少し前のニュースになるが、ダニエル・キイス氏が亡くなった。亡くなったことはもちろんだが、八十六歳だったというのにも驚いた。もうそんなお年になっていましたか。
『アルジャーノンに花束を』以降はすっかり精神世界の書き手になってしまった感があるけれど、まあ方向性はともかくとして、それだけ『アルジャーノンに花束を』は著者にとって非常に意味のある仕事だったということだろう。
管理人も邦訳されたものはほとんど読んでみたが、やはり『アルジャーノンに花束を』がダントツの印象である。もし未読という方がいたら悪いことは言わない。『アルジャーノンに花束を』だけは読んでおいたほうがいい。
さて、このままダニエル・キイスの著書の感想にでも入れば流れとしては美しいのだが、そんなに上手くいくはずもなく、本日はナイオ・マーシュ作『ヴィンテージ・マーダー』の感想である。
こんな話。休暇でニュージーランドへやってきたアレン警部。乗り合わせた夜行列車で、公演のために移動中のイギリスの劇団と一緒になるが、劇団関係者の暴力事件や盗難事件に巻き込まれてしまう。事件の真相が明らかにならないまま公演は初日を迎えるが、ひとまず舞台は成功。終了後には主演女優キャロリンの誕生日パーティーが開催された。
その席上であった。サプライズで用意されたヴィンテージ・シャンパンが天井から落下し、劇団オーナーでありキャロリンの夫であるマイヤーに直撃するという事件が起こる。アレンは天井を調べ、これが事故ではなく、殺人であることに気がつくが……。

非常にオーソドックスな黄金期の探偵小説である。著者お得意の劇場ミステリではあるが、ことさら突飛な演出には頼らず、事件発生後は現場の検証と関係者への訊問が続き、あくまで捜査とロジックが主役の物語となっている。そういう意味でいうと、本作に限っては、よく比較に出されるクリスティやセイヤーズらとは異なり、むしろクイーンなどに近いかもしれない。
ただ、ガチガチの本格という印象ではない。マーシュはもともと細やかな描写で読ませる作家であり、ややステレオタイプながらきちっと立たせたキャラクター、活き活きとした会話などは定評のあるところ。本作でも単調な構成ながらそれほど苦にならないのは、この描写の巧さによるところが大きいだろう。
ちなみにアレン警部などは非常にスマートなキャラクターとして設定されてはいるけれど、どうしようもないダメ人間を相手にしているときなどは苛立ちを隠しきれない描写がユーモラスに盛り込まれていたりする。些細なことだけれど、こういう細かな描写の積み重ねが作品全体の質を高めているように思う。
惜しむらくは探偵小説としての驚きの部分であろう。小説を読んでいる満足感はあるのだが、本格としての斬れ味、サプライズ、カタルシス、こういうところが当時のトップランナーたちに比べるとどうしても弱い(数作読んだだけの印象ではあるけれど)。
マーシュあたりの作家なら本来は全作品翻訳されてもいいと思うのだが、昨今のクラシックブームにおいても、マーシュは日本での紹介がずいぶん遅れているわけで、やはり強力なセールスポイントには欠けるのかもしれない。
結論。衝撃的な結末、驚愕のラスト……とまではいかないけれども、上質な本格探偵小説を読んだという満足度は味わえる一冊。マーシュ普及の意味も込めてオススメで。