『いつ また あう』は久生十蘭が少女雑誌『りぼん』に昭和三十二年に連載していた作品。しかし、十蘭が連載中に亡くなってしまい、そのあとを二反長半(にたんおさ なかば)が引き継いで完結したものだ。
つまり本作は十蘭の遺作になるわけだが、より知られている十蘭の遺作としては『肌色の月』がある。『肌色の月』も連載中に十蘭が亡くなってしまった作品だが、こちらは残すところラスト一回分であり、しかもストーリーを十蘭から聞いていた夫人が仕上げた経緯があり、十蘭の作品といって差し支えないだろう。
一方、『いつ また あう』は連載わずか二回分での中断である。作品としてはまだ序盤である。加えてそのストーリーがどうなるかは誰も知らされておらず、そういう意味で本作はほぼ二反長半の作品といっていいかもしれない。
ちなみに二反長半についてはまったく知らなかったが、Wikiによると児童文学界の大家だったようだ。元教師で、戦時中から児童文学作家として活動をはじめ、1950年ごろからは子供向けの伝記なども多く手掛けている。
さて、『いつ また あう』に話を戻そう。
少年係の杉山刑事が日比谷公園を見回りしていたときのこと。ベンチに腰掛けている少女を見かけたが、その家族は姿を見せず、心配になった杉山刑事は警察署へ保護することにした。しかし、少女は一切口をきかないため帰る先もわからず、また、迷子の届け出もない。
困った杉山刑事は少女を連れて都内のあちらこちらを巡り、何か少女の記憶に訴えるところがないか調査を開始した。しかし、羽田空港でちょっと目を離したすきに少女がいなくなってしまう……。

ううむ、口をきかない少女にどんな秘密が隠されているのかとか、暗躍する似顔絵描きの男の正体とか、謎の女性とか。ストーリーを引っ張ろうとする狙いはわかるのだが、どうも全体的に心踊らない。
やはりプロットが弱いというか、導入自体はミステリアスだが、その後の流れや真相がいまひとつ。また、探偵役の杉山刑事はベテラン刑事らしいのだが、特に頭脳の冴えも見られず、おまけにミスも多い。結果、展開としては一歩進んで一歩下がるという状態の繰り返しで、バタバタしている割には物語が進行せず、なんとも盛り上がりに欠ける。ラストも急いでまとめた感がありありで、これはやはり二反長半にミステリや冒険小説のセンスが不足しているのだろうなぁ。
ということで、この時代の子供向け探偵小説のなかでも低調な部類であり、残念としかいいようがない。とはいえ国書刊行会の『定本久生十蘭全集』にも十蘭執筆分しか収録されていないようなので、熱心な久生十蘭ファンであれば、やはり押さえておきたい一冊ではある。