ラフカディオ・ハーン=小泉八雲『怪談』読了。
最近寝る前に読んでいるアンソロジー中島河太郎、他の編纂による『現代怪談集成(上)』というのがあるのだが、この巻頭に小泉八雲の「破約」が載っている。この印象があまりに強烈だったので、あらためて小泉八雲の怪談を読み直したくなり、たまたま買ってあったちくま文庫の『怪談』を読んでみた。
ところが残念なことに、“恐怖”という括りで読むのなら、実は「破約」ほど強烈なインパクトのあるものはなかった。
しかし、まとめて読んであらためて思ったのは、(手垢がついた表現で恥ずかしいけど)やはりハーンは日本人以上に日本人的な人物だったのだということ。人間の心や自然の持つ不思議な力を、コンパクトながらゆったりと、ときには鮮烈に、そして美しく語ることのできる人はそうそういまい。場面場面がすぐに絵に浮かぶ。そういう魅力がある。
「耳なし芳一」や「むじな」「雪おんな」などのメジャー級はもちろん知っていたが、「これもハーン?あれもハーンかよ?」というのがけっこう多く、なかなか勉強にもなった。今さらながらラフカディオ・ハーンがいかに日本に根付いているのかを再確認した次第である。お恥ずかしい。
なお、本書は平易な現代語訳がなされており、読みやすいことは読みやすいが、少々印象が軽くなるのは残念。多少は読みにくくても旧仮名遣いの方が雰囲気は出るだろうに。