日本の古い探偵小説を今も出し続けている出版社といえば、何はなくとも論創社が挙げられるが、それ以外となるとこれがほとんど見当たらない。せいぜい戎光祥出版の「珍本ミステリ全集」があるぐらいだが、なんせ珍本ミステリ全集というぐらいなので、あまり一般向きではない。
一時期は復刻ブームとか騒いでいたが、まあ、これが本来の状態なのだろう。まさに兵どもが夢の跡。それでも論創社と戎光祥出版の新刊だけでもすごい状況ではあるのだが。
その騒いでいた一時期の国産探偵小説の復刻ブームなのだが、だいたい10~20年ほど前がピークだったように思う。国書刊行会や春陽文庫、河出文庫、ちくま文庫、光文社文庫などが選集的なものを出し、これにピンポイントで創元推理文庫や扶桑社、作品社などが絡んでくるような状況だったか。
本日の読了本は、そんな時代にちくま文庫の「怪奇探偵小説名作選」の一冊として刊行された『怪奇探偵小説名作選7 蘭郁二郎集 魔像』。

「息を止める男」
「歪んだ夢」
「鉄路」
「自殺」
「足の裏」
「舌打する」
「古傷」
「孤独」
「幻聴」
「蝕眠譜」
「穴」
「魔像」
「夢鬼」
「虻の囁き」
「腐った蜉蝣」
「鱗粉」
「白金神経の少女」
「睡魔」
「地図にない島」
「火星の魔術師」
「植物人間」
「脳波操縦士」
収録作は以上。蘭郁二郎といえば海野十三と並ぶ日本SF界の先駆者である。没後に出された傑作集としては国書刊行会の『火星の魔術師』、桃源社の『地底大陸』などがあるのだが、どちらもある程度はSFに力点を置いた編集となっている。そこで本書は初期に書かれた探偵小説中心に編んだというのが嬉しい(それでも先の二冊とはけっこう収録作がダブっているけれど)。
ところで探偵小説寄りとはいえ、蘭郁二郎の作品はもっぱら乱歩ばりの変格ものである。しかもそのほとんどがフェチシズムを扱い、主人公はみな何かしらの極端な嗜好性をもつ。要は変態たちの物語だ(苦笑)。
例えば冒頭の「息を止める男」はタイトルどおり息を止めることに快感を覚える男、「歪んだ夢」では睡眠欲といった具合。
「足の裏」などはとりわけ傑作である。主人公は女性の脚に魅せられ、それが高じて浴場まで経営し、地下からそれを密かに眺めるという行為に及ぶ。ここまででも十分変態なのだが(笑)、主人公はその行為からあるトリックを思いつき、殺人計画を練る。ところがそのトリックには致命的な欠陥があることに気づき、あっさりとまた覗き三昧の日常に戻るというお話。なんや、そりゃ。
「夢鬼」などももう何回めだよというぐらい読んでいるが、相変わらず読みごたえ十分。サーカスを舞台にした幼少の主人公とヒロインの異常な恋愛譚。二人がそれと知らずに増大させてしまうマゾヒズムやサディズムは、設定も含めてどうしても乱歩の諸作品と比べてしまうが、決して負けてはいない。
こういう特殊な人々の抱えるカルマ、あるいは心理の不可思議さをとことん追い求めたのが蘭郁二郎の偉いところだろう。前期は探偵小説、後期はSF小説と書くものはずいぶん移り変った印象はあるが、本書の解説にもあるとおり目指す先、根本的なところはほぼ共通といってよいだろう。
ともかく蘭郁二郎の魅力を堪能するなら本書は決定版である。品切れではあるけれど何といってもまだ十年ほど前の本。興味がある人は古書価が安い今のうちにぜひどうぞ。