fc2ブログ

探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

イーデン・フィルポッツ『チャリイの匕首』(湘南探偵倶楽部)

 新年早々、身内で不幸があり、しばらく東京を離脱。仕事始めにもまったく間に合わず、この金曜からようやく日常に復帰した。
 もちろん読書もまったく進まず。とりあえず軽いものから再開ということで、本日の読了本はイーデン・フィルポッツの『チャリイの匕首』。「新青年」の昭和四年夏季増刊号に収録された中編を湘南探偵倶楽部が復刻した一冊。

 チャリイの匕首

 イギリス南西部に位置するデヴオン(デヴォン)州にある田舎町トワンブリ。その地で白石荘(ホワイトスーン荘)と呼ばれる大邸宅に、メアリ・メイデウという老嬢が暮らしていた。
 しかし、ある朝のこと、メアリがナイフで刺殺されているのが発見される。ロンドン警視庁からジョン・リングローズ警部が呼ばれ、さっそく捜査を開始。メアリは決して人に好かれるタイプとはいえなかったが、殺害するほどの恨みをもつ者はおらず、かといって状況から外部の犯行とも考えにくい。
 メアリの秘書兼話相手のフォレスタ嬢、秘書や料理人といった使用人たち、そしてロンドンから度々、泊まりに来るメアリの甥ヴィンセントから話を聞くリングローズは、ヴィンセントの様子がおかしいことに気がつき、やがてヴィンセントから思いもよらぬ告白を聞かされ……。

 旧家を舞台に人間関係や財産などが絡んで事件が起こる、いわゆる「館もの」ミステリ。探偵小説黄金時代の香り濃厚で、これぞクラシックミステリという感じである。
 ただ、「館もの」はやはり長編でこそ生きる。本作はいかんせん短めの中編といったボリュームで、基本的に目眩しの材料が少ない(登場人物の少なさなど)のが致命的だ。伏線も非常にわかりやすくなってしまい、長編ならもう少しいろいろできたのだろうなとは思う。
 逆にいうと教科書どおりのオーソドックスな作品という見方もでき、当時であればけっこう普通に面白く読めたはずだ。

 ちなみに探偵役のジョン・リングローズはいうまでもなく『闇からの声』と『守銭奴の遺産』にも登場する、フィルポッツの数少ないシリーズ探偵の一人。彼の活躍が読めるのは、本作を含めてこの三作しかないようなので、押さえておきたい作品ではある。

イーデン・フィルポッツ『極悪人の肖像』(論創海外ミステリ)

 イーデン・フィルポッツの『極悪人の肖像』を読む。
 フィルポッツは普通小説も含め七十冊以上の作品を残した作家だが、ちょっと捻くれた見方をすると、それだけの著作があるからには人気はあったのだろうが、大量生産ゆえ中身はけっこうワンパターンなのではないかと邪推したくなる。
 ところが、これまで翻訳されてきたフィルポッツのミステリ作品を読んで感じるのは、量産が利く無難な作風ではなく、むしろアクの強い作品が多いということ。もちろんアクが強いからといって、それがすべていい方向に転がるわけでもないし、凡庸で面白くない作品に終わったものもある。
 だが「アク」となって感じられる部分は、作品におけるトゲ、気づきでもあり、それは同時に著者の試みや企てと見ることもできる。そういう意味でフィルポッツの作品は古臭いと感じることもあるけれど、決して見過ごせないのである。
 本日の読了本『極悪人の肖像』もまた、そうしたアクの強い作品であった。

 極悪人の肖像

 こんな話。ケンブリッジ大学で医学を修め、首席で卒業すると開業医をしながらリューマチの研究を続けるアーウィン・テンプル=フォーチュン。傍目には順風満帆な人生ながら、彼には秘めたる野望があった。
 アーウィンの出身は、イングランド南西部に位置するファイアブレイスを統治する準男爵のテンプル=フォーチュン家。彼はその莫大な資産を狙っていたが、すべてを継承するには長兄である現当主のハリー、その息子ルパート、次兄のニコルが邪魔な存在だった。しかもアーウィンにすればハリーもニコルもただの俗物で、その資産を活用する器量もない。次第にアーウィンは三人の殺害計画を練るようになり……。

 本作はアーウィンの一人称による回想の体をとる作品。もちろん上の粗筋のとおり、アーウィンは正義の側ではなく、犯罪を犯す側である。つまり本作は犯人を主役にした“倒叙もの”というわけだ。
 とはいえ、いわゆる“倒叙もの”を期待すると当てが外れるだろう。倒叙ものの魅力はいろいろあるが、大抵の場合は、完全犯罪と思われた完璧な計画がどこから崩れていくのかという、その着眼にある。
 しかし本作ではそういうトリッキーな仕掛けやゲーム性にほぼ見るべきところはない。ただ、それはイコール駄作ということではなく、実は本作の性質が“倒叙もの”ではなく、犯罪者の心理に主眼をおいた犯罪小説であるからだ。

 実際、アーウィンの一人称はかなり特殊で、犯行手段などについての言及よりも、自らの哲学や思想を語ることに忙しい。もちろん、フィルポッツの狙いはここにあるわけで、優生思想すら感じさせるアーウィンの言動はかなり鼻につくけれども、だからこそ読者にいろいろと考えさせる作品になっているわけだ。
 フィルポッツの作品はミステリという枠だけで考えるとどうしても評価が厳しくなってしまうが、本来ミステリ作家ではなかっただけに、別の観点で見ることは今後は必要なのかもしれない。

 なお、ひとつだけミステリ的に面白かったのは、この犯行がばれるとすればどういう場合かと、犯人自ら推理するところ。真の意味での探偵役が出てこない作品だけに、こういう処理も悪くないなと思った次第である。


イーデン・フィルポッツ『守銭奴の遺産』(論創海外ミステリ)

 イーデン・フィルポッツの『守銭奴の遺産』を読む。
 フィルポッツも長らく『赤毛のレドメイン家』と『闇からの声』だけの人だと思われていたが、この数年でけっこうな数が翻訳されていてめでたいかぎりである。さすがにこの二作を越えるほどの作品はなかなかないようだが、それでもけっこうクセのある作品が多くて、本格ミステリという範疇に収まらない楽しみ方を見いだせるのも、フィルポッツの魅力だろう。

 そこで『守銭奴の遺産』だが、まずはストーリーから。
 金貸しとして悪名高いジャーヴィス・スワンが殺害された。鋼鉄の壁と強固な六本のボルトで護られた、まるで金庫のような部屋で起こった密室殺人であった。
 まず考えられるのは怨恨だったが、ジャーヴィスの莫大な遺産の行方も注目された。というのも本来、遺産を継ぐのは秘書のビリーだったが、新たな遺言状をつくる前にジャーヴィスが死亡したため、遺産はジャーヴィスと折り合いの悪かった甥・レジナルドと姪・ジェラルディンにゆくことになってしまったのだ。
 また、時を同じくして、ジャーヴィスの弟マーティン、ジャーヴィスの使用人の娘ベラの行方が不明となっていることが判明。ジョー・アンブラー警部補は、師と仰ぐ引退した元名刑事ジョン・リングローズを誘い、その線から捜査を開始するが……。

 守銭奴の遺産

 おお、これもクセが強いな。傑作とは言い難いのだが、クラシックミステリ好きは避けて通れない一作ではないだろうか。

(以下、ややネタの核心に触れているところがあるので未読の方はご注意ください)

 一応は本格探偵小説仕立てである。のっけから完璧とも思える密室を提供し、これだけでも読者は相当に頭を悩ませるところなのだが、さらには被害者の弟と使用人の娘が次々と行方不明になるという事件が起こり、いっそう謎に拍車をかけてゆく。
 しかもこの二人が被害者同様、実に問題の多い人物で、となると彼らの背後に何かしらの黒い結びつきがあるのでは……と思わせつつも、事件の様相はそう簡単には明らかにならない。
 一方で遺産に関する疑惑もある。こちらは被害者の甥レジナルド、そして秘書ビリーにスポットが当てられるのだが、ジョー警部補はビリーを、ジョンはレジナルドを直感的に信頼しており、こちらも大きな進展はない。
 果たして犯人の狙いは何だったのか? 怨恨はたまた遺産? このモヤモヤ感と捜査の手詰まり感が渾然となって逆にリーダビリティを加速してゆくといった按配である。

 実は本作、登場人物がごくごく限られているため、ある程度犯人の予測はつきやすい。しかしながら上で紹介したように事件の様相がとにかく見えにくいため、最後に明らかになる犯人像と動機、真相にはかなり驚かされた。
 特に犯人像は1926年の作品とは思えないほどで、ジキルとハイドに喩えたような感想をどこかで見たが、そういう二重人格的なものではない。詳しくは書かないが、いま読んでも、いや、いま読むからこそ余計にぞっとするところがあるのは確かで、この犯人像と動機だけで本作は読む価値があるといえるだろう。ただ、本作に関しては、この犯人に対抗する探偵役の弱さが気になった。ラストで下される探偵役のジャッジも、単に“逃げ”ているように感じてしまい、そこはもっと著者に掘り下げてもらいたかったところだ。
 考えるとこれまでに訳されているフィルポッツのミステリは、犯罪者のキャラクターに工夫を凝らしたものが多く、それが成功している作品ほど傑作になっている気がする。

 本作もこれでメイントリックの密室が及第点なら文句なしに傑作となるのだが、ううむ、残念ながら密室トリックに関しては完全にアウトか(苦笑)。これまでもフィルポッツのトリックには何度か痛い思いをしているので、もともと期待はしていなかったけれど、それにしてもというレベルである。機械的トリックがつまらないとかいう以前に雑な作りなのは困る。

 ということで本作の良い点悪い点を並べてみたわけだが、かなり振り幅が大きく、人によって好き嫌いははっきり分かれる作品だろう。これまでの邦訳作品をみてもフィルポッツには問題作が多いので、ぜひ今後も紹介が続いてほしいものである。


イーデン・フィルポッツ『だれがコマドリを殺したのか?』(創元推理文庫)

 本日の読了本はイーデン・フィルポッツの『だれがコマドリを殺したのか?』。永らく絶版だったものの復刊だが、管理人が中高生だった頃、もうン十年前のことだが、その頃のミステリのガイドブックには、けっこう本作の紹介が載っていた。見立て殺人、なかでもマザーグースをはじめとする童謡を使ったものは当時のお気に入りだったので、本書もその類かと思いさっそく書店で探したものの、すでにその当時でも絶版になっていてがっかりした記憶がある。
 その後入手はできたのだが、結局、復刊で初めて読むことになるというのは、まあ古本あるあるということで。

 こんな話。ノートンは富豪である叔父の援助で医学を学び、将来を嘱望されている医師だった。そんなある日、海水浴場で休暇を過ごすノートンの前に、”コマドリ”というあだ名の娘ダイアナが現れ、ひと目で心を奪われる。
 ダイアナは姉のマイラ、父のヘンリーと並んで散歩をしていたが、そのときヘンリーが遊歩道から転げ落ちてしまう。あわてて駆けつけて治療にあたったノートンに、ダイアナは深く感謝し、ノートンは一家との親睦を深めていく。
 やがてノートンはダイアナと恋に落ちるが、それがすべての悲劇の始まりだった……。

 だれがコマドリを殺したのか?

 読んだ人ならとっくにご存知だろうが、実は本作、いわゆる見立て殺人とか童謡殺人ものではない。それらしいタイトルがついてはいるが変に期待すると肩透かしは必至である。
 ただし、だからといってつまらない作品かといえば、まったくそんなことはなくて、むしろこれはなかなかの良作である。

 魅了としては大きく二つ。まずはメイントリックで、やや古さを感じさせるものの、けっこうな大技が使われている。事件の様相を一気にひっくり返してみせる手腕はなかなかのもので、ましてや発表されたのが1924年であるから、これは素直にフィルポッツを褒めたたえるべきだろう。
 もうひとつはフィルポッツお得意の心理描写。ここは好みが分かれるところだろうと思うが、事件が起きるまでに総ページ数の3/2近くが費やされており、登場人物たちの様々な恋愛模様や愛憎劇が描かれている。実際、百ページぐらいまでは恋愛小説かと思うぐらいミステリ要素の欠片もなく、これはやっちまったかと焦ったが、そこを抜けると局面が大きく変化しだして徐々に面白くなるのだ。また、この一見退屈と思われる前半にも、実はラストのサプライズの壮大な伏線が織り込まれている。
 もともとフィルポッツは敵味方の心理戦を描くのが巧みだが、本作ではその悪役をオープンにしないまま、心理戦を披露しているといった印象か。登場人物の中には当然ながら”犯人”も含まれており、それをイメージしつつ読み進めていくのが本書を楽しむポイントと言えるかもしれない。

 しかしながら久々に読んだフィルポッツのミステリ、いいではないか。
 『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』だけというイメージもあるし、その二作の価値も昔に比べると落ちてはいるが、昨今の復刻ブームを考えれば、フィルポッツはもう少し紹介されてもいい作家なのかなと思う。作品数が多く、ミステリかどうか読まないと判別できないものも多いと聞くが、そこをなんとか関係者には頑張ってもらって。


イーデン・フィルポッツ『ラベンダー・ドラゴン』(ハヤカワ文庫)

 本日はちょっと変わったところでイーデン・フィルポッツの『ラベンダー・ドラゴン』を読んでみる。
 最近読み進めているムーミンの影響もあってか、少し古めのファンタジーを他にも読んでみたくなったというわけである。ただ、どうせ読むならと、ミステリファンにも馴染みの深いイーデン・フィルポッツの作品をチョイスしてみた。
 『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』等のミステリ作品で知られるフィルポッツだが、彼の創作の中心はむしろ歴史小説や田園を舞台にした小説である。本作『ラベンダー・ドラゴン』も実は余技に分類されるかもしれないが、それでもファンタジーは十作ほど残しているから、その辺のプロパーよりも書いているかも知れない。さすが英国文壇で長老と呼ばれただけのことはある。

 まずはストーリー。
 無知と貪欲と迷信があまねく世界を支配している暗黒時代のヨーロッパ。騎士道の習いとして、ジャスパー卿は従者ジョージを引き連れ、諸国遍歴の旅を続けていた。そんなあるとき辿り着いた村で、悪名高きドラゴンの噂を聞いたジャスパー卿。やっと騎士としての勇気を試すときがきたと、村人に見送られ、ドラゴンのいる地を目指す。
 ところが現れたドラゴンは意外にも教養に豊み、高潔な魂の持ち主だった……。

 ラベンダー・ドラゴン

 高潔な騎士道精神あふれる若者が主人公。知恵はいまひとつ回らないけれど、行動力はばつぐんという、実に典型的なキャラクターである。その主人公が同じく高潔ながら非常に経験豊富な年老いたドラゴンと出会うことで、人間とは何か、生きることとは何なのかを学んでいくという展開。
 こう書いてしまうとえらく退屈そうに思えるが(苦笑)、人をさらってゆくドラゴンが、実は理想のユートピアを建造するためであったり、指導者として人々を諭したりと、前半の展開はなかなか意表を突く。

 ただ、中盤以降はすっかり物語が落ち着いてしまい、ドラゴンが作った村で暮らす住民とドラゴンの議論や説教が大半を占めるようになると少々辛い。
 文章は平易なので読みにくくはないが、当時の思想や倫理観がすでに現代とマッチしていないこともあるし、そもそもキリスト教的な人生観や倫理観に興味がないことには、なかなか入っていくのは難しい。

 しかしながら"高潔な指導者としてのドラゴン"という存在は、今でこそ各種ファンタジーノベルや映画、ゲームでお目にかかることはあるけれど、作品が書かれた当時(1923年)にあってはけっこう新鮮なはず。こういった作品が後々につながっていったことは十分ありうる話だろう。ファンタジーやドラゴンが好きという方なら、読んでおく価値はある。


ハリントン・ヘクスト『テンプラー家の惨劇』(国書刊行会)

 『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』で有名なイーデン・フィルポッツがハリントン・ヘクスト名義で発表した『テンプラー家の惨劇』を読む。(今回ややネタバレあり)

 イングランド南部の広大な屋敷と地所を構える名門テンプラー一族。しかしある夜に黒装束の男が侵入し、当主の遺言状を盗み見られるという事件が起こる。そして以後、遺産継承者たちが次々と黒装束の男に狙われ、命を落としてゆく……。目的は遺産相続か、あるいは一族の皆殺しか? 警察の捜査をあざ笑うかのように殺戮が続く……。

 かつて乱歩が絶賛し、その作品がミステリベスト10などの常連であった頃、フィルポッツは絶対に読むべき作家であった。しかし、時代は流れ、乱歩の威光が薄れてしまった現在、作品の評価そのものが下がり、フィルポッツは忘れられつつある作家の一人となっている。
 久々にフィルポッツの作品を読み、それもやむを得ないことなのだと実感した。
 意外な犯人、驚くべき動機。この二つをもって本書を傑作とする意見もわからないではない。しかし、現代のあまりに利己的な犯罪をニュースで見聞きしている者には、この動機こそ十分ありそうな話なのだ。したがって動機が普通に理解できる以上、犯人も予想はつけやすい。そもそも登場人物の多くが死にたえ、容疑者がほとんどいないのだ。
 したがって本作をミステリとして読んだ場合、その評価は高くしようがない。
 そもそもフィルポッツは本当にミステリを書く気があったのか、という疑問がある。いや、それは言い過ぎか。しかし小説を書くにあたり、当時人気のあったミステリというスタイルを借りるという意志はあったはずだ。そんなふうに考えれば、本書に頻出する登場人物たちの宗教論議などは、まさにフィルポッツの一番語りたかった部分に他ならないのではないか。
 本作は表面的には本格探偵小説の形をとっているものの、その本質は謎解きではない。貴族階級の没落を背景にして、著者の思想や宗教観について語ったものなのである。したがって連続殺人が起こり探偵が登場するものの、ほとんど推理と呼べるようなものはなく、論理的に犯人が明かされるわけでもない。それはそうだ。本作は本質的にミステリではないのだから。

 ただ、フィルポッツのこういった小説が翻訳されるのは決して悪いことではない。むしろ普通小説の方も、もう少し読みたいぐらいなのだ。フィルポッツのスタンスや作風がより理解できれば、ミステリについても何らかの見えてくるものがあるはず。正直、本作を読んで『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』もおそらく違う読み方ができると思うようになった。いつ再読するかはわからんが、そういう意識でフィルポッツを見れるようになっただけでも、本書の意義は大きい。


イーデン・フィルポッツ『狼男卿の秘密』(国書刊行会)

 終わったわけではないが、仕事が大山を越える。でも来週まではまだ息をつけそうもない。とりあえず徹夜はせずにすむか?

 さて、本日の読了本はイーデン・フィルポッツ『狼男卿の秘密』。これは「ドラキュラ叢書」の一冊なので、一応補足しておくとーー。
 今では探偵小説の古典復刻ブーム牽引役として知られる国書刊行会。だが、その前は幻想小説や怪奇小説、ゴシック・ロマンなどに力を注いでいたことも、ファンには有名なところだ。で、そのひとつに「ドラキュラ叢書」と呼ばれるものがあった。責任編集はなんと紀田順一郎&荒俣宏の豪華コンビ。長篇も含めたエンターテインメント系の怪奇小説叢書で、ラインナップは以下のとおり。

『黒魔団』デニス・ホイートリ
『ドラキュラの客』ブラム・ストーカー
『妖怪博士ジョン・サイレンス』アルジャノン・ブラックウッド
『星を駆ける者』ジャック・ロンドン
『ク・リトル・リトル神話集』H・P・ラヴクラフト他
『スカル・フェイス』ロバート・E・ハワード
『狼男卿の秘密』イーデン・フィルポッツ 
『幽霊狩人カーナッキ』W・H・ホジスン
『ジャンビー』H・S・ホワイトヘッド
『古代のアラン』H・R・ハガード 

 おおー、なかなかスゴいではないか。『妖怪博士ジョン・サイレンス』や『幽霊狩人カーナッキ』のように今では文庫で入手できるものもあるが、他はどうなんだろう? こっち方面には弱いんでわからないが、少なくとも今回の『狼男卿の秘密』はこれっきりで絶版。『赤毛のレドメイン家』『闇からの声』で有名なフィルポッツだが、オカルトものも書いてたのか、というわけで買い求めた一冊なのだ。ちょっと高くついたけど。

※以下ネタバレあり

 ストーリーはそれほど複雑ではない。親の跡を継いで広大なる領地を受け継いだ主人公ウィリアム・ウルフ卿。彼は婚約者や領地の管理人に迎え入れた親友、従兄弟、信頼する従僕などに囲まれ、幸せな日々を送っている。ところが屋敷に残る古書を偶然見つけたことから、その歯車が微妙に狂い出す。そのなかには彼が狼男の血をひく者であり、遠くない将来に破滅が訪れることが予言されていたのだ。元来、神秘主義に興味をもっていたウィリアムは、周囲の反対意見に耳を貸さず、その予言に傾き始める。次第に周囲との溝が深まってゆくなか、人狼伝説を裏付ける証しが白日の下に晒されてゆく……。

 物語の大半はフィナーレへ向けてゆったりと流れてゆく。主人公たちの暮らすストームベリイの景観、歴史、伝説そして人々の思惑、心理。これらが渾然一体となって、やがて訪れるであろうカタストロフィー(と思われる)に向けて、ゆったりと、だが確実に進んでゆくのだ。
 それらの描写がとにかく巧い。じわじわ染みこんでくるサスペンス。そこかしこに散りばめられた蘊蓄も好ましいレベル。登場人物たちの議論も、それぞれの立場で微妙にかき分けているし、ほんとフィルポッツってこんな巧かったんだ、という意外性がある。
 考えてみると、迫力ある心理戦が有名な『闇からの声』なども、そのような技術の賜といえるので、この時代の作家の教養はつくづく侮れないものがある。
 ところがところが。この作品にはとんでもない地雷が埋めてあったのだ。

 ページ数にして残り1/5を切ったところ。

 いきなり探偵の謎解きが始まりました(爆)。

 完全にホラー小説だと思って読んでいた私が悪いのか。しかし、ドラキュラ叢書っていうシリーズなんだし、物語も完全にそっち方向だし、まさか、これがミステリだとは夢にも思わなかった。
 いや、中盤で唐突に登場する従僕とか、その他もろもろ、少しひっかかるところもあるにはあった。オカルト的などんでん返しもありそうと、少なからず予想はしていた。ただ、まさかここまでとは。これって極端なこというと『幻の女』なのだ。まあ、本格というよりはサスペンスとしてのオチの付け方なので、これでアンフェアだとか言う野暮な人もいるまいと思うが、し、しかし、何というか。いや、別に犯人が意外だとかいうんじゃないんだけどね。「謎解きがある」、この事実にショックを受けてるだけで(笑)。
 あまりのショックにしばし呆然。ここまで驚いた小説も最近なかった気もするが、こういう驚き方はない方がいい。
 誰か他に読んだ人いないかな? 感想をぜひ聞いてみたいものだ。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー