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 ダフネ・デュ・モーリアの短編集『いま見てはいけない』を読む。
 早川書房の異色作家短編集にもラインナップされている作家なので、どうしてもそういう文脈で語られることが多い作家だが、本書を読んで、それほど異色作家というわけもないのかなという気がしている。
 もちろん異色作家にありがちな奇妙な味、見事などんでん返し、なんともいえない恐怖など、お決まりの要素を含んだ作品ももちろんあるのだが、デュ・モーリアの場合、あまりその路線を意図しているわけではなく、なんというか人生におけるちょっとしたボタンの掛け違いを皮肉な調子で見せてくれるような、そんな感じを受けるのである。
 だから他の異色作家に比べるとインパクトは弱いし、なかにはほぼ何の事件も起きないような作品まであったりするのだけれど、そこはかとない不安やむずむずした落ちつかなさがじわじわきて、結果的には、いや上手い作家だな、となる。まあ、そういう味があるから逆に「異色作家」に含まれることになるのかもしれないが(苦笑)。

Don't Look Now「いま見てはいけない」
Not After Midnight「真夜中になる前に」
A Border-Line case「ボーダーライン」
Tha Way of the Cross「十字架の道」
The Break Through「第六の力」

 いま見てはいけない

 この短編集は旅と異郷のエキゾチズムをテーマに編まれたようで、すべての作品で主人公が旅をする物語になっている。著者にとっての旅は地理的なだけでなく、精神的にも異空間であることが想像できる。旅先で主人公が感じる開放感・疎外感が何かの扉を開くのである。
 以下、軽くコメントなど。

 「いま見てはいけない」は、娘を亡くした夫婦が旅先のヴェネチアで体験した幻想譚。夫婦はレストランでの食事中に奇妙な姉妹と出会うが、その姉の方が霊的な力をもっており、夫婦のすぐそばで亡くなった娘が幸せそうにしていると語る。奥さんは喜ぶが、夫のほうはその話に不吉なものを感じ、二人のあいだに微妙な溝が生まれ……。
 ヴェネチアの闇と影の描写も雰囲気を盛り上げるが、その先に何が待っているのか、不安の煽りかたが絶妙である。後味も悪く、実にいやーな話。

 「真夜中になる前に」は休暇でギリシャのクレタ島に訪れた絵画が趣味の教師の話。こちらも旅先で知り合う夫婦が曲者で、平々凡々たる教師がのみ込まれてゆく“何か"は、教師の心の闇でもある。

 見舞にいった娘の前で父が亡くなり、娘は父と最後に見ていたアルバムに移っていた場所を訪ねてゆくのが「ボーダーライン」。
 中身のほうは本書でも一番、著者らしさが出ており、ロマンスの絡め方、ボーダーラインの重層的な意味など、出来映えも一番か。

 「十字架の道」は聖地エルサレムを訪れたイギリスのツアー客の顛末。代理でガイドを務めることになった神父に次々と降りかかる災難とは?
 旅を終えたあとツアー客の何かが変わったというのは、考えたらすごくありきたりの物語なのだけれど、ドラマの設定や人物描写が巧くて群像劇としても秀逸。好みでいえば本書中ナンバーワン。

 ラストを飾るのは「第六の力」。なんとSF仕立てで、とある研究所に長期出張することになった科学者の体験談。序盤はマッドなものを予想させるが、けっこう斜め上をゆく展開が面白いといえば面白い。でも本書中ではちょい落ちるほうだろう。

 ということで、なかなか悪くない短編集である。積んであるもうひとつの短編集『人形』も早めに読むべきか。


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 先日、読んだ大下宇陀児の『自殺を売った男』が収録されているので、ついでにこちらも消化しておこうと、ミステリー文学資料館/編『大下宇陀児 楠田匡介 ミステリー・レガシー』を手に取る。

 ミステリー文学資料館からは数々の探偵小説のアンソロジーが出ているが、本書もその流れを組む一冊である。シリーズ名は「ミステリー・レガシー」となっており、一応、アンソロジーではあるのだが、関連のある作家のペアリングで展開しようという試みらしい。
 その第一弾が大下宇陀児&楠田匡介という組み合わせなのだが、この二人の結びつきは、作風も違うし、一見意外に思えるけれど、合作短編もあるぐらいなので、わりと交流があったようだ。

 大下宇陀児 楠田匡介 ミステリー・レガシー

大下宇陀児「自殺を売った男」
楠田匡介「模型人形(マネキン)殺人事件」
大下宇陀児・楠田匡介「執念」
楠田匡介「二枚の借用証書」(エッセイ)

 収録作は以上。
 「自殺を売った男」先日の記事を参考にしていただくとして、今回はそれ以外の作品だけまとめておこう。

 楠田匡介の「模型人形(マネキン)殺人事件」は著者のデビュー長編。自宅のアトリエで銃殺された彫刻家の殺害事件を扱った本格探偵小説である。
 現場は密室状態、しかも死体のすぐそばには綺麗に着飾ったマネキンが死体を見つめるようにして立っており、おまけに凶器とおぼしき拳銃にはなぜかマネキンの指紋が……という奇怪な状況で、設定はなかなか惹かれるものがある。
 また、事件はその後、別の容疑者が浮上したり、マネキンがなぜか盗まれるという事件まで持ち上がってストーリー的にも悪くない。マネキンに絡むエロチックな要素なども雰囲気づくりの道具立てとして効果的だ。

 ただし、当時の事情などもあるのだろうが、いかんせん長編にしてはボリュームが少なく、その割には取り調べや推理、議論の描写がけっこうな比重を占めているのがいただけない。もちろんこれらの描写はミステリだから当たり前といえば当たり前なのだけれど、ミステリにとって重要な遊びの部分、これがあまり生かされていない印象を受けてしまった。
 とにかく読んでいて忙しない。もっとそれなりのボリュームを費やして猟奇的な雰囲気を盛り上げ、そのうえで推理合戦などが入ればずいぶん面白くなった気もするのだが。惜しい。

 大下宇陀児、楠田匡介の合作「執念」は短編。
 こちらは完全に大下宇陀児好みの犯罪小説であり、謎解き興味には乏しい。おまけに後味も苦く、これは大下宇陀児と楠田匡介の合作という要素がすべてだろう。

 というわけで「自殺を売った男」も合わせ、いまの若い読者にはやや辛い内容だが、こういう本はそもそも出してくれるだけでありがたいわけで、光文社にはどんどんやってもらいたいものである。
 ただ、昨年の五月に本書が刊行されて以後、続刊が出ていないのでちょっと心配ではあるが……。


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 L・P・ハートリーの『ポドロ島』を読む。著者は英国の怪奇小説の名手であり、アンソロジー等ではよく見かける名前である。日本での著書はこれ一冊のようだが、予想以上に面白いというか変わった味わいの短編集でなかなか楽しめた。
 収録作は以下のとおり。

Podolo 「ポドロ島」
The Travelling Grave「動く棺桶」
Feet Foremost「足から先に」
A Change of Ownership「持ち主の交代」
The Thought「思いつき」
The Island「島」
Night Fears「夜の怪」
The Killing Bottle「毒壜」
A Summons「合図」
W.S.「W・S」
The Pampas Clump「パンパス草の茂み」
Pet Far L'Amore「愛し合う部屋」

 ポドロ島

 基本的には怪奇小説といっていいのだが、ミステリ系あり奇妙な味ありで、実は一概にはこういう作風だといいにくい作家である。
 その理由は収録されている作品をいくつか読めばすぐに理解できるはず。

 たとえば表題作の 「ポドロ島」 の場合、小島にゴンドラでやってきた夫婦と案内人の話なのだが、途中で捨て猫らしきものを見かけた奥さんが、何者かに襲われ命を落とす。夫と案内人は必死で逃げ帰るのだが、この妻がいったい何者に襲われたのか実は最後まで明らかにされない。
 これが島に隠れていた殺人鬼であればミステリやサスペンスと読めるであろうし、あるいはモンスターなら怪奇小説というふうに捉えられるだろう。それを明示せず、そのまま読者を煙に巻くようなことを、この著者は本作にかぎらず頻繁にやるわけである。

 ストーリーを読者の想像に委ねる、あるいは著者の狙いを絞らせない。一作や二作ならともかく執拗にこの種の書き方にこだわるハートリーは、おそらく相当な技巧派である。とにかく何を描くかというより、読者をいかにして不安にさせるかということの方が重要で、ある意味、読者に対して仕掛ける心理小説といってもいいかもしれない。
 そのための仕掛けが絶妙にブレンドされており、数作読めば、相当いい感じに酔えることは間違いない。反面、度数が高いので口に合わない人も多そうだが(苦笑)。

 最後にマイ・フェイヴァリット。上で紹介した「ポドロ島」 、殺人マシーンの存在がむしろ滑稽に思えてそれこそ著者の狙いがぴんとこない「動く棺桶」 、分身ものでありメタフィクションでもある名作「W・S」 、幻想小説らしさではイチ押しの「愛し合う部屋」 あたりか。
 このレベルならもう一冊どこかで短編集でも組んでくれると嬉しいのだが。ううむ、古い作家だから難しいかな。


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 大下宇陀児の『自殺を売った男』を読む。1958年に『週刊大衆』に連載され、同年に光文社から刊行されたものである。

 まずはストーリー。
 学生時代の万引きで身を持ち崩した四宮四郎。その原因となった麻薬から抜け出すこともできず、日々を無気力に生きるチンピラだった。そんな自分に愛想を尽かし、美容師の彼女とも別れて自殺するため伊豆へ向かった四宮。ところが自殺の直前、カップルに発見された四宮は一命を取りとめ、就職まで世話をされてしまう。
 なりゆきに任せて気楽な生活に浸ってゆく四宮だったが、そこへ四宮を殺すように依頼されたという男が現れ、雲行きが怪しくなってくる。なんと男は、四宮を殺しはしないから自殺したことにしてほしいというではないか。しかも謝礼まで払うという。謝礼に目がくらんだ四宮はその話に乗るのだが……。

 自殺を売った男

 雑誌掲載時に著者自身が「名探偵が出てくるような本格探偵小説を書くつもりはなく、しいていえば倒叙探偵小説に近いがそれとも違う」というようなことを書いているのだが、別にミステリとしてそんなに凝った作品ではなく、要するに普通にサスペンスとして読めばよい。
 もともと大下宇陀児は本格専門の書き手というわけではなく、サスペンスやスリラーなどが多かったわけだが、戦後は単なる娯楽作品から社会派・リアリティ重視へと移ってゆく。本作も基本的にはその流れを組む作品であり、戦後に流行ったアプレと呼ばれる無軌道な若者たちの生態に焦点をあて、その生き方や考え方、そして立ち直る姿を描いている。

 ただ、思ったほどストーリーが弾けず、主人公が自殺を持ちかけられるあたりでようやく盛り上がってきたかと思うのだが、その後もいまひとつ盛り上がらないまま終わってしまうのは、単純にミステリとして物足りないところだ。
 特に終盤の展開は、主人公が他の人間の報告を聞くような形でストーリーの重要な部分が進んでしまい、粗方の謎も解けてしまう始末。なんだか連載を早く終わらせなければならない事情でもあったのかと、思わず勘ぐってしまうレベルである。

 そんななかで興味を惹かれたのは登場人物の造形。特に主人公とその恋人の描き方はまずまず面白い。
 主人公は何をするにも中途半端で、そのときどきの感情で流されることがほとんど。更生もそれほど真面目には考えられないが、かといって徹底的な悪党にもなれないというキャラクター。その一方で主人公の彼女が教養はないのだけれど実行力がり、何より生きる力に溢れている。そのくせ駄目男の彼氏にはとことん尽くすという側面もあり、ああ、こういうダメンズ好きのしっかり女はこんな時代からいたのだなと思わず膝を打つリアリティである(笑)。
 ミステリとしては弱いけれども、そういった当時の世相や若者像を垣間見る一冊としては悪くない読み物であった。

 なお、本書は当然ながら絶版だが、昨年に光文社文庫から出た『大下宇陀児 楠田匡介 ミステリー・レガシー』に収録されているので、興味ある方はそちらでどうぞ。


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 江戸川乱歩の『明智小五郎事件簿XII「悪魔の紋章」「地獄の道化師」』を読む。名探偵・明智小五郎の活躍を物語発生順に紹介するシリーズも遂にこれが最終巻である。

 明智小五郎事件簿XII

 まずは「悪魔の紋章」からいこう。
 法医学の権威、宗像隆一郎博士が探偵業に手を染めるようになって数年。めきめきと頭角を現し、いまや明智小五郎と並んでその名を知られるようになったが、そんな宗像のもとへ脅迫状に悩まされる川手という実業家から調査依頼が舞いんでいた。
 ところが内偵に送り出していた宗像の助手、川手の娘らが次々に惨殺され、その現場には常に謎の“三重渦状紋”が残されて……という一席。

 子供の頃に読んだときは、犯人の手がかりであり、挑戦状でもある“三重渦状紋”というギミックに惹かれ、かなり楽しめた記憶があったのだが、いやあ今読むとこれはしんどい(苦笑)。
 といっても本作単品で読む分にはそれほど悪くもない。ストーリーは破天荒だし、どんでん返しの連発や明智と宗像の探偵対決など見どころも多い。
 問題はいかんせん焼き直しのネタが多すぎることだろう。そもそもが「明智小五郎事件簿」というシリーズで続けて読み進めてきたこともあって、ああ、あれはこの作品、これはこの作品にあったなというようなことが多すぎて、どうにも白ける。まあ、乱歩の通俗長編でそれをいってもしょうがないのだけれど、同じ通俗長編でも初期のほうがやはり読ませるのは確かだ。
 犯人の執着心というか執念も極端すぎていまひとつ納得しにくく、これはやはり凡作だろう。

 お次は「地獄の道化師」。
 池袋の踏切を横断しようとしていたオープンカーが車道を踏み外し、積んでいた石膏像が踏切に投げだされた。タイミング悪くそこへ列車がやってきて、石膏像は無残に砕かれてしまう。しかし、事件はそれだけでは終わらなかった。その石膏像の中から人間の死体が発見されたのである。
 そのニュースを聞いて警察署に野上あい子と名乗る女性が現れた。もしかすると死体は自分の姉・みや子ではないかというのだ。右腕の傷跡からまさしく死体がみや子であることを確認したあい子だったが、その日から彼女の周囲には不気味な道化師の影が……。

 謎解きという観点でみれば本作も「悪魔の紋章」と似たようなものでかなりの粗はあるのだけれど、それでも本作のほうが全然楽しめる。なんといっても犯人像が独特で、ぱっと見はけっこう似たような印象もあるのだけれど、実は動機や犯行の数々がこれまでの乱歩の猟奇ものとは微妙に一線を画している。
 あまり乱歩の作品の中ではフィーチャーされることがない本作だが、もう少し見直されてもよのではないか。

 というわけで、ようやく「明智小五郎事件簿」全作読了である。
 このシリーズの良さは、明智ものを物語内の時間軸で読み進めるという楽しさにあるのだが、個人的にはこれをきっかけに明智ものを再読できたことに感謝したい。子供の頃にほとんど読んでいたのでそれっきりになっていた作品も多かったのだが、あらためて大人の目で読むと、その印象はずいぶん違っているものもあったし、逆にまったく記憶が色褪せていないものもあったり、実に楽しい再読体験だった。
 また、巻末の“明智小五郎年代記(クロニクル)”の考証も本シリーズの楽しみのひとつであった。それこそ推理していく楽しさを感じることもできるし、また当時の風俗紹介等も作品理解の一助として有効だろう。
 惜しむらくは本シリーズが戦前の作品だけで完結してしまっていることか。できれば第二期を期待したいところなのだが、大半が子供向けになってしまうし、戦後の作品でそれをやるとかなりカオスになるらしいということをどこかで聞いたこともある。
 ただ、本書には巻末に戦後分の年表も載っているので、個人的に読み進めることは一応可能のようだ。せっかくここまで読んだからには、大人向けだけでも読んでみるかね。


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 フランシス・ディドロの『七人目の陪審員』を読む。
 論創海外ミステリからの一冊だが、著者は我が国ではほとんど馴染みのない作家である。一応、過去にポケミスから『月あかりの殺人者』というタイトルが一冊出ており、植草甚一の『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』や森英俊編著『世界ミステリ作家事典 本格派篇』で紹介されてはいるのだが、まあ、この辺りをちゃんと押さえているのは翻訳ミステリマニアぐらいだから、一般的にはほぼ無名の部類だろう。

 そんな状態ではあるが、実は前述の『雨降りだから~』等では傑作と紹介されていた作品が長らく未訳の状態で残っていた。それがようやく陽の目を見ることになったのが、本書『七人目の陪審員』である。
 これがまた、なかなか奇妙な作品で、ブラックユーモアに満ちた味わい深い逸品であった。

 こんな話。フランスのとある小さな町で薬局を営む男、グレゴワール・デュバル。奧さんにはときどききついことも言われるが、息子と娘の四人で、まずは平凡ながら平和に暮らしていた。
 そんなある日。家族とレストランで昼食をとりにいったときのこと。食事のあとに軽く川べりを散歩していたグレゴワールは、町一番のビッチと名高い女ローラと出くわす。彼女はちょうど素っ裸で水浴びの真っ最中、思わず悲鳴をあげたのだが、それに動転したグレゴワールは彼女を絞め殺し、その場から逃走してしまう。
 だがその後、グレゴワールに嫌疑がかかることはなかった。ローラの恋人で、よそ者でもあるチンピラのソートラルが真っ先に疑われ逮捕されてしまったからだ。グレゴワールは自分が捕まる気持ちはないけれども、ソートラルが逮捕されるのは気の毒だと思い、なんとか彼の容疑を晴らそうとするが……。

 七人目の陪審員

 設定がまず興味深くて、これはいわゆる倒叙ミステリのアレンジになるのかもしれない。
 犯人が主人公というのは倒叙ミステリの必須事項だけれども、普通の倒叙では、犯人が自分の犯行と疑われないよう完全犯罪を目論む様子を描いていくのが主流である。ところが本作では自分はまったく最初から容疑の外で、誤って逮捕された第三者の容疑を晴らすため、犯人が行動する様子を描いていく。
 ミステリでは往々にして、ある人の容疑を晴らすために真犯人を見つける、という展開をよく見るが、本作では主人公自らが犯人なので、自首でもしないかぎり絶対に真犯人を見つけ出すことはできない。そんな状況のなか、容疑者の無実を証明するというのはなかなか設定としてはふるっており、本格ミステリの裏返しみたいな雰囲気もあって面白い。

 ただ、法廷でのやりとりなどもあるし一応はミステリなのだけれど、実は肝心の主人公の行動がそこまでミステリ的ではないのが惜しい。単純に主人公が右往左往するドタバタの要素が強くて、だから倒叙ミステリのアレンジとは書いてみたものの、本質としてはユーモアミステリという範疇になるのかもしれない(ちなみに帯には“法廷ミステリ”と謳っているが、法廷ミステリの要素も極めて低い)。

 もうひとつ本作で興味深いのが、主人公グレゴワールというキャラクターである。
 他人の冤罪を晴らそうとする彼の行動は、一見、正義感が強いようにも思えるが、その実、人を殺したのは自分であって、しかも冤罪を晴らすために自首する気はさらさらない。というか罪を犯したという意識すらないのだ。
 このモラルや倫理観の極端なバランスの悪さが肝で、主人公グレゴワールが直面するさまざまな状況において、彼がどのように考え、行動するかに読者は惹かれていくのである。
 そして、気がつくと、町の人々の倫理観もまた、非常に表面的なものであることが浮き彫りになり、ひいては自分たちのよしとしているモラルや倫理感は本当にこれで良いのかという気にもなってくる。
 実際、今の世の中には、立場が変われば倫理観がガラッと変わるような、そういう様々な出来事がいくつもあるわけで、当時よりもむしろ今読むからこそ面白かったのかもしれない。

 ラストのオチも意外性があり、読んで損はない作品である。


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  小泉喜美子の短編集『殺さずにはいられない』を読む。
 元版は青樹社がかつて新書版で出したものだが、それにリクルートの女性求人誌『とらばーゆ』(懐かしい!)に連載していたショートショート六編をボーナストラックとして加えたもの。青樹社版が入手難ということで出してくれるだけでもありがたいのだけれど、それに書籍初収録となるショートショートをつけるところなど、さすが日下氏の編集に抜かりはない。

 殺さずにはいられない

「尾行報告書」
「冷たいのがお好き」
「血筋」
「犯人のお気に入り」
「子供の情景」
「突然、氷のごとく」
「殺人者と踊れば」
「髪」
「被告は無罪」
「殺さずにはいられない」
「ミステリーひねくれベスト10」(エッセイ)
「客にはやさしく」
「投書」
「ボーナスを倍にする方法」
「ご案内しましょう」
「ありのまま」
「プロの心得教えます」

 収録作は以上。「尾行報告書」から「殺さずにはいられない」までが元版の短編、エッセイを一本はさみ、「客にはやさしく」以下が『とらばーゆ』連載のショートショートである。
 ちょっと気をつけておきたいのは、本書の元版は1986年の刊行だが、収録作品は1970年台の作品が中心だということ。小泉喜美子が亡くなったのは1985年なので没後の出版ということになるが、中身そのものはけっこう初期の作品なのである。
 ということは他の短編集にそれまで収録されなかった作品が中心ということであり、それはもしかすると作品の出来としてはいまひとつなのかなという不安もあったのだが。

 いやいや、いざ蓋を開ければなかなか悪くない。
 小泉喜美子が主張してきたことに、「ミステリは粋でなくてはならない」というものがあったが、それをきっちりと実践するような都会的で洒落た作品が多く収録されている。
 また、雰囲気だけでなく、ラストで物語の様相を反転させるような、どんでん返しを効かせたものが多いのも“粋”の部分であろう。最近のミステリのようにどんでん返しを重ねすぎたウザいところがなく、一発でスッキリとオチにもっていくところもむしろ好ましい。まあ、時代ゆえの古さはどうしてもあるけれど、全般的には楽しめる作品集である。

 印象に残った作品としては、まず「冷たいのがお好き」。友人に殺人方法をせがまれた推理作家の話だが、犯行の実現性からすると今では?つきではあるけれど、アイディアは面白いし、最後の捻りがいい味を出している。
 「突然、氷のごとく」は不倫に走る有閑マダムと貧乏青年。ここに脅迫男が入ってくることで、ある程度結末は予測できるけれど、終盤の展開が盛り上がる。
 「殺人者と踊れば」は個人的な本書中のベスト。オチもいいのだけれど、そこに至る過程の叙情性、美しさが素晴らしい。
 表題作「殺さずにはいられない」はネタとしてはそれほどのものではないが、これは語りの妙。味わい深さが光る一品。

 なお、ボーナストラック分はショートショートという性質上、他の作品と比べるとどうしても分が悪いのは仕方ないのだが(これは『とらばーゆ』という発表媒体の問題もあるだろう)、コントのような作品が多くて物足りなさが残った。


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 ロバート・クレイスの『約束』を読む。警察犬マギーと警察官スコットの活躍と友情を描いた前作『容疑者』の続編。だが、本作はスコット&マギーのシリーズというだけでなく、同時に著者もうひとつのシリーズキャラクター、私立探偵エルヴィス・コール&ジョー・パイクが登場するダブル主演作でもある。

 こんな話。
 スコットと警察犬のマギーは逃亡中の殺人犯を追跡していた。しかし、ある住宅地で容疑者と思われる死体と大量の爆発物を発見してしまう。
 時を同じくして、私立探偵コールもまたその住宅地を訪れていた。失踪した会社の同僚を探してほしいという依頼の調査のためだったが、スコットッたちの捜査する現場から逃げ出した男を追いかけようとしたことで、警察からいらぬ疑惑の目を向けられてしまう。しかし、失踪事件の陰に大きな犯罪があることを感じていたコールは、あくまで独自に調査を続けようとする。
 一方、現場から逃げ出した男を直前に目撃していたことから、スコットの身には危険が迫っていた……。

 約束(クレイス)

 ずいぶん上からの言い方になってしまうが(苦笑)、ロバート・クレイスもいつの間にかすっかり巧い作家になったものだ。著者が複数のシリーズを融合させるという手法も、最近ではそれほど珍しいものではなくなってしまったが、それでもやはり難しい作業であることにに変わりはないだろう。
 特にクレイスの場合、シリーズの主人公がそれぞれパイクとマギーという相棒を連れていることから、よけいやりにくいはずで、それを案外さらりとやってのけているのが見事。
 単に事件解決までを描くだけではなく、描写の配分という問題もあるだろうし、クレイスは比較的強いメッセージ性を込める作家だから、そういう部分の盛り上げも考えると、これは相当にレベルの高い作品なのである。

 『容疑者』に比べると本作は事件そのものも魅力的だ。
 ストーリーはエイミーという女性化学技術者の失踪事件が軸になるのだが、関係者の多くが隠し立てをする状況。そのなかでコールはパイクやジョン・ストーン、そしてスコット&マギーらの協力を得て、ひとつずつ新たな事実を確かなものにしていく。そのなかでエイミーという女性の本当の姿も明らかになっていくのは、常套手段といえば常套手段だが、そこからさらに捻って、この失踪事件の様相そのものが揺らぐような展開にもっていく。
 簡単に物事が進みすぎるきらいもないではないが、こういうストーリーの出し入れというか緩急というか、適度な焦燥感と爽快感の混じり具合もクレイスの巧いところだ。

 ただ、『容疑者』のような犬と人の感動友情ストーリーは今回さすがに抑え気味だ。毎度毎度あんな感動的な出来事が同じ当事者に起こるわけがないので、まあ、そこは致し方あるまい。
 とはいえマギーの見せ場や犬好きには堪えられないシーンもちゃんと用意されているし、場面ごとのクオリティはいささかの劣化もない。前作が気に入った人なら本作も必読である。

 今後はシリーズキャラクターをいろいろ取り混ぜた展開もあるようで、ますます楽しみになってきたクレイスの作品。積ん読も少し消化していくべきかな。


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 エドガー・ウォーレスの『真紅の輪』を読む。
 著者のウォーレスは二十世紀初頭にスリラーで絶大なる人気を誇った作家で、あの『キングコング』の生みの親でもある。多作家としても知られ、その著作は長篇だけでも百五十作以上に及び、その他にも短編やシナリオ、エッセイなど多数にのぼる。
 日本でも昭和初期にはけっこう訳されていたようだが、内容が通俗的で時代がかっているせいか戦後は紹介が途絶え、二十一世紀になってようやく長崎出版や論創社で新訳が出るようになったのは、まだ記憶に新しいところだ。

 さて『真紅の輪』だが、まずはストーリー。
 連続殺人でロンドンを恐怖に陥れている“クリムゾン・サークル”。大金持ちに脅迫状を送っては、多額の金銭を要求してくる謎の犯罪集団である。さもなくば命はない、と。
 それに立ち向かうのが警視庁のパー警部、そして超能力で調査を行う私立探偵イエール。二人は協力して富豪ジェイムズ・ビアードモアを警護しようとするが、クリムゾン・サークルの手によって遂にジェイムズは殺害される。
 そして事件の影で暗躍する謎の女タリア。ジェイムズの息子ジャックは周囲の反対も聞かずタリアに惹かれていくが……。

 真紅の輪

 まあ、何ともぶっとんだ設定である。とりわけ探偵イエールがすごくて、彼は現場に残された物から心象風景を読みとるという、いわゆるサイコメトリーの持ち主。
 一方のパー警部は一見、鈍重そうながら、実は粘り強さが身上の切れ者。この相反するやり方の二人が協力して捜査を進めるのがなかなか見ものである。ここまでタイプが違うとハードボイルドあたりでは絶対に敵対関係になるはずだが、それをやらないところが時代ゆえか著者の上手いところなのか。悪党側が混沌としているだけに、捜査側が一枚岩になっているのはストレスがなくてよろしい。

 また、探偵だけでなく“クリムゾン・サークル”の設定も捨てがたい。
 けっこうな規模の犯罪組織なのだが、そのボスは誰も見たことがなく、また、組織のメンバーもすべては秘密に包まれている。
 時代がかった部分ではあるが、もちろんサスペンスを高める効果は高く、特にボスの正体はわかりそうでわかりにくく、伏線やミスリードも適度に散りばめられていてミステリとしてもきちんと機能している。
 ミステリ的な興味でいうと密室殺人も危ういトリックではあるが着想としては面白い。

 これらに加えて、謎の女泥棒タリアの存在も忘れてはならない。峰不二子的な存在として(苦笑)パー警部や探偵イエールとも対立し、他の犯罪者とも丁々発止。“クリムゾン・サークル”ともどうやら関係をもちそうな、この魅力的な悪女。
 さらには、タニアに恋い焦がれ、何度も断られながらも「あなたはそんな悪人じゃない」と言い続ける純情青年のジャック。この二人のロマンスの行方も要注目。決して味付けで終わらせない著者の腕前が見事だ。

 とにかく予想以上の面白さである。ぶっ飛んだ設定なのだが、テイストはあくまで通俗スリラー。思わず先を読みたくなる興味のつなげ方、テンポのよさ、そして読みやすさが合わさって、とても1922年の作品とは思えない。
 これまで訳された『正義の四人/ロンドン大包囲網』や『淑女怪盗ジェーンの冒険』も予想以上だったが、やはり書かれた時代というところがあった。しかし、本作はそういった但し書き抜きにしても十分楽しめる。
 サイト「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の記事で、「乱歩の通俗物長編によく似ている。」という評があったのだが、そう、まさにそのとおり。乱歩の通俗長編がもついかがわしい魅力が本作にも満載なのだ。発表当時は評論家に酷評されたウォーレスだが、一般大衆の好みはバカにはできないのである。


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 大雪なのでいつもよりは早めに帰宅。風呂上がりに雪かきをするはめになるとは夢にも思わなんだが(苦笑)。


 本日の読了本はシムノンの短編集『メグレ夫人の恋人』。まずは収録作から。

L'Amoureux de Madame Maigret「メグレ夫人の恋人」
Peine de mort「死刑」
La Fenetre ouverte「開いた窓」
La Peniche aux deux pendus「首吊り船」
Les Larmes bougie「蝋のしずく」
Une erreur de Maigret「メグレの失敗」
L'Affaire du boulevard Beaumarchais「ボーマルシェ大通りの事件 」
Jeumont, cinquante et une minutes「停車─五十一分間」
Stan le tueur「殺し屋スタン」

 メグレ夫人の恋人

 本書は1944年に刊行された『Les Nouvelles Enquetes de Maigret』(メグレ、最新の事件簿)から九作をセレクトした一冊。メグレものの短編集は五冊あって、長篇に比べると実に少ないのだが、その出来は長篇に勝るとも劣らない。
 全般に長篇ほどには人間ドラマを押し出しておらず、意外な結末を用意するなど、かなり通常のミステリに寄せているような印象である。
 短篇をもとに長篇化するケースは海外の作家にありがちだけれど、シムノンもその例に漏れず、おそらくは長篇化する際にいろいろとドラマの肉付けをすると思われる。したがってミステリとしては、むしろ短篇の方がすっきり読めるものが多いのかもしれない。まあ、あくまで想像だけど。
 ともあれシムノンの作品でどんでん返しがこれだけ楽しめるというのは非常に楽しい。

 「メグレ夫人の恋人」はタイトルだけ見れば不倫もの?と勘違いしそうだが、まったくそんなことはない。メグレ夫妻が暮らすアパルトメンから見渡せる広場で、いつもベンチに長時間座っている男がおり、それをメグレ夫人が気にしていることから、メグレが夫人をからかって“恋人”と称したことによるもの。
 ところがあるとき男がベンチに座ったまま殺害されてしまという事件が起こり、男の奇妙な行動の裏に何があったのかメグレが捜査する。
 メグレ夫人が夫顔負けの推理や捜査の真似ごとをするのが微笑ましいが、真相やそれに到達する流れも面白く巻頭を飾るにふさわしい一作。

 「死刑」も面白い。尻尾を掴ませない容疑者に対し、メグレは徹底的な尾行でプレッシャーをかけるのだが、そこにはメグレの意外な狙いがあったというもの。

 実業家の爆殺事件を扱うのが「開いた窓」。メグレは実業家に長年虐げられていた部下に目をつけるものの、その男にはアリバイがあった……。

 「首吊り船」はセーヌ川に浮かぶ船から発見された男女の首吊り死体の謎を追う。男はちょっとした資産家の老人、女はその資産目当てに結婚した若い妻であった……。

 田舎町の老姉妹宅で起こった殺人事件を捜査する「蝋のしずく」。町の描写や事件の真相が陰々滅々としており、メグレもの本来の味わいが濃厚な一品。

 タイトルどおり「メグレの失敗」談。特殊書店に勤める若い女性が殺害され、メグレは店主を犯人とにらむが、その真相はほろ苦いものだった……。メグレが行き場のない感情を爆発させるのが見もの。

 「ボーマルシェ大通りの事件」は夫と妻、その妹の三角関係から起こった事件。妻が毒殺され、メグレは夫と妹を交互に調べていくが……。現代でこそ起こりそうな事件。

 国際列車のなかで起きた殺人事件を捜査するのが 「停車─五十一分間」。『オリエント急行殺人事件』ばりのシチュエーションは楽しいが、ラストが妙に駆け足なことが物足りず、ミステリとしての仕掛けもいまひとつ。

 「殺し屋スタン」は早川書房の世界ミステリ全集のアンソロジー『37の短編』、それを再編集したポケミス版『天外消失』にも「殺し屋」のタイトルで収録されている傑作。
 殺し屋スタンを含むポーランド難民の強盗団を追うメグレたち。そこへ自殺を考えているポーランド人の男が、せめて最後にこの命をポーランド強盗団逮捕に役立てたいと、執拗にメグレを追い回す。メグレは渋々引き受けることになるが……。
 再読ゆえ真相は知っていたが、シムノンの語り口がある意味カモフラージュになっていることがよくわかり、再読でも十分楽しめる。未読の人ならもちろんこのラストに驚くはず。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌



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