エドガー・ウォーレスの『真紅の輪』を読む。
著者のウォーレスは二十世紀初頭にスリラーで絶大なる人気を誇った作家で、あの『キングコング』の生みの親でもある。多作家としても知られ、その著作は長篇だけでも百五十作以上に及び、その他にも短編やシナリオ、エッセイなど多数にのぼる。
日本でも昭和初期にはけっこう訳されていたようだが、内容が通俗的で時代がかっているせいか戦後は紹介が途絶え、二十一世紀になってようやく長崎出版や論創社で新訳が出るようになったのは、まだ記憶に新しいところだ。
さて『真紅の輪』だが、まずはストーリー。
連続殺人でロンドンを恐怖に陥れている“クリムゾン・サークル”。大金持ちに脅迫状を送っては、多額の金銭を要求してくる謎の犯罪集団である。さもなくば命はない、と。
それに立ち向かうのが警視庁のパー警部、そして超能力で調査を行う私立探偵イエール。二人は協力して富豪ジェイムズ・ビアードモアを警護しようとするが、クリムゾン・サークルの手によって遂にジェイムズは殺害される。
そして事件の影で暗躍する謎の女タリア。ジェイムズの息子ジャックは周囲の反対も聞かずタリアに惹かれていくが……。

まあ、何ともぶっとんだ設定である。とりわけ探偵イエールがすごくて、彼は現場に残された物から心象風景を読みとるという、いわゆるサイコメトリーの持ち主。
一方のパー警部は一見、鈍重そうながら、実は粘り強さが身上の切れ者。この相反するやり方の二人が協力して捜査を進めるのがなかなか見ものである。ここまでタイプが違うとハードボイルドあたりでは絶対に敵対関係になるはずだが、それをやらないところが時代ゆえか著者の上手いところなのか。悪党側が混沌としているだけに、捜査側が一枚岩になっているのはストレスがなくてよろしい。
また、探偵だけでなく“クリムゾン・サークル”の設定も捨てがたい。
けっこうな規模の犯罪組織なのだが、そのボスは誰も見たことがなく、また、組織のメンバーもすべては秘密に包まれている。
時代がかった部分ではあるが、もちろんサスペンスを高める効果は高く、特にボスの正体はわかりそうでわかりにくく、伏線やミスリードも適度に散りばめられていてミステリとしてもきちんと機能している。
ミステリ的な興味でいうと密室殺人も危ういトリックではあるが着想としては面白い。
これらに加えて、謎の女泥棒タリアの存在も忘れてはならない。峰不二子的な存在として(苦笑)パー警部や探偵イエールとも対立し、他の犯罪者とも丁々発止。“クリムゾン・サークル”ともどうやら関係をもちそうな、この魅力的な悪女。
さらには、タニアに恋い焦がれ、何度も断られながらも「あなたはそんな悪人じゃない」と言い続ける純情青年のジャック。この二人のロマンスの行方も要注目。決して味付けで終わらせない著者の腕前が見事だ。
とにかく予想以上の面白さである。ぶっ飛んだ設定なのだが、テイストはあくまで通俗スリラー。思わず先を読みたくなる興味のつなげ方、テンポのよさ、そして読みやすさが合わさって、とても1922年の作品とは思えない。
これまで訳された『正義の四人/ロンドン大包囲網』や『淑女怪盗ジェーンの冒険』も予想以上だったが、やはり書かれた時代というところがあった。しかし、本作はそういった但し書き抜きにしても十分楽しめる。
サイト「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の記事で、「乱歩の通俗物長編によく似ている。」という評があったのだが、そう、まさにそのとおり。乱歩の通俗長編がもついかがわしい魅力が本作にも満載なのだ。発表当時は評論家に酷評されたウォーレスだが、一般大衆の好みはバカにはできないのである。