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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

エリザベス・フェラーズ『カクテルパーティー』(論創海外ミステリ)

 昨日は仕事納めで、本日は家の大掃除。すでに筋肉痛が出ているのが情けない。

 本日の読了本はエリザベス・フェラーズの『カクテル・パーティー』。一ヶ月ほど前に読んだ『灯火が消える前に』が思いのほか良かったので、こちらも早々に手に取ってみた。1955年のノンシリーズ作品である。

 ロンドン郊外にある小さな村で暮らす元女優のファニーと大学教授の夫バジル。ファニーは息子同然に可愛がってきた異母弟のキットが婚約したという話を聞き、そのお披露目を兼ねてカクテルパーティーを自宅で開催することにする。
 だがそのパーティーで出されたロブスター・パイが苦く、みなが残してしまうなか一人だけ美味しいと食べ続けた男性が、帰宅後に死亡してしまう。死因はヒ素による中毒死であった……。

 カクテルパーティー

 なるほど、ネットでの評判もよかったのでけっこう期待していたが、これは『灯火が消える前に』に匹敵する出来だ。しかも序盤にパーティーという舞台をもうけ、それを通してクセの強い登場人物を紹介し、同時に不安定な人間関係を読者にイメージさせるという共通点があるのが面白い。

 もともと人物描写に定評あるフェラーズだが、本作でもその手腕はフルに発揮されている。
 姉離れできていないキット、その婚約者で裏表が激しいローラ、一見常識人だが妻の資産に頼って暮らすコリン、村のトラブルメイカー・トム、キットの元恋人でトムの娘スーザンなどなど。主要人物のほとんどが感情移入しにくいタイプなのに、その絡め方が絶妙で、正直、大した事件が起きなくても十分に面白いのである。
 本作の注目はもちろんローラで、二面性とまではいかないが裏表の激しい典型的な悪女タイプ。それが一番わかるのは実は読者であって、それに登場人物が振り回される様を眺めていると……。こういう展開もうまいんだよなぁ。
 ただ、ローラ以上に興味深い登場人物が、実はもう二人ほどいるわけで、それはご自分で読んでお確かめください。

 本格ミステリとしても悪くない。パーティーの招待客に隠された秘密は、それ単体でもまあ普通に面白いが、それがある偶然を盛り込むことで、事件の構図を一気にややこしくする。
 あまりガチガチな本格というふうではないけれど、そういった偶然によって起こるさまざまな影響などを、きちんと描写として伏線的に落とし込んでいるところがさすがである。
 地味だと言われがちなエリザベス・フェラーズのノンシリーズ作品だが、本作にかぎってはそれも当たらないだろう。誰が真犯人なのか、ついでに誰が探偵役なのかという興味も含めて、ラストまで一気に楽しめる佳作である。


エリザベス・フェラーズ『灯火が消える前に』(論創海外ミステリ)

 エリザベス・フェラーズの『灯火が消える前に』を読む。
 フェラーズの作品といえば今では創元から刊行されたトビー・&ジョージ・シリーズがよく知られているところだろう。健全なユーモアに味付けされた軽めの本格といったイメージで、最初に読んだときは、フェラーズってこういうコージーっぽいものも書くんだという新鮮な驚きであった。
 ただ、それらは最初期の作風であり、フェラーズは早々にこのシリーズを打ち止めると、シリアスな路線へと変更した。本書『灯火が消える前に』はちょうどそんな路線変更直後の作品にあたり、この前年には『私が見たと蠅は言う』も書かれている。

 まずはストーリー。
 灯火管制の敷かれた戦時下の英国。友人の刺繍作家セシルからホームパーティに招かれたアリスは、そこでスリラー作家のフランク、著作権エージェントの会社を営むピーターとジャネット、物理学者のロジャー、セシルとジャネットの高校時代の同級生キティらと顔を合わせた。
 だが、ほどなくしてアリスは集まった人々の関係が決して良好なわけではないことに気づき、このパーティが失敗するだろうことを予感する。しかも夫人を自殺で亡くしたばかりのリットという劇作家が階上で伏せっていることまで明らかになる。
 そして悲劇は訪れた。リットが殺害され、ジャネットが逮捕されたのである……。

 灯火が消える前に

 フェラーズの作品は邦訳されたものなら『カクテルパーティ』以外はだいたい読んでいるはずだが、個人的にはコージー系のトビー・&ジョージ・シリーズよりはシリアスなタイプの作品が好みだ。無理に賑やかで派手な展開にせずとも、フェラーズには丹念な描写だけで読ませる力があり、本作では特にそれを感じた。

 本作はとにかくトビー・&ジョージ・シリーズと同じ作者なのかと思うぐらい作風が転換している。冒頭こそホームパーティや殺人、そして容疑者逮捕といったそれなりに派手な展開を見せるものの、それ以降は主人公アリスがパーティに出席した者たちを訪問して話を聞くことに終始する。
 警察の聞き込みといったようなものではない。アリスは確たる根拠もないまま、ジャネットに会ったばかりの印象だけで何となくジャネットが無実ではないかと思っているだけなのである。だからアリスはまずジャネットと殺害されたリットの人となりを聞いて回る。そこで明らかになるのは事件の真相などではなく、パーティ出席者たちの人間模様であり、出席者たちの素顔であり本性だ。
 ここが実に面白いところで、ジャネットの話をする関係者は、実は自分自身について語っている。ストーリーとしては大した動きもなく地味なものだが、ジャネットをはじめとした関係者の人間性がじわじわ浮かび上がってくる展開は読み応えがあり、まったく退屈することはなかった。特にロジャーやキティとの会話はやばすぎて、下手なサイコスリラーよりもドキドキしたほどだ(苦笑)。

 本格としてはそこまで凝ったものではないが、戦時下という状況を生かした工夫もあるし、ラストで新たな探偵役が登場するところなど茶目っ気もある。トータルでは十分に満足できる一冊であった。
 こりゃ『カクテルパーティ』も早く読まないとなぁ。


エリザベス・フェラーズ『嘘は刻む』(長崎出版)

 エリザベス・フェラーズの『嘘は刻む』を読む。
 近年、紹介されてきたフェラーズの作品といえば、トビー・ダイク&ジョージ・シリーズに代表される、カラッとした明るさとユーモアが身上の本格ミステリである。一方、本作は、本格は本格だが、雰囲気はまるで正反対。登場人物全てが胡散臭さを漂わせ、終始、陰鬱なムードに包まれた作品だ。
 とはいっても実は個人的にフェラーズのユーモアが苦手だったので、この暗さはまったく気にならない、というかむしろ望むところ。

 嘘は刻む

 舞台はイギリスのとある田舎町。オーストラリアから六年振りにイギリスへ帰ってきた主人公エマリーは、かつて愛したこともあるグレースのもとを訪れた。ところが久々の再会にもかかわらずグレースの気はそぞろ。気持ちの醒めるエマリーだが、仕方なく翌日に再び会う約束をして、いったんホテルに戻ってゆく。
 ところがその夜、グレースがいきなりホテルへ現れた。友人の家具デザイナーであるサインが殺されたというのだ。サインの家へ向かったエマリーが目にした物は、狂った時計で溢れかえった奇妙な殺人現場だった……。

 主人公のエマリーはグレースの言動に不審な点を感じたこともあり、成りゆきで独自に殺人事件の調査に乗り出す。しかし、グレースばかりか事件関係者はことごとく何かを隠しているようで、エマリーは常に疑心案義のまま聞き込みを続けてゆく。
 このエマリーと関係者の、オブラートに包まれ放しの会話が効果的である。登場人物たちの性格や人間関係は事件の背景にも密接に絡んでくるのだが、それを巧みにぼかしながらストーリーを展開する様はなかなか見事。要はプロットがしっかり作り込まれているのである。
 結論。暗く地味な展開ながら意外なほどリーダビリティは高く、解決のきっかけとなるエピソードやラストのサプライズも悪くない。渋めの英国ミステリがお好みの方ならぜひ。


エリザベス・フェラーズ『ひよこはなぜ道を渡る』(創元推理文庫)

 エリザベス・フェラーズの『ひよこはなぜ道を渡る』を読む。
 友人のジョンの屋敷を訪れたトビーは、自分の目を疑った。書斎に倒れているのはまぎれもないジョンの姿。部屋は荒れ果て、弾痕や血痕までが残されている。だが、驚いたことにジョンの死因は自然死だった。では弾痕や血痕は果たして何を意味しているのか。“死体なしの殺人”と“殺人なしの死体”で幕を開けるトビー&ジョージ最後の事件。

 ひよこはなぜ道を渡る

 E・X・フェラーズなどと呼ばれていたときはけっこう渋い英国ミステリの印象だったが、創元でトビー&ジョージ・シリーズが紹介されるや、あっという間にユーモア本格ミステリの第一人者として認められた感のあるエリザベス・フェラーズ。実際はかなり古い物語なのだが、現代的にアレンジした翻訳、キャラクター設定も功を奏した感じで、見事に女性ファンを掴んだようだ。これは訳者の勝利か、はたまた版元の勝利か(笑)。

 ただ、キャラで読ませる部分も大きいが、それ以上に本格としてのエッセンスを備えているところがフェラーズの魅力である。本作でも“死体なしの殺人”と“殺人なしの死体”というひねくれた導入、次々と墓穴を掘りまくる登場人物など、ひと癖もふた癖もある設定で読者を引っ張っていく。真相もそれに応えるだけの驚きはあるし、タイトルの「ひよこはなぜ道を渡る」から一気に解決までもっていくジョージ君の推理も見事。
 そんなわけで基本的にはオススメの一作。
 ただし、ただしである。個人的にはどうしても本シリーズのユーモアが馴染めない(爆)。以前に『その死者の名は』の感想でも書いたのだが、笑いのセンスが合わないのである。登場人物たちが終始はしゃぎすぎているから逆にギャグが生きないというか、物語の起伏がぼやけるというか。ま、いろいろ理由も考えつくのだが、結局これは生理的なものに尽きるのだろうなぁ。ファンの人、ごめん。


エリザベス・フェラーズ『その死者の名は』(創元推理文庫)

 エリザベス・フェラーズ『その死者の名は』読了。特に意図はしていないが、たまたま前回読んだアントニイ・バークリー『レイトン・コートの謎』と同じく、本書も作者のデビュー作である。創元推理文庫での再紹介が始まって以来、この一冊でほぼ初期の作品は出そろったことになるのかな?
 フェラーズも再紹介が進んで、バークリー同様ここ数年でずいぶん評価が上向いた作家だ。ただ、実は個人的にはそれほどのものかなぁという居心地の悪さがある。ほのぼのとした上品なユーモアが肌に合わないせいもあるのだが、インパクトのあるトリックや仕掛けを持ち出すわけでもないし、プロットも平凡。まとまってはいると思うがいかんせん小粒で、次も読もうという気になかなかならないのだ。
 とはいえ読みやすさは抜群だし(これは訳者のお手柄か)、本格としての水準点はクリアしているとも思う。シリーズキャラクターに好印象をもったり、このほのぼの感にはまる人がいるのも確かに納得できる話である。解説で書かれていたが、新本格として紹介されてもおかしくない云々というのも、まことに的を射た表現だ。ただ、新本格というよりはコージー派という表現の方が適切かも。
 ああ、そうか。だから自分には合わないんだ。新本格もコージーも苦手なんだよな。

 さて、本書であるが、こんな話だ。
 とある小さな村の警察署。そこへ深夜に飛び込んできたのがミルン夫人だ。なんとたったいま人を轢いてしまったというのである。警察はさっそくこの死体を調べるが、まったく身元がわからない。大量に酒を飲んでいた形跡はあるが、酒瓶の類もない。これは本当にただの事故なのか? そもそも彼はいったい何者? 何のためにこの町に来たのか?

 はっきりいって、自分的にはやっぱりダメ。謎解きとかプロットとかということではなく、序盤の設定や展開に萎えてしまってのめり込めないのである。一番ひっかかるのが、人を轢いたわりにはえらそうにしているミルン夫人のキャラクター。自分のクルマで人を轢き、もしかすると自分が殺したかもしれないというのに、この態度はないだろうと言う感じで、読んでて不愉快になってしまう。
 ミルン夫人がそういう冷酷な人物という設定だったらわかる。あるいは徹底的に死を茶化すような狙いがあるのなら、それも可。でも、本書にそんな要素はひとつもない。
 しいて言うならミステリという劇画化された世界の物語、しかもユーモアを打ち出した小説だから、ということになるだろう。ただ、それでも本格ミステリとしてのリアリティ&お約束は必要だ。この世界は現実をできるだけリアルに模倣した虚構世界である。それを無視して話を進めてはいけないし、人物描写もまたしかり。実際、こんなおばさんがいたら、その場で遺族に殴られるぐらいは覚悟すべきであろう。おまけに警察の対応もいまひとつわからない。被害者が泥酔していたことが判明すると、これじゃ死んでも仕方ない、とくる。

 ミステリだから劇画化されるのは全然かまわない。しかし、これは単に人物描写が拙いだけのことではないかと思う。あるいはユーモアのピントがずれているのか?
 トータルではまずまず悪い作品ではないだけに歯がゆい限り。これは決して自分の嗜好だけが原因ではないと思うのだが……。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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