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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

エリス・ピーターズ『雪と毒杯』(創元推理文庫)

 エリス・ピーターズの『雪と毒杯』を読む。修道士カドフェルのシリーズで知られるエリス・ピーターズだが、本作はそのシリーズが発表される以前、1960年に書かれたノンシリーズの一作。

 こんな話。クリスマス迫るウィーンの夜。その地で偉大なるオペラ歌手アントニアが息を引き取った。最期を看取った親族や医者、弁護士、マネージャー、秘書たちはチャーター機で帰途に着く。
 ところがロンドンをめざすその飛行機が、悪天候のためオーストリアとイタリアの境に位置するチロル地方に不時着。幸い、小さな山村が近くにあったため、一行はその村の宿に避難したが、その山村自体が大雪で外部と隔絶されている状態だった。
 ひとまず宿に落ち着いた一行。だがそうなると気になるのはアントニアの残した遺産だった。緊張感が増す中、ついに弁護士は遺言状を読み上げるが、その内容は誰も予想もしないものだった……。

 雪と毒杯

 吹雪の山荘、遺産相続、ラブロマンスにフーダニッットなど、鉄板ともいえるネタを盛り込んで、いかにも古き良き時代の本格探偵小説といった雰囲気を作り出している。
 登場人物たちもややステロタイプではあるが、非常に生き生きと描かれており、全体としては好印象。

 ただ、ロジックやトリック、意外性という部分ではそこまでキレはなく、中盤の捻りもあるにはあるがそれほどのパンチはない。それならせめて遺産をめぐって一人ずつ殺害されるような超緊迫の展開を期待したいのだが、いかにもな設定とキャラクターのせいか変な安心感が漂ってしまい、こちらもいうほどサスペンスは盛り上がらない。

 まあ、逆にいうと、この安心感こそが本作の持ち味であり、良さでもある。ストーリーと同じような寒い雪の日に、暖かい部屋で暖かいものでも飲みながら、素直にゆったりと本格探偵小説の雰囲気に浸るのが、本作のもっともよい楽しみ方だろう。


エリス・ピーターズ『納骨堂の多すぎた死体』(原書房)

 フェリス一家が避暑に訪れたとある田舎町。そこでは折しもジャーナリストのサイモンによって、二百年ぶりに地元の名家トレヴェッラ家領主の棺を開けるという計画が進められていた。フェルス親子はある事件をきっかけにこの催しにつきあうことになったが、棺の中から現れたのは、なんと数日前から行方不明だったトレヴェッラ家の庭師の死体だった。それだけではない。さらにその庭師の死体の下には、数年前に死んだと思われる男の死体まであったのだ。

 エリス・ピーターズの『納骨堂の多すぎた死体』読了。
 カドフェル・シリーズで有名なエリス・ピーターズの、もうひとつのシリーズ、フェルス一家ものである。といってもこのフェルス一家シリーズ、実はカドフェルシリーズ以前に書かれていたもので、カドフェルがヒットしてからは自然消滅しているようだ。そのため正直言ってあまり期待せずに読み始めたのだが、いやいや予想以上に面白いじゃありませんか。

 基本的には、棺のなかにあった二つの死体の謎をめぐる物語だが、これだけでも盛り沢山なところへ、二百年前に死んだ領主をめぐる謎も絡めているのが贅沢。この部分は歴史ミステリとしても楽しめ、締めて三つの謎をめぐって物語が展開するという欲張りな設定なのである。もちろんすべての謎が明らかになったとき、三つの事件が一本の線になっていることが判明するわけで、トリックなどは弱いものの、プロットの妙が冴えている。

 本書で引っかかるのは、この設定でなおかつ味付けに終わらない少年の成長物語を加味していることである。冒険小説やハードボイルドにはこういうタイプも少なくないが、本格でここまでやるケースはかなり珍しい。しかもこれに加えて、他の登場人物たちによる恋愛ドラマなども含めているため、少々やりすぎの嫌いがある。それほどボリュームのある本ではないので、それらの要素すべてに決着をつけようとすると、どうしても凝ったことはできず、いきおい型どおりの展開にならざるを得ないという欠点がある。
 もう少しページを使ってじっくりと書き込むか、あるいは成長物語と恋愛ドラマのどちらかは削って一方に絞るかすれば良かったのではないか。ミステリ的な部分がよいだけにちょっともったいない気がする。
 ただ、こういったエンターテイナーとしてのサービス精神が旺盛だったからこそ、後のカドフェル・シリーズが生まれたのだとは思うが。


エリス・ピーターズ『死体が多すぎる』(現代教養文庫)

 なんだかこの二、三日急に冷え込んでいる。仕事で横浜に行ったのだが、いや冷える冷える。電車に乗っても温度差が激しく、しばし咳き込んでしまう。ああ、春はまだか?

 咳き込みつつ電車内でエリス・ピーターズの『死体が多すぎる』を読了する。
 1138年、イングランド王の死によって、国内は王の娘モードと従兄弟スティーヴンの二派に分かれ、継承権を巡っての内乱状態となっていた。スティーヴンに占拠されたシュルーズベリでは、捕虜の九十四人が処刑されるという悲劇も起こる。埋葬のため場内に向かったカドフェルだが、彼が見つけたものはなんと九十五人目の死体であった……。

 この設定がなかなかにくい。チェスタトンの創造したブラウン神父による「木を隠すには森の中がよい、したがって死体を隠すなら戦場が最もふさわしい」というあの有名なセリフを地でいく展開なのだ。
 ただ、本格ミステリとしての魅力はそれほどのものではない。というか、おそらくカドフェル・シリーズそのものが、本格の面白さを追求したものではないのだ。これまでは先入観で、このシリーズの特徴を歴史で味付けした本格推理小説とみていたのだが、それはおそらく間違いだ。
 先日『聖女の遺骨求む』を読み、今回『死体が多すぎる』を読んで感じたのは、これは結局ホームズものを読む楽しみに近いのではないかということ。推理する魅力はあくまで味付けとして使われるにすぎない。その本質は、個性あふれる登場人物たちの魅力で読ませる冒険小説なのだろう。

 ともあれ登場人物がここまでいきいきと、そして温かな視点で描かれたミステリはそうそうない。本書にも魅力的な人物が多数登場するが、一番の役者はやはりヒュー・ベリンガーだ。中盤まではカドフェルとベリンガーの対決が何といっても読ませる。知恵比べ、度胸比べといった趣の二人の駆け引きから、作者は徐々にベリンガーを嫌な奴から好漢に転じさせることに成功している。この持っていき方が実に巧みで、それによって殺人事件の行方も混沌としてくるのである。
 冒頭の殺人事件を軸に、二人の対決が絡み、そして意外な展開を見せる後半は、まさにストーリーテリングの見本のような作品。カドフェルも活動的で、まさに中世のホームズである。ああ、まだこのシリーズが十八冊も未読とは、なんともラッキーだ。


エリス・ピーターズ『聖女の遺骨求む』(現代教養文庫)

 エリス・ピーターズ『聖女の遺骨求む』を読む。ご存じ修道士カドフェル・シリーズの第一作だ。

 時代は12世紀半ばのイングランド。カドフェルのいるシュールズベリ修道院では、修道院の守護聖人として奉るための聖人の遺骨探しに奔走していた。 白羽の矢が立ったのは、聖ウィニフレッドの遺骨を奉っているというウェールズの山村。そこでシュールズベリ修道院では、遺骨を貰い受けようとウェールズに遠征隊を派遣する。ところが修道院側に対して地元の村人たちが反発、やがて反対派のトップたる老人が殺される……。

 中世ヨーロッパを舞台にした作品というと、いうまでもなくエーコの『薔薇の名前』という大傑作があげられるが、読む前はなんとなくカドフェルものは『薔薇〜』よりも穏やかでコージー色が強い先入観があった。
 で、読後の感想だが、まさにそのイメージどおりの佳作であった。
 まず歴史ミステリの楽しさである当時の人々の暮らし、何より修道士たちの生活が細やかに描かれているのがよい。ストーリーも世界観を活かしており、当時のしきたりや風習を捜査活動にもうまく活用していると思う。ときには奇跡なども起こったりするが、それすら巧みに物語に組み込んでいるのがすごい。
 登場キャラクターも魅力的だ。特にカドフェルについては修道士一直線みたいな超穏和で知的なタイプを予想していただけに(強引だがブラウン神父みたいな感じ?)、ちょっと意外。あんなに世故に長けた行動的な人物だとは思わなかった。

 欠点を言えば、謎の弱さか。基本的には本格としてのケレン味みたいのものは乏しく、謎もすぐ割れる。しかし前述のように捜査の過程は納得いくもので、しっかりしたものだし、この本の魅力は謎解きより人間ドラマの部分にあるといってよいだろうから、そこまで望むのは贅沢というものだろう。十分満足できる一冊で、若さま侍同様しばらくはつきあってみたいシリーズだ。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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