イーデン・フィルポッツの『守銭奴の遺産』を読む。
フィルポッツも長らく『赤毛のレドメイン家』と『闇からの声』だけの人だと思われていたが、この数年でけっこうな数が翻訳されていてめでたいかぎりである。さすがにこの二作を越えるほどの作品はなかなかないようだが、それでもけっこうクセのある作品が多くて、本格ミステリという範疇に収まらない楽しみ方を見いだせるのも、フィルポッツの魅力だろう。
そこで『守銭奴の遺産』だが、まずはストーリーから。
金貸しとして悪名高いジャーヴィス・スワンが殺害された。鋼鉄の壁と強固な六本のボルトで護られた、まるで金庫のような部屋で起こった密室殺人であった。
まず考えられるのは怨恨だったが、ジャーヴィスの莫大な遺産の行方も注目された。というのも本来、遺産を継ぐのは秘書のビリーだったが、新たな遺言状をつくる前にジャーヴィスが死亡したため、遺産はジャーヴィスと折り合いの悪かった甥・レジナルドと姪・ジェラルディンにゆくことになってしまったのだ。
また、時を同じくして、ジャーヴィスの弟マーティン、ジャーヴィスの使用人の娘ベラの行方が不明となっていることが判明。ジョー・アンブラー警部補は、師と仰ぐ引退した元名刑事ジョン・リングローズを誘い、その線から捜査を開始するが……。

おお、これもクセが強いな。傑作とは言い難いのだが、クラシックミステリ好きは避けて通れない一作ではないだろうか。
(以下、ややネタの核心に触れているところがあるので未読の方はご注意ください)
一応は本格探偵小説仕立てである。のっけから完璧とも思える密室を提供し、これだけでも読者は相当に頭を悩ませるところなのだが、さらには被害者の弟と使用人の娘が次々と行方不明になるという事件が起こり、いっそう謎に拍車をかけてゆく。
しかもこの二人が被害者同様、実に問題の多い人物で、となると彼らの背後に何かしらの黒い結びつきがあるのでは……と思わせつつも、事件の様相はそう簡単には明らかにならない。
一方で遺産に関する疑惑もある。こちらは被害者の甥レジナルド、そして秘書ビリーにスポットが当てられるのだが、ジョー警部補はビリーを、ジョンはレジナルドを直感的に信頼しており、こちらも大きな進展はない。
果たして犯人の狙いは何だったのか? 怨恨はたまた遺産? このモヤモヤ感と捜査の手詰まり感が渾然となって逆にリーダビリティを加速してゆくといった按配である。
実は本作、登場人物がごくごく限られているため、ある程度犯人の予測はつきやすい。しかしながら上で紹介したように事件の様相がとにかく見えにくいため、最後に明らかになる犯人像と動機、真相にはかなり驚かされた。
特に犯人像は1926年の作品とは思えないほどで、ジキルとハイドに喩えたような感想をどこかで見たが、そういう二重人格的なものではない。詳しくは書かないが、いま読んでも、いや、いま読むからこそ余計にぞっとするところがあるのは確かで、この犯人像と動機だけで本作は読む価値があるといえるだろう。ただ、本作に関しては、この犯人に対抗する探偵役の弱さが気になった。ラストで下される探偵役のジャッジも、単に“逃げ”ているように感じてしまい、そこはもっと著者に掘り下げてもらいたかったところだ。
考えるとこれまでに訳されているフィルポッツのミステリは、犯罪者のキャラクターに工夫を凝らしたものが多く、それが成功している作品ほど傑作になっている気がする。
本作もこれでメイントリックの密室が及第点なら文句なしに傑作となるのだが、ううむ、残念ながら密室トリックに関しては完全にアウトか(苦笑)。これまでもフィルポッツのトリックには何度か痛い思いをしているので、もともと期待はしていなかったけれど、それにしてもというレベルである。機械的トリックがつまらないとかいう以前に雑な作りなのは困る。
ということで本作の良い点悪い点を並べてみたわけだが、かなり振り幅が大きく、人によって好き嫌いははっきり分かれる作品だろう。これまでの邦訳作品をみてもフィルポッツには問題作が多いので、ぜひ今後も紹介が続いてほしいものである。