『ジョン・ディクスン・カーの毒殺百録』を翻訳して自費出版された平野氏から、二冊目の訳書となる『ジョン・ディクスン・カーの世界』が届く。しかもハードカバーの立派な装丁じゃないですか。しっかりバーコード等も入り、発行元が創英社、発売元が三省堂とある。ついに商業出版されたかと思いきや、創英社というのは三省堂のなかの自費出版を扱う子会社らしく、そこのシステムを利用されたようだ。ううむ、自費出版にしてもこれぐらいのレベルだとやはり本も映える。前作よりは予算もかかったのだろうが、これなら作る方も買う方も満足感が高いのではないだろうか。ありがたく読ませていただきます。
本日の読了本はP・G・ウッドハウスの『よしきた、ジーヴス』。先行して出た『比類なきジーヴス』も一応は長編だが、あれは短編を集めて連作長編のような形にまとめ直したもので、本作の場合は純粋な長編。とはいっても、ジーヴスものを読んでいるかぎり、長編と短編の違いをあまり意識することはない。短編の方がキレがある、というような意見もあるようだが、長編の場合はひとつのネタを繰り返したり引っ張ったりという長編でこそ活きるテクニックもある。あるいは本作にも見られるエンディングの鮮やかさも、長編ならではの楽しみといえるだろう。とにかく上質なお笑いという根本的な部分は共通であり、本作でも十分堪能できるはず。
ただ、少しだけ気になったのは登場人物たちの口調。悪口や罵りの表現がストレートすぎるというか露骨というか、そんな印象を受けた。もちろん場面によっては全然OKだが、『比類なきジーヴス』ではもっとオブラートにくるんだ物言いが多かった気がするのだが。これは訳の影響? それとも原典もそういうノリなのだろうか? いや、たんに私の勘違いかもしれないんだけれど(笑)。
なお、解説に関しては、前作と違ってなかなか充実している。
P・G・ウッドハウスの『比類なきジーヴス』を読む。ウッドハウスは伝統的英国ユーモア小説の原点とも称されるほどの作家だが、読むのはこれが初めてである。本国ではシェイクスピアと同格で語られることも少なくないらしく、ウッドハウスの作品そのものがすでに教養の一部であるらしい。
とまあ、そんな能書きは知らなくとも、この小説は単純に楽しめる。
主人公は高等遊民的な青年バーティーと、その執事ジーヴス。バーティーは学もお金もある気だての良い青年だが、少し人が良すぎるところがあり、そのせいか常に珍事件の数々をしょいこんでしまう。そのトラブルを鮮やかに解決してくれるのが執事たるリーヴスだ。この二人を中心に、恋愛マニアとでもいえそうなバーティーの友人ビンゴや、トラブルメーカーとして有名なバーティーの双子の従兄弟などの面子が入り乱れ、さまざまな活躍を披露する。
いかにも英国らしい上品なユーモアが本書の最大の特徴。とりわけ今ではお約束となった感のある数々のお笑いのパターンが、あちらこちらにうかがえるのが興味深い。翻訳では完全に伝わらない部分もあるのだろうが、慣れ親しんだ笑いの設定やパターンがここまで詰まっているとは意外だった。
例えばバーティーの存在などは、いかにも落語に出てくる若旦那を連想させるし、ジーヴスによるバーティーへのツッコミは、海外のコメディドラマなどでもお馴染みのパターンだ。風刺やブラックな笑いなどは、それこそ王道。
正直な話、本書が楽しめるのは一部の好事家だけであろうと推測してあまり期待していなかっただけに、この万人受けする内容は本当に意外だった。国書だけではなく、文藝春秋からもウッドハウスの作品集が発売されているが、ホントに日本におけるウッドハウス元年てことになりそう。
なお、日本における久々のウッドハウス紹介なので、巻末の解説は、もっとウッドハウスの略歴や書誌等を充実させてほしかった。