懐かしいところでビル・プロンジーニの『幻影』を読む。
プロンジーニはいわゆるネオ・ハードボイルド作家の一人で、新潮文庫から出た”名無しの探偵”シリーズは日本でもひと頃かなりの評判をとっていた。
ストイックな従来のハードボイルドと違い、ネオ・ハードボイルドの探偵は人間としての弱みをさらけ出す。探偵自身の生き様が特徴であり、魅力でもあるのだ。
”名無しの探偵”もその例にもれず、肺癌に怯える中年男、かつ探偵でありながらパルプマガジン蒐集家という、悪い冗談かと思うような設定で始まったが、これがなかなか悪くなかった。もともとプロンジーニ自身がミステリオタクということもあるせいか(いや、これは想像でしかないけれど)、ハードボイルドでありながら謎解き要素も強く、とにかく当時は楽しく読んでいた記憶がある。
その後、ブームが落ち着いたところで新潮文庫での紹介も途絶えたが、五年ほどしてから版元を徳間文庫に変えて復活。だが初期に比べると作品が低調なこともあって、そちらも1990年にストップ。そして十年後の2000年、今度は講談社文庫からお目見えして今に至るというのがこれまでの流れである。
まあ、講談社文庫からはまだ二冊、しかも今回読んだ『幻影』にしても2003年の刊行なので、実質はまたまた中断状態になっているのだが、こういうリバイバル的に翻訳が再開される例は珍しい。それだけプロンジーニの作品が安定した質をキープし、そして版元に、もしかしたら次は売れるかもしれないという期待を抱かせるだけの魅力があるという証拠でもあるだろう。
さて前降りが長くなったがここからが本題。こんな話である。
かつてのパートナー、エバハートが拳銃で自殺した。別居していた内縁の妻から遺品整理を頼まれるが、この数年は仲違いしていたこともあり、まったく気が進まない。結局は引き受けたものの、整理を続けるうちにエバハートの隠された部分が明らかになる。
一方、事務所へは、不治の病の息子のために前妻を探してほしいという依頼が舞い込んでくるが……。

お、なかなかいいぞ。
かつての相棒の過去を探索していく私的調査と、行方不明の女性を探すという探偵仕事。二つの事件が並行して語られるのだが、特に直接的な影響はないのだけれど、心理的な伏線や手がかりが相互に関与するという構成がなかなか巧い。
実はどこかで両事件がつながっているのかなという予測もしたのだが、やりすぎるとあざとさばかりが出てしまうし、むしろこのぐらいの方が説得力がある。
ワインのラベルの件とかウィスキーの盗難事件の流し方とか、ストーリーの展開も上手いし、プロンジーニはいつの間にこんなにこなれた作家になったのだというこの驚き。
気になったのは主人公の設定か。上でも書いたようにネオ・ハードボイルドの探偵は弱さこそが特徴であり、その弱さが事件とシンクロしていろいろな人間模様や生き様が浮かび上がる。
ところが本作の主人公はもういろいろな面で出来上がっているというか。素敵な妻がおり、仕事も順調、肺癌の不安もとっくに解消している。初期の雰囲気とはだいぶ違っているわけで、シリーズものとしての意味合いとかについて少々考えてしまうところではある。
まあ、そういったシリーズファンの愚痴はともかく、客観的に見れば、本作は非常に安心して読めるレベル。決して古びていない私立探偵小説といえるだろう。
ちなみに日本では断続的な紹介にとどまっているけれど、驚くべきことに本国ではまだまだ年に一回ペースで新刊が発売されている。つまりバリバリの現役。
解説によると、その後の設定もさらにいろいろと変化しているようなので、ううむ、講談社文庫はこのまま埋もれさせず、なんとか続きを出していってもらえないものかな。