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早いもので今年もあと一ヶ月をきってしまった。年をとると一年もずいぶん短く感じるものだが、今年はとりわけ。

 年末といえばミステリ業界でも恒例のベストテンがあちらこちらで発表されているようだ。管理人が見ているのは『ミステリマガジン』の「ミステリが読みたい!」、『週刊文春』の「ミステリベスト10」、『このミステリがすごい!』ぐらい、しかも国内篇には興味がないので海外篇のみ参考にしているぐらいだが、今年はビッグタイトルがちょうど対象期間のズレている部分にはさまったようで、すでに発表された「ミステリが読みたい!」と「ミステリベスト10」を見比べているとなんだか妙な具合である。まあ、『このミステリがすごい!』が出たら、ちょっとまとめてみよう。

 本日の読了本はコリン・ワトスンの『愚者たちの棺』。
 著者は主に1960~70年代にかけて活躍した英国の本格ミステリ作家。CWA(英国推理作家協会)のゴールドダガー最終候補にも二度ほど選ばれるなど、なかなかの実力派らしいが、わが国では短編が三作紹介されただけの、ほぼ無名の作家である。
 そのコリン・ワトスンが長編で書き続けたのが、英国の架空の町フラックスボローを舞台としたシリーズ。探偵役は地元警察署のウォルター・パーブライト警部。『愚者たちの棺』はそのシリーズ一作目である。

 まずはストーリー。
 フラックスボローはイングランド東部の海岸に面した小さな港町。田舎ではあるが食品業やプラスチック産業などを中心に賑わい、過疎化に悩まされることなく、活気を見せる地でもある。
 そんな町の名士、キャロブリート氏が亡くなった。町議会議員、治安判事などを兼任した男の葬儀としては非常につましいもので、ゴシップを求める住民もアテが外れた様子だった。
 ところがそれから七ヶ月後。今度はキャロブリート氏の隣人であり、地元新聞社社主のグウィル氏が感電死するという事件が起こる。ウォルター・パーブライト警部は遺体にいくつかの不審な点があることから、他殺の線で捜査を開始するが……。

 愚者たちの棺

 本を手にとってまず目を惹くのは、帯に書かれた“英国本格”と“D・M・ディヴァインに匹敵する巧手”という謳い文句だろう。好きな人にはこれだけで十分すぎるほどのアピールになるわけで、管理人も事前の予備知識はほとんどない状態で読み始めたのだが。

 ううむ、 正直、思っていたほど折り目正しい英国本格ミステリという雰囲気ではなかった。まあ、それをいったらディヴァインだってかなりカスタマイズされた本格ではあるのだが、本作の場合は本格というより警察小説に近い印象だ。
 警察小説といっても、北欧ミステリによく見られるような重いタイプではなく、チームプレイを主としながらも謎解き要素も強く、しかも適度なユーモアも入れ込んだ類。例えればR・D・ウィングフィールドのフロスト警部とか、ピーター・ラヴゼイのダイヤモンド警視とかを想像してもらえればよい。まあ、フロストやダイヤモンドを警察小説として括ってしまっていいのかというところはあるけれど、ニュアンスはご理解いただけるかと。

 で、このユーモアの部分がなかなか曲者で、けっこうひねくれたブラックな笑いが多い印象。しかもそれは単なる小説の味付けというだけではなく、実はシリーズ全体がそもそも作者のある意図のもとに成立しており、それを補足する役目もある。
 その意図とはずばり、善良な田舎町という、記号化された構図の否定である。
 もともとは平和で善良な人々がのんびりと暮らす田舎町。そこへ禍々しい事件が起こるもののやがて事件は解決し、また元の善良な町に戻るというミステリにありがちな構図(これは神話や民話でも同様なのだが)。
 作者はこのそもそもの前提となる、善良な田舎町というものを否定して、本シリーズを描いている。規模や量は都会に比べると小さいが、人の愚かさや不道徳、犯罪を起こす土壌は都会も田舎も本質は同じであり、善良な田舎町などというものはないのだと。
 この辺、詳しくは本書の解説にあるのだけれど、そういう考えをベースとした上で、本シリーズの舞台となるフラックスボローが描かれている。だからこそ登場人物それぞれがいわゆるステレオタイプではなく、作者独特のシニカルな見方が混ざった個性的なキャラクターになっており、それゆえに面白いのである。

 肝心のミステリ部分でいうと、注目はプロット作りの部分か。トリックなどは正直それほどのインパクトはないのだけれど、町に隠された醜聞自体の面白みがあり、それをうまく活かしている。
 ただ、トータルでは傑作というところまではいたらず、悪くはないのだけれど、それほどプッシュしようという気が起きないのも事実。
 ひとまずは次作『浴室には誰もいない』も読んでみて、その上での判断としよう。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 江戸川乱歩の『明智小五郎事件簿V魔術師』を読む。月イチノルマがなかなか厳しいが、ようやくこれで五冊目である。

 こんな話。
 『蜘蛛男』の事件を解決した明智小五郎は、静養のため湖畔のホテルを訪れ、そこで玉村宝石店主の令嬢、玉村妙子と知り合いになる。やがて妙子は帰京するが、その直後から玉村宝石店主の実弟、福田のもとへ、謎の脅迫状が届き始めた。
 その脅迫状は数字が書かれているだけの簡単なものだったが、毎日、知らぬまに屋敷内へ届けられていた。しかもその数字は1日ごとにひとつずつ減ってゆき、その数字が「0」になったとき、何かが起こるのではないかと予想された。
 そして「0」の当日。福田は首無し死体となって、屋敷内で発見された……。

 明智小五郎事件簿V

 いやあ、これまた何回目かの再読になるとはいえ、何度読んでもこれは面白い。とにかく印象的なシーンが目白押し。
 捕縛された明智が壁に掛けられた仮面のふりをした犯人と話すシュールな会話シーンとか、時計台の針で首を挟まれるシーンとか、二重三重に罠が仕掛けられた地下室のシーンとか、ラストの犯人を指摘するシーンとか、いやもう名場面だらけである。
 初期の本格から通俗スリラーへと方向転換した乱歩。本人的には忸怩たる思いもあっただろうが、読者には圧倒的に支持され、この『魔術師』で早くもひとつのピークを迎えた感すらある。

 そもそも通俗スリラーとはいうものの、乱歩はたいてい一つは大きなトリックを準備して、きちんと驚きを与えてくれる。『蜘蛛男』然り『黄金仮面』然り。ただ、ワンアイディアに頼ってあとはけっこう雑に済ますというか、それどころかストーリーをとっちらかすことも少なくないのがまた乱歩の悪い癖なのだが、こと本作に関しては少々違う。
 犯人をはじめとする登場人物像をきちんと設定し、プロットもしっかり構築し、それにそって伏線も張り、そして最後は見事に落としてくれるのである。
 事件が解決し、まるで後日談のように始まるラストの何とワクワクすることか。 しっかり芯が通っている印象だ。

 おまけに明智出ずっぱりというのもファンには嬉しいところだろう。まあ、早々に魔術師の手にかかって誘拐されるのはご愛敬だが、ほぼ全編にわたって明智が活躍する作品は意外に少ないのではないか(このへん記憶が曖昧なので適当だけど)。
 おまけに後の明智夫人となる文代が登場して大活躍し、明智とのラブストーリーとなっているのも興味深く、シリーズを通してもターニングポイント的な内容となっている。
 乱歩でおすすめといえばどうしても短編ばかりになるが、これは数少ない例外といえるだろう。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 先日、NHKのBS-プレミアムで横溝正史原作の『獄門島』が放送されたけれども、これがなかなか面白かった。
 『獄門島』は横溝正史のベストともいわれるほど有名な作品だし、今までにも何度も映像化されてきた作品でもある。もはや新味を出すことは難しいのではないかと思っていたのだが、今をときめく長谷川博己を金田一耕助役に起用し、新しい金田一像にチャレンジしていたのが嬉しい驚きであった。

 金田一耕助役といえば、定番はやはり石坂浩二や古谷一行。気持ち石坂浩二の方が知的、古谷一行がとぼけた味わいが強かったように思うが、どちらも原作に忠実で、飄々とした雰囲気というのをうまく醸し出していた。
 対して長谷川博己演じる金田一は、基本的には両先輩の路線をなぞっているのだが、ひとつ大きな違いがある。それは戦争でのトラウマを引きずっているところ。戦争での凄惨な体験や多くの死を目の当たりにしてきたことが、彼の心に大きな空洞というか闇を生んでいる。そのイメージは事件の依頼主でもある死亡した戦友の姿となって、繰り返し彼の前に現れ、心を苛んでいく。
 金田一耕助はその空洞を打ち消すべく事件にのめり込んでゆく。
 これまでの金田一耕助があくまで第三者的に事件に関与していくのに比べ、本作での金田一は積極的に事件に入っていく印象だ。自分自身を失わないために事件を解決せざるを得ない状況に自分を追い込んでゆくのである。

 そして衝撃のラストの謎解きシーン。積もり積もったものが一気に爆発する。
 犯人と対峙する金田一はとてつもなくエキセントリックで、正に狂気と紙一重。従来の金田一像とあまりにかけ離れたイメージに否定的な見方があるかと思いきや、ネット上ではけっこう肯定派も多いようで、個人的にもこの方向性はありだと思った。
 一見、人間臭い金田一だが、彼は常に客観的に事件を見ている。もちろん被害者に対して同情はするし、凶悪な犯人には怒りも覚えるが、どこか醒めたところがある。それを隠しているのが飄々としたポーズなのかとも考えるのだが、本作ではそのポーズの下にある苦悩する金田一を出して見せたのが新しい。ありそうでなかった金田一耕助なのである。

 ちなみに脚本は喜安浩平。この方、役者さんでもあるのだが演出や脚本もやるという才人で、脚本では『桐島、部活やめるってよ』あたりも有名どころ。金田一耕助の設定に関してどこまで裁量があったのかは不明だが、ひとまず喜安浩平のチャレンジ精神にも拍手である。
 長谷川金田一、もしこのままシリーズ化されるのであれば、石坂金田一や古谷金田一にも匹敵するのではないか。ぜひとも期待したい。

テーマ:サスペンス・ミステリー - ジャンル:映画


 レオ・ブルースの『ハイキャッスル屋敷の死』を読む。レオ・ブルースの直近の作品というと、同じ扶桑社から『ミンコット荘に死す』が二年ほど前に出ているが、いやあ、なんという歩みの遅々としたことか。論創ミステリのペースで出版してくれとは言わない。二年ぶりに出してくれるだけでも十分にありがたいのだけれど、少しだけ欲を言わせてもらえれば、せめて一年に一作ぐらいのペースにしてくれないものだろうか。
 まあ、セールスありきなので売れないことにはどうしようもないのだが、こんなに面白い作家の小説がなぜいまひとつ人気が出ないのか、そしてプッシュしてくれる版元が現れないのか実に不思議である。
 今はなき社会思想社のミステリボックスというレーベルから『ジャックは絞首台に』が出たのが1992年。そこから通算九作品が出版されたが、たった九冊で版元は社会思想社→国書刊行会→新樹社→原書房→東京創元社→扶桑社というぐあいに移り変わっている。思うにどの版元でも興味を持ってくれる編集者はいたとは考えられるのだが、それが読者への人気や売れ行きに直結しないため単発で終了してしまうということなのだろう。ただ、これはあくまで想像でしかないので、もしかするともっととんでもない理由があるのかもしれないけれど。

 愚痴みたいな前ふりになってしまったが、さて本題の『ハイキャッスル屋敷の死』である。まずはストーリーから。

 歴史教師にして素人探偵のキャロラス・ディ−ンだが、その探偵活動を快く思わないゴリンジャー校長。ところがそのゴリンジャーから貴族の友人ロード・ペンジの苦境を救ってくれと依頼される。ペンジのもとに謎の脅迫状が送られてくるのだという。
 最初は断っていたキャロラスだが、ペンジの秘書が主人のオーヴァーをきて歩いていたところ射殺されるという事件が起こり、しぶしぶ現地に訪れることになる……。

 ハイキャッスル屋敷の死

 ネットの評判がいまいちだったので少し心配していたのだけれど、いや、このレベルなら全然OKではないか。管理人としては十分に楽しめた。
 確かにこれまでの作品に比べると大技がないとか、トリックがしょぼいとか、解説で真田氏が挙げている欠点(特に三つ目)はあるのだけれど、それを補うだけの魅力がある。

 まずはプロットの巧さ。もともと大掛かりなトリックを使わない作家であり、真相をカモフラージュし、最後に事件の様相を反転させる仕組み作りが巧いのである。もちろん、ただビックリさせるのではなく、それらを論理でもって、きちんと本格探偵小説としてまとめあげるテクニックもまた素晴らしい。
 本作には二つの大きな事件が発生するのだが、単独であれば読まれやすい事件なのに、二つの事件を繋ぐことによって真相を見事にカモフラージュしてゆく。豪速球というわけではなく、かなりのクセ球ではあるのだが、思えばこれがレオ・ブルースの常套手段であり、ならではの魅力なのである。

 ストーリーは地味ながら、決して退屈するところがないのも相変わらずでよろしい。本作はいつもよりユーモアが少ないという声も耳にするが、管理人的にはどこが?と聞きたいほどである。
 否定形でしか話さない厩番、しゃべりすぎて自己完結する夫人なども楽しいけれど、やはりゴリンジャー校長の存在感はピカイチ。特に終盤での絡みはさすがに想定外で、いやあ、いろいろやってくれる。

 これまでの作品に比べるといろいろ不満も出てくるのだろうが、個人的には作者の本格に対するセンスやユーモアがとにかく好ましい。読めば読むほど味が出る作家。今後もなんとか翻訳が続くことを望みたい。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 ずいぶん懐かしい名前だなぁと思いながら読みはじめたのが、チャールズ・ウィルフォードの『拾った女』である。
 いつのまにかノワールや犯罪小説の巨匠的扱いで紹介されているようだが、管理人が初めてウィルフォードの作品を読んだのは、ホウク刑事を主人公としたマイアミ・ポリス・シリーズである。コミカルだが意外にまっとうな警察小説で、けっこう楽しめた記憶はあるのだが、その頃はさすがに巨匠というイメージはなくて、むしろ刑事ドラマ的な作品を大量生産するようなB級作家だと思っていた。
 そんなイメージを変えたのが、その後に刊行されたノン・シリーズの『危険なやつら』。こちらは未読なのだが、話によると相当に尖った作品だそうで、これを機にウィルフォードという作家の本質、本領が見直されることになったようだ。

 『拾った女』はそんな著者の初期作品。英文学者の若島正氏によると、ウィルフォードが文学に耽溺していた時代の作品ということで、これは確かに気になる。
 さて、まずはストーリー。

 若い頃に絵画の道を志していたハリーだが、夢は破れ、今では安食堂で食い扶持を稼ぎながら酒に溺れる毎日を送っていた。そんな彼の前に現れたアル中の女、ヘレン。ハンドバッグを無くし、文無しだと話すヘレンに、ハリーはその夜の宿を用意してやる。
 翌日、金を返しに現れたヘレンを見たハリーは、衝動的に仕事を辞め、そのまま彼女と同棲生活に入る。しかし、金もなく、酒に溺れる二人の前に希望は見えず、二人はいつしか心中へと駆り立てられてゆく……。

 拾った女

 おおお、なるほど。そうきたか。これはいいぞ。
 破滅へと進む男女の姿を描いた作品は決して少なくない。それこそノワールのひとつのパターンといってもよいぐらいだ。そういういかにも類型的、パルプ小説的なストーリーながら、語り口の巧さによってジャンルを超えた高みにまで昇華している好例が本作である。例えればジェイムズ・M・ケインとかジム・トンプスンの雰囲気やレベルをイメージしてもらえればよい。
 一見、凡庸な展開ながら、ハリーとヘレン二人の圧縮された蜜月と絶望の日々には、心の闇がたっぷりと練りこまれており、死への衝動がじわじわと染み出してくるところなどは非常に巧みである。

 ただ、それだけでは本作の魅力の半分しか堪能したことにならない。
 実は本作、ラストでとんでもない事実が明らかになり、同時にウィルフォードの企みも明らかになる。それは通常のどんでん返しとは違って、物語の様相を反転させるとかいうことではない。様相はそのままに、さらに深化させるものなのである。
 似たような趣向は今ではそれほど珍しくもないが、本作のテーマがテーマなだけにそのオリジナリティは今でも古びない。技巧がテーマにしっかり奉仕している、そんな作品といえるだろう。
 万人に勧めにくいところもあるけれど、騙されたと思って一度は読んでもらいたい。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 少し前の話だが、サイト『奇妙な世界の片隅で』のkazuouさん主催による「怪奇幻想読書倶楽部 第1回読書会」に参加してみた。二次会含めトータルで三時間半ほどと長丁場だったが、10名ほどの参加者があり、最後までずっと話が絶えず、なかなかの盛り上がりだったように思う。
 テーマは「怪奇幻想小説のアンソロジーをめぐって」というものだったが、そこから話がいかようにも広がるので、一冊を決めてやる読書会と違い、オフ会に近い感じだったかも知れない。おかげで怪奇幻想小説にはそれほど強くない管理人でも、むりやりミステリの話と絡めて発言できて楽しめた(苦笑)。
 どんな話題が出たかは、人任せで恐縮ですが、こちらを参考に。


 その読書会に感化されたわけでもないが、本日の読了本はロバート・エイクマンの短編集『奥の部屋』。元は国書刊行会〈魔法の本棚〉の一冊として刊行されたもので、その増補改訂版である。
 収録作は以下のとおり。

The School Friend「学友」
Bind Your Hair「髪を束ねて」
The Waiting Room「待合室」
Your Tiny Hand Is Frozen「何と冷たい小さな君の手よ」
The Visiting Star「スタア来臨」
Ravissante「恍惚」
The Inner Room「奥の部屋」

 奥の部屋

 ロバート・エイクマンはイギリスの怪奇小説家である。しかし、本人はゴースト・ストーリーの書き手といわれることに納得がいかなかったようで、その理由として本人が挙げているのが、「だって僕の小説、幽霊とか怪奇現象とか出ないことも多いもんね」というもの。自身では「ストレインジ・ストーリー」などと呼んでいたらしい。
 これは確かにそのとおりで、エイクマンの書いているものには、直接的な幽霊やモンスター、超常現象などの描写は非常に少ない。むしろ出るか出ないかといった境目ぐらいで物語が唐突に終わることも少なくはなく、そこに読者を怖がらせようとか、物語の真相がなんであったかとか、そういうことにすらあまり興味がないように思える。

 それでは怪奇小説と言えないのではないかというと、実際に読めばこれはもう間違いなく怪奇小説の味わいなのである。ただ、その味わいが直接的な怖さではなく、読者の想像をかきたてる奇妙な気味の悪さとでもいうべきものなのだ。
 日常とは違う何かが少しずつ起こり始め、そこに言いしれぬ不安をかきたてられるのである。通常のホラーであれば、そこからカタストロフィへもっていったり、ギョッとするオチをつけたくなるところだが、エイクマンは正に不安の部分だけで勝負する。その不安の後ろにあるものを読者が想像できたとき、何ともいえないじわっとした気味悪さがくるのである。
 そういう意味では物語の筋やオチなどあまり関係なく、ただただ過程を味わう小説といっていいのかもしれない。本筋に入るまでの描写も丁寧で、その助走部分がしっかりしているから、小さな奇妙な出来事でも、こちらに大きく響いてくるのかもしれない。

 「学友」は地元に帰ってきたかつての学友が、亡くなった父の家に住み始めてからだんだん人が変わっていくという物語。父の霊に取り憑かれたのだろうとは想像できるが、主人公と学友の距離感がどこかバランスを欠いており、それが物語の気味悪さをさらに引き立てている。

 婚約者の家を訪ねる女性の話「髪を束ねて」。異文化というか異邦人というか。外の人が決して理解できない"何か"をベースにしており、非常に気持ち悪さがある。これはかなり好み。

 「待合室」は寝過ごして真夜中の駅に泊まることになった男の話。これは珍しく正当派の怪談。ほんと怖いんだよ、小さな夜の無人駅というのは。

 かつての恋人に電話をすると出たのは見知らぬ女性。だが、なぜかその女性との会話に夢中になって……「何と冷たい小さな君の手よ」。過程も十分ゾクゾクくるのだが、珍しくがっつりと決着をつけ、ストレートに落としている。

 「スタア来臨」は小劇場での演目に招聘された大女優の話。エイクマンの演劇での嗜好が反映されているが、非常に象徴的な物語でもある。女優というより表現者の業を突きつけている感じ。

 元画家の男がたまたま知り合った美術愛好家の女性の家を訪ねると……「恍惚」。SMあるいは支配と服従の物語。人はこういうふうに堕ちていくのだ。

 表題作「奥の部屋」は、小さい頃に買ってもらったドールハウスとそっくりの屋敷に遭遇した女性の物語。自分の家庭の回想が長く(もちろん伏線にもなっている)、それが問題の屋敷に住む姉妹の異常さを際立てている。これはかなり怖い。

 管理人的には「髪を束ねて」、「恍惚」、「奥の部屋」をベストスリーとしたいが、ううむ、なんとなく趣味がばれそうなセレクトではあるな(苦笑)。まあ、それはともかくとして、本書はまぎれもない傑作。普段ホラーを敬遠している人でも、奇妙な味が好きならこれはぜひ読んでもらいたい。

テーマ:幻想文学 - ジャンル:本・雑誌


  ネットのあちらこちらで年末の新刊情報などを目にすることも多いが、今年は気になる本がずいぶん多い。ミステリに関してはクラシックは国産・海外、現代ものは海外の興味あるものだけに絞って買っているのに、それでも今年は多すぎてうれしい悲鳴である。
 ちなみにこれから年内に出る新刊で、買おうと持っているのが以下のあたり。ちょっと自分の買い物メモ代わりに記しておく。

ジョエル・ディケール 『ハリー・クバート事件(上・下)』(創元推理文庫)
夢野久作『定本 夢野久作全集』 第1巻(国書刊行会)
戸川安宣 『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)
江戸川乱歩 『明智小五郎事件簿7 吸血鬼』(集英社文庫)
海野十三 『深夜の市長』(創元推理文庫)
西條八十 『あらしの白ばと 第二部・悪魔の家の巻』(盛林堂書店)
フランシス・M・ネヴィンズ 『エラリー・クイーン 推理の芸術』(国書刊行会)
シャーリイ・ジャクスン 『鳥の巣』(国書刊行会)
奥田実紀『図説 英国ファンタジーの世界』 (河出書房新社)
シャーリイ・ジャクスン 『処刑人』(創元推理文庫)
マージェリー・アリンガム 『クリスマスの朝に キャンピオン氏の事件簿』(創元推理文庫)
ピエール・ボアロー 『震える石』(論創社)
保篠龍緒『保篠龍緒探偵小説選Ⅱ』(論創社)
ファーガス・ヒューム 『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』(国書刊行会)
レジナルド・ライト・カウフマン 『駆け出し探偵フランシス・ベアードの冒険』(国書刊行会)
ファーガス・ヒューム 『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』(国書刊行会)
『このミステリーがすごい! 2017』(宝島社)
甲賀三郎『甲賀三郎探偵小説選Ⅱ』(論創社)
ハリー・カーマイケル 『ラスキン・テラスの亡霊』(論創社)

 ううむ、夢野久作だけは値段と置き場所を考えるとスルーかなぁ(苦笑)


 読了本は先週に引き続き『正木不如丘探偵小説選』、その第二巻である。『〜I』がデビューの1923年から1930年までの作品を集めたものに対し、本書『~II』では1930年から1948年の作品を集めている。この二冊で正木不如丘の探偵小説的な作品はほぼ網羅されていることになる。
 まずは収録作。

『血の悪戯』
「千九百三十一年」
「精神異常者の群」
「細菌研究室(マイクの前にて)」
「殺人嫌疑者」
「血液型は語る」
「細菌は変異する」
「生理学者の殺人」
「遺骨発見」
「ペスト研究者」
「原始反応」
「赤血球の秘密」
「果樹園春秋」

 正木不如丘探偵小説選II

 全体的な印象としては『~I』とそれほど変わらないのだが、後期の作品ということで多少はこなれてきたか、破綻した作品はやや減っている感じである。ただ、完成度が上がったかといわれればそんなことはなくて、相変わらず探偵小説としては物足りなさは残る。
 本業が医師ということで、もちろんその方面のネタが多いのはかまわないのだけれど、医学ネタに頼りすぎているのも困りもの。当時は珍しかったにせよ、血液型のネタとかこんなに使い回されてもなぁ。
 そこから探偵小説として話が膨らめばいいのだけれど、なかなかそうもいかないのが残念だ。

 そんななかで本書の目玉といえるのは、やはり唯一の長編探偵小説『血の悪戯』が収録されていることだろう。
 ダンスホールで数々の男と浮名を流す売れっ子ダンサーの山野はるみ。彼女は恋人をチフスで亡くしていたが、実はその恋人の治療にあたっていた医師による殺人ではないかと疑っていた。しかもその医師は、その前の恋人でもあったのだ。
 山野はるみを情報屋として利用していた警視庁刑事の大平八郎は、密かに捜査を進めることにするが……という一席。
 主人公がほぼ単独行動のせいもあって、あまり刑事という雰囲気はなく、むしろ私立探偵や新聞記者を主人公としたサスペンスという感じである。だが、意外に解くべき謎は多く、殺人の謎はもちろん、ヒロイン?山野はるみにまつわる秘密などもあって、当時であればなかなか興味を引っ張ったのではないか。残念ながら医学知識を謎の中心にもってきたせいで、今読むと経年劣化が相当に激しく、真相に気づかない主人公にイライラするほどである。まあ、主人公も論理的に推理を進めるタイプではないので余計にきつい。

 ということで『〜I』と合わせ、論創ミステリ叢書のなかでもなかなか厳しいタイトルになってしまったが、前回の記事でも書いたように、これもまた探偵小説を読む楽しみのひとつ。探偵小説が進化していく過程、探偵小説史の1ページを紐解いているのだと思って、お勉強のつもりで(苦笑)ぜひどうぞ。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 五日の土曜日、数年ぶりに神田古本まつりを見てまわる。以前は会社が神保町にあったものだから、期間中は昼休みにほとんど毎日のぞいたものだが、会社が移転して二駅ほど離れただけであっという間に足が遠くなってしまった。最近は以前ほど古書にも執着しなくなったというか、新刊でクラシックが山ほど出てくれるので、本当に必要なものだけ買う程度である。
 それでも久々に時間をかけてまわったので精神的にはだいぶ満足(苦笑)。期間が六日までなので、どうせ大したものは残っていないだろうとは思っていたが、多岐川恭、石沢英太郎、陳舜臣あたりで縁がなかった本がいくつか拾えたのはよかった。


 本日の読了本は論創ミステリ叢書から『正木不如丘探偵小説選I』。
 正木不如丘は本業が医師で、結核療養について深く研究していた人である。同時に学生時代から文学にも興味をもち、医師となってからは医学に関したエッセイで商業デビューを果たしている。その後も医師として勤務しながら同人活動を続けていたが、その活動を通じて小酒井不木と知り合い、探偵小説にも手を染めるようになったらしい。
 作家として活躍した時期としては主に1920~1940年あたり。特に20年代は活発だったようだが、探偵小説プロパーではないので、ミステリ以外の著作も多く、基本は医学をネタにした大衆小説をであり、エッセイ、ノンフィクション系も少なくない。
 本書と続刊の『正木不如丘探偵小説選II』では、そんな不如丘の探偵小説として発表された短編長編はもちろん、その周辺的な作品もすべて網羅しているということで、相変わらずの徹底ぶりがありがたいことである。

 正木不如丘探偵小説選I

「法医学教室」
「剃刀刑事」
「椰子の葉ずれ」
「天才画家の死」
「夜桜」
「赤いレッテル」
「吹雪心中」
「髑髏の思出」
「県立病院の幽霊」
「警察医」
「本人の登場」
「手を下さざる殺人」
「保菌者」
「青葉街道の殺人」
「最後の犠牲者」
「殺されに来る」
「指紋の悔」
「うたがひ」
「通り魔」
「1×0=6,000円」
「湖畔劇場」
「お白狐(びゃっこ)様」
「生きてゐる女」
「背広を着た並びに」
「常陸山の心臓」
「美女君(ヘル・ベラドンナ)」
「紺に染まる手」
「蚊―病院太郎のその後」

 収録作は以上。ぶっちゃけ探偵小説としてはかなり低レベルである(苦笑)。
 作品自体はいくつかアンソロジーで読んだことがあって、それほど印象にも残っていなかったのだが、こうしてまとめて読むとその弱点がまざまざと浮かび上がってくる。
 トリックが弱いとか、プロットが粗いとか、ストーリーがいまひとつとか、そういうレベルではない。もっと根本的なところが問題。不如丘はもしかすると探偵小説の肝というか面白さを理解していなかったのではないかという気がするのである。
 「なぜ、そんなところで終わる?」、「なぜ、説明をしない?」、「なぜ、テーマを途中で変える?」、読んでいてここまで釈然としない探偵小説はなかなか久し振りである(苦笑)。とにかく読者が探偵小説に求めるものをまったくわかっていないといえばいいか。まだ探偵小説そのものがはっきりと定着していない時代ということもあるだろうが、乱歩や不木、雨村などは当たり前のようにツボは押さえていたしなぁ。これは探偵小説音痴といってもいいのかもしれない。
 評論家の中島河太郎も「本質的に探偵作家ではない」とか「探偵小説的構成からみたら脆弱」とか「腰砕けに終わっている」とか、過去に散々なコメントを残しているが、これは特に氏が辛口なのではなく、実際そんな感じなのだからしょうがない。

 そんななか多少なりとも印象に残ったものを挙げると、「県立病院の幽霊」と「殺されに来る」。
 「県立病院の幽霊」はタイトルどおり病院に出没する幽霊をめぐる物語。マスコミの攻撃や動揺する職員に真っ向から対立する院長の存在が面白く、真相もまずまず。ただ、ラストで院長にかけられるトラップの意味がまったくわからないのは困りもの。こっちが読み落としている可能性もあるが、いや、これは著者の説明不足だよなぁ……。
 「殺されに来る」は、年に一度村へやってくる薬売りが実は、という設定がうまい。村の男とは違い、垢抜けて口も上手い薬売りである。村の娘から慕われるが、村の男どもは当然それが面白くない。しかも薬売りにはどうやら裏の顔もありそうで、という辺りまでは実に引っ張る。ただ、これも途中から方向性が怪しくなって、真相はけっこう面白いのだけれど、その驚かせ方の段取りがぐだぐだ。もう少しストーリーを練れば、これは悪くない作品になったはずだ。

 ということで、かなり否定的な感想になってしまったが、こういうのも含めてクラシックの探偵小説を読む楽しみである。腐してはいるが同時に面白がって読んでいる自分もいるわけで、傑作ばかりが読書ではないよね、というのが本日のまとめ。

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 今年の六月に河出文庫から刊行された森下雨村の『白骨の処女』を読む。
 雨村といえば、かの「新青年」編集長として探偵小説の黎明期を支え、日本の探偵小説を語るうえでは欠かすことのできない人物。だが編集長を辞してから本格的に始めた創作については、残念ながらそれほど知られていない。
 それでもこの二十年ほどの間に、春陽文庫『青斑猫』、論創社『森下雨村探偵小説選』が刊行され、また、エッセイ集の小学館文庫『猿猴 川に死す』、『釣りは天国』が出ているので、まあ当時の探偵小説作家の中ではいいほうだろう。

 そこへ突然刊行された『白骨の処女』。なんと長編、しかも論創や創元といった専門系ではなく、河出文庫という、ごく一般的なレーベルからという不思議。
 まあ、河出文庫は近年、久生十蘭や日影丈吉なども出しているし、そのラインという気もしないではないいけれど、失礼ながら森下雨村の知名度は、久生十蘭や日影丈吉に比べるべくもない。どういうフックがあって雨村刊行に至ったのか、商売柄そこが気になる(苦笑)。
 などと思っていたら、今月はなんと『消えたダイヤ』も出るそうで。いったい河出文庫で何が起こっているのか。まあ、方向性自体はもちろん大歓迎なので、このまま突っ走っていってもらいたいものだが。

 白骨の処女

 さて、『白骨の処女』である。まずはストーリー。
 神宮外苑に放置された盗難車から、青年・春木俊二の変死体が発見された。発見者は東京毎朝新聞の記者、神尾龍太郎。だが捜査の結果、不審な点は見当たらず、心臓麻痺で死亡したという見方が大勢を占めていた。
 そんなとき、神尾のもとへ春木の婚約者だという山津瑛子が訪れる。彼女は婚約者の死について、単なる病死ではないのではないかという危惧を抱いていたが、肝心の話をする前に会見は終了してしまう。
 ところがしばらくして、瑛子までもが大量の血痕を残し、謎の失踪を遂げた。春木の親友だったN新聞社の客員にして春木の親友だった永田敬二は独自に調査を開始するが……。

 いやあ、悪くない。アリバイものという前情報はあったのだけれど、本格というよりはサスペンス性が強く、しかも展開がスピーディー。
 良質のサスペンスによく見られるが、ひとつの事件によって様相が変わり、そこからさらなる興味を引っ張っていくという趣向。下手な作家がやればグダグダになるところを森下雨村は芯を外さず、きちんと進めているあたりは好感度大。終盤のもたつきがやや気になるが、いや、これだけやってくれれば十分だろう。

 ちなみに原本は1932年の刊行。当時の都会のモボ・モガの風俗描写がふんだんに取り入れられており、普通ならそれが古臭さを感じさせるところなのに、かえって垢抜けている印象を受けるのは面白い。乱歩の新刊も相次いでいる今だったら、若い人にも抵抗なく読んでもらえそうな気がする。

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 ネットで見かけて面白そうな新書があったので読んでみる。ものは『作家という病』。
 著者は「小説新潮」の元編集長・校條剛(めんじょうつよし)。九年間の編集長時代を含め、トータルで二十九年間を文芸誌の編集者として務めあげた彼が、仕事を通じて知りあった作家との思い出を綴ったノンフィクションである。

 作家という病

 取り上げられている作家は以下のとおり。

第一章 流浪の民
水上勉/田中小実昌/ 渡辺淳一
第二章 硬骨の士
城山三郎/結城昌治/藤沢周平
第三章 二足の草鞋
伴野朗/山口洋子/久世光彦
第四章 遅筆の理由
井上ひさし/都筑道夫/綱淵謙錠
第五章 仕事をせんとや、遊びをせんとや
遠藤周作/北原亞以子/吉村昭
第六章 早すぎた旅立ち
山際淳司/楢山芙二夫/多島斗志之
第七章 全身流行作家
黒岩重吾/西村寿行/山村美紗

 現役作家はさすがに差し障りがあるのか、すべて物故作家ばかりなのだが、「小説新潮」絡みとあってメジャー級がズラリと並ぶ。
 とりわけエンターテインメント系が多いのは意図的なもので、こちら方面の作家の事績を残しておきたいという気持ちからだそうだ。確かに人気はあれども文学的に論評されることが少ないエンタメ系作家の記録は貴重である。そういう意味でも本書の価値は思った以上に高い。

 さて肝心の中身だが、何と言ってもベテラン文芸編集者の著作である。単なる思い出話に済まさず、作家の特異なエピソードを切り出し、そこから作家の業ともいうべきものを炙り出していく手際は見事だ。
 作家は作家であり続けるために、内的エネルギーをどんどん肥大させると著者はいう。ときにその過剰な部分が特異な習慣や傾向となって外に現れる。そんな過剰さがいってみれば”作家という病”であり、作家を作家たらしめる業なのだ。
 不謹慎な言い方だが、その過剰さがとてつもなく面白い。本当にまずいことはさすがに書いていないだろうが、それでも相当に楽しめる。管理人的にはもちろんミステリ系の作家が気になって買った部分はあるのだが、正直、読み始めるとジャンルに関係なくどの作家の内容も興味深い。
 多島斗志之の項だけは、さすがにまだ失踪事件の記憶が新しく、しかも事件が解決していないこともあって痛々しいものがあるが、その他は比較的、作家の変人奇人ぶりを堪能できるだろう。

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