論創ミステリ叢書から『角田喜久雄探偵小説選』を読む。論創ミステリ叢書も五月からいよいよ新たなステージに進むようだが、通勤読書に向いてないのが玉に瑕(それとも判型は変わるのかしら?)。まとまった休みがあるときぐらいは、こうして消化しておかないと。
さて角田喜久雄といえば、戦前から活躍した探偵作家のなかでは比較的ビッグネーム。ブレイクのきっかけが探偵小説ではなく時代小説だったこともあってか、ミステリプロパーより幅広く認知されている印象もあるし、当時は早々に直木賞の候補にもなっている作家だ。作品の質についてもハズレが少なく、戦前から戦後にかけてのトップランナーの一人といっていいだろう。
本書はそんな角田喜久雄の作品から、新聞記者の明石良輔を主人公にした九作の短篇すべてを網羅し、加えて戦前に発表された短篇八作を収録したもの。
〈明石良輔の事件簿〉
「印度林檎」
「蔦のある家」
「暗闇の女狼」
「鳥は見ていた」
「小指のない女」
「二月の悲劇」
「笛吹けば人が死ぬ」
「冷たい唇」
「青い雌蕊」
「毛皮の外套を着た男」
「罠の罠」
「あかはぎの拇指紋」
「発狂」
「現場不在証明(アリバイ)」
「梅雨時の冒険」
「死体昇天」
「蒼魂」
※他に随筆八編を収録

角田喜久雄の生んだもう一人のシリーズ探偵、加賀美敬介捜査一課長と違い、正直、明石良輔の個性はあまり強くない。新聞記者という設定上、事件に巻き込まれるパターンを作りやすい程度のメリットはあるだろうが、その他の面ではそれほど記者という設定は活かされていないし、少々クセが少ないキャラクターであることも損をしている。
新聞記者ものであれば、もう少しチームプレイを見せるとか、あるいは警察にできない無茶な調査に走るとか、警察ものとは異なる見せ方があると思うのだが、残念ながらそういう面はあまりプッシュされてないようだ。
作風も影響しているのだろう。本格の加賀美ものに対し、明石ものは本格とサスペンスの中間といったところで、明石良輔自身も名探偵というより狂言回しに近い。「笛吹けば人が死ぬ」は多くのアンソロジーにも採られている明石ものの代表作だが、これも悪女、絵奈のインパクトばかりが先に立って、明石が活躍しているとはお世辞にもいえない。
ただ、戦後という時代の大きな節目を迎え、これまでの探偵小説とは違ったものを書こうとする著者の意気込みは理解できる。それは探偵小説ばかりでなく時代小説なども含めて考えていたことは、本書に収録された随筆でうかがうことができる。また、明石という探偵の個性は弱くとも、作品自体の出来は悪くないので念のため。
「毛皮の外套を着た男」以降の八作品は戦前のノンシリーズを集めたもの。こちらは著者がまだ本格探偵小説に対し、強い意識をもっていた時代のもの。個人的には戦前と戦後、どちらの作品も楽しめるが、初めて角田喜久雄を読もうという人なら、こういったストレートな戦前作品の方が楽しめるかもしれない。「発狂」は久々に読んだが、そういったものとは少々タイプが異なるけれど、相変わらずのインパクトである。
しかしながら本書の構成を考えると、あらためて角田喜久雄のオールマイティさがわかって面白い。ミステリとしてのジャンルだけでなく、コミカルなものからシリアスなもの、シリーズの使い分けなど、どれも一定のレベルでそつなくこなす。
ところがこれだけの実力者ながら、やはり今では簡単に読めない作家の一人でもある。興味のある方は、本書が現役のうちにぜひ。