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 大雪なのでいつもよりは早めに帰宅。風呂上がりに雪かきをするはめになるとは夢にも思わなんだが(苦笑)。


 本日の読了本はシムノンの短編集『メグレ夫人の恋人』。まずは収録作から。

L'Amoureux de Madame Maigret「メグレ夫人の恋人」
Peine de mort「死刑」
La Fenetre ouverte「開いた窓」
La Peniche aux deux pendus「首吊り船」
Les Larmes bougie「蝋のしずく」
Une erreur de Maigret「メグレの失敗」
L'Affaire du boulevard Beaumarchais「ボーマルシェ大通りの事件 」
Jeumont, cinquante et une minutes「停車─五十一分間」
Stan le tueur「殺し屋スタン」

 メグレ夫人の恋人

 本書は1944年に刊行された『Les Nouvelles Enquetes de Maigret』(メグレ、最新の事件簿)から九作をセレクトした一冊。メグレものの短編集は五冊あって、長篇に比べると実に少ないのだが、その出来は長篇に勝るとも劣らない。
 全般に長篇ほどには人間ドラマを押し出しておらず、意外な結末を用意するなど、かなり通常のミステリに寄せているような印象である。
 短篇をもとに長篇化するケースは海外の作家にありがちだけれど、シムノンもその例に漏れず、おそらくは長篇化する際にいろいろとドラマの肉付けをすると思われる。したがってミステリとしては、むしろ短篇の方がすっきり読めるものが多いのかもしれない。まあ、あくまで想像だけど。
 ともあれシムノンの作品でどんでん返しがこれだけ楽しめるというのは非常に楽しい。

 「メグレ夫人の恋人」はタイトルだけ見れば不倫もの?と勘違いしそうだが、まったくそんなことはない。メグレ夫妻が暮らすアパルトメンから見渡せる広場で、いつもベンチに長時間座っている男がおり、それをメグレ夫人が気にしていることから、メグレが夫人をからかって“恋人”と称したことによるもの。
 ところがあるとき男がベンチに座ったまま殺害されてしまという事件が起こり、男の奇妙な行動の裏に何があったのかメグレが捜査する。
 メグレ夫人が夫顔負けの推理や捜査の真似ごとをするのが微笑ましいが、真相やそれに到達する流れも面白く巻頭を飾るにふさわしい一作。

 「死刑」も面白い。尻尾を掴ませない容疑者に対し、メグレは徹底的な尾行でプレッシャーをかけるのだが、そこにはメグレの意外な狙いがあったというもの。

 実業家の爆殺事件を扱うのが「開いた窓」。メグレは実業家に長年虐げられていた部下に目をつけるものの、その男にはアリバイがあった……。

 「首吊り船」はセーヌ川に浮かぶ船から発見された男女の首吊り死体の謎を追う。男はちょっとした資産家の老人、女はその資産目当てに結婚した若い妻であった……。

 田舎町の老姉妹宅で起こった殺人事件を捜査する「蝋のしずく」。町の描写や事件の真相が陰々滅々としており、メグレもの本来の味わいが濃厚な一品。

 タイトルどおり「メグレの失敗」談。特殊書店に勤める若い女性が殺害され、メグレは店主を犯人とにらむが、その真相はほろ苦いものだった……。メグレが行き場のない感情を爆発させるのが見もの。

 「ボーマルシェ大通りの事件」は夫と妻、その妹の三角関係から起こった事件。妻が毒殺され、メグレは夫と妹を交互に調べていくが……。現代でこそ起こりそうな事件。

 国際列車のなかで起きた殺人事件を捜査するのが 「停車─五十一分間」。『オリエント急行殺人事件』ばりのシチュエーションは楽しいが、ラストが妙に駆け足なことが物足りず、ミステリとしての仕掛けもいまひとつ。

 「殺し屋スタン」は早川書房の世界ミステリ全集のアンソロジー『37の短編』、それを再編集したポケミス版『天外消失』にも「殺し屋」のタイトルで収録されている傑作。
 殺し屋スタンを含むポーランド難民の強盗団を追うメグレたち。そこへ自殺を考えているポーランド人の男が、せめて最後にこの命をポーランド強盗団逮捕に役立てたいと、執拗にメグレを追い回す。メグレは渋々引き受けることになるが……。
 再読ゆえ真相は知っていたが、シムノンの語り口がある意味カモフラージュになっていることがよくわかり、再読でも十分楽しめる。未読の人ならもちろんこのラストに驚くはず。


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 ジョルジュ・シムノンの『片道切符』を読む。1942年に刊行されたノンシリーズ作品で、いわゆる心理小説と呼ばれるもの。
 シムノンはメグレ警視ものだけではなく、数多くの心理小説も残したが、そもそも心理小説とはフランス文学のお家芸みたいなもので、人間の心の微妙な綾を簡潔な文体で表現し、克明に分析しようとするのが特徴。この説明がそのままシムノンの小説の説明にも当てはまる。

 こんな話。
 殺人罪で逮捕され、仮釈放の身となったジャン。たいした目的もないままバスに乗り込んだが、そこで
同じバスに乗り合わせた中年の未亡人タチの荷物(孵卵器)運びを手伝ったことがきっかけで、そのままタチの家に下男として住み込むことになる。ジャンはタチの情夫となるが、そこにタチの姪フェリシーが現れて……。

 片道切符

 流れ者が女と知り合い、痴情のもつれから再び人を殺してしまう、ただ、それだけの物語。だが、殺す側にどういう理由があったのか、それが直接的に語られることはなく、シムノンはあくまで登場人物たちの行動からそれをイメージさせる。
 とりわけ主人公のジャンが無口なキャラクターであるため、彼が前科者であることや実は街の有力者の息子であることも最初は隠されており、そういった事実が少しずつ明らかになるたびに読む側としては軽くショックを受け、ジャンがどのような人間なのか想いを巡らせてしまうわけである。
 ただ、一見なんの希望もなく虚無的に見えるジャンだが、タチ&フェリシーとのやりとりやたまに差し込まれる過去の回想によって、実は重度のストレスを抱えていることも窺える。それが近い将来のカタストロフィを予想させ、良質の心理的サスペンスを生んでいくのだろう。
 シンプルだが、シムノンの上手さを再認識できる佳作である。


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 シムノンの『モンド氏の失踪』を読む。シムノンの文学寄りの作品をコレクションした河出書房新社の【シムノン本格小説選】からの一冊。

 こんな話。パリで会社を経営するノルベール・モンド氏は再婚した妻と二人の子供にも恵まれ、すべてが幸せに見えた。しかし、妻はいつしか彼のことを理解しないようになり、子供たちは精神的に自立できず、モンド氏に頼りきる暮らしであった。
 そんなある日のこと。モンド氏はなんとなく会社も家族も捨て、夜汽車でパリをあとにする。その先で出会ったのは男に捨てられて自殺を図った女との出会い、犯罪がひしめく裏社会、落ちぶれた最初の妻との再開。モンド氏はそこで何を得ることができるのか……。

 モンド氏の失踪

 新たな人生をやり直すというのは、とりたてて珍しいテーマというわけではない。ただ、これをシムノンがやるとまた一味違ってきてなかなか面白い。
 面白いポイントはふたつあって、ひとつは主人公がこれまでの暮らしを何もかも捨てさり、まったく誰にも知られることなく消え失せてしまうところだ。家族や同僚など残された者にはたまったものではないが、そういうことも一切気にせず消え失せる。
 そこにあるのは他者がまったく気づかなかった主人公の深い闇であり、そんなところに人の結びつきに対するシムノン自身の醒めた人生観がちらほら感じられて興味深い。

 もうひとつのポイントは、その実、主人公が失踪する確固たる理由がないところである。家族に対する失望や人生の目的を見失ったようなイメージは感じられるが、大きなきっかけになるような事件もなく、何が何でも人生をやり直すという決意もない。
 日々の暮らしの中でうっかりボタンを掛け違えたかのような、そんなレベルで主人公は自分を消してしまうのである。

 ただ、そんな失踪事件を起こした序盤は引き込まれるのだけれど、その後がいまひとつ。
 やり直すはずの人生が意外に波乱万丈で、ううむ、それまでの人生と対比する意味を持たせているのだとは思うのだが。モンド氏の絡みかたというか行動ルールがそれまでの生き方となんとなくズレている感じがして、いまひとつ納得できないのである。
 モンド氏は自分の人生を変えようとしているのであって、自分の生き方まで変えたいわけではない。その辺りの設定がやや混乱した印象で残念なところだ。

 モンド氏は結局ラストでもとの人生に帰っていくことになり、その人生は再び暗澹たるものになることが暗示されて幕を閉じる。このラストがたまらなくよいだけに、中盤が余計にもったいない。
 まあ、そんな不満もあるのだけれど、モンド氏の抱える心の澱は、案外、現代の日本のサラリーマンが抱えている悩みと似ている気がしないでもなく、そういう意味では考えさせられる一作である。


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 カウンターが本日(昨日だったかも? 適当なのでよくわからんw)、100万を突破。おお、われながら凄いじゃないか。
 2007年にブログを立ち上げ、ちょうど十年ほどで達成したので年平均10万、一日平均300弱といったところ。こんな辺境ブログをお訪ねいただき、見てくれている方々には感謝しかございません。特にキリ番企画などまったく考えてはおリませんが、今後ともご愛読いただければ幸いです。



 さて、本日の読了本はジョルジュ・シムノンの『メグレと老婦人の謎』。1970年の作品でメグレものとしては最後期にあたる。

 メジスリー河岸で暮らす一人の老婦人。その彼女がメグレに用があると警視庁に日参していた。自分の留守中に誰かが忍び込んでいるというのだ。その証拠に家具が僅かだが動いているというが、盗まれたものは何もない。メグレは自分が出る幕もないと思い、若いラポワント刑事を対応させ、型どおりの調査は行わせた。
 だが、その数日後、老婦人が自分の部屋で殺害される。死因は窒息死。メグレは老婦人に対して自分がしてやれなかったことを悔やみながら捜査に取り組むことになる……。

 メグレと老婦人の謎

 後期のメグレものらしく、あまりミステリとして凝った内容ではない。謎の中心は、家具が動かされている理由はなぜか、つまり犯人の目的は何かというところなのだが、登場人物が少ない上に早々と手がかりが与えられるため、真相や犯人を想像するのはそれほど難しい話ではない。

 シムノンもことさら謎解きを重視しているわけではなく、読みどころは老婦人に最善の対応ができなかったことを悔やむメグレの心情だろう。部下に対応をさせているし、メグレにそれほど責任があるわけでもないのだが、結果として喉に刺さった小骨のようにメグレを苛む老婦人の死。
 それが影響しているのだろう。メグレは珍しく妻を散歩に誘ったり、一日フルに休日の相手をしたりするのだが、おそらくそれによって精神のバランスをとっているのである。こういう間接的な描写がやはりシムノンならではの巧さだ。
 ミステリとしていまひとつでも、こういうメグレが読めるのなら、ファンとしてはそれでOKといったところか。


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 久々にメグレものから一冊。河出文庫版の『メグレたてつく』を読む。

 こんな話。ある日、メグレ警視は警視総監から出頭の要請を受ける。言葉を濁し、なかなか意図を明らかにしない総監だったが、どうやらメグレが犯した失策について自ら責任をとるよう求めているらしい。
 しかし、そもそも失策についての心当たりがないメグレ。総監から渡された書類に目を通し、ようやく事態に納得がいく。
  先日のこと。メグレは深夜に若い娘から電話を受けていた。地方からパリに出てきたが友人とはぐれ、お金もなく困り果てているという。そこでメグレはホテルを紹介してやったのだが、その若い娘はメグレに酒を飲まされてホテルに連れこまれたと供述していたのだ。
 何者かがメグレの失脚を狙っている。メグレは部下とともに背後で糸を引いている人物を探ろうとするが……。

 メグレたてつく

 1964年に書かれたものだからシムノン円熟期の作品といっていいだろう。
 内容的にはメグレ自身が今でいうセクハラ事件に巻き込まれるという異色作。書かれた時代もあるのでセクハラそのものが問題視されるというわけではなく、被害者とされる女性が政界の大物の関係者ということで、その筋から圧力をかけられるメグレがいかにして突破口を見出していくかが見せ場である。
 とはいえ、どんな設定であろうともメグレ・シリーズはメグレ・シリーズ。最近の英米の警察小説であれば政治的なテーマも多いし、それこそ政治的な決着も多いのだけれど、メグレものは基本まったり展開であり、その視線の先にあるものは常に人間の営みである。
 いつにないメグレ自身のピンチということで読者としては気が急くところもあるのだが、最後はきちんと犯罪者の心理にコミットしてゆくのが心地よい。

 また、本作のメグレは事件の当事者ということもあり、いつも以上にその心情を吐露しているのも興味深い。なんせ本作のメグレは三年後に定年を控えているのだ。その花道をこんな形で失ってしまうのか、怒りや情けなさ、プライドが入り混じったメグレと、上司や部下、妻との会話が味わい深い。
 メグレものは今更ミステリとして良いとか悪いとか評価する気もないのだが、うむ、これはおすすめ。


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 久しぶりに河出書房新社の「シムノン本格小説選」から一冊。ものは『小犬を連れた男』。
 メグレシリーズもよいし、根本的なところは同じだと思うのだが、それでもミステリから離れたノンシリーズになると、シムノンのペン先はより悲哀を帯びたものになる。それはやはり犯罪者に対するメグレからの客観的な視点と、主人公たる犯罪者の視点の差なのだろう。
 本作もその例にもれず、その内容はあまりに切なく悲しい。

 パリの街の片隅でプードルと暮らす孤独な一人の男。他人との積極的な接触を避け、プードルと散歩し、小さな本屋で店番のアルバイトを繰り返す日々。そんな彼が文房具店でノートを買い、今の境遇や心情、そして過去に起こった出来事を淡々と綴ってゆく……。

 子犬を連れた男

 シムノンらしいといえばここまでシムノンらしい小説もないかもしれない。孤独な男の手記を通じて、男の暮らしぶりや、なぜこのような生活を送っているのかが語られてゆく。犬を飼い始めたきっかけ、本屋のアルバイト始めた理由、男が刑務所に入っていたらしいこと、家族がいるらしいことなどなど。そんなこんなが時系列など関係なしに、少しずつ明らかになってゆくという結構である。
 そして最終的な興味は、男が何をしでかしたのか、また、その動機は何だったのか、この点に集約される。

 もちろん今時こんなスタイルは珍しくもない。ただシムノンの巧いところは、過去と現在を往きつ戻りつしながら、その淡々とした口調のなかに男の心情を見え隠れさせるところにある。長編でありながら一瞬一瞬が勝負のようなところもあり、そのたびにこちらはページをくる手を休め、深いため息をつくことになる。
 本屋の女店主との問答、愛犬ピブとの他愛ないやりとり、それらすべてが愛おしい。シムノンのファンならぜひ。


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 長らくシムノンの入手困難本として知られていた『自由酒場』が、論創社から『紺碧海岸のメグレ』としてお目見え。
 こういう名のみ知られるミステリの場合、実際の中身とのギャップが心配されるところだが、シムノンに関しては常に一定の水準を期待できるから、ほぼそういう心配がないのがいい。もちろんシムノンの場合、本格探偵小説ではなく人間ドラマとしての水準にはなってしまうが、四百作あまりの作品を残した作家でこれはかなり凄いことであろう。

 そういうわけで『紺碧海岸のメグレ』である。
 ヴァカンスの名所として名高いコートダジュール(紺碧海岸)。その中心都市のひとつアンティーブでブラウンという男が殺された。ブラウンは戦争中に軍情報部で仕事をしており、メグレは事件を穏便に片付けるよう上層部から指示を受ける。アンティーブに向かい、捜査を進めるメグレは、やがてブラウンが二重生活を送っていたことを突き止める……。

 紺碧海岸のメグレ

 メグレ・シリーズは事件を通し、犯罪者や被害者の人間模様や心理を細やかに描くところがミソ。孤独や寂寥感、生きることへの疲れが強調され、そのイメージが都会や雨、夜といった舞台装置にも反映されていることが多い。
 そういう意味で本作が面白いのは、舞台がコートダジュールだということ。ヨーロッパでも有数の陽光あふれるヴァカンスの地。それこそ先に書いた都会や夜、雨とは正反対のイメージなのだ。
 ただし避暑地だからといってシムノンは従来のイメージを覆すわけではない。温暖なコートダジュールでの雰囲気から独特の倦怠感を醸し出し、都会と同じようにさまざまな人間の悲哀を見せてくれる。あ、これも結局はいつものメグレ・シリーズなのだと実感。とはいえメグレも絶好調には程遠く、夜の酒場で実があるようなないような聞き込みを繰り返す羽目になるが、こういったメグレの姿も読みどころのひとつだろう。

 例によって驚くような真相はないけれども、被害者の生活がいろいろな意味で二重三重に成り立っているところは面白いし、また、それを明らかにする展開は(ありがちではあるが)相変わらず手堅い。トータルでは悪くない作品である。


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 河出書房新社の【シムノン本格小説選】から『闇のオディッセー』を読む。
 シムノンといえばもちろんメグレ警視ものが有名だが、文芸系の作品でもその実力は広く認められている。【シムノン本格小説選】はそんなシムノンの文芸作品にスポットを当てた好シリーズ。
 ただ、ぶっちゃけ言うとメグレ警視ものであろうが文芸系の作品であろうが、それほど内容に差があるわけではない。どの作品においてもシムノンの興味は常に人間の内面そのものにあるわけで、それが犯罪をとおして明らかになるか、あるいは日常の暮らしの中から浮き彫りになるか程度の違いしかない。そのときの必要や状況に応じて、シムノンはそれを使い分けていただけではないだろうか。

 まあ、そんな能書きは置いといて、とりあえず粗筋。
 主人公は産婦人科クリニックを経営し、大学で教鞭もとるジャン・シャボ。豪華なマンションに妻と三人の子供と暮らし、おまけに妻公認の秘書兼愛人までいるという誰もが羨むほどの成功者である。しかしそんな彼にも人しれず悩みはあった。いや、それは悩みというより心の闇である。
 きっかけはある浮気が原因だった。シャボはクリニックで働く娘に手を出し、秘書に勘づかれてしまう。秘書はその娘をクビにするが、シャボはやがてその娘がセーヌ川に身投げしたという事実を知る。その後、シャボの周囲に脅迫めいたメッセージを残す若い男が出没する……。

 闇のオディッセー

 やはりシムノンの小説は素晴らしい。大傑作とかいうつもりはないが、どの作品も非常に安定した質をキープしており、読後になんともいえない余韻を残すものばかりだ。
 本作では主人公シャボが何一つ不自由のない富裕層の男ということで、普通なら感情移入しにくい設定のはずなのだが、これがまた描写がうますぎるので、何の違和感もなく物語に取り込まれてしまう。

 今の地位と冨を手に入れるために犠牲にしてきたもの、それが男の心を蝕んでいる。家族や仕事、火遊びにおいてすら男の心が満たされることはなく、むしろ空虚さだけが広がっていく。特に大きな事件が起きるわけではない。何ということのない日々の営みによって、少しずつシャボの内面が闇に冒されていくのである。
 最終的にシャボは拳銃を持ち歩くようになり、彼が向かおうとしているカタストロフィを予感させる。だが、シムノンは単なる悲劇で終わらせるのでなく、ラストでもうひとつ読者に宿題を与える。これがまた重くて不条理で。
 人の心の闇は際限がなく、どこまでも落ちることができるのだが、その先に待つ破滅がときに解放にもつながっているというイメージか。なかなか日本人には理解しにくいところではある。

 決して楽しい話ではないので積極的におすすめはしないが、心を活性化させるにはむしろこういう刺激も必要であろう



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 十二月に入り何かと気忙しくなってきたが、先週から仕事絡みの忘年会もスタート。一週間で早くも三つ消化したが、これからが佳境である。まあ酒は基本的に好きなのだが、やはり連チャンは堪える。今週もいくつか控えているし、風邪だけはひかないようにしないとなぁ。といいながら、先週はかなり風邪気味で出動したのでなかなかしんどかったわけなのだが。


 ジョルジュ・シムノンの『青の寝室』を読む。河出書房新社の【シムノン本格小説選】からの一冊。

 主人公はフランスの小さな田舎町で会社を営むトニー。大もうけはできないがそれなりに事業は成功し、妻と一人の娘がいる。だが、そんな彼には一人の愛人がいた。幼なじみのアンドレだが、彼女もまた結婚しており、二人はトニーの弟が経営するホテルで密会を重ねていた。
 だがアンドレの重苦しいほどの愛情表現にトニーは疲れを感じて始めていた。彼女は夫と別れるからトニーにも覚悟を決めるよう繰り返し要求する。しかしトニーはいつものように、家族を愛しているからそれには応じられないと聞き流すだけであった。そして悲劇は起こる……。

 青の寝室

 構成がちょっと凝っている。上では差し障りのない範囲で粗筋を紹介したが、物語自体はトニーとアンドレの密会で幕を開ける。だが、すぐにそれらがトニーの回想であることがわかる。トニーは何らかの理由で勾留されており、判事や精神科医によって質問を受けているのだ。
 トニーは時を遡り、なぜアンドレと不倫するに至ったのかを説明する。そのなかで、いったい何が起こり、なぜトニーが拘留されているかも明らかになってくるという寸法で、この逆倒叙ともいうべきシステムが物語に奥行きを与えている。

 ただ、純粋なミステリではないので、「何が起こったか」という点にそれほど重きは置いておらず、そういう意味でのサスペンスや驚きは少ない。この点は予想どおりといえば予想どおり。
 ポイントはあくまで事件を通して描かれる二人の心理や転落する様である。アンドレという情熱的な女性の本性にも惹かれるが、特に興味深いのは主人公トニー。このどことなく虚無的な男が徐々に追い詰められていく過程は、読み手にもジワジワ不快感が伝わってきてナイス。情熱的なアンドレとの対比も効いている。

 しかし、シムノンはこういう物語が実に上手い。ちょっとだけ変わった設定を用意し、そこでごくごく普通の人々を踊らせ、悲劇に仕立て上げるというテクニック。大作感はないけれど一幕物の優れた芝居を観るような、そんな特別な満足感がある。

 最後に蛇の足。
 本書のカバー折り返しの粗筋紹介では、「何が起こったか」がずばり書いてある。上で書いたようにそれがメインの小説ではないので必ずしも読書の興を削ぐことにはならないが、まあやはり知らないに越したことはない。気になる人は読まないよう御用心。あ、そういう意味では解説も同様なのでご注意を。


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 久々にシムノンを手に取る。河出書房新社から【シムノン本格小説選】として刊行されているシリーズの一冊で、ものは『証人たち』。
 のっけから話が逸れて恐縮だが、この【シムノン本格小説選】。試みは実にありがたいのだが【シムノン本格小説選】というシリーズ名は何とかならんかったのか。おそらくはメグレ警視シリーズをはじめとするミステリ系作品群に対する「本格小説」なのだろうが、するとミステリは本格的ではない小説ということになるわけで、なかなかイラッとくる誇称ではある。まあ、悪気はないのだろうが、文芸担当編集者ならもう少し言葉に気を配ってほしいよねぇ。

 気を取り直してストーリー。
 重罪裁判所のローモン判事は病身の妻を抱え、心身ともに疲れ果てていた。そんな彼が担当することになったのは妻殺しのランベール事件。被告人ランベールは無罪を主張しているが、彼の経歴や状況から誰もが有罪だと信じて疑わなかった。やがて審理が始まったが、証人たちの証言が続くにつれ、事態は思いがけない方向に……。

 証人たち

 ほぼ全篇が法廷シーンという異色作。だからといって、ミステリで言う法廷ものとはちょっと趣が違い、ここでは弁護士と検事の丁々発止のやりとりや意外な真相などは皆無。シムノンが本作で描こうとするのは、当時フランスで採用されていた陪審員制度の矛盾であり、限界である。
 判事ローモンは思う。「人間が他の人間を理解するのは不可能である」。ローモンは裁判の朝、体調の悪さからアルコールを口にするのだが、周囲の者はそれを妻の看病疲れからの逃避とみなす。何十年もの間、ローモンと接してきた者ですら自分のことをまるで理解していないのだ。ましてや裁判で初めて被告人と会った陪審員が、その場で見聞きしただけの証言や証拠だけで被告の人生を決めてよいものなのか。最終的にローモンのとった判断は、制度そのものに絶望したような印象すら与えて興味深い。
 日本でも同様の裁判員制度が数年前から採用されているが、心のケアなども含めていろいろと問題のある制度なのだなと、あらためて考えさせられてしまった。

 裁判を通じて揺れ動くローモンの心理も読みどころ。病身の妻との生活は決して互いを思いやるものではなく、それぞれが相手に秘密をもつ。裁判の進行と共にそれが明らかになり、判決と同時にローモンのドラマもまた終わりを迎えるのだが、その相互に与える影響が注目である。これがあるから裁判パートも生きるわけで、こういう匙加減はシムノンならでは。ラスト一行で示されるローモンの決断は、裁判の結末より考えさせられる。
 全体的にセンスだけで持っていっている感じはするんだけど(苦笑)、やはりシムノンは巧い。


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