マイクル・コナリーの『潔白の法則 リンカーン弁護士(下)』を読む。
殺人容疑で逮捕されたリンカーン弁護士ミッキー・ハラーは、ハリー・ボッシュやチームの面々、そして別れた妻たちの援護もあり、保釈を勝ち取り、着々と訴訟の準備を進めてゆく。しかし検察側の攻撃は容赦なく、ハラーは再逮捕されたばかりか拘置中に命を狙われ……。

とりあえず満足。個人的には最近のコナリーの作品では、ボッシュものよりリンカーン弁護士の方が面白いような気がする。なんというかボッシュものの興味というのは、やはり優れたハードボイルドという点にあり、ボッシュの生き様に惹かれて読んでいるところが大きい。一方で、リンカーン弁護士ものはリーガルミステリとしての興味であり、そこには法律をゲームのルールとして捉えて勝ち負けを競う、言ってみれば単純にエンターテインメントとして楽しめる。どちらが上か下かは関係なく、そういう異なるタイプの作品をコナリーは書き分けていたように思うのだ。
ただ、ボッシュものにおいては、ボッシュ個人の心の問題が社会悪とリンクすることで非常に濃い読み物になっていたのが、ボッシュがそれを解決したことで、以前ほどの熱量がなくなってしまった。コナリーの腕があるから、相変わらずどれも面白く読めるけれど、ボッシュものとしての必要性が薄れているというべきか。
かたやリンカーン弁護士はそういう縛りに囚われないエンターテインメントなので、そういう不満はあまり感じられない。むしろコナリーが各シリーズを共通の世界として書き進めるようになった現在、リーガルミステリではそういう共演や設定が容易だろうし、むしろますます楽しい読み物になっている印象なのだ。
そういった最近の傾向を踏まえると、本作はリンカーン弁護士ものの集大成、あるいは新たなスタートともいうべき内容になっており、上出来といえるだろう。
ポイントはいくつかあって、まずはミッキー・ハラー自身が逮捕されたことで、弁護士としての立ち位置に対し、心境の変化が現れる点。すなわち裁判で無罪を勝ちることが目的ではなく、無実を勝ち取る必要があると考えるところだ。法律的に罪に問われないということではなく、実際に殺人をやっていないことを証明する。これは本人の精神的な問題だけでなく、その後の人生も左右する大きな違いであり、本作のテーマにもなっている部分である。従来のハラーはこの点を蔑ろにしていたわけで、そこに気づきを与えた本事件以降、彼がどのように変わっていくのか、次作以降への興味も膨らんでくる。
リーガルミステリとして、幾つもの法廷での見せ場を設けているのもさすが。ひと口にリーガルミステリといっても最近はバラエティに富んでいるが、個人的にはやはり法廷での弁護側&検察側の駆け引きが最大の魅力である。ちょっと専門的になりすぎて、たまに?ということもあるが、本作に関してはわかりやすいし、最後のハラーのギャンブルも現実的には怪しいところもあるのだろうが、読み物としては十分面白かった。
ただ、注文もいくつか。チーム・リンカーン弁護士のメンバー、調査員のシスコやパートナーのジェニファー、異母兄のもと刑事ボッシュらが前半で活躍するのはいいのだが、後半は元妻で検事のマギーが前面に出てしまい、彼らの影がすっかり薄くなってしまうことだ。特にボッシュはどうしちゃったのというぐらい存在が消えてしまった。役どころが裁判が始まる前の調査になるのは仕方ないが、それにしても、というぐらい印象が薄い。
また、事件の決着が結局政治的なところに落ち着くのも若干、消化不良である。これはこれでハッピーエンドではあるが、リーガルミステリならやはり裁判の流れの中で解決してほしい。この手は正直、どんな事件でも使えるので、個人的な気持ちとしては反則すれすれ。まあ、ハラーが最後に交渉することでそういう部分を解消している感じは受けるが、「明後日」の方から解決するというのは今後は避けてほしいところである。
なお、本筋とは関係ないところでひとつ興味深かったのが、コロナに関する描写が散見されることだ。翻訳が原作の刊行にけっこう追いついてきたということでもあるのだけれど、それはともかくとして、今後シリーズ内でもコロナを踏まえた展開も考えられ、これは注目したいところだろう。