アイザック・アシモフの長篇ミステリ『象牙の塔の殺人』を読む。
アシモフのミステリといえば何といっても「黒後家蜘蛛の会」シリーズが有名だろうが、本書は著者初の長編ミステリで1958年の作品。黒後家蜘蛛の十年以上も前に書かれていた作品だ。したがってなんとなく「黒後家蜘蛛の会」の作風を意識していると、これがかなり予想を外されて興味深い。
とりあえずストーリー。
大学の実験室で、化学実験を行っていた学生が毒ガスを吸って死亡しているところを、指導教官のブレイドが発見した。警察や大学は事故死との見方を強めていたが、ブレイドは死因に疑問を抱き、独自に調査を始める。だがこれが殺人だとすれば、もっとも容疑者として疑われるのは自分であることに気がつく。それを裏付けるかのように、ブレイドの周囲をかぎまわる刑事。大学での立場も危機に追い込まれ、ブレイドは必死に調査を進めるが……。

ミステリとしては極めて真っ当な本書。アシモフの書いた初の純粋なミステリは、フーダニットというガチガチの本格である。だが、上でも書いたとおり、後にアシモフのミステリにおける名声を確立した「黒後家蜘蛛の会」シリーズとは、まったく作風は異なる。
何より違うのはそのテイスト。「黒後家蜘蛛の会」に顕著なユーモアという要素(ある種の余裕といってもよい)が、本書にはまったく見られない。象牙の塔で繰り広げられる極めて人間的な営み、現実と理想のギャップに苦しむ主人公ブレイドの苦悩が、本書のベースである。事件の謎や自らの立場、家族との関係などなど、とにかく悩みに悩んで、考えに考える。
この描写が辛気くさすぎて、正直、最初はあまりノレなかったのだが、読むうちに意外とこれがだんだんはまってくる。
途中で気がついたのは、これって「イライジャ・ベイリ」のパターンだよな、ということ。イライジャ・ベイリが登場する『鋼鉄都市』『はだかの太陽』等の作品は、SFミステリとして名高いことはもちろんだが、一種の議論小説でもある。事件の謎に絡んだロボット三原則の解釈を巡る登場人物たちのやりとりが実は面白い。アシモフが純粋なミステリを書くにあたって、数年前に書いたそれらの作品のパターンを用いたとすれば、この作風も納得である(そもそもアシモフの作品は全般的に理屈が多すぎるきらいはあるけれど)。
トリック等は小粒ゆえ、本格としてはあまり大向こうを唸らせるほどではないけれど、黒後家蜘蛛やイライジャといった他のシリーズとの比較で読めば、けっこう楽しめる作品ではある。アシモフのファンなら、というところか。
なお、蛇足ながら、主人公にまとわりつく刑事が面白い。この刑事、解説で指摘されているとおり、キャラクターが非常にコロンボに似ているのである。そう言われてみれば、雰囲気や遠回しなアプローチ、犯人への心理トリックなど、共通点は多い。コロンボが生まれるまでには、まだ十年ほどあるわけだが、若きリンク&レビンソンが本書を読んだ可能性について想像するのもまた一興かと。