エリー・グリフィスの『窓辺の愛書家』を読む。昨年に読んだ『見知らぬ人』がさまざまな趣向を盛り込んだ、非常に楽しい一冊だったが、本作はそれ以上かもしれない。この二、三年の創元推理文庫はホロヴィッツとかホリー・ジャクソンとか英国のオーソドックスなミステリ作家で当たりが多いけれど、このエリー・グリフィスはそれらの作家に決して負けていない。
残念ながら受賞は逃したが、本作は2021年度のCWAゴールド・ダガー(最優秀長編賞)をクリス・ウィタカーの『われら闇より天を見る』やS・A・コスビーの『黒き荒野の果て』などと争った作品でもある。
こんな話。高齢者向け共同住宅で暮らす読書家のペギー・スミスが亡くなった。しかし、ペギーの担当介護士だったナタルカはその死に不審を抱き、警察に赴いて居合わせたハービンダー・カー刑事に相談する。さらにはペギーの友人だったエドウィン、ホームの前でカフェを営むベネディクトと共に自分たちでも調べてみようと決意するが、ペギーの部屋を捜索中、銃を持った何者かに襲撃される……。

ひと口にミステリと言ってもさまざまなジャンルや作風があるし、人によってそれらのの好みは違うだろうけれど、最も最大公約数的に楽しめるミステリってのは本書のようなミステリを言うんではないだろうか。ガチガチの本格とかハードボイルドというのではないが、多くの人を満足させるような面白いエッセンスをさまざまな方法で詰め込み、あらゆる部分まで丁寧に作り込まれた非常にバランスの良い上質でオーソドックスなミステリ。
昨年に紹介された前作も作中作を扱うなど凝った趣向であり、十分に楽しめる作品だったが、意外にクセがなくてホロヴィッツやホリー・ジャクソンの個性に負けていた感じは多少あったのだが、今年翻訳された作品だけでみれば、両者を超えてきたのではないか。それぐらいよくできている作品である。
前作『見知らぬ人』もそうだったが、とにかく語りたいポイントが非常に多い。
まず驚かされたのが、前作の探偵役ハービンダー・カー刑事が本作にも再び登場してきたこと。そんなのよくあることじゃないか、と言う勿れ。前作は複数人の視点で語られる構成であったし、主人公と呼べる人物は別にいたのである。もちろんカー刑事も重要な存在ではあったが、一見ゴシックロマンの雰囲気も感じられるような作品だったので、あくまで主人公は事件の渦中にある女性であり、決して探偵役のカー刑事ではなかったのである。
ところが本作はその構成を見事に踏襲してきた。なんと本作もまた複数人の視点で事件が語られる構成をとり、そこにカー刑事は探偵役として絡んでくるものの、主人公格のキャラクターはやはり別にいるのである。この構成は単発作品なら珍しくもなんともないが、シリーズ探偵がいる作品で用いるのはけっこうレアではないか。
考えるとこれは非常にいいシステムで、シリーズ探偵を用いることはファンの固定化に有利ではあるが、同時にマンネリ化という弱みをもつ。その点、複数人による多視点の構成は事件や人間関係の描き方に奥行きが出るのと同時に、探偵役も一歩引いた形になるのでストーリーに変化もつけやすい。また、シリーズものだとどうしてもシリーズキャラへの比重が大きくなって、発表順に読んだ方がいいのかとか考えてしまうのだが、このシステムだと一見さんにも優しい感じなのがいい。
次のポイントは、これまた前作『見知らぬ人』に続いてビブリオミステリに挑戦していることか。あちらは伝説的作家のある作品にスポットを当てた見立て殺人で、それを作中作として盛り込むなど、本好きには堪らない設定だった。そして本作では、被害者が大のミステリマニアであり、プロのミステリ作家へアドバイスする「殺人コンサルタント」を請け負う老婦人という設定。事件関係者は作家のみならず編集者や広報担当、フェス関係者までいるから、これも本好きのファンには堪らないお膳立てである。
キャラクターも魅力的だ。だいたいカー刑事からしてインド系同性愛者という攻めたキャラクターである。ナタルカとその仲間たちもなかなか個性的で、ナタルカはウクライナ人の介護士という設定。給料はたかが知れているのに、なぜか金回りは悪くないというミステリアスな女性である。しかも作品が書かれた当時はロシアのウクライン侵攻前だが、クリミア侵攻はすでに行われており、彼女の身辺にもその影響が出ていて考えさせられる。
そんな彼女に思いを寄せるのが元修道士で今はカフェのオーナー、ベネディクト。二人を見守るペギーの友人で、元BBC勤務の同性愛者エドウィン。さらにはペギーや作家、出版関係者たちが加わるが、著者はその一人ひとりにしっかりとしたキャラ付けをして、それが物語に厚みを持たせている。日本人の感覚からするとキャラクターが渋滞気味にも感じるが、実際のところ、キャラクターへの深掘りは思ったほどではないのがちょっと意外。二、三十年前なら同性愛だけでガッツリ一冊問題定義するところだろうが、つまりはこの状況が英国の日常になりつつあるということでもある。こういうところにも現代ミステリが大きく変化していることを感じてしまう。
これだけのキャラクターがいればストーリーもつまらないわけがない。本作の主人公は探偵役ハーランダー・カーというよりも介護士ナタルカとその仲間たちである。もちろんカー刑事も十分に主役級の活躍はするのだが、ストーリーのエンジンとなるのはあくまで彼ら素人探偵だ。カー刑事が立場上絶対にできないこと、あるいはやらないことを、素人なりに挑むことでストーリーがどんどん転がってゆく。
また、一つのエピソードについて、あるキャラクターの視点で描かれても、その後に他のキャラクターの視点でフォローして描かれる場合もあり、多視点がこういうところでも効果を発揮している。
もちろんミステリとしても上々である。とりわけ感心するのはプロットで、解決してみればなかなか複雑な真相である。それを大きな混乱もなくストーリーに落とし込み、しかもストーリー自体はけっこうシンプルで読みやすくしてあるのだが、あちらこちらにそういう意味があったのかという伏線が目白押し。なんとなく想像できる真相もあるのだが、それが複雑な輪の一部でしかなかったことに驚かされる。
ただ、ひとつ注文をつけたいのは、謎解きのカタルシスが薄いこと。これもまた前作で感じたことだが、サスペンス中心のラストを活かしたいのか、最終的な推理が弱めである。鮮やかな謎解きシーンを期待したいのもあるけれど、むしろ推理が適切なタイミングでなされておらず、事件の解説的になってしまうのである。「名探偵みなを集めてさてと言い」とまではいかないまでも、これは改善してほしいところだ。
ということで最後の部分を除けば大満足。ケチも付けたが、トータルでの完成度と質を買って、今年の翻訳ミステリで個人的にはベスト5に入れてもいいと思う。
ちなみに著者は本作以外にも二つほどのシリーズでこれまで三十作近くを書いている。初期作品だからそこまで期待はしていないのだが、どの程度のものか気にはなるので、できればそういう作品も一、二作翻訳されるといいのだがなあ。