エヴァン・ハンターの『暴力教室』を読む。映画化もされている有名な作品だが、これが恥ずかしながら初読である。
言うまでもなくエヴァン・ハンターはエド・マクベインの別名義。むしろハンター名義の方で先にブレイクしており、そもそもこっちが本名である。
不思議なのは『暴力教室』でようやく名前の売れたハンターなのに、あえてマクベイン名義で87分署を書いたことだ。『暴力教室』と87分署の第一作『警官嫌い』の刊行時期はけっこう近いので、『暴力教室』が売れるかどうかは関係なく、既に『警官嫌い』が別名義で出ることは決まっていたのかもしれない。あるいはマクベイン名義は87分署をはじめとするミステリ用、ハンター名義は主に普通小説用みたいな路線を決めていたのか、それとも出版元との契約上の絡みでそもそも別名義で出す必要があったのか。まあ、ハンターは若い頃からいくつかペンネームを使っていたらしいので、そこまで深い理由はないのだろうけれど。

そんなことはともかく『暴力教室』。まずはストーリーから。
ニューヨークの実業高校に赴任してきた新人教師リチャード・ダディエ。希望を胸に教職を選んだ彼だったが、現実は厳しいものだった。差別やいじめ、暴力が蔓延し、始業式の日には新任女性教師が生徒に襲われそうになる始末だ。とてもまともに授業を行えるような状況ではなかったが、ダディエはそれでも生徒の心を開こうと働きかけていく……。
校内暴力を何とか改善しようと闘う若い男性教師の物語。今となっては東西問わず手垢がつきまくったテーマだし、1950年代という少し古い作品なのだが、なめてかかるとエラい目に遭う。
それこそ校内暴力のタイプが根本的に日本と異なるのだろう。当時のアメリカの差別や貧困、ギャングといった社会問題が背景にあり、暴力や不良生徒のレベルが強烈である。陰湿さとかは日本の最近のいじめなどの方がそれはそれでエグいのだが、当時のアメリカの非行はもっと単純だけれど、そのままギャング予備軍とでもうべきストレートな怖さがある。クラス中の非行生徒を立ち直らせるという行いは、一介の教師の手に余るものであり、教育の範疇を超えたものなのだ。
そんな過酷な状況を描く著者の筆力がすごい。87分署シリーズとはまた違ったベクトルというか、凝ったところはないけれど、もっとシンプルで辛口。
正直、救いのなさと重苦しさに、今回は読む手が途中でかなり止まった。掘り下げが強烈なことに加え、一歩進んで二歩下がるというような、主人公に襲いかかる苦悩の波がとにかく堪えるのである。
ラストは主人公の努力が一応は報われた形で終わり、ひとまずホッとはできるものの、実はこれが決して終わりでないことは自明の理だろう。これはあくまで一時的な勝利であり、生徒や教師のの将来はまだまだ混沌としているのだ。だが、それでも、この小さな希望の灯りがあるからこそ、人は前に進もうとするのだろう。
決して楽しい物語ではないけれど、ハンター=マクベインの代表作と言われる理由は確かにある。
なお、本作はまったくミステリではないので念のため。