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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

マックス・アフォード『闇と静謐』(論創海外ミステリ)

 マックス・アフォードの『闇と静謐』を読む。『魔法人形』『百年祭の殺人』に続き、我が国では三作目の紹介となる。まずはストーリーから。

 BBCのラジオでミステリドラマの特番が収録されることになり、その見学に招待されたスコットランドヤードのリード警部と、友人の数学者にして素人探偵のジェフリー・ブラックバーン。新施設のお披露目もあって大混雑の局内だったが、追い討ちをかけるように機材の不具合や俳優のいざこざも勃発。ようやくドラマがスタートしたものの、収録中のスタジオが闇に覆われ、そこで無名の女優が死亡するという事件が起こる。医師は心臓麻痺という診断を下したが、ジェフリーは殺人だと主張する……。

 闇と静謐

 マックス・アフォードの作風については、これまでオーストラリアのディクスン・カーだとか、むしろクイーンのテイストに近いんではないかとかいろいろ語られているが、本作を読んで、あまりそういうところに拘る必要はないのかなという気がしてきた。
 アフォードにはアフォードの作風があって、やはりカーやクイーンとは別物なのである。ちょっと意地悪な言い方をすると、彼らのような大物ほど作風が確立していない(苦笑)。まあ、それは言い過ぎにしても、いまひとつ著者のこだわっている部分、読者がちょっとイラッとするぐらいのアクが感じられないのである。

 ただ、内容自体は決して悪くない。ラジオドラマ放送中の密室事件という導入は魅力的だし、フーダニットに焦点を当て、多重解決的な展開で事件の可能性を見せてくれるところなど、なかなか凝った趣向で面白い。ミステリマニアならずとも惹かれるネタをいくつも仕込んでおり、どこまで風呂敷を広げてくれるのかというドキドキがある。
 それだけに殺人方法や密室、その他諸々のミステリ的ギミックを淡白に流してしまうのがもったいない。せめてどれか一点でも尖らせれてくれればよかったが、著者のウリにしたい部分、こだわっている部分が見えてこない。強いていえば多重解決になるのだろうが、ここまでネタを仕込んでいるからには、そこではないんだよなぁ。
 原書では『百年祭の殺人』、『魔法人形』、『闇と静謐』の順で書かれているのだが、そういう部分はむしろ段々と迷走している感じも受ける。

 ということで個人的にはもう一つ乗り切れなかったものの、アフォードの力量が高いことは実感できるし、まずまず面白くは読めた。確か今年はもう一作、論創海外ミステリからアフォードの邦訳が出るはずなので、そちらに期待したい。


マックス・アフォード『百年祭の殺人』(論創海外ミステリ)

 オーストラリアのディクスン・カーと異名をとるマックス・アフォードの処女長編『百年祭の殺人』を読む。先ごろ、同じ論創海外ミステリから『静謐と闇』も出てしまったので、そろそろ消化どきかなということで。

 こんな話。マートン判事がアパートメントの一室で刺殺され、右耳が切り取られるという事件が起こる。
その猟奇的な犯行もさることながら、現場が密室であることもまた警察を悩ませた。捜査に当たったリード主席警視は若き数学者ジェフリー・ブラックバーンに捜査の協力を依頼するが、さらに第二の事件が発生。またしても密室殺人、またしても体の一部が切り取られているという状況に……。

 百年祭の殺人

 日本での長編初紹介は国書刊行会から〈世界探偵小説全集〉の一冊として刊行された『魔法人形』だが、ロジックを前面に押し出した作風で、オカルト趣味に彩られてはいるがカーよりははるかにスマートな印象を受けた。その分、アクも少ないというか、ミステリとしての弱さも感じたのだが、果たして本作はどうか。

 結論からいうと、これはなかなかの秀作である。著者のデビュー長編に当たるが、この時点で既に著者のスタイルはほぼ確立しており、しかもレベルが高い。
 ただ、スタイルが確立していると言っても、じつはカーと比べるのはやはりお門違いだろう。確かにホラー小説を想起させるようなプロローグ、本編での猟奇的犯罪&不可能趣味へのアプローチはなるほどカーの領域である。
 だが、それらはけっこう表面的な部分で、例えば密室を二種類も使ってはいるが、それは密室そのものの面白さではなく、フーダニットを際立たせるためのテクニックなのである。そういう密室がなぜ成立しなければいけなかったのか、それが解明される瞬間と真相が楽しいわけである。本書の解説ではそんな辺りを踏まえて、マックス・アフォードはカーよりもむしろクイーンに近いと書かれていたけれども、これには非常に同意である。

 もちろん密室だけではない。被害者の体が切断される意味、過去の事件など、いろいろキーになる要素はあるのだが、様々なロジックを積み重ね、最後にそれらすべての要素が繋がって合理的な解決が導き出されるこの快感。本作の魅力は正にその点にある。
 マックス・アフォードは本業が脚本家なので、おそらくミステリについては余技だと思うのだが、それだけに変にバランスを考えず、自分が思うミステリを真っ向から追求したからこそ生まれた作品なのではないだろうか。

 デビュー作ということもあって、少々謎解きミステリを追求しすぎ、あるいは詰め込みすぎの嫌いもないではない。それが中盤の展開のリズムの悪さ、説明不足の部分、シリーズ探偵の個性不足とかに表れているのが惜しい。
 まあ、本作の評価を貶めるようなものでもないし、今時クラシックでこのレベルの作品が楽しめるという事実が嬉しいではないか。これは『静謐と闇』も期待できそうだ。


マックス・アフォード『魔法人形』(国書刊行会)

 マックス・アフォードの『魔法人形』読了。お馴染み国書刊行会は世界探偵小説全集からの一冊である。作者のマックス・アフォードは「オーストラリアのカー」 の異名をとる本格派。その著作は多くないが不可能興味に特化した作風で、世界中の密室ミステリファンが探求し続けている幻の作家ということだ。『魔法人形』はそんな著者の代表作。もちろん本邦初紹介となる。

 悪魔学研究家のロチェスター教授。そもそもの発端は、彼の家族をかたどった6体の人形が、屋敷に送りつけられたことだった。しかし、いつしか人形は消え失せ、そのうちの1体が再び教授の妹に届けられたとき、彼女は階段から転落死する。人形は果たして死への予告だったのか?
 そして、またも人形が屋敷に届けられた。今度のターゲットは教授の長男ロジャー。教授の秘書を務めるロロは、学生時代の友人、数学者にしてアマチュア探偵のジェフリー・ブラックバーンに助けを求めるが……。

(以下ネタバレ)

 「オーストラリアのカー」と異名をとるも、本作にはそれほどのオカルト趣味はない。その他の作品を読んだことがないので全貌はわからないけれど、この作品に限っていえばカーよりもアクは少なく、より論理で押し通そうというスマートな印象を受けた。
 また、探偵役のジェフリーもあまり強い個性は感じられず、この時代のミステリの探偵にしてはいたってまともである。俺が俺が、という本格派にありがちな名探偵特有の我の強さもなく、警察に早く事件をバトンタッチしたがるなど、わりに一般人らしい振る舞いで個人的には好感がもてる。

 ただ、正直期待していた以上の作品ではない。
 論理に忠実であろうとするため、あるいは伏線などを律儀に張りすぎるため、どうしてもパンチの弱さを感じてしまうのである。例えば第二の密室殺人のネタは腰砕け気味。また、第三の殺人の際のトリックも真面目に書きすぎるので逆に怪しさが爆発しており、そこ一発で犯人が●●だとわかってしまう始末。
 良く言えば端正、悪く言えば物足りなさがつきまとう作品といえるだろう。さじ加減が難しいところだが、もう少しハッタリを強めた方が、ミステリとしてはより楽しめるのではないだろうか。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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