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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

マイクル・Z・リューイン『父親たちにまつわる疑問』(ハヤカワ文庫)

 リューイン生誕80周年記念の掉尾を飾る作品『父親たちにまつわる疑問』を読む。なんと私立探偵アルバート・サムスン・シリーズの最新刊でもあり、邦訳では十六年ぶり。しかもシリーズ初の連作中篇集で、いろいろと気になる一冊である。
 まずは収録作。

Who I Am「それが僕ですから」
Good Intentions「善意」
Extra Fries「おまけのポテトフライ」
A Question of Fathers「父親たちにまつわる疑問」

 父親たちにまつわる疑問

 独特の味わいを持つ中篇集だ。もともとは当時流行し始めたネオ・ハードボイルドの私立探偵として登場したアルバート・サムスン。だがハードボイルドには珍しく、タフガイの対極にあるような探偵だった。暴力を嫌い、女性を口説かず、人間味のある、ユーモア精神を持った探偵である。その特徴だけで普通のハードボイルドとはかなり味わいが異なるのだけれど、シリーズを積み重ねてより磨きを増し、本書などは非常にユーモラスでハートウォーミングな物語ばかりである。ハードボイルドとかミステリとか関係なく、もうオリジナリティに溢れすぎた結果、リューイン自体が一つのジャンルのようになってしまったのかもしれない。

 最初の「それが僕ですから」からして、いきなり引き込まれる。宇宙人と地球人のハーフと名乗る男・レブロンから、父の手形がついた石が自宅から盗まれたので見つけてほしいと頼まれるのだ。サムスンは近所で聞き込みを開始し、見事に事件を解決するが、極論すると本作のポイントはそこではない。事件後、犯人や事件に関与する人間の悩みや問題に寄り添い、救済しようとするところにあるのだ。
 そしてその役割を担うのは、サムスンではなく、宇宙人と地球人のハーフを自称するレブロンである。レブロンは四作すべてに登場する。「善意」では血だらけの状態でサムスンに助けを求め、「おまけのポテトフライ」では妻に殺されるという疑いを抱えた依頼者を伴い、「父親たちにまつわる疑問」では異父兄の捜索を依頼してくる。
 ただ、レブロンは宇宙人と地球人のハーフを名乗るだけでなく、現れるたびに有名人の名前を借用するし、独特の価値観を持っているため、サムスンはいつもコミュニケーションに苦労する。しかし、その面倒なやり取りの中でサムスンは根っからの善人、自己犠牲の塊でもあるレブロンの人柄を好ましく思い、いつしか自らの父親についても思いを巡らすようになる。その最終的な結論らしきものが描かれる表題作「父親たちにまつわる疑問」は絶品だろう。

 などと書いていてふと思ったのだが、レブロンがエイリアンだと自称するから目先を逸らされるが、彼は良心の具現化のような存在でもあり、言ってみれば神のような存在なのではないだろうか。自らは直接アクションを起こさず、そのきっかけを人間に与えることで、よき結果を導こうとする。そう考えると各事件の寓話性みたいなものも感じられ、これはもしかするとリューイン流の現代のお伽噺、神話のようなものかもしれないと考えた次第。


マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』(ハヤカワミステリ)

 前回の読書がヘビーだったので、今回は少し質量ともに軽いものをと思って手に取ったのがマイクル・Z・リューインの『祖父の祈り』。あのリューインもとうとう八十歳になったということで、それを記念して早川書房から復刊やら新刊が相次いでおり本書もその一環。リューインについては先月だったか『ミステリマガジン』の九月号でも特集が組まれており、リューインも現況に関するエッセイを寄稿していたが、ペースが落ちたとはいえまだ普通に現役でいるのは実に喜ばしいことだ。

 さて、『祖父の祈り』だが、こんな話。世界は未知のウィルスのパンデミックによって荒廃した。物資は乏しくなり、治安は著しく悪化、格差社会は広がる一方で、富める者と貧する者は物理的にも政治的にも大きく分断されていた。
 そんな中、感染症で妻を亡くした老人は、娘と孫だけは何があっても守るのだという決意のもと、ときには泥棒までやりながら必死に暮らしている。しかし、街の状況は悪くなるばかりで、犯罪者はもちろん警官までもが脅威の対象となっていく。やがて思いもよらないことに家族が増える羽目になり、老人は現状を打破すべく、ある決心をするが……。

 祖父の祈り

 おっと、これは予想外。もっとライトな作品かと思っていたのだが、語り口こそ相変わらずの飄々としたリューインではあるけれど、内容はいわゆるディストピア小説。理想郷たるユートピアとは真逆の、近未来の暗黒世界を描いている。
 ウィルスの影響で多くの人々が亡くなり、残された人々も今なおウィルスに怯える世界。経済活動は衰退し、治安は悪化、国家システムがほぼ崩壊した無秩序な世界である。残された人々は厳しく管理され、警察も決して市民の盾にはならず、誰もが後ろを気にしながら歩く生活。まさしく絵に描いたような近未来SF的設定である。
 といっても、そこはリューイン。題材こそ重いけれど、社会システムの崩壊とか世界を救うといった壮大なストーリーには踏み込まず、あくまでごく普通の市民が家族を守るための日常を描くことに注力する。
 昔を懐かしみ、過去の思い出を語る老人の前に広がるのは正反対の現実。悲しみに包まれながらも、家族を守る義務があると自分を奮い立たせる。それは亡き妻の最後の頼みでもあったからだ。そんな老人の生き方、考え方は特に際立ったものではなく、実際大したことができるわけでもないのだけれど、だからこそじわじわと染みるものがある。そして、そういった経緯があるからこそ、最後の老人の行動が響くのである。

 そもそも家族については、リューインが長く追い続けているテーマである。旬のネタをいち早く自家薬籠中の物としたことに驚きはしたが、やはりリューインはリューイン。あくまで自分のスタイルで思うところを物語る姿勢に嬉しくなった。テーマがテーマだけに一見さんには物足りなく思われるかもしれないが、こういうディストピア小説があってもいいだろう。

※蛇の足その1……本作はミステリではないけれども、ミステリ作家らしい演出はいくつかあって、やはりこういう部分は巧い。個人的には娘と警官が出会ったときのエピソードに思わずニヤッとさせられた。

※蛇の足その2……なんとなくだけれどリューインの作風は椎名誠の作品と似ているかもしれない。特に半径五メートル(だっけ?)の作家的というところが。考えると『アドバード』もそれっぽい作品だったような記憶が。


マイクル・Z・リューイン『カッティングルース(下)』(理論社)

 上巻の段階で早々と傑作認定していたが、幸い下巻でもそれを裏切られることなく、無事『カッティングルース(下)』を読了。いやあ、面白かった。

 カッティングルース(下)

 上巻の記事でも少し書いたが、本作は二つの時間軸の物語が交互に語られる構成をとる。
 ひとつはジャック・クロスという男装の少女が、親友を殺した犯人を追うという物語だ。親友が亡くなる場面から始まり、彼女は犯人を追ってイギリスに渡る。しかしイギリスに不案内なのはもちろん、そもそも社会経験が少ないジャックだから、その前途は多難である。ときには騙され、ときには理不尽な目に遭いながらも、応援してくれる人の力を借りながら少しずつ犯人に接近していく。
 最初は状況がよく飲み込めないものの、読み進めるうちに彼女がどうやら女性であることを隠しながらプロ野球の選手としてプレイしていたこと、そして犯人がどうやら子供の頃から知っていた人物らしいことなどがわかるが、犯人だけでなく殺された親友との関係もなかなか明らかにならない。そうした興味で物語を引っ張りつつ、下巻でこのあたりが明らかになってくるとジャックのパートは一気に盛り上がる。よくあるパターンではあるが、こうした起伏に富んだストーリーの組み立てはさすがリューインである。

 ただ、それだけだと面白いミステリで終わる可能性もある。本作に厚みを与えているのは、もう一つの物語があるからだ。
 それがジャックのの祖母にあたるクローデット・クロスの物語。十九世紀のアメリカは人種差別どころか人身売買まで普通に行われている時代で、孤児のクローデットの苦労はジャックの比ではない。ときには犯罪にも手を染めるが、自らの手で道を切り開いてゆく。そして息子マシュウが生まれると洗濯屋を開業し、協力者も現れて、彼女なりに小さな幸せを手に入れる。やがてマシュウは黎明期のプロ野球で頭角を表し、ジャックという娘も誕生するのだが……。
 クローデット、マシュウ、ジャックという三代にわたって描くことで、当時のアメリカの問題点を浮き彫りにし、さらにはジャックのパートで不明だったところが鮮明になる。というかジャックのパートの一番最初に綺麗に繋がるわけである。これがまた気持ちよい。現代と過去、二つのパートで交互に物語るスタイルは最近のミステリには非常に多いけれど、本作のように近い時代で絡めてくるパターンは珍しく、こういうところもリューインの巧さだろう。おまけにアメリカのプロ野球黎明期の様子も面白く読めるし、それらが渾然一体となり、文字どおりページを捲る手が止まらなくなるのだ。

 それにしてもリューインがこういった小説、つまり家族年代記ともいうような小説を書いていたとは思わなかった。読む前は予備知識として、友人を殺された主人公が自分で犯人を追うという作品、しかもYA向けということなので、要はライトで口当たりのよい青少年向けミステリのイメージだったのだが、いざ読んでみると全然違う。
 そもそも、そこまでYA向きという内容ではないし、殺人犯を追うのも全体のなかの一面でしかない。本作はもっと大きなテーマをもったエンターテインメント作品なのである。ちょっと強引だが、タイプとしては『父を撃った12の銃弾』『ザリガニの鳴くところ』に近いかもしれない。
 とはいえプロットやサプライズはミステリ的な香りも強く、この辺はやはり『ザリガニの鳴くところ』あたりとは一線を画すところだろう。どちらがいい悪いではなく、リューインはそういうタイプの作者・作品ということだ。

 本書は理論社という版元もあってか、刊行時はミステリファンの間でもあまり評判にならなかったようだ。実際、管理人もようやく読んでいる始末である。しかし、その出来はリューイン全作中でもトップクラス。今年、早川書房からはリューインが三冊刊行されるということだし、本作は刊行から十六年経ったこともある。できれば本作もぜひ文庫化して広く読まれてほしいものだ。


マイクル・Z・リューイン『カッティングルース(上)』(理論社)

 早川書房から年明け早々に今年のラインナップがアップされていたが、その中でちょっと驚いたのはマイクル・Z・リューインの新刊が三冊も出ることだった。まあ、そのうちの一冊は『沈黙のセールスマン』の復刊なんだけれど、そのほかの二冊は完全な新作で、アルバート・サムスン・シリーズの最新連作中編作も含まれているという。
 個人的にはネオ・ハードボイルドばかり読んでいた時期もあり、邦訳されたリューインはもちろん全作読破したぐらいなのでこれは嬉しいかぎり。などと書いたところで、実は一作だけ読んでないことを思い出した。ノンシリーズでYA向けの作品ということもあり、長らく積んでいた『カッティングルース(上・下)』である。新刊をリアルタイムで買っていたので、なんと十六年ものの積読(笑)。新刊が発売される前に片付けておこうと、ようやく読み始めた次第。

 カッティングルース(上)

 とりあえず本日は上巻まで読み終えたが、これは傑作の予感……というか上巻の段階で傑作認定していいぐらいだ。
 物語は19世紀末と19世紀初めの二つの時代が交互に描かれる。19世紀末のほうは男装の女性野球選手ジャック・クロスが、友人を殺害した犯人を追ってロンドンへ渡るという冒険譚。片や19世紀初めの物語は、クローデット(実はクロスの祖母)という女性の数奇な人生を描いてゆく。上巻の段階では、このクローデットのパートがとにかく素晴らしい。当時の未熟なアメリカの状況の中で、幼くして孤児になったい彼女がいかにして辛苦に耐え、打ち勝っていくのか。その境遇も次々と変化し、一気に引き込まれた。
 もちろんクロスのパートも悪くない。今後、こちらがどのように展開するのか、更なる期待を込めて下巻突入。



マイクル・Z・リューイン『神さまがぼやく夜』(ヴィレッジブックス)

 先日プロンジーニを読んだからというわけでもないのだが、今度はマイクル・Z・リューインの新刊『神さまがぼやく夜』を読んでみた。
 リューインはプロンジーニと同様、ネオ・ハードボイルド系の作家である。私立探偵アルバート・サムスンやパウダー警部補、探偵家族ルンギ一家のシリーズなどが知られていて、どれもオススメなのだが、代表シリーズをひとつ挙げろと言われればやはりサムスンものを推したい。

 サムスンものに関していえば、どの作品も事件自体はいたって地味なものだ。そこにハードボイルドの探偵にしては極めて常識人的なサムスンが関わっていくうち、アメリカの抱える社会問題が炙り出しのように、じわーっと浮かび上がってくるという寸法。
 語り口も心地よく、シリアスな中にも程良いユーモアを漂わせる。惜しむらくはコレという絶対的な代表作がないことだが、裏返せばこれは出来にムラがないということでもある。水準はどれも一定のレベルを満たしているので、ハードボイルド云々にこだわることなく、幅広い層にオススメできるシリーズでもあるのだ。

 前振りが長くなってしまったが、本作はそんな手練れのリューインが書いた数少ないノンシリーズ作品。しかも主人公がなんと神さまだというのだから、これは気にするなというほうが無理。

 このところ新たな宇宙創造に集中するあまり、久しく人間界の様子に疎くなっていた天地創造の主、神さま。 久々に降り立った下界では、人間の進化が神の想像を遥かに超えてしまっていた。おまけにかつて自分に似せて創ったはずなのに、彼らのやることなすことがまったく理解できない。
 その上、仕事にこもってばかりいたせいで欲求不満気味でもあった神さま。人間の女性との自由意志による肉体関係にも意識が向いてしまう。そこでリサーチとばかり夜ごと酒場を巡り歩くが……。

 神さまがぼやく夜

 面白い。
 要は現状に悶々としている神さまが、たまにはいい女といい関係になりたいぞという物語である。しかし酒場で女性に声をかけるところまではよいが、そのあとが続かない。
 なんせこれまで自分の意志を一方的に行使するだけでよかった立場である。そもそもコミュニケーションなど取る必要がないので、コミュニケーション技術など無いに等しい。毎度のように女性の逆鱗をかい、平手打ちを食っては反省する日々だ。そんな神さまが少しずつ場数を踏み、ときには悪魔の知恵も借りながら、成功をめざす。

 まあ、言ってみればそれだけのストーリーなのだが、この神さまの失敗談が大変面白く、そして多くの失敗から神さまも少しずつ教訓を得て、人間的に(?) 成長してゆく様が憎らしいほど巧い。ユーモアいっぱいなのだが、徐々にウルッと来るエピソードも差し込んでくるなど、この匙加減の絶妙さはさすがリューイ ン。大学での教授とのやりとり、小児病棟での子供とのやりとり、鯨とのやりとりなどは独立した短編でもいいぐらいの鮮やかさだ。
 
 結局、本書でリューインが謳っているのは宗教論でもなく恋愛論でもなく、人間賛歌だ。
 現代アメリカの抱える様々な問題のなかで、辛いことはいろいろあるけれど、それでも前を向いて歩こうよというリューイン流のメッセージなのである。ページの端々、エピソードのあちらこちらから、リューインのそんな気持ちがひしひしと伝わってくる。
 殺伐としたミステリばかり読んでいる身としては、非常に気持ちよく楽しめた一冊であった。


マイクル・Z・リューイン『眼を開く』(ハヤカワミステリ)

 マイクル・Z・リューインの『眼を開く』を読む。いやいや、久々のアルバート・サムスン物だ。前作から何と十年以上も間が開いてしまったが、まずは心から復活を祝いたい。リューインのサムスン物に限らず、ネオ・ハードボイルドとして持てはやされたシリーズの数々が、最近では滅多に翻訳されることもなく、こちとら実に寂しい思いをしていたのだ。
 なんせ日本でいまだに刊行されているネオ・ハードボイルドといったら、スペンサーかマット・スカダーぐらいのものではないか。モーゼス・ワインやアロー・ナジャー、名無しの探偵あたりは未訳もけっこうあるはずなのにさっぱりだし、デイブ・ブランドステッターやジョン・マーシャル・タナーに至ってはシリーズそのものが完結しちゃったもんなぁ。そういうなかでサムスン復活は実に喜ばしいニュースなのだ。

 私立探偵の免許を失効していたアルバート・サムスンに、遂に免許再発行の時が訪れた。意気揚々と仕事再開に燃えるサムスンだが、そんななか大手弁護士事務所から、友人のミラー警部の身辺調査という仕事が舞い込む。友人とはいえミラーはサムスンが免許を失う原因をつくった張本人。複雑な思いで調査を開始したサムスンだったが……。

 免許を失った間のサムスンは、客観的に見ると相当情けない毎日を送っていたようだ。そのせいかせっかく仕事を再開しても、ここかしこに弱さを垣間見せ、かなりのブランクを感じさせる始末。「心優しき探偵」がサムスンの特徴とはいえ、以前はここまでダメダメな男ではなかったはず。しかし、それが久々の探偵仕事をこなすうち、徐々にではあるが本来の彼に戻っていく。これがタイトルにある「眼を開く」ということなのだろう。
 そんな再生の物語を、リューインは巧みなユーモアにくるんで語っていく。何といっても会話の妙。ときにはユーモアが勝ちすぎて、逆にやや物足りなく感じる部分もないではない。初期の作品群にあった内省的な部分は、ユーモアと並んでこのシリーズの持ち味でもあったはずだ。ところがこの最新作ではその割合がかなり変わった。だがリューインの近作『探偵家族』シリーズなどを読んでみると、こちらこそがリューインの本来持っている資質ではないかと思ったりもする。
 とりあえず今後にさらなる期待。


マイクル・Z・リューイン『探偵学入門』(ハヤカワミステリ)

 DVDで『サウンド・オブ・サンダー』を観る。監督ピーター・ハイアムズ、原作レイ・ブラッドベリという組み合わせには期待できたものの、できあがりはなかなか無惨なものであった。華に欠けるキャスト、素人目にもしょぼいCG、粗っぽいストーリーと、あまりお勧めできる代物ではない。実は制作途中でいろいろなアクシデントに見舞われたようで、かなり不運な映画ではあったらしい。しかしこれを劇場で観せられたお客さんこそいい面の皮である。

 読了本はマイクル・Z・リューインの『探偵学入門』。
 リューインは基本的には長篇作家だと思うが、この著者唯一の短編集は予想以上に上質。ことさらリューインが職人的作家だとは思わないが、長い物から短い物、コメディタッチからシリアスな物まで、意外と何でも器用にこなせることに驚いてしまった。ただ、リューインの語り口は、基本的に肩の凝らないマイルドな味わいである。「ミスター・ハード・マン」のような辛口も悪くないが、ルンギ一家もののようにユーモアを孕んだ方がより実力を発揮できるように感じられた。
 あえて本書にケチをつけるとするなら、肝心のアルバート・サムスンものが入っていないこと。もうすぐ久々の長篇が出版されるということなのでそれまでの我慢か。


マイクル・Z・リューイン『探偵家族/冬の事件簿』(ハヤカワミステリ)

 関東地方は本日より梅雨入り。鬱陶しい日々が始まる。

 マイクル・Z・リューインの『探偵家族/冬の事件簿』を読む。
 リューインと言えば私立探偵アルバート・サムスンやパウダー警部もので知られているが、ここ最近はまったく新作が紹介されず、寂しいかぎりであった。その隙間を埋めるように登場したのが家族全員で探偵業を営む(実際は全員というわけでもないのだが)探偵家族のルンギ一家シリーズである。

 ややコミカルながらもしっかりネオハードボイルドしていたサムスンや、より真っ当なパウダー警部ものなどと違い、こちらは極めてほのぼの系だ。形式的には複数の事件が同時進行するモジュラー型といえる。
 ただし、そのどれもが他愛ない事件であり、ときには事件ですらない。加えてルンギ家に巻き起こる家族内のトラブルも発生する始末。あくまでミステリは衣装であり、中身はユーモア溢れる家族小説といった趣だ。いつものリューインの作品を期待するとかなり裏切られる羽目になるが、さすがに読ませる技術は高く、キャラクターを楽しむ物語と割り切ればまったく問題ないだろう。

 本作ではブティックへの強請り、ポケベルでの脅迫事件、伯父殺しという三つの事件が同時に進行し、しかもここに家族のトラブルが三つも四つも重なってくる。作者のサービスの徹底ぶりは恐れ入るが、正直、前半はかなり忙しなく、やや消化不良の感がある。しかし後半に入ってそれを一気に収束に持っていき、かつ家族の絆を巧みに描くところはさすがリューイン。

 というわけで一応は楽しめるレベルにある作品なのだが、それでもやっぱりサムスンやパウダー警部ものの方がいいよなぁ、と思ってしまうところに本作の限界があるような気がする。今さらこういうものをリューインが書く必要はあるのだろうか?


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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