
 第1巻の感想でも書いたが、このシリーズは何度目かの再読だし、作品によっては他の本で読んでいることもあって、正直、新鮮味はほぼない。ただ、それはこっちがミステリをン十年読んできたおっさんだからであって、無論この本自体の責任ではない。むしろ非常に素晴らしいアンソロジーなので、ミステリを読み始めた若い人には、できれば早いうちに読んでもらいたいシリーズである。

 世界推理短編傑作集2

ロバート・バー 「放心家組合」
バルドゥイン・グロラー「奇妙な跡」
G・K・チェスタトン「奇妙な足音」
モーリス・ルブラン「赤い絹の肩かけ」
オースチン・フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」
V・L・ホワイトチャーチ「ギルバート・マレル卿の絵」
アーネスト・ブラマ「ブルックベンド荘の悲劇」
M・D・ポースト「ズームドルフ事件」
F・W・クロフツ「急行列車内の謎」

 第2巻の収録作は以上。
 旧版からの変更点をあげておくと、旧版で第1巻だったロバート・バー「放心家組合」がこちらに入り、さらにチェスタトン「奇妙な足音」が新たに収録された。これは創元推理文庫の別本に収録されているため、旧版では見送られていたものだ。
 そのせいでページ数が増えたこと、また、作品の並びを発表順に統一したこともあって、旧版にあったコール夫妻『窓のふくろう』が新版の第3巻へ、E・C・ベントリー「好打」は第5巻へと移動となった。
 あとは翻訳関係が二点。ひとつはバルドゥイン・グロラー「奇妙な跡」がドイツ語からの新訳に変更。これは当然『探偵ダゴベルトの功績と冒険』を訳した垂野創一郎氏が担当。また、オースチン・フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」は、創元推理文庫の『ソーンダイク博士の事件簿』に合わせ、大久保康雄訳のものが採られている。

 さて、第1巻ではポオに始まり、ミステリ黎明期の作品が収録されていたが、本書ではホームズのライバルたちが活躍する1910年前後の作品が中心である。ホームズの登場がきっかけで爆発的なミステリブームが起こったのを機に、さまざまな作家が参入し、いろいろな名探偵が生まれ、今でも受け継がれるようなベーシックなトリックやスタイルが考案された。
 管理人が子供の頃に読んだミステリガイドブックには、それこそ本シリーズに収録されている作品がトリックもろとも紹介されていることも多かったが、それぐらいメジャーな作品ばかり。ネットの意見を見ると機械的トリックが多いというネガティブな声もあるようだが、百年前にそれをやってのけている事実が重要で、何よりミステリの本質がこの時代で概ね確立されたように思う。

 以下、各作品のコメント。
 まずはロバート・バーの「放心家組合」。バーといえば、十年ほど前に本邦初の単行本となる『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』が刊行されたのはまだ記憶に新しいところ。そのバーの代表作が「放心家組合」である。詐欺のテクニックの面白さだけでなく、皮肉なラストがまた秀逸。

 グロラーの「奇妙な跡」はオーストリアの名探偵ダゴベルトが登場する一篇。犯人像といい、犯行手段といい、極めて印象深く、まさに乱歩ならではのセレクト。
 こちらもローバト・バーと同じく、五年ほど前になってようやく『探偵ダゴベルトの功績と冒険』が本邦初紹介となり、その特異性が明らかになった。

 チェスタトンの「奇妙な足音」は言うまでもなくブラウン神父ものの代表作。トリックらしいトリックもないのだけれど、何気ない事象に気をとめて、そこからプラウン神父が辿っていく思考の道筋がキモ。フランボウの登場も楽しく、文句なしの一作。

 「赤い絹の肩かけ」はご存知怪盗リュパンもの。とにかくモーリス・ルブランのストーリー・テラーぶりが堪能できる。こういう鮮やかな構成を、すでにこの時期に成立させていた、その事実が素晴らしい。
 もちろんキャラクターの際立ち方も同時代にあっては群を抜いている。

 これまでの四作と打って変わって、オースチン・フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」は地味ではあるが、推理小説の神髄を感じさせて素晴らしい。倒叙ミステリのハシリともいうべき一篇でもあるのだが、これはいわば裏から見た推理小説。すべてをばらしたうえで、なおかつ“推理する小説”を成立させ、しかもその過程が面白いという奇跡。

 ホワイトチャーチもバーやグロラー同様、つい数年前までこの「ギルバート・マレル卿の絵」一作しか読めなかった作家だが、これも論創社から『ソープ・ヘイズルの事件簿』が出て、ずいぶん喉の渇きが潤ったものである。
 機械的トリックにもいろいろあって、ここまで大がかりな形でやってくれると、それはそれで十分に楽しい。というか鉄道を使ったトリック(時刻表ではなく)はなぜか楽しいのだ。

 アーネスト・ブラマの「ブルックベンド荘の悲劇」も機械的トリックだが、きちんと手がかりを見せ、伏線を周到に貼っているところがよい。もちろん今読めば露骨なのだが、手口は十分に素人でも理解できる範囲で、なおかつ予想を越える結果。教科書のような作品である。
 もちろん盲人探偵マックス・カラドスという存在もインパクト十分。

 おそらくもっとも手垢がついているであろうトリックを使っているのがM・D・ポースト「ズームドルフ事件」。ただ、本作が今でも語り継がれるのは、そのトリックではなく、作品の舞台となる世界や宗教観とのブレンドにある。本作をトリックの点だけに注目して否定するのはあまりに無粋である。

 第2巻の掉尾を飾るのは大御所クロフツの「急行列車内の謎」。仕掛けはやや物足りないけれど。全体の雰囲気は悪くない。素朴な疑問だが、解決は後日談的にするよりも、リアルタイムで進めた方がサスペンスの面などでより面白くなった気がするのだが……。

 ということで第2巻もけっこうなお手前でした。
 しかし、管理人が本書を初めて読んだ当時は、気軽に読めるのはチェスタトン、ルブラン、クロフツぐらいだったはず。それが今では本書に収録している作家の訳書は最低でも一冊は出ているわけで、いや、なんとも良い時代になったものだ。


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 湘南探偵倶楽部さんが古い少年少女向け探偵小説を精力的に復刻してくれるので、こちらも引っ張られるように読んでしまう。本日の読了本は森下雨村の『チャリンコの冒険』。「少年クラブ」で昭和25年10月号、11月号に連載されたものである。

 こんな話。警視庁の丸山警部がふらりと日本橋へ出かけたときのこと。最近その姿を見せなかった腕利きのスリ・銀公を見かけ、現行犯で捕まえようと、その後を尾けることにした。ところが銀公は途中で金魚を買ったぐらいで、なかなか怪しいそぶりを見せない。
 そこへ新たな人物が現れた。そのすばしこさから仲間内ではリスの林ちゃんと呼ばれるチャリンコ(少年スリ)の山名林二だ。二年前に丸山警部の世話になった林ちゃんは、当時、十二歳にも満たないながら、義賊をめざすと発言して丸山警部を驚かせたものだった。その林ちゃんがなぜか銀公の後を尾け始める。いったい二人は何を企んでいるのか? 丸山警部もさらに二人の後を追うと……。

 チャリンコの冒険

 月刊誌で二回にわたって連載されたものだが、お話はほぼ独立しており、いわば連作短編二作分といったところである(本書では第一部、第二部という章立てをしているので、以後、この表記で)。
 第一部は上で書いたように、奇妙な追跡劇で幕を開けるのだが、物語はその後、宝石店での盗難事件へと発展する。ストーリーに意外性があって面白いし、盗難でのトリックもあるなど、子供向けとしてはかなりグレードが高い。
 何より主人公がまだ少年探偵ではなく、チャリンコ(少年スリ)として登場するのがよい。この作品で主人公は改悛し(というほどでもないが)、第二部では晴れて少年探偵として登場する。今読めばお約束という感じだが、当時の読者は喝采を送ったのだろうなぁと嬉しくなる展開である。
 第二部でも同じ宝石店での盗難事件だが、主人公が元スリということで、刺激的な殺人事件などを避け、盗みのテクニックで見せていこうという狙いも悪くない。

 ということで個人的にはけっこう楽しめたのだが、それだけにこの二回で連載が終わっているのが残念な限りである。
 雨村は戦時中に一線を退いて地元・土佐へ戻っている。戦後も執筆は行なっていたが、これはあくまで生活費稼ぎの意味合いが強かったらしいので、やはり書くことへの執着が薄れていたのか。それともこの前年に海野十三が亡くなったこともあり、もう自分たちの時代ではないという思いもあったのだろうか。
 作品の内容は清々しいが、書かれた時代や背景に思いを馳せると、いろいろ考えさせられる一冊でもあった。

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 アントニイ・バークリーが本名のA・B・コックス名義で書いた『プリーストリー氏の問題』を読む。
 バークリーの邦訳で唯一未読だった作品なのだが、別に大事にとっておいたわけではなく、積ん読山脈に紛れて行方不明だったものがようやく見つかって読んだ次第。奥付をみると2004年刊行なので、十五年も積んでいたことになる。我ながら呆れてしまったが、まあ、本読みにはよくあることか。

 こんな話。プリーストリー氏は三十六歳の独身男性。好人物でお金に恵まれ、身の回りの世話をしてくれる従僕もいて、快適な生活を満喫していた。しかし、最近婚約したばかりの友人ドイルは、そんなプリーストリーの隠居然とした覇気のない生活に異議を唱える。
「君はキャベツだ!蕪野郎だ!ペポカボチャだ!」
 そんなある日。ドイルは婚約者のドーラと共に、ドーラの友人・シンシアとその夫・ガイのホームパーティに招かれる。ドイルとガイは、犯罪心理の話で意気投合し、ある実験を企むことにする。
 一方のプリーストリー氏はドイルの言葉がついつい気になり、日常から少しだけはみ出そうと、街へ繰り出す。すると見知らぬ美女と出会ったことから、ある犯罪に巻き込まれてしまい、挙げ句には美女と手錠でつながれたまま逃げ回る羽目に……。

 プリーストリー氏の問題

 犯罪を扱ってはいるが、純粋なミステリではなく、クライム・コメディといったところ。
 主人公のプリーストリー氏は基本的には好ましい男性だが、冒険心に欠け、変化を好まない。そんな彼に刺激を与えてやろうと友人たちが悪だくみを企て、その結果、主人公がひとつの冒険を乗り越えて、人生の転機を迎える様子がユーモアたっぷりに描かれる。
 ブラックユーモアというほどではないが、上流階級に対する皮肉な見方が随所に感じられ、登場人物のやりとりも適度にふざけ、適度に洒落ていて好ましい。いかにもなラブロマンスもうまくブレンドされていて、しいていえば昔のハリウッド映画にあるような、小粋な雰囲気を堪能できる。
 本作は比較的初期の作品で、のちの作品ほど尖ったところはないけれど、全体として非常にバランスのよい、楽しい作品といえるだろう。

 また、純粋なミステリではないけれども、ドイルとガイが悪だくみを考えていくあたりはちょっと面白い。倒叙ミステリというのとは違うけれど、それらしい犯罪を組み上げていく過程は、もしかするとバークリー自身がこういう創作法をとっていたのかと想像することもできて興味深いところだ。

 ただ、先にも書いたように決してミステリといえる作品ではないので、他のバークリーのミステリを期待するとちょっとアテが外れるけれども、これはこれでありだし、ファンであればやはり読んでおきたい一作である。


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