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春日武彦『恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで』(中公新書)
ちょっと面白そうな新書が出ていたので早速目を通してみる。春日武彦の『恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで』である。
本書は精神科医の著者が、蠢く虫の群れ、密集したブツブツの集合体、高所や閉所、人形やピエロ、屍体などなど、さまざまな恐怖の対象を例に挙げて、恐怖する理由や正体について解説したというもの。
目次は以下のとおり。
「はじめに」
「第一章 恐怖の生々しさと定義について」
「第二章 恐怖症の人たち」
「第三章 恐怖の真っ最中」
「第四章 娯楽としての恐怖」
「第五章 グロテスクの宴」
「第六章 死と恐怖」
「おわりに」

ご存知のとおり管理人もこんなブログをやっているぐらいだから、怪奇小説やホラー映画は好きで読んだり観たりしているが、恐怖そのものについてあまり深く考えたことはなく、本書のテーマにまず惹かれた。また、恐怖は本来、避けたい感情であるはずだが、そのくせ小説や映画、人によっては絶叫系のマシンであえて体験しようとする。それはなぜかという興味もある。
本書でそれに該当するのが、「第一章 恐怖の生々しさと定義について」や「第四章 娯楽としての恐怖」あたりで、これらの興味にどう答えているか期待して読んだのだが、ううむ、これは正直期待はずれだった。
第一章はともかくとして、以後はテーマこそ微妙に変えてはいるが、ほぼほぼ恐怖の具体例を延々と紹介しているだけで、精神科医らしい解説は非常に少ない。なぜ蠢く虫の群れを怖いと思うのか、多少の考察はあるけれども、一般人でも言えるような内容である。
などとガッカリしていると、さらに追い打ちをかけるように「おわりに」では、「(前略)おそらく決定版の恐怖論など誰にも書き上げることは無理だろうが、せめてさまざまな考え方や感じ方について関心を持っていただければ、それだけで嬉しい」とある。
いやいや、すでに関心を持っているから著者なりの恐怖論を読んでみたかったのだし、だいたい自分で「無理」と書くぐらいなら、この書名はないし、最初からさまざまな恐怖譚を紹介するエッセイとしてほしい。もしかすると編集側の責任なのかもしれないが、著者にも責任とプライドを持ってほしいものである。
本書は精神科医の著者が、蠢く虫の群れ、密集したブツブツの集合体、高所や閉所、人形やピエロ、屍体などなど、さまざまな恐怖の対象を例に挙げて、恐怖する理由や正体について解説したというもの。
目次は以下のとおり。
「はじめに」
「第一章 恐怖の生々しさと定義について」
「第二章 恐怖症の人たち」
「第三章 恐怖の真っ最中」
「第四章 娯楽としての恐怖」
「第五章 グロテスクの宴」
「第六章 死と恐怖」
「おわりに」

ご存知のとおり管理人もこんなブログをやっているぐらいだから、怪奇小説やホラー映画は好きで読んだり観たりしているが、恐怖そのものについてあまり深く考えたことはなく、本書のテーマにまず惹かれた。また、恐怖は本来、避けたい感情であるはずだが、そのくせ小説や映画、人によっては絶叫系のマシンであえて体験しようとする。それはなぜかという興味もある。
本書でそれに該当するのが、「第一章 恐怖の生々しさと定義について」や「第四章 娯楽としての恐怖」あたりで、これらの興味にどう答えているか期待して読んだのだが、ううむ、これは正直期待はずれだった。
第一章はともかくとして、以後はテーマこそ微妙に変えてはいるが、ほぼほぼ恐怖の具体例を延々と紹介しているだけで、精神科医らしい解説は非常に少ない。なぜ蠢く虫の群れを怖いと思うのか、多少の考察はあるけれども、一般人でも言えるような内容である。
などとガッカリしていると、さらに追い打ちをかけるように「おわりに」では、「(前略)おそらく決定版の恐怖論など誰にも書き上げることは無理だろうが、せめてさまざまな考え方や感じ方について関心を持っていただければ、それだけで嬉しい」とある。
いやいや、すでに関心を持っているから著者なりの恐怖論を読んでみたかったのだし、だいたい自分で「無理」と書くぐらいなら、この書名はないし、最初からさまざまな恐怖譚を紹介するエッセイとしてほしい。もしかすると編集側の責任なのかもしれないが、著者にも責任とプライドを持ってほしいものである。
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楠田匡介『T怪人団』(湘南探偵倶楽部)
引き続き湘南探偵倶楽部さんの小冊子で楠田匡介の『T怪人団』を読む。
楠田匡介も島久平と同様、なかなか復刻されない作家ではあるが、なぜか湘南探偵倶楽部では子供向け短篇を中心にけっこうな数を出している。本書もその一冊である。
不正を働いた資本家や政治家をターゲットにし、首を切り取っては死体をT字型に貼り付けて晒し者にするという「T怪人団」。連続殺人事件を繰り広げている悪の一味である。
その日も石炭王・重村氏が車に乗っている最中に首を切られてしまう。だが、そこをたまたま通りかかった重村氏の孫・東正身(まさみ)少年が、運転手や警官らと共に犯人らしき男を追跡した。ところが犯人の乗る車は消影ガラスという兵器によって姿をくらまし、逆に全員がT怪人団に捕らえられてしまう。
正身少年の父にして偉大な科学者・東博士は、完全無線操縦の戦闘自動車を使い、T怪人団を壊滅させようとするが……。

楠田匡介は子供向けミステリをかなり量産していたようだが、その出来は乱歩や正史あたりと比べて落ちるのは当然としても、子供向けミステリ全体で見ても厳しいものがある。これまで読んだ作品もトンデモ系が多かったけれど、本作はその頂点に達するのではないか(笑)。
たとえば冒頭で、重村氏が車中で首なし死体になってしまうが、その殺害方法についての説明はなし。しかも実は人形にすり替えてあったというネタなのだけれど(一応ネタバレだが実害はないのでご容赦のほど)、そのすり替えの説明もなし。日本の政府を乗っ取るつもりらしいが、本人たちが何も言っていないのに東博士が知っている不思議。T字に貼り付けにする理由の説明なし。一味はKKKのような白服に身を包んでいるが。みな首がない不思議。それについての説明もなし。走りながら色を変え、ナンバーを変える不思議な車についての説明もなし。消影ガラスの説明からするとどうやらマジックミラーのようだが、ガラス越しに人だけが消える説明にはなっていない。ましてや自分たち以外がすべて消えるという逆イリュージョンの説明には絶対なっていない。
書き続けるとキリがないのでこれぐらいにしておくが、ほぼ全編にわたってツッコミどころ満載の作品。だが、別にツッコミどころがあってもかまわない。トンデモ系でもいいのである。ただし、ミステリである以上は、トンデモ系でもいいから一応はトリックなどを明かしてほしい。
本作がヤバいのは、上の例でも紹介したように、その説明を放棄していることにある。
昔の子供向け探偵小説や冒険小説はとにかく大らかで、今読むのはそのアバウトさを楽しむところはあるのだけれど、本作はそういう余裕を平然と超越する一作である。
楠田匡介も島久平と同様、なかなか復刻されない作家ではあるが、なぜか湘南探偵倶楽部では子供向け短篇を中心にけっこうな数を出している。本書もその一冊である。
不正を働いた資本家や政治家をターゲットにし、首を切り取っては死体をT字型に貼り付けて晒し者にするという「T怪人団」。連続殺人事件を繰り広げている悪の一味である。
その日も石炭王・重村氏が車に乗っている最中に首を切られてしまう。だが、そこをたまたま通りかかった重村氏の孫・東正身(まさみ)少年が、運転手や警官らと共に犯人らしき男を追跡した。ところが犯人の乗る車は消影ガラスという兵器によって姿をくらまし、逆に全員がT怪人団に捕らえられてしまう。
正身少年の父にして偉大な科学者・東博士は、完全無線操縦の戦闘自動車を使い、T怪人団を壊滅させようとするが……。

楠田匡介は子供向けミステリをかなり量産していたようだが、その出来は乱歩や正史あたりと比べて落ちるのは当然としても、子供向けミステリ全体で見ても厳しいものがある。これまで読んだ作品もトンデモ系が多かったけれど、本作はその頂点に達するのではないか(笑)。
たとえば冒頭で、重村氏が車中で首なし死体になってしまうが、その殺害方法についての説明はなし。しかも実は人形にすり替えてあったというネタなのだけれど(一応ネタバレだが実害はないのでご容赦のほど)、そのすり替えの説明もなし。日本の政府を乗っ取るつもりらしいが、本人たちが何も言っていないのに東博士が知っている不思議。T字に貼り付けにする理由の説明なし。一味はKKKのような白服に身を包んでいるが。みな首がない不思議。それについての説明もなし。走りながら色を変え、ナンバーを変える不思議な車についての説明もなし。消影ガラスの説明からするとどうやらマジックミラーのようだが、ガラス越しに人だけが消える説明にはなっていない。ましてや自分たち以外がすべて消えるという逆イリュージョンの説明には絶対なっていない。
書き続けるとキリがないのでこれぐらいにしておくが、ほぼ全編にわたってツッコミどころ満載の作品。だが、別にツッコミどころがあってもかまわない。トンデモ系でもいいのである。ただし、ミステリである以上は、トンデモ系でもいいから一応はトリックなどを明かしてほしい。
本作がヤバいのは、上の例でも紹介したように、その説明を放棄していることにある。
昔の子供向け探偵小説や冒険小説はとにかく大らかで、今読むのはそのアバウトさを楽しむところはあるのだけれど、本作はそういう余裕を平然と超越する一作である。
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島久平『密室の犯罪』(湘南探偵倶楽部)
島久平の短篇「密室の犯罪」を読む。湘南探偵倶楽部さんから出た小冊子で、島久平というのが珍しい。
この三十年ほどでかなりの国内外のレア作品・作家が復刻されてきたけれど、島久平はそこまで人気が出なかったのか、河出文庫から出た『島久平名作選 5−1=4』と光文社文庫の〈本格推理マガジン〉の一冊に収録された『硝子の家』ぐらいしか記憶にない。本作はそれらの本にも収録されておらず、嬉しい復刻である。
こんな話。伝法探偵のもとへ南刑事が相談にやってきた。親の遺産で優雅に暮らす青年・油津が、自宅の研究室で死亡しているのが発見された。現場はコンクリートの壁と鉄の扉で閉ざされており、当初は自殺かと思われたが油津の体には複数箇所の銃創があり、自殺にしては不自然であった。また、研究室の中にはあらゆるものを溶かす劇薬タンクがあった。犯人はここに落ちて解けてしまったのでは、とする考えも浮上したが……。

あまりにベタベタなタイトルなので、さぞや力の入った密室ものかと思ったが、ううむ、これは本格ミステリというよりサスペンスだし、こちらの期待と予想をいろいろな意味で裏切る怪作でもある。
まず密室のトリックがもうトリックになっていない。おまけに事件の内容を聞いた伝法探偵が、早々に答えを出してしまうという荒技。その後は一応捜査も行われるが、最終的には謎解きも事件解決も披露されない。というか、事件を解決したかどうかすら描かれていないのである(笑)。
では事件の真相はどうだったのか、それは並行して描かれる油津青年のパートで明らかになるという具合。こちらはサイコサスペンスというノリで、変な迫力はあるけれど、とにかくいろいろと省略しすぎである。まるで梗概を読んでいるようで、もう少し油津パートを膨らませれば、それなりにちゃんとしたものになったかもしれないが、そもそもこの構成がなんとも収まりが悪くて、正直、捜査のパートの必要性がまったくない(苦笑)。
ということで作品の質はともかく、話のネタにはもってこいの一作。こういう機会でもなければ、おそらく絶対に読めなかっただろうし、とりあえず読めたこと自体はよかった。
この三十年ほどでかなりの国内外のレア作品・作家が復刻されてきたけれど、島久平はそこまで人気が出なかったのか、河出文庫から出た『島久平名作選 5−1=4』と光文社文庫の〈本格推理マガジン〉の一冊に収録された『硝子の家』ぐらいしか記憶にない。本作はそれらの本にも収録されておらず、嬉しい復刻である。
こんな話。伝法探偵のもとへ南刑事が相談にやってきた。親の遺産で優雅に暮らす青年・油津が、自宅の研究室で死亡しているのが発見された。現場はコンクリートの壁と鉄の扉で閉ざされており、当初は自殺かと思われたが油津の体には複数箇所の銃創があり、自殺にしては不自然であった。また、研究室の中にはあらゆるものを溶かす劇薬タンクがあった。犯人はここに落ちて解けてしまったのでは、とする考えも浮上したが……。

あまりにベタベタなタイトルなので、さぞや力の入った密室ものかと思ったが、ううむ、これは本格ミステリというよりサスペンスだし、こちらの期待と予想をいろいろな意味で裏切る怪作でもある。
まず密室のトリックがもうトリックになっていない。おまけに事件の内容を聞いた伝法探偵が、早々に答えを出してしまうという荒技。その後は一応捜査も行われるが、最終的には謎解きも事件解決も披露されない。というか、事件を解決したかどうかすら描かれていないのである(笑)。
では事件の真相はどうだったのか、それは並行して描かれる油津青年のパートで明らかになるという具合。こちらはサイコサスペンスというノリで、変な迫力はあるけれど、とにかくいろいろと省略しすぎである。まるで梗概を読んでいるようで、もう少し油津パートを膨らませれば、それなりにちゃんとしたものになったかもしれないが、そもそもこの構成がなんとも収まりが悪くて、正直、捜査のパートの必要性がまったくない(苦笑)。
ということで作品の質はともかく、話のネタにはもってこいの一作。こういう機会でもなければ、おそらく絶対に読めなかっただろうし、とりあえず読めたこと自体はよかった。
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D・M・ディヴァイン『すり替えられた誘拐』(創元推理文庫)
D・M・ディヴァインの『すり替えられた誘拐』を読む。本作が邦訳されたことでディヴァインの長編がすべて日本語で読めるようになり、まずはめでたい。現代教養文庫時代はいまひとつ知名度も芳しくなかったが、創元で刊行されるようになってようやく陽の目を見、こうして全長編が邦訳されたのだからファンとしては嬉しいかぎりである。次はグラディス・ミッチェルとかやってほしいものである。
とまれ最後の一冊となる『すり替えられた誘拐』だが、これがまたなかなか微妙な作品であった。
こんな話。入学者数の減少、学生の窃盗事件、その学生の処遇に対する抗議運動、講師と奔放な女学生による交際問題など、ブランチフィールド大学には問題が山積していた。さらにはその最中に女学生の誘拐事件が発生するが、狂言ではないかという噂もあり、関係者は振り回される一方であった。しかし、ついには殺人事件が起こり、警察が介入するも……。

地味ながらも濃密な人間描写と奥深いドラマ、何より巧みな描写で読者を騙すテクニックが素晴らしいディヴァインだが、本作ではそういった作風をいったん放棄して、ストーリー性に重きを置いた作品となっている。もっと単純にいうと、謎解きとかはほとんどなく、大学関係者の人間ドラマとドタバタで見せるサスペンスといった趣なのだ。
その点において、本作は良くも悪くも好き嫌いがはっきりと分かれる作品となった。
いつもとそれほど変わらない部分もある。登場人物の描写がそれで、相変わらず巧い。
頭脳明晰だが、過去のトラウマで人を愛せなくなってしまった講師ブライアン、怠け者で女好きの講師マイケル、強い意志をもち弟マイケルとは正反対の性格のローナ、副学長に振り回されながらも学校に奉仕しようとする学生課長レイボーン、奔放な学生生活を送る資産家の娘バーバラ、利発だが好奇心が強すぎて勉強に身が入らないアン、優秀だが大人しい性格の学生フランク等々。
他にもクセの強いキャラクターが多く、前半は彼らの群像劇のような形で物語が進み、しかも微妙に関係性のある出来事を同時多発的に見せるので、誘拐という芯は一応あるけれども、正直、方向性はなかなか掴めない。この辺りまでは比較的いつものディヴァインに近く、かなり引き込まれる。
ところが後半に入り、ほぼ物語の推進役が明らかになってくると、いまひとつキレが悪い。犯人も意外に早く明らかになるし、そこまでの意外性もなく、おとなしいサイコサスペンスといった様相である。だからいつものディヴァインの本格ミステリを期待していると、正直期待外れの感は否めない。
ただ、それを持って駄作とか失敗作とかいうのは少し違うだろう。まあ、そう思われても仕方ないとは思うけれど(笑)、このいつもとは異なる後半のテイスト、これこそが本作でディヴァインがやりたかったことなのではないか。
個人的には、ディヴァインは冒険小説調の物語にしたかったのだろうと考えている。英国の作家は冒険小説や歴史小説、要するにロマン溢れる英国を代表する物語に対する強い思いがあって、最終的にはそういう作品で認められたいという話をたまに読んだりする。ディヴァインもデビュー以来、安定した作品を発表し、それなりに評価を得ていたが、そろそろ書きたかったものを自由に書いた、というところではないだろうか。
本作でも前半は群像劇だが、終わってみれば主人公の成長物語になっていてロマンスも成就(?)するという、絵に描いたような冒険小説的である。これを古くさいと見るのは、おそらく日本人の感性だからで、英国人には割と素直な方向性なのかも知れない。考えたら日本人作家も大体ベテランになってくると歴史小説や時代小説を書く人が多くて、これも似たようなことなのかも知れない。
ただ、幸か不幸か本国でもおそらく評判はいまひとつだった可能性も高く、ディヴァインは次の作品からすぐにいつもの作風に戻している。だから、ディヴァインのファンとしては本作を失敗作などと決めつけず、まあ、こういうこともあるよねぐらいの温かい目で見てあげるのが吉だろう。
まあ、これがたまたま邦訳最後の作品になってしまったのが、ディヴァインにとってはちょっとアンラッキーだったといえるだろう。
とまれ最後の一冊となる『すり替えられた誘拐』だが、これがまたなかなか微妙な作品であった。
こんな話。入学者数の減少、学生の窃盗事件、その学生の処遇に対する抗議運動、講師と奔放な女学生による交際問題など、ブランチフィールド大学には問題が山積していた。さらにはその最中に女学生の誘拐事件が発生するが、狂言ではないかという噂もあり、関係者は振り回される一方であった。しかし、ついには殺人事件が起こり、警察が介入するも……。

地味ながらも濃密な人間描写と奥深いドラマ、何より巧みな描写で読者を騙すテクニックが素晴らしいディヴァインだが、本作ではそういった作風をいったん放棄して、ストーリー性に重きを置いた作品となっている。もっと単純にいうと、謎解きとかはほとんどなく、大学関係者の人間ドラマとドタバタで見せるサスペンスといった趣なのだ。
その点において、本作は良くも悪くも好き嫌いがはっきりと分かれる作品となった。
いつもとそれほど変わらない部分もある。登場人物の描写がそれで、相変わらず巧い。
頭脳明晰だが、過去のトラウマで人を愛せなくなってしまった講師ブライアン、怠け者で女好きの講師マイケル、強い意志をもち弟マイケルとは正反対の性格のローナ、副学長に振り回されながらも学校に奉仕しようとする学生課長レイボーン、奔放な学生生活を送る資産家の娘バーバラ、利発だが好奇心が強すぎて勉強に身が入らないアン、優秀だが大人しい性格の学生フランク等々。
他にもクセの強いキャラクターが多く、前半は彼らの群像劇のような形で物語が進み、しかも微妙に関係性のある出来事を同時多発的に見せるので、誘拐という芯は一応あるけれども、正直、方向性はなかなか掴めない。この辺りまでは比較的いつものディヴァインに近く、かなり引き込まれる。
ところが後半に入り、ほぼ物語の推進役が明らかになってくると、いまひとつキレが悪い。犯人も意外に早く明らかになるし、そこまでの意外性もなく、おとなしいサイコサスペンスといった様相である。だからいつものディヴァインの本格ミステリを期待していると、正直期待外れの感は否めない。
ただ、それを持って駄作とか失敗作とかいうのは少し違うだろう。まあ、そう思われても仕方ないとは思うけれど(笑)、このいつもとは異なる後半のテイスト、これこそが本作でディヴァインがやりたかったことなのではないか。
個人的には、ディヴァインは冒険小説調の物語にしたかったのだろうと考えている。英国の作家は冒険小説や歴史小説、要するにロマン溢れる英国を代表する物語に対する強い思いがあって、最終的にはそういう作品で認められたいという話をたまに読んだりする。ディヴァインもデビュー以来、安定した作品を発表し、それなりに評価を得ていたが、そろそろ書きたかったものを自由に書いた、というところではないだろうか。
本作でも前半は群像劇だが、終わってみれば主人公の成長物語になっていてロマンスも成就(?)するという、絵に描いたような冒険小説的である。これを古くさいと見るのは、おそらく日本人の感性だからで、英国人には割と素直な方向性なのかも知れない。考えたら日本人作家も大体ベテランになってくると歴史小説や時代小説を書く人が多くて、これも似たようなことなのかも知れない。
ただ、幸か不幸か本国でもおそらく評判はいまひとつだった可能性も高く、ディヴァインは次の作品からすぐにいつもの作風に戻している。だから、ディヴァインのファンとしては本作を失敗作などと決めつけず、まあ、こういうこともあるよねぐらいの温かい目で見てあげるのが吉だろう。
まあ、これがたまたま邦訳最後の作品になってしまったのが、ディヴァインにとってはちょっとアンラッキーだったといえるだろう。
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マックス・ブルックス『モンスター・パニック!』(文藝春秋)
マックス・ブルックスの『モンスター・パニック!』を読む。あの異色のゾンビ小説、オーラル・ヒストリーの手法を使った『WORLD WAR Z』の著者が、今度はビッグフットを題材に書いた作品である。
ビッグフットとはいわゆるUMA(未確認動物)の一種で、猿人タイプのもの。場所によって、サスクワッチ、イエティ、雪男などと呼ばれることもある。
こんな話。作家マックス・ブルックスの手元に、一冊の日記が届けられた。それはレーニア山の噴火によって被災し、今は廃墟となったエココミュニティの住人の一人が書いたものであった。当時の噴火で集落は全滅、生存者も見つかっていないその集落で当時何が起こったのか。手記に記されたのは、信じ難いことに、ビッグフットと思しき生物との邂逅と闘いの記録であった……。

客観的にいって、かなり良くできたモンスター小説である。人間とモンスターとの戦いはなかなか迫力があるし、人間ドラマの部分もバランスよく配分され、メッセージ性も程よく織り込まれている。ちょっとボリューム過多かなとは思うけれど、突飛な内容を実に丁寧に描いているという印象だ。
ちなみにモンスター小説やモンスター映画というと、なぜか大抵チープなメッセージが設定されていたりするものだが、要は文明批判や科学批判というやつで、本作はこれがちょっと捻ってあって面白い。
舞台となるエココミュニティというのは、ザクっというとハイテクを持って自然との共生を目指し崇高な生き方を目指す人々の集まり。まあ、ニュースなどを見ているとこういう人々は意識が高すぎるあまりか、なぜか融通が効かず、自分たち以外の考えを認めず、しかも攻撃的である。とにかく危うい印象しかなくて、本作はそういうところに注目する。つまり文明批判をする側を逆に批判し、そういった活動の危険性を指摘しているのである。ここが面白い。
本作の原題は『Devolution』で、これには退化とか原点回帰、権限委譲という意味があるのだけれど、上記のメッセージ性がタイトルにも込められている。だから邦題の『モンスター・パニック!』は内容を表してはいるものの、あまりに不粋でがっかりである。だいたい『モンスター・パニック』というまったく別の内容の映画があるので紛らわしいことこの上ない。
なお、ビッグフットを扱う小説はなかなか珍しく、そういう意味でも貴重な一作だと思うが、個人的にはモンスター小説の主役としてはあまり好みではない。こういうのは人間とかけ離れた姿形の方が想像が膨らむというか。まあ、あくまで好みの問題だが。
ビッグフットとはいわゆるUMA(未確認動物)の一種で、猿人タイプのもの。場所によって、サスクワッチ、イエティ、雪男などと呼ばれることもある。
こんな話。作家マックス・ブルックスの手元に、一冊の日記が届けられた。それはレーニア山の噴火によって被災し、今は廃墟となったエココミュニティの住人の一人が書いたものであった。当時の噴火で集落は全滅、生存者も見つかっていないその集落で当時何が起こったのか。手記に記されたのは、信じ難いことに、ビッグフットと思しき生物との邂逅と闘いの記録であった……。

客観的にいって、かなり良くできたモンスター小説である。人間とモンスターとの戦いはなかなか迫力があるし、人間ドラマの部分もバランスよく配分され、メッセージ性も程よく織り込まれている。ちょっとボリューム過多かなとは思うけれど、突飛な内容を実に丁寧に描いているという印象だ。
ちなみにモンスター小説やモンスター映画というと、なぜか大抵チープなメッセージが設定されていたりするものだが、要は文明批判や科学批判というやつで、本作はこれがちょっと捻ってあって面白い。
舞台となるエココミュニティというのは、ザクっというとハイテクを持って自然との共生を目指し崇高な生き方を目指す人々の集まり。まあ、ニュースなどを見ているとこういう人々は意識が高すぎるあまりか、なぜか融通が効かず、自分たち以外の考えを認めず、しかも攻撃的である。とにかく危うい印象しかなくて、本作はそういうところに注目する。つまり文明批判をする側を逆に批判し、そういった活動の危険性を指摘しているのである。ここが面白い。
本作の原題は『Devolution』で、これには退化とか原点回帰、権限委譲という意味があるのだけれど、上記のメッセージ性がタイトルにも込められている。だから邦題の『モンスター・パニック!』は内容を表してはいるものの、あまりに不粋でがっかりである。だいたい『モンスター・パニック』というまったく別の内容の映画があるので紛らわしいことこの上ない。
なお、ビッグフットを扱う小説はなかなか珍しく、そういう意味でも貴重な一作だと思うが、個人的にはモンスター小説の主役としてはあまり好みではない。こういうのは人間とかけ離れた姿形の方が想像が膨らむというか。まあ、あくまで好みの問題だが。
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ポール・アルテ『星を盗む者』(行舟文化)
昨日読んだ『吸血鬼の仮面』に付録としてついていた小冊子『星を盗む者』を読む。オーウェン・バーンズものの短篇である。
齢七十をを超えた名探偵オーウェン・バーンズと相棒のアキレスが田舎町へ小旅行に出かけたときのこと。昼間は自然を散策し、夜はビストロで星空を見ながらワインを楽しむ二人に、一人の男が話しかけてきた。子供の頃、この満天の星空からすべての星が消えてしまった体験をしたというのだ。しかも、星が見えなくなったその時、隣にいた友だちが何者かに襲われて死亡したというのである……。

行舟文化のアルテ本についてくる小冊子の短篇はけっこう楽しみにしていて、変にこねくり回していない分、素直に楽しめるものが多い。まさにアイデア一発勝負である。何なら本編の長篇より面白かったりするときもあるくらいだ。
ただ、毎度書いていることだが、こういうサービスを続ける版元の体力が心配である。小冊子はなくともアルテは買うので、あまり無理はなさらぬよう。
さて、肝心の中身だが、今回は大はずれ(笑)。星が消えるという謎は最初こそ素敵に思えるが、実際に読み進めるともう嫌な予感しかなく、ラストでは予想したとおりのネタであった。正直よくこのトリックで書いたなという代物で、これでは昭和の子供向けミステリのレベルである。アルテの短編はいいぞと褒めた途端にこれだから、アルテは油断ならない(笑)。
ということで行舟文化さんにはそろそろアルテの短篇集を検討しても良い頃ではなかなろうか。小冊子分をみても(今回は今ひとつだったけれど)、全体的に打率は悪くないと思う。期待しております。
齢七十をを超えた名探偵オーウェン・バーンズと相棒のアキレスが田舎町へ小旅行に出かけたときのこと。昼間は自然を散策し、夜はビストロで星空を見ながらワインを楽しむ二人に、一人の男が話しかけてきた。子供の頃、この満天の星空からすべての星が消えてしまった体験をしたというのだ。しかも、星が見えなくなったその時、隣にいた友だちが何者かに襲われて死亡したというのである……。

行舟文化のアルテ本についてくる小冊子の短篇はけっこう楽しみにしていて、変にこねくり回していない分、素直に楽しめるものが多い。まさにアイデア一発勝負である。何なら本編の長篇より面白かったりするときもあるくらいだ。
ただ、毎度書いていることだが、こういうサービスを続ける版元の体力が心配である。小冊子はなくともアルテは買うので、あまり無理はなさらぬよう。
さて、肝心の中身だが、今回は大はずれ(笑)。星が消えるという謎は最初こそ素敵に思えるが、実際に読み進めるともう嫌な予感しかなく、ラストでは予想したとおりのネタであった。正直よくこのトリックで書いたなという代物で、これでは昭和の子供向けミステリのレベルである。アルテの短編はいいぞと褒めた途端にこれだから、アルテは油断ならない(笑)。
ということで行舟文化さんにはそろそろアルテの短篇集を検討しても良い頃ではなかなろうか。小冊子分をみても(今回は今ひとつだったけれど)、全体的に打率は悪くないと思う。期待しております。
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ポール・アルテ『吸血鬼の仮面』(行舟文化)
ポール・アルテの『吸血鬼の仮面』を読む。行舟文化からアルテの小説が出るようになってもう五年ほどになるが、よくぞ続いているものだと思う。内容はアルテらしくオカルト趣味を打ち出した本格ミステリが中心だけれど、若干、クセがあるというか、ひねくれたアプローチが多いの特徴的。出来に若干ばらつきがあるのは難だが、それでも一応は読んでおきたいと思わせる魅力がある。
ただ、内容は良いとして、アルテ自作の絵を使った装丁は、タイトルのフォントとかも相まって、どうにも古臭いのが残念だ。本書もタイトルがどうにも昔のオカルト雑誌みたいで垢抜けない。狙ってやっているのかどうかは不明だが、もう少しデザインの方向性は変えてもよいのではないだろうか。
まあ、それはともかく『吸血鬼の仮面』である。タイトルが昔のオカルト雑誌みたいと書いたが、中身の方もとりわけオカルト趣味全開である。
田舎町のクレヴァレイで、変死事件や子どもを襲う怪人騒動で恐怖に包まれていた。やがて三人の男が、犯人を捕まえるため墓地で見回りをすることにしたが、納骨堂で一年半前に死んだ女性の遺体を目にする。だが不思議なことに、彼女の遺体はつい先日亡くなったかのように綺麗なままであった。
一方、美術評論家で素人探偵のオーウェン・バーンズは、ある老人のと牧師の変死事件に関わっていた。先が短いと感じた老人は牧師を呼び寄せ、ある事実を告げた。ところがその帰り道で牧師は馬車に轢き逃げされ、老人もその後に訪ねてきた何者かによって命を落とした疑いがあったのだ……。

上の二つの事件がやがて一つに収束されるのは当然として、それらの中心にあるのが「吸血鬼」というのが本作最大の魅力だろう。オカルト趣味満載のアルテ作品にあっても、ここまでベタなパターンも珍しい。なんせ容疑者は吸血鬼なのだ。
特に前半は、田舎町での吸血鬼騒動をゆったりと描いて雰囲気を盛り上げる。吸血鬼の仕業としか思えない不思議な事象が次々と発生し、おまけにヒロインのロマンスもいつもより耽美成分を多めに入れて、まるでゴシックホラーである。
いつにも増してアルテの稚気が爆発している感じであり、ファンならそれだけでも買う価値はあるだろう。
もちろん本作は本格ミステリなので、当然ながらこれらの怪奇現象にはしっかりとタネがあり、その種明かしががまた楽しい。
腐らない死体、鏡に映らない人間、首に噛まれえたような傷、そして定番の密室などなど。数が多いので、中には他愛ないものもあるし、機械的トリックも含まれている。そこまで驚くようなアイデアではないけれど、こういうテーマに沿っての小技連発みたいな作品も、それはそれでいいなと思わせる。
また、ネタバレになるので詳しくは書かないが、ラストの謎解きシーンの後のプラスαが、サプライズだけでなく物語としてもも非常に効果的である。
ということで全体的には面白く読める作品。まあ荒唐無稽であることは間違いないし、正直、(ミステリ的な)粗もチラホラあるのだけれど、アルテのような作風にはありがちなことでもあり、そういう欠点はあまり気にしないで楽しむ作品といえるだろう。
ただ、内容は良いとして、アルテ自作の絵を使った装丁は、タイトルのフォントとかも相まって、どうにも古臭いのが残念だ。本書もタイトルがどうにも昔のオカルト雑誌みたいで垢抜けない。狙ってやっているのかどうかは不明だが、もう少しデザインの方向性は変えてもよいのではないだろうか。
まあ、それはともかく『吸血鬼の仮面』である。タイトルが昔のオカルト雑誌みたいと書いたが、中身の方もとりわけオカルト趣味全開である。
田舎町のクレヴァレイで、変死事件や子どもを襲う怪人騒動で恐怖に包まれていた。やがて三人の男が、犯人を捕まえるため墓地で見回りをすることにしたが、納骨堂で一年半前に死んだ女性の遺体を目にする。だが不思議なことに、彼女の遺体はつい先日亡くなったかのように綺麗なままであった。
一方、美術評論家で素人探偵のオーウェン・バーンズは、ある老人のと牧師の変死事件に関わっていた。先が短いと感じた老人は牧師を呼び寄せ、ある事実を告げた。ところがその帰り道で牧師は馬車に轢き逃げされ、老人もその後に訪ねてきた何者かによって命を落とした疑いがあったのだ……。

上の二つの事件がやがて一つに収束されるのは当然として、それらの中心にあるのが「吸血鬼」というのが本作最大の魅力だろう。オカルト趣味満載のアルテ作品にあっても、ここまでベタなパターンも珍しい。なんせ容疑者は吸血鬼なのだ。
特に前半は、田舎町での吸血鬼騒動をゆったりと描いて雰囲気を盛り上げる。吸血鬼の仕業としか思えない不思議な事象が次々と発生し、おまけにヒロインのロマンスもいつもより耽美成分を多めに入れて、まるでゴシックホラーである。
いつにも増してアルテの稚気が爆発している感じであり、ファンならそれだけでも買う価値はあるだろう。
もちろん本作は本格ミステリなので、当然ながらこれらの怪奇現象にはしっかりとタネがあり、その種明かしががまた楽しい。
腐らない死体、鏡に映らない人間、首に噛まれえたような傷、そして定番の密室などなど。数が多いので、中には他愛ないものもあるし、機械的トリックも含まれている。そこまで驚くようなアイデアではないけれど、こういうテーマに沿っての小技連発みたいな作品も、それはそれでいいなと思わせる。
また、ネタバレになるので詳しくは書かないが、ラストの謎解きシーンの後のプラスαが、サプライズだけでなく物語としてもも非常に効果的である。
ということで全体的には面白く読める作品。まあ荒唐無稽であることは間違いないし、正直、(ミステリ的な)粗もチラホラあるのだけれど、アルテのような作風にはありがちなことでもあり、そういう欠点はあまり気にしないで楽しむ作品といえるだろう。
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カトリオナ・ウォード『ニードレス通りの果ての家』(早川書房)
カトリオナ・ウォードの『ニードレス通りの果ての家』を読む。帯を見ると「スティーヴン・キング〜絶賛」とか「英国幻想文学大賞」受賞とか景気のいい文々が踊っているし、とはいえ、キング絶賛はあまり当てにならないことが多いのだけれど(苦笑)、それでも目を惹くことは間違いないし、何よりホラーというよりミステリ寄りの内容らしいことも噂に聞いていたので、気になっていた一冊である。
こんな話。暗い森の入り口にある家に一人で住む男・テッド。精神疾患を患っているらしく、屋根裏に緑色の多数の小人が住んでいるとか、幻覚なども見ているようだが、家の中はめちゃくちゃだが、それでも一匹の黒猫・オリヴィアを飼って、最低限の暮らしは保っている。
時には娘と思しきローレンという少女が訪ねてくる。わがまま放題の娘だが、これまた最低限の交流を経て、何日か泊まり込んではまたどこかへ帰ってゆく。
ある日、テッドの近所に一人の女性・ディーがやってくる。彼女はハイテォーンの頃に妹が失踪しており、いまだ事件は未解決のままだった。その事件のせいで一家は崩壊、ディーは天涯孤独の身の上となる。しかし彼女は妹は誘拐されたと固く信じており、一人で妹の行方を探し続けている。その調査の線上に浮かび上がったのがテッドだった。かつてテッドは容疑者の一人だったが、証拠は一切なく、放免されていたのである。ディーは密かにテッドの家を監視することにしたが……。

これは強烈な一作だ。こうやってストーリーの序盤だけ見ると、よくあるサイコサスペンスのように思えるのだが、読み始めるとただのサスペンスでないことはすぐにわかる。
まず本作には、多くの語り手がいる。テッド、ローレン、ディー、さらには猫のオリヴィア。そして始末の悪いことに、全員がいわゆる「信頼できない語りで」である。ストーリーは彼らが交互に語って進められるが、それぞれの内容は微妙に辻褄があわない。やがて少しずつアンバランスな出来事が起こり、今もなお異常な何かが続いているのではないかという気配が濃厚になる。この不穏な空気感が前半を圧倒的に支配して、とにかく読ませる。
テッドは幻覚だけでなく、ときおり記憶が欠落するときもあってヤバさに輪をかけているが、ローレンも奇妙な存在である。彼女はどこから来てどこへ帰るのか明らかにされておらず、もしかすると離婚した元妻がいて、そこから通っているのかと最初は思ったが、期間もバラバラで、しかも決してテッドとの関係は良好でなく、それでいてテッドは基本的にローレンを甘やかしているから(そのくせ虐待もする)、これまた考えるほど本当の関係がわからなくなる。
猫のオリヴィアの視点もすごい。猫の視点があるだけでもどうかと思うのだが、なんと別人格(猫格?)を持っているらしく、しかも〈主〉にある使命を担わされている。この辺の真相もまったく序盤では見当もつかない。
そして唯一、現実を生きている感のあるディーだが、彼女も妹を愛するあまり偏執狂的な行動をとる。テッドは確かに怪しい人物だが、妹の事件に関しては容疑が晴れているにもかかわらずテッドを犯人と決めてしまっている。そのため最初は協力的だった刑事も次第に離れていく。
どうだろう。なかなかにぶっ飛んだ設定ではないですか。
これらのことが早い視点切り替えでどんどん語られるため、最初はなかなか状況が把握できないのだが、何となく状況を理解した頃になると物語も中盤。するとそこから少しずつ何が起こっているのか、著者が事実を明らかにしていく。
といっても名探偵の謎解きのように明快ではなく、ここでも読者がしっかり想像力を働かせていかなければならない。一つの事実が明らかになるたび、ガラリと様相が変化する後半は静かながらも怒涛の展開で、この語りの加減が絶妙なのだ。
終わってみれば、ああ、このネタだったのかとやや脱力もするのだが、上で書いたように「語り」が上手いし、構成も非常によく考えられているので、決して失望はしないはずだ。
また、不条理で陰惨な物語ではあるが読後感は意外なほど悪くなく、希望の感じられるラストにも救われる思いがしてよかった。
こんな話。暗い森の入り口にある家に一人で住む男・テッド。精神疾患を患っているらしく、屋根裏に緑色の多数の小人が住んでいるとか、幻覚なども見ているようだが、家の中はめちゃくちゃだが、それでも一匹の黒猫・オリヴィアを飼って、最低限の暮らしは保っている。
時には娘と思しきローレンという少女が訪ねてくる。わがまま放題の娘だが、これまた最低限の交流を経て、何日か泊まり込んではまたどこかへ帰ってゆく。
ある日、テッドの近所に一人の女性・ディーがやってくる。彼女はハイテォーンの頃に妹が失踪しており、いまだ事件は未解決のままだった。その事件のせいで一家は崩壊、ディーは天涯孤独の身の上となる。しかし彼女は妹は誘拐されたと固く信じており、一人で妹の行方を探し続けている。その調査の線上に浮かび上がったのがテッドだった。かつてテッドは容疑者の一人だったが、証拠は一切なく、放免されていたのである。ディーは密かにテッドの家を監視することにしたが……。

これは強烈な一作だ。こうやってストーリーの序盤だけ見ると、よくあるサイコサスペンスのように思えるのだが、読み始めるとただのサスペンスでないことはすぐにわかる。
まず本作には、多くの語り手がいる。テッド、ローレン、ディー、さらには猫のオリヴィア。そして始末の悪いことに、全員がいわゆる「信頼できない語りで」である。ストーリーは彼らが交互に語って進められるが、それぞれの内容は微妙に辻褄があわない。やがて少しずつアンバランスな出来事が起こり、今もなお異常な何かが続いているのではないかという気配が濃厚になる。この不穏な空気感が前半を圧倒的に支配して、とにかく読ませる。
テッドは幻覚だけでなく、ときおり記憶が欠落するときもあってヤバさに輪をかけているが、ローレンも奇妙な存在である。彼女はどこから来てどこへ帰るのか明らかにされておらず、もしかすると離婚した元妻がいて、そこから通っているのかと最初は思ったが、期間もバラバラで、しかも決してテッドとの関係は良好でなく、それでいてテッドは基本的にローレンを甘やかしているから(そのくせ虐待もする)、これまた考えるほど本当の関係がわからなくなる。
猫のオリヴィアの視点もすごい。猫の視点があるだけでもどうかと思うのだが、なんと別人格(猫格?)を持っているらしく、しかも〈主〉にある使命を担わされている。この辺の真相もまったく序盤では見当もつかない。
そして唯一、現実を生きている感のあるディーだが、彼女も妹を愛するあまり偏執狂的な行動をとる。テッドは確かに怪しい人物だが、妹の事件に関しては容疑が晴れているにもかかわらずテッドを犯人と決めてしまっている。そのため最初は協力的だった刑事も次第に離れていく。
どうだろう。なかなかにぶっ飛んだ設定ではないですか。
これらのことが早い視点切り替えでどんどん語られるため、最初はなかなか状況が把握できないのだが、何となく状況を理解した頃になると物語も中盤。するとそこから少しずつ何が起こっているのか、著者が事実を明らかにしていく。
といっても名探偵の謎解きのように明快ではなく、ここでも読者がしっかり想像力を働かせていかなければならない。一つの事実が明らかになるたび、ガラリと様相が変化する後半は静かながらも怒涛の展開で、この語りの加減が絶妙なのだ。
終わってみれば、ああ、このネタだったのかとやや脱力もするのだが、上で書いたように「語り」が上手いし、構成も非常によく考えられているので、決して失望はしないはずだ。
また、不条理で陰惨な物語ではあるが読後感は意外なほど悪くなく、希望の感じられるラストにも救われる思いがしてよかった。
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トム・ミード『死と奇術師』(ハヤカワミステリ)
トム・ミードの『死と奇術師』を読む。初めて読む作家だが、イギリスの新人作家で、本書はデビュー作にあたる。何より惹かれたのが黄金時代の本格ミステリに対するオマージュ作品という点だ。
作品の舞台も1936年のロンドンであり、内容も怪奇趣味やマジック、密室講義と古き良き時代の探偵小説趣味に溢れているという具合。おまけにアラ懐かしや、袋とじの解決編という趣向まで盛り込まれている。
まずはストーリー。舞台は1936年のロンドン。ポムグラニット劇場では、舞台劇『死の女』の初日夜公演を控え、独特の空気に包まれていた。興行主や俳優たちはもちろん、今回の舞台の要となる仕掛けを担当した奇術師のスペクターも仕掛けのチェックに余念がない。やがて初日の舞台が幕を開けた。
その翌日、ロンドンで精神科医を開業する高名なリーズ博士が殺害された。現場は密室状態で、目撃者も凶器も見つからない。警察は奇術師のスペクターに捜査協力を依頼し、患者を一人ずつ調べていくが、そこには舞台劇『死の女』の主演女優デラの名前もあった……。

上でも書いたように、本作は黄金時代の本格ミステリに対するオマージュであり、その内容は怪奇趣味やマジック、密室など探偵小説趣味に溢れ、特にジョン・ディクスン・カーやクレイトン・ロースンあたりを彷彿とさせる内容である。
その試み自体は悪くないし、ある程度成功しているように思う。一つひとつの小道具だけではなく、キャラクターや世界観の設定など全体的にアプローチしているので、変にバランスを崩すことなく基本的には違和感なく読むことができる。オマージュなどやられると、えてして腰砕けや過剰な作品が多いので、こういうバランス感覚は貴重だろう。
さて、そういった表面的なネタはOKとして、中身の方はどうか。リーズ博士と娘の事情、絵画盗難の謎、密室など、それほどページ数の多くない中で、よくぞここまで謎を詰め込んだという感じだ。ちょっと面白かったのは犯人以外の容疑者それぞれにもネタを仕込んでいることで、終盤はジャブの連打でまずまず満足感はある。
とはいえ釈然としないところが残るのも確か。やはり詰め込み過ぎが影響しているのか、重要な登場人物の行動を著者が処理しきれていない。トリック云々ではなく、人間の行動がしっかり説明できていないのが残念だ。この辺はミステリというより小説としての出来に関わるので、次作以降はもう少しレベルアップに期待したいところである。
最後に本書最大の特徴、袋とじの解決編についてだが、話題作りはわかるけれども、個人的には開くのが面倒なだけなので、基本的にはやってほしくない(笑)。ただ、解説の袋とじミステリの歴史講義はなかなか楽しい。
作品の舞台も1936年のロンドンであり、内容も怪奇趣味やマジック、密室講義と古き良き時代の探偵小説趣味に溢れているという具合。おまけにアラ懐かしや、袋とじの解決編という趣向まで盛り込まれている。
まずはストーリー。舞台は1936年のロンドン。ポムグラニット劇場では、舞台劇『死の女』の初日夜公演を控え、独特の空気に包まれていた。興行主や俳優たちはもちろん、今回の舞台の要となる仕掛けを担当した奇術師のスペクターも仕掛けのチェックに余念がない。やがて初日の舞台が幕を開けた。
その翌日、ロンドンで精神科医を開業する高名なリーズ博士が殺害された。現場は密室状態で、目撃者も凶器も見つからない。警察は奇術師のスペクターに捜査協力を依頼し、患者を一人ずつ調べていくが、そこには舞台劇『死の女』の主演女優デラの名前もあった……。

上でも書いたように、本作は黄金時代の本格ミステリに対するオマージュであり、その内容は怪奇趣味やマジック、密室など探偵小説趣味に溢れ、特にジョン・ディクスン・カーやクレイトン・ロースンあたりを彷彿とさせる内容である。
その試み自体は悪くないし、ある程度成功しているように思う。一つひとつの小道具だけではなく、キャラクターや世界観の設定など全体的にアプローチしているので、変にバランスを崩すことなく基本的には違和感なく読むことができる。オマージュなどやられると、えてして腰砕けや過剰な作品が多いので、こういうバランス感覚は貴重だろう。
さて、そういった表面的なネタはOKとして、中身の方はどうか。リーズ博士と娘の事情、絵画盗難の謎、密室など、それほどページ数の多くない中で、よくぞここまで謎を詰め込んだという感じだ。ちょっと面白かったのは犯人以外の容疑者それぞれにもネタを仕込んでいることで、終盤はジャブの連打でまずまず満足感はある。
とはいえ釈然としないところが残るのも確か。やはり詰め込み過ぎが影響しているのか、重要な登場人物の行動を著者が処理しきれていない。トリック云々ではなく、人間の行動がしっかり説明できていないのが残念だ。この辺はミステリというより小説としての出来に関わるので、次作以降はもう少しレベルアップに期待したいところである。
最後に本書最大の特徴、袋とじの解決編についてだが、話題作りはわかるけれども、個人的には開くのが面倒なだけなので、基本的にはやってほしくない(笑)。ただ、解説の袋とじミステリの歴史講義はなかなか楽しい。
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梶龍雄『葉山宝石館の惨劇』(徳間文庫)
梶龍雄の『葉山宝石館の惨劇』を読む。「トクマの特選!」で先ごろ、復刊されたばかりの一冊。まずはストーリーから。
かつては勘当同然の身だった帆村財閥の異端児、帆村建夫。その彼が財産を受け継ぎ、葉山に作ったのが趣味の生かした宝石館だった。博物館以外にもゲストハウスなどを揃えたその宝石館に、五人の男が招待された。迎えるは建夫の娘、長女の光枝と次女の伊津子の二人。しかし、招待客のうち伊津子の恋人以外は、みな光枝の結婚候補者であり、しかもそれを面白く思わない伊津子が場を掻き回すため、どうにも不穏な空気が漂っていた。
そんなとき、警備を請け負っていた探偵の萩原が殺害される。現場からは宝石館のコレクションである中世の凶器となるものが多数盗まれ、しかも萩原はその中の一つで殺されていたのだ。さらに現場は密室といってよい状況だった。
てんやわんやの宝石館。しかし、そんな状況を隣家から興味深そうに眺める少年がいた……。

梶龍雄の傑作といえば、初期に集中しているというのが一般的な見方で、例外は『清里高原殺人別荘』ぐらいだと思っていたのだが、本作もなかなか面白い。
とにかく事件全体の構図がミソだ。一見すると館の連続密室殺人という趣向が前面に出るため、どうしても注目するのはアリバイや密室のトリックになってしまう。しかし、蓋を開けるとそれらミステリの看板といえるようなアイデアすらが、実はメイントリックのダシでしかなかったという、この快感。このテクニックは『清里高原殺人別荘』にも通じるもので、本格を追求した著者ならではの、後期の成果だろう。まあ、人によっては腰砕けだという人がいるかもしれないが、いやいや、この捻り具合は十分評価してよいだろう。
むしろ本作の場合、伏線がけっこうマメに貼ってあることのほうが気になった。ちょっと親切すぎるというか、注意深く読むと、実はある程度のところまでは見抜くことも可能である。
本作のもう一つ大きな特徴として、少年の日記が随所に挿入されているところがある。少年の泊まっている隣家は、斜面上のより高い地所に建っているため、宝石館を事件関係者に気づかれずに眺めることができるのである。少年の目撃したものがどう事件解決に生かされるのか、これもまた読みどころといえるだろう。
一つ注文をつけるとすれば、コミカルな味付けがどうにもバランスが悪い。ネタや設定がけっこう暗いのだから、全体的なタッチや雰囲気は、せめて普通にいけなかったのだろうか。少年の日記も地の文がシリアスなほど効果的だと思うのだが、コミカルな方に引っ張られている感じである。
そこさえ気にしなければ十分な佳作といえるだろう。後期作品でもこれだけのネタを仕掛けてくるのは流石としか言いようがない。
かつては勘当同然の身だった帆村財閥の異端児、帆村建夫。その彼が財産を受け継ぎ、葉山に作ったのが趣味の生かした宝石館だった。博物館以外にもゲストハウスなどを揃えたその宝石館に、五人の男が招待された。迎えるは建夫の娘、長女の光枝と次女の伊津子の二人。しかし、招待客のうち伊津子の恋人以外は、みな光枝の結婚候補者であり、しかもそれを面白く思わない伊津子が場を掻き回すため、どうにも不穏な空気が漂っていた。
そんなとき、警備を請け負っていた探偵の萩原が殺害される。現場からは宝石館のコレクションである中世の凶器となるものが多数盗まれ、しかも萩原はその中の一つで殺されていたのだ。さらに現場は密室といってよい状況だった。
てんやわんやの宝石館。しかし、そんな状況を隣家から興味深そうに眺める少年がいた……。

梶龍雄の傑作といえば、初期に集中しているというのが一般的な見方で、例外は『清里高原殺人別荘』ぐらいだと思っていたのだが、本作もなかなか面白い。
とにかく事件全体の構図がミソだ。一見すると館の連続密室殺人という趣向が前面に出るため、どうしても注目するのはアリバイや密室のトリックになってしまう。しかし、蓋を開けるとそれらミステリの看板といえるようなアイデアすらが、実はメイントリックのダシでしかなかったという、この快感。このテクニックは『清里高原殺人別荘』にも通じるもので、本格を追求した著者ならではの、後期の成果だろう。まあ、人によっては腰砕けだという人がいるかもしれないが、いやいや、この捻り具合は十分評価してよいだろう。
むしろ本作の場合、伏線がけっこうマメに貼ってあることのほうが気になった。ちょっと親切すぎるというか、注意深く読むと、実はある程度のところまでは見抜くことも可能である。
本作のもう一つ大きな特徴として、少年の日記が随所に挿入されているところがある。少年の泊まっている隣家は、斜面上のより高い地所に建っているため、宝石館を事件関係者に気づかれずに眺めることができるのである。少年の目撃したものがどう事件解決に生かされるのか、これもまた読みどころといえるだろう。
一つ注文をつけるとすれば、コミカルな味付けがどうにもバランスが悪い。ネタや設定がけっこう暗いのだから、全体的なタッチや雰囲気は、せめて普通にいけなかったのだろうか。少年の日記も地の文がシリアスなほど効果的だと思うのだが、コミカルな方に引っ張られている感じである。
そこさえ気にしなければ十分な佳作といえるだろう。後期作品でもこれだけのネタを仕掛けてくるのは流石としか言いようがない。