マイクル・クライトンの『NEXTーネクストー(下)』読了。
うう、これは辛かった。クライトンの狙いがすべて裏目に出ているというか。

本来ならストーリーからざくっと紹介したいところではあるが、今回はかなり複雑。特殊な遺伝子を持つ男の細胞を巡る争奪戦、遺伝子操作をされた話すチンパンジーの冒険、あるいは話すオウムの運命、はたまた能力を飛躍的に向上させる薬の末路、遺伝子特許を巡る会社の陰謀の数々……。とにかく様々なエピソードが様々な人物によって紡ぎ出されていく。
しかもこの手のタイプの作品であれば、通常はそれがクライマックスに向けて一本の線になるものだが、本作ではいくつかのエピソードは一本にまとまるものの、独立したサブストーリーとしてそのまま進むものもあるという、スッキリしない構成なのである。
おまけに何人かの登場人物には非常に似た名前がつけられており、これがまたややこしさに拍車をかけている。
今までのクライトンの作品ではこんなことはなく、むしろ情報自体はてんこ盛りだがストーリーラインはいたってシンプルなのがこれまでの特徴だ。そう、本作の複雑さは当然作者が意図してのことなのだが、解説によれば、何とDNA構造をイメージしたのではないかということ。
DNA構造、覚えてますか? 授業で一度は習いましたよね、あの
二重らせんである。
要するにストーリーの仕組みや、似たような二セットの人物たちは、本作のテーマをそのまま形にした結果というわけだが、いや、いいよ、そんなことをせんでも(笑)。とにかく結果として非常に読みにくさばかりが目立ち、カットバックによって煽っているスピード感が台無しである。
エピソードも正直物足りない。テーマである遺伝子技術に関する蘊蓄は確かに凄いし、その使用法や法整備についてのメッセージは非常にわかりやすく伝わる。だが、ひとつのメッセージについてひとつのエピソード、という感じなので、実に説教臭く他愛ない話ばかりに仕上がっている。
例えば最初に語られる、特殊な遺伝子を持つ男のエピソードだけでも十分に面白い話になるのである。倫理を無視した企業のやり方に対する訴訟、それと平行して秘かに勧められる企業の陰謀、男ばかりかその遺伝子を受け継ぐ家族に迫る危機……。メッセージをきちっと伝えるために、あらゆる手を使って読者を物語に引き込み、読了後にはそのメッセージが自然と刷り込まれているーーおそらく以前のクライトンなら間違いなくそうしたはずだし、『ジュラシック・パーク』『タイムライン』『プレイ』等はその好例である。そこを本作のクライトンは遺伝子に関する様々な話を盛り込もうとするので、深い話になるまえに、とっとと遺伝子を巡るただの追跡劇に転じてしまう。エンターテイナーとしての使命は、本作を見る限りほぼ放棄している。
クライトンはテーマを語ることに焦りすぎているとしか思えない。それが小説としての結構を崩していることになぜ気づかないのか。
最もひどいと思ったのは「著者あとがき」。
クライトンはここで何と10ページにわたり、わざわざテーマのおさらいをやっているのである。いま、遺伝子研究はどこまで進み、どこまで整備されてるのか、我々にどのような危機が迫っているのか等々。いや、そのメッセージは大事なことだと思うが、それは既に小説内で語ってくれたことだろう。このようなあとがきを載せること自体、自らの小説を否定するようなものではないか。
クライトンは小説から足を洗い、ノンフィクション作家に転向すべきなのかもしれない。