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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

ジェフリー・ハウスホールド『祖国なき男』(創元推理文庫)

 ジェフリー・ハウスホールドの『祖国なき男』を読む。あの傑作冒険小説『追われる男』の続編である。ただし、この続編が書かれたのは、『追われる男』から何と四十年あまり後のこと。文体や登場人物たちの性格、ストーリーのつながりなど、諸々の設定や作風を統一するには少々無理があるのではないか。最初はそう思ったのだが、著者は予想以上にスムーズな続編に仕上げていた。

 物語は前作から数年後。ヒトラーの暗殺に失敗した主人公は、ドイツの土を踏み、再び暗殺の機会をうかがう。しかし、その機会が訪れる前に第二次大戦が勃発。主人公は正式な軍の一員としてヒトラーを倒そうとするが、ここで思わぬ落とし穴が待っていた。ドイツにいた間、身分を偽っていたことが災いし、帰国を許されなかったのである。いまや祖国を失った主人公は、単身で巨大な敵に戦いを挑もうとする……。


 祖国なき男

 ロード・ノベルならぬロード・ウォー・ノベルとでも言うのだろうか。次から次へと戦いの舞台を求め、主人公は旅を続ける。主人公の手記というスタイルは前作同様で、テイストも前作そのまま。事実を淡々と描写してゆく文章は、飾りが少ないからこそより迫力が増す。冒険小説の醍醐味が非常にストレートに伝わってくるわけで、そこがいいのだ。
 ただ、やはりトータルでは前作には及ばない。しっかりしたストーリーラインがあるわけではなく、次から次へと戦いのエピソードが展開されるので、逆にメリハリに乏しく単調な印象も受ける。こういうやり方もありだろうけれど、せっかく味のあるキャラクターも登場することだし、もう少し腰を落ち着けてドラマを膨らませてもよかったのではないか。惜しい。

 とりあえず前作を読んだ人は、ストーリーを補完するという意味でも読んでおきたい一冊。逆に前作を未読の方は、そちらを読んでからどうぞ。


ジェフリー・ハウスホールド『人質はロンドン!』(角川書店)

 近頃、パソコンの調子がまた悪くなってきた。やたらと起動に時間がかかり、いくつかのアプリケーションもなかなか立ち上がってくれない。もしかしたらハードディスクドライブに原因があるのかもしれないが、今年はいい加減パソコンに金を取られすぎているので、これ以上は勘弁してもらいたい。今のところだましだましだ使っているが、年末にぶっ壊れたりした日には目もあてられんなぁ。

 読了本はジェフリー・ハウスホールドの『人質はロンドン!』。『追われる男』『影の監視者』と、これで邦訳されたものは全部読んだはずだが、今回のが一番だめだった。
 主人公は元大学の講師というテロリスト。世界をよりよいものにしたいという理想に燃えるあまり、ある事件をきっかけに自分という存在を消し、テロの道に入った男だ。しかし、所属する組織が核爆弾を用いて政府を脅迫し始めたことで変心。革命のためとはいえ、無差別大量殺人を許すことはできず、組織を相手に戦いを始める。
 なかなか魅力的な設定で、展開も悪くないのだが、文体がいただけない。本作は全編主人公の日記形式で語られるのだが、元講師という部分を強調したいせいか、妙にくどくて理屈っぽいのである。格別難しい表現とかはないけれど、もったいぶった表現というか。それが延々と地の文で読まされるため、とにかく読みにくくてしようがない。『影の監視者』でも主人公の語りがけっこううざく感じたところもあったので、これはハウスホールドの癖なのかもしれない。もちろん原文だけではなく、訳文のせいもあるとは思うが。


ジェフリー・ハウスホールド『影の監視者』(筑摩書房)

 3年ほど前か、創元推理文庫で突然復刊され、冒険小説ファンの間で評判を呼んだジェフリー・ハウスホールドの『追われる男』という本がある。シンプルな構成だが密で緊迫感ある語り口、ラストの意外性と、永らく絶版だったのが不思議なほどよく出来た冒険小説だった。
 不遇な作家というか、日本ではなぜか人気が出ない作家というのはいるもので、ジェフリー・ハウスホールドもその一人なのだろう。そうやって『追われる男』が評判を取り再評価されたにもかかわらず、結局、他のタイトルがその後訳されることもなく、今に至っている。著作数は30作以上にも及んでいるので海外ではそれなりに読まれてきた作家だと思うのだが、邦訳は『追われる男』を含めてわずか三作。本日の読了本はそのうちの一冊で『影の監視者』である。筑摩書房の世界ロマン文庫に収録されたものだ。

 ストーリーはシンプルだが、設定はちょっと複雑だ。
 主人公は中年の動物学者の男性。叔母との二人暮らしだが、なぜか他人との強い関係を望まず、叔母との仲も冷え切っている。そんなある日、家に届けられた郵便物が爆発するという事件が起き、配達人が命を落としてしまう。人から恨まれる覚えはないという主人公だが、実は彼には叔母にも話していない秘密があった。実は戦時中、彼は連合国側のスパイとして、ドイツのゲシュタポの一員に成りすましていた時期があったのだ。はたして爆弾を送りつけてきたのは、裏切りに気づいた元ナチスの人間か、それともゲシュタポに恨みを抱く元連合国側の人間なのか? 主人公は元の上司と相談し、敵をおびき出すという作戦をとるが……。

 読んでいてまず思ったのは、敵をおびき出すという展開の前半が『追われる男』とずいぶん似ていること。こういう設定は作者の好みなのだろうか。本作でも息詰まるような「狩り」の様子が持ち味となっているのは御同様。だが、後半に入ると少々話が変わってきて、主人公の素性を周囲の人間がほとんど知ってしまうことになる。張りつめていた糸が切れたようで、当然ながら緊張感もずいぶん失われてしまう。終盤でやや盛り返すものの、『追われる男』ほどの息苦しさを味わえなかったのは残念。
 もうひとつ気になったのは、ひたすら主人公の言動や思考を追ってゆく描写。これも『追われる男』と共通する点ではあるが、ただ、どうなんだろう。行動を綴るのはもちろんよいのだ。かつてスパイとして生きた男が戦場へと駆り出され、再び戦いの技術を駆使する羽目になる。しかし、男はもう若くはない。衰えもある。そんな緊迫した状況での戦いの模様を描くのだ。ここはねちっこくやってもらって全然OKである。
 しかし、主人公の思考を細かに書き込まれると、それはちょっと違うのではないか、とも思う。なんというか、主人公が自分の行動に対していちいち理由を説明しているようで(正当化しているわけではないにせよ)、冒険小説の主人公がいちいち言い訳するなよ、みたいな苛立ちを感じてしまうのである。
 まあ、もう一冊だけ未読の本『人質はロンドン!』があるので、これも近々読んでみることにしよう。


ジェフリー・ハウスホールド『追われる男』(創元推理文庫)

 本格探偵小説の本場というとやはり英国が頭に浮かぶが、対極にある冒険小説もまた英国が本場である。本日の読了本はそんな英国冒険小説の古典として名高いジェフリー・ハウスホールドの『追われる男』。

 ストーリーはいたってシンプルだ。要人暗殺の廉で逮捕されたある男が、過酷な拷問を受けるものの脱出に成功。追っ手を振りきってイギリスに帰ってきたのはよいが、執拗な追求の手は依然として止まらない。男はイングランド南部へと身を隠し、追っ手をかわそうとするが……。

 まずは冒険小説として十分に堪能できる傑作だろう。主人公が見せる知力、試される勇気、個性的な敵役、スポーツマン精神にのっとった対決など、冒険小説に必須とされる要素は十分に盛り込まれており、過不足のない心理描写も巧いと思う。
 ただ、それだけでは本書を評価するには言葉が足りないだろう。『追われる男』はただの冒険小説と決定的に違う何かがある。

 本書は主人公の手記という形をとっており、物語のほとんどが主人公の逃避行を描写してゆく。正統派冒険小説の古典とはいうものの、かなり独特の雰囲気をもった作品なのだ。
 例えば同じ話を書いても、現代の作家ならたくさんの横糸を張り巡らし、世界をもっと膨らませようとしたりもするのだろうが、著者のハウスホールドは本当に逃避行に絞って書いている。それがかえってストレートな冒険小説であることを忘れてしまうほどだ。主人公はなぜ手記を書いているのか、なぜ自分自身のことを書こうとしないのか、なぜ守るべき地位がありながら暗殺を実行しようとしたのか、なぜ無理に逃げ続けようとするのか。これらの疑問が読み進むうちに少しずつ読者の胸に芽生えてくる。
 そしてそれらの答は最後の最後で明かされる。その結末を読んだとき、素晴らしい冒険小説を読んだという感慨と同時に、これは本当に冒険小説だったのか、という不思議な気持ちに襲われる。深い。なんとも深い小説である。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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