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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

ブライアン・シンガー『ボヘミアン・ラプソディ』

 新年明けましておめでとうございます。
 本年も「探偵小説三昧」を何卒よろしくお願い申し上げます。

 さて、今年一発目の更新である。まあ、いつものことではあるが、年末は大掃除から買い出し、おせちの準備に追われ、年が開けると酒飲んで初詣してまた酒を飲んでという怠惰な毎日なので、思ったように本が読めていない。
 ただ、気になっていた映画『ボヘミアン・ラプソディ』だけはしっかり観にいく。すでにかなりいい評判は聞こえていたのだが、これが期待に違わぬ傑作でありました。

 ボヘミアン・ラプソディ

 『ボヘミアン・ラプソディ』は英国の伝説的ロックバンド〈クイーン〉、そしてそのメインボーカリストであるフレディ・マーキュリーを描いた物語。管理人はコアなクイーンファンではないけれど、若い頃はアルバムは何枚か所有していたし、今でもiPhoneでベスト盤を聴いていたりする程度のファンである。
 で、それぐらいのファンが観ても、というかそれぐらいのファンだからこそ、よけいハマったのかもしれない。作品内で効果的に使われる楽曲の良さはもちろんなのだが、それらの楽曲が生まれるエピソードの数々、フレディはじめメンバーたちの絆やスタッフ、家族との葛藤など、いろいろなドラマがバランスよく盛り込まれている。
 もちろん二時間ちょっとの映画なので、すべてを深く掘り下げることは不可能。脚色や誇張もあるだろう。しかし、ちょうど気持ちよいレベルでそれらの要素が混ざり合い、それがラストのライヴ・エイドに向けて高まってゆく。ラスト21分の感動(ほんとはもっと短いけれど)という言葉に嘘はない。

 当ブログでこういう映画をオススメして、どれだけ効果があるかわからないが、いやほんとにオススメです。

マイケル・グレイシー『グレイテスト・ショーマン』

 本日はこの週末に観た映画の感想を。ものはミュージカル映画の『グレイテスト・ショーマン』。
 監督のマイケル・グレイシーについてはまったく知らないのだが(笑)、主役はヒュー・ジャックマンだし、音楽まわりは『ラ・ラ・ランド』のスタッフが参加しているし、何よりサーカスという見世物を生み出したアメリカの興行師P・T・バーナムの物語ということで、前から気になっていた作品である。

 グレイテスト・ショーマン

 さて、上にも書いたとおりP・T・バーナムというのは19世紀に活躍したアメリカの興行師だ。子供の頃から貧しい生活を送っていたせいで、成功に強い憧れを抱く青年でもあった。
 やがて資産家の令嬢と駆け落ち同然に結婚するが、その生活は楽ではない。しかし、アイディアマンの彼は希望を捨てず、ついに詐欺まがいの手段で銀行からの借金に成功。世界中の珍しいものを展示した「バーナム博物館」をニューヨークにオープンさせる。だが成功には程遠い売り上げだった。
 そんなとき娘の一言をきっかけに、バーナムは奇形者を集めてショーをスタートさせると、これが大当たり。バーナム一家はようやく裕福にはなるが、批評家や上流階級からは怪しげなペテン師、成り上がりとしか扱われず、市民からも激しい抗議活動を受けていた。
 その現状を打破すべくバーナムが打った次の手は、劇作家フィリップ・カーライルのスカウトだった。彼の才能、上流階級ならではの人脈が功を奏するが、バーナムはさらに次の手を考えていた……・。

 時代は古いが、題材はエンタメ業界。しかもバーナムといえばサーカスの基礎を作った興行師であり、そのサーカスの舞台に乗せたミュージカルというのは、こりゃ楽しくないはずがない。
 ジャックマン演じるバーナムはもちろん、個性的な外見のパフォーマーたちが繰り広げる歌やダンスは実にダイナミックで魅力的。ミュージカルとしては相当いいレベルであると思う。

 気になるところもないではない。ひとつはストーリーラインがかなりシンプルにまとめられてしまっているところ。若い頃に苦労をした人間がようやく成功し、しかし成功したゆえの慢心からいま一度の大きな挫折があり、最後に真の幸福を掴むというのは王道といえば王道だが、単純すぎて深みには欠けるところである。

 とはいえエンタメ・ミュージカルとしてこれぐらいは許容範囲なのだが、実はもうひとつ気になるところがあって、こちらはより罪深い。それが奇形者たちを見世物にして金儲けするというバーナムの倫理的な問題である。
 彼らの生活を豊かにするだけでなく、輝ける場所を作り、”家族”を作ったのだという道理は一応筋が通っているように思えるが、倫理的な問題に対する明快な答えではなく、実のところ問題をすり替えて無理やりハッピーエンドに収めているだけであろう。
 むしろ金儲けという動機の矛盾を抱え、そこは問題提起としたまま終わらせてもよかったのではないか。それをとにかく無視して全面肯定したところがどうしても気になるのである。

 ただ、そういった部分は製作した当人たちも百も承知のはずで、そこを潔いととるかどうかで評価が分かれるところだろう。
 ミュージカル映画としての完成度やパワーは素直に楽しめるけれど、これから鑑賞する人はそういう人権問題のあたりも頭に入れつつ見るとよいのではなかろうか。

デミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』

 アカデミー賞の六部門を制覇した話題のミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』を視聴。監督はデミアン・チャゼル、主演はライアン・ゴズリングとエマ・ストーン。

 なお、先に書いておきますが、当ブログで取りあげているからには何らかのミステリ要素があるのではと思った方、すいません。まったくそんな要素はございません。単に話題になっているから観てきただけですので念のため。

 さて、まずはストーリー。
 舞台はロサンゼルス。ハリウッドのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は、いくつものオーディションにチャレンジしている女優の卵。演技の勉強はもちろん、同じ立場の友人たちと情報交換しながら人脈も広げようと頑張っているが、一向にうだつの上がらない毎日だった。
 一方、セブは、ジャズの老舗バーで働くピアニスト。しかしながらジャズでは儲からない店がジャズを捨てつつある現状を嘆き、いつかは自分の店をもちたいと考えていた。
 そんなある日のこと。ミアはたまたま耳にしたピアノの音色に惹かれ、とあるバーに入っていく。演奏していたのはもちろんセブ。ところが直後にセブと店のオーナーが口論となり、その場でセブはクビ。セブは声をかけようとしたミアも無視して店を後にする。
 そして数ヶ月。あるパーティーに参加したミアは、そこで余興の演奏をしていたセブと再会する……。

 なるほど。普段はあまりミュージカル映画を観るほうではないけれど、決して嫌いなわけではない。むしろ本作も十分楽しむことはできたのだが、まあ世間で騒がれるほどの映画とまでは思わなかった。

 理由はいくつかある。。
 まず、セリフのように歌う場面が多く、華やかな感じが少なく思えたことがひとつ。大人数で謳うシーンもあまり多くはなかったかも。
 こういうのを狙ったのかもしれないが、ストレートに夢の世界〈ラ・ラ・ランド〉に運んでくれる成分が少ないというか、そういう意味での物足りなさは感じてしまった。

 二つ目としては、登場人物の性格付けやストーリーがいまひとつ緩いのではないかということ。例えば、セブは古き良きジャズを復興させたいのか、あるいは単に自分好みのバーを作りたいのか、その辺が曖昧。
 だから、ミアがセブの若者ウケしそうな現代的ジャズバンド活動を批判するシーンでも、単に店の資金を稼ぐのが目的なら、ミアはあそこまで怒る必要はまったくない。逆にジャズ復興がセブの夢なら、日和ったセブに対するミアの批判はごもっとも。でもセブの夢が物語のなかではっきり示されていないので、結局このエピソードが観る側にピシッと伝わってこないのである。

 ミアにしても演技が本当にいまいちだからオーディションに受からないのか、あるいは人脈がないと採用されない悪しき慣習の被害者なのか、釈然としない。ミアが一発逆転を図る一人芝居でも、そもそも無名の女優の卵がやっても客が入るわけもないし、一人芝居をやる意味がまったくない。それでも大御所の関係者が来るという理屈や説明でもあればまだしも、それもないしなぁ。
 普通に考えれば、才能はあるのに認められるきっかけや人脈がない、というストーリーだとは思うけれど、その説明が圧倒的に弱いから、ところどころで?となるのである。
 まあミュージカル映画にストーリーまで求めるなという声もあるだろうが、サクセスストーリーたる本作では、肝中の肝の部分であるから、これらはきちんと描いてほしかったところだ。

 とまあ、ひっかかる点はいろいろあるのだが、いいところもある。
 まずはオープニングを飾る高速道路でのダンスシーン。長回しを多用したカメラワークは他の場面でも見られたが、ここはカメラが縦横無尽に駆け回っている感じで、とにかく気持ちよい。
 上で大人数で歌い踊るシーンが少ないと書いたが、ここが最初にして最高の見せ場かも。

 メリハリの効いた色使い=映像もなかなか鮮やかでよい。これも序盤になるが、ミアと仲間たちとドレスで着飾って出かけるところとか非常に映像映えするシーンである。けっこう原色を使っているのも、昔の映画へのオマージュだという。
 新しいけどクラシックな感じというのは本作全編にわたって感じられるところだが、もちろん作り手が強く意識していたということでもあるだろう。

 そしてラスト十分間も見逃せないところだ。ここはネタバレになるので詳しくは書かないが、ここがあるとないとでは、本作の感想もまったく違っていたかも知れない。それぐらい驚きの十分間である。

 というわけで本作は最初と最後の十分間が必見。いろいろケチもつけたが、考えるとこのふたつを観ただけで元はとれたような気がするな、うん。


サーシャ・ガヴァシ『ヒッチコック』

 DVDでサーシャ・ガヴァシ監督による『ヒッチコック』を観る。日本では昨年公開されたばかりなので、まだ記憶に新しいところ(ちなみに本国アメリカでは一昨年の2012年公開)。

 ヒッチコック

 内容はタイトルどおり、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックを描いた伝記的映画。ただし生涯すべてを描いているわけではない。既に名誉も冨も手にしたヒッチコックが、名作『サイコ』をいかにして撮ったかという、『サイコ』のメイキング的な作品である。
 このときヒッチコック監督は堂々の六十歳オーバー。だが映画を撮る情熱はいささかも衰えず、当時の厳しい映倫とのやりとりなどを初めとして、撮影の舞台裏を垣間見せてくれるのが楽しい。

 ただし、実は本作の胆は撮影秘話ではなく、ヒッチコックを支えた妻アルマとの人間ドラマだ。
 長年ヒッチコックをサポートしてきたアルマが、友人に持ちかけられてシナリオ執筆に着手する。久々のクリエイターとしての仕事に生き甲斐を取り戻すアルマだが、それを浮気と誤解して悶々とするヒッチコック。『サイコ』の前評判が低迷する中、二人の関係は最悪を迎えるが……という展開である。
 ただし、残念ながらこの人間ドラマが意外に薄っぺらい。退屈はしないけれどもそれほどの盛り上がりもなく、例えばアルマの積年の葛藤がもっと序盤から表現されていればまた印象も変わるのだが、単なる痴話喧嘩レベルに見えてしまうのが残念だ。

 アンソニー・ホプキンス演じるヒッチコックの再現度、『サイコ』の裏話など見るべきところもそれなりにあるが、結局、メインテーマの掘り下げが浅いので、全体的な印象はちょっと弱い。
 題材が題材だけにもう少し気合いを入れて撮ってほしかった。何とももったいない。


マーティン・スコセッシ『ヒューゴの不思議な発明』

 DVDでマーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』を鑑賞。
 原作はブライアン・セルズニックの小説『ユゴーの不思議な発明』だが、実は管理人、この映画・原作とも予備知識がほとんどなくて、恥ずかしながら映画公開当時の予告編で勝手に冒険ファンタジーだと思っていた。
 ところがいざ観てみると、映像の作りはファンタジーの雰囲気を醸し出しているけれど、内容は完全なヒューマンドラマ。しかも映画創生期においてSFXの技術を多数生み出し、SFX映画の創始者とまで言われているジョルジュ・メリエスをテーマにした作品だから驚いた。
 まあ、こっちの情報不足っちゃ情報不足なんだけど、当時のCMの打ち方は誤解を招きやすいというか、冒険ファンタジーだと思った人は決して管理人だけではないんじゃないか(苦笑)。

 ヒューゴの不思議な発明

 まあ、それはともかくとして、内容の方はスコセッシ監督らしい丁寧な作り。本作ではスケール感はあえて抑え、”駅”という小宇宙を作り出して、そこでさまざまな人間模様を絡ませつつ、主人公のヒューゴ少年の冒険を描いてゆく。映像も綺麗だし全般的にはまずまず楽しめた。
 ただし、少年の成長物語が、後半のメリエスの物語に食われてしまうため、テーマがややぼやけてしまうのが残念。メリエスの扱いが大きくなる後半、テーマまでがメリエス絡みに寄っていき、ヒューゴがただの狂言回しに見えてくる。モチーフも機械人形とか手品とかいろいろあるのだが、少し盛り込みすぎの嫌いが全体的にあるのかもしれない。
 ちなみにメリエスの養女イザベルを『キックアス』のクロエ・グレース・モレッツが演じているのも注目なんだけど、こちらもいうほどの見せ場もなく拍子抜けであった。

 ううむ、物足りないところばかり挙げてしまったが、先ほども書いたように全体的には普通に楽しめる映画である。その辺はご心配なく。


キャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』

 週末のDVD映画祭りの感想が追いつかず、ようやっと最後の一本をご紹介。ものはキャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』。2003年に起こったイラク戦争を題材とし、バグダッドで従事する米軍爆発物処理班を描いたドラマである。
 第82回アカデミー賞では元夫のジェームズ・キャメロンと争い、見事『アバター』を破って作品賞に輝いたのは、まだ記憶に新しいところ。内容もさることながら、話題性も十分の一本である。
 ただ、その栄光の裏では、アメリカ礼賛映画という否定的な見方もまた多い。本当はどっちなんだ、というわけで、レンタル落ちのDVDをさっそく借りてきた次第。

 ザラッとした質感の映像、淡々とした描写、起伏の少ないストーリー、そして何よりこの緊張感……、おお、なかなかハードボイルドな展開ではないか。ビグロー監督の作品は『ハートブルー』ぐらいしか観たことはなかったが、こんなに巧い監督だったのか。
 とりわけ見せ方に関しては見事である。芋でも掘っているかのように爆弾を地中から引っ張り出すシーン。狙撃の際に蠅が顔にたかるシーン。子供とのサッカーシーン。スーパーで無数に並ぶシリアルを呆然と眺めるシーン。再び再び戦場に赴くラストなどなど、印象に残る場面は非常に多い。
 この映画は戦争映画でありながら、いわゆる直接的なメッセージは語られないし、ドラマチックな展開もない。だが、そういう場面場面に効果的なイメージを持たせることで、戦争自体の無意味さを浮かび上がらせている。したがって『ハート・ロッカー』は紛れもなく反戦映画だ。だが、すべからく戦争映画は反戦映画であるべきで、実はこれは当たり前のことなのである。

 ただし、否定的な見方がされるのもさもありなん、という感じは確かにある。
 繰り返すが、ビグローは非常に巧い監督である。彼女の作るイメージは鮮烈で、戦争の悲惨さを非常に感じられる。ただ残念ながら、そこに描かれる米軍の姿はときにヒーローときに被害者であり、加害者という描き方はほとんどされていない。戦争には善も悪もない。戦争に加わった時点で、加害者であると同時に被害者であることは避けられない。だからその一面だけを描くというのは、明らかにそこに製作者の意志あるいはメッセージがあると言われても仕方ないのである。米軍礼賛映画、プロパガンダ映画と賞される所以である。
 これが単なるアクション映画ならここまでは言われなかったのだろうが、社会派ドラマとしての触れ込みでは、こういう批判も仕方あるまい。
 まあ、そうはいっても、それだけで切って捨てるのはあまりに惜しいのも確か。内容故に観る者を選ぶだろうし、事前にイラク戦争に対して多少の予習をしておいた方がいいとは思うけれども、個人的にはオススメ、としておきたい。


ケニー・オルテガ『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

 遅ればせながら日曜日の分の日記をアップ。珍しく音楽漬けの一日。

 アミュー立川で「立川市民オペラ公演2010 歌劇アイーダ」を観劇。
 オペラを生で観るのは初めてなので、素直に歌手の歌声や声量に感動。まったくの素人としては、やはり第二幕が知っている楽曲もあり、派手さもあって楽しめる。ただ全四幕、上演時間が三時間と長いので、けっこう腰にくる。これぐらいの時間がデフォルトなのでしょうか?


 夜はケニー・オルテガ監督による『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観る。
 いまさら説明の要もないだろうが、あのマイケル・ジャクソンのロンドン公演のリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画。映画館での公開期間延長や発売されたばかりのDVD人気もまだ記憶に新しいところだ。管理人もリアルタイムで聞いてきた世代なので、その偉大さについては刷り込み済み。学生のときに観た『スリラー』のミュージックビデオはそりゃインパクトあったし、当然ながらアルバムも何枚か持っている。
 とはいうものの、近年の音楽活動が全盛期に比べればいたって静かだったのもまた事実。数々の奇行や訴訟など、音楽以外の話題ばかりが先行した感もある。そのマイケル・ジャクソンのリハ風景を収めた映画が、追悼の意味もあるとはいえ、ここまで評判になって売れる理由がわからなかった。

 その疑問は二時間後に氷解した。この映画には、マイケルの音楽人生の集大成が収められているのだ。
 もちろんリハ中の歌っているシーンばかりを集めたものだから、一曲として完全な形で収録されているものはない。ときには途中でストップがかかり、スタッフとのやりとりやマイケルの注文がガシガシ入ってくる。それでもなおかつ十分な満足感を得ることができる不思議。
 もともと彼の曲は既に完成されたものである。そこをさらにブラッシュアップし、公演に向けてより磨き上げていく。そこから感じるのは、彼の音楽に対する情熱や、ショーに対する真摯な姿勢だ。一見わがままとも取れる言動もあり、マイケルならではの感覚的な注文もあるのだが、彼の発想が優れているからこそ、そして彼が一途であるからこそ、スタッフも懸命にそれに応えようとする。また、マイケルも狙いを伝えるべく何度も説明を繰り返し、ときには若手に温かい言葉も投げかける。最高の歌を、最高のショーを提供するために、一曲一曲ひたすら突き詰めてゆく。
 それは正しく「道」を極める行為といってもよい。リハーサルであるにもかかわらず、マイケルは金ぴかの衣装を身にまとい、ほぼ全力で歌い上げる。彼にとってはリハーサルであっても常に真剣勝負なのだ。

 近年伝わってきたマイケル・ジャクソンに関する報道はいったい何だったのだろう。King of Popといわれた彼が、裸の王様だと単純にイメージしていた人も少なくなかったに違いない。だがこの映画を観るかぎり、彼はやはりKing of Popである。永遠に。


リチャード・ラグラヴェネーズ『P.S. アイラヴユー』

 ビデオ・オン・デマンドでリチャード・ラグラヴェネーズ監督の『P.S. アイラヴユー』を観る。このブログにはチョイ似つかわしくない映画ではあるが、ま、たまにはこういうのも観ます(苦笑)。

 マンハッタンに住むホリーは、最愛の夫ジェリーを脳腫瘍で亡くしてしまった。家族や友人はホリーを慰めるが、彼女はジェリーとの暮らしを忘れることが出来ず、生きる気力すら戻ってこない。そんなホリーの元へ亡き夫から手紙が届く。どういう仕掛けか、夫からのメッセージは定期的にホリーの元へ届き、彼女は徐々に生きる気力を取り戻してゆく。

 死んだ者から次々と届くメッセージ、という設定に、ミステリ的興味が少し刺激されたのだが、ま、そちらはかなり期待はずれ。っていうかそんなもん恋愛映画に期待する方が悪いのだが、これがミステリファンの悲しい性というやつで(苦笑)。
 ただ、それだけではなく、肝心のヒロインの再起の物語も少々温め。亡き夫が手紙で残された妻を励ますのはいいのだが、この展開では夫を忘れると言うより逆に夫の呪縛から逃れられないような気がするが。死んだ後に夫の故郷とか見せてどうする?
 登場人物たちの設定などはいいし、テーマや趣旨は悪くないが、シナリオで納得いかないところが多すぎるのが難点である。残念。


『アース earth』&『魔法にかけられて』

 ハヤカワ文庫でミステリやらSFやらがいろいろと復刊されたもよう。めぼしいものはないかいなと、書店の店頭でちょっと眺めていたのだが……ううむ、遙か昔にリアルタイムで読んだものがほとんどではないか。最近は復刊フェアがあっても自分が若い頃に読んだものが多くて、つくづく自分が年をとったことを再認識させられてしまう(苦笑)。
 それはともかく。ちょっと驚いたのは、こんなものまで品切れになっていたのかという事実である。今回の復刊でもミステリ関係では、アンドリュー・ガーヴ『ヒルダよ眠れ』、ジョン・スラデック『見えないグリーン』、ルシアン・ネイハム『シャドー81』、マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』といったところが並ぶ。おいおい、全部その作家の代表作ばかりじゃないか。しかもミステリの歴史上からみて重要な作品も多い。多少のお好みはあるだろうが、どれも傑作ばかりなので未読の人はこの機会にぜひ。
 個人的にオススメなのは(厳密には冒険小説になってしまうんだけど)、一発屋の最高峰とも言える『シャドー81』。個人的には冒険小説を読むきっかけになった作品でもあり、それまでの本格系メインだった趣味の幅が大きく変わった一冊である。いまでは掃いて捨てるほどあるハイテク軍事サスペンスだが、本書はその嚆矢でもあり、今読んでもメインのネタは新鮮……と思いたいが、さすがにちょっと古いか(笑)。でも普段は冒険小説など読まないという本格ファンも、こればかりは読んでみてほしい。単に冒険小説や軍事ミステリという範疇に収まらないアイディアが楽しい。


 最近観たDVDの感想など。
 『アース earth』はBBCが制作した環境保護系のドキュメンタリー映画である。映画は冬を越したシロクマ親子の愛らしい姿で幕を開けるが、実はその親子の運命が既に危機にさらされていることを、観る者はまもなく知らされる。そして、その危機の原因は地球温暖化にある。
 映画はシロクマ以外にもさまざまな動物たちの過酷な生活を映し出す。そして実はそれらの過酷な状況も、ことごとく人間が間接的に作り出してしまったものばかりなのだ。特に声高には叫んでいないが、この執拗に繰り返される映像を通じてのメッセージこそが本作の肝である。
 映像の美しさに感動し、動物たちの生きる姿に感動する。その気持ちがあるのなら、地球を救うのは「まだ間に合う」とのナレーションと共に映画は幕を閉じる。その手法はややあざとくもあるのだが、ドキュメンタリーだからこそ制作者のメッセージは逆に重要なのである。ここは素直に制作者の努力に拍手を送り、メッセージを受け入れておきたい。

 もう一本はディズニー製作の『魔法にかけられて』。
 こちらはドキュメンタリーの対極にあるような作品である。
 お城の王子様と結婚することになっていた美しい娘が、継母の陰謀によって現代のニューヨークに飛ばされてしまい、そこで真実の愛を見つけ出すというお話。
 おとぎ話の世界から抜け出たキャラクターたちが、実写の世界で活躍するというから、最初はおとぎ話を現代に置き換えただけの物語だと思っていたが、どうしてどうして。何とこれはディズニー映画のセルフ・パロディだったのだ。
 おとぎ話の荒唐無稽なところをそのまま笑ってしまおうというノリがとにかく愉快。アニメの世界から来たキャラクターたちのオーバーアクションは、現代の危ないヒトたちを連想させるし、会話の途中でいきなり歌い出して相手をぎょっとさせるのもミュージカルなら当たり前だが現実世界ではかなり不気味。そしてヒロインが動物たちを呼び集めたら、都会の真ん中ではよくて鳩、その他はドブネズミやゴキブリばかりだったりする。
 よくぞここまで自分たちの世界を茶化せるものだと、逆に心配してしまうほどである。もちろん過去の名作へのリスペクトもしっかりフォローされているので、その辺はさすがに抜かりない。また、ミュージカル・シーンも本家に負けないぐらい素晴らしい。
 他愛ないお話ではあるが、暇つぶしには十分すぎるほどの一作。


『間宮兄弟』

 日曜にやや復調したと思ったのだが、月曜にぶり返しがきたようで、っていうかむしろ月曜からが本番だったのか。ついに吐き気と下痢でダウン。病院へ行くとウイルス性の腸炎とのこと(ノロウイルスではなさそう)。昨日今日と会社を休んで自宅静養。トイレがお友達なのでほぼ引きこもってはいるものの、ときどきメールをチェックして会社の用事をいくつか片付けたり、DVDをぼちぼち観たり。

 で、簡単に観たDVDの感想など。ものは『間宮兄弟』。
 江國香織の原作は読んでないのであくまで映画の感想になるが、まあ面白いところに目をつけたとは思う。
 人はよくて家族も大切にするいい兄弟なのだが、オタクでつきあいベタでダサイ二人。でもそんな彼らだって当然女性とは楽しくつきあいたい。ただ、ここが重要なところだが、彼らはこれまでの趣味に浸った生活も壊したくないわけである。ここがミソ。
 人が大人になるために時間軸としての成長と社会的な成長がともに成熟する必要がある。また、成長とは自分を少し犠牲にして、少し相手を理解することでもある。そして人は新しい自分の価値観を創造していく。間宮兄弟はそのハードルを越えようとしているところだ。数々の悪戦苦闘もするが、だからこそ彼らの魅力にぼんやりと気づき始める女性も出てくるわけである。間宮兄弟の本当の成長は、兄弟が別れて暮らすことだというのは自明だろうが、それを敢えて封印しているのは、作者の思いやりなのだろうか。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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