ミステリファンにとってのエーコといえば、やはり『薔薇の名前』だ。今回読んだ『前日島』はそのエーコが書いた漂流譚。といってもエーコのことだから、そんな一筋縄でいくような物語ではない。漂流そのものに関わる部分より、脱線の方がはるかに多い。というよりそもそも脱線の方がメインなのである。読者はその脱線の部分を自分なりに紡ぎ、エーコの挑発に応えなければならないのだ。
時は1643年。島の入り江に浮かぶ船に漂着した遭難者、ロベルト・ド・ラ・グリーヴ。ロベルトがその船で書く恋文を軸にして物語は進められる。語られるのはたんなる恋人への想いではない。彼の生涯、恋愛論、哲学、歴史、宗教、そして何よりタイトルの基になる日付変更線について。まさに知の奔流という形容がふさわしい壮大な迷宮世界である。
とにかく事実や妄想がごっちゃになって語られるその内容は、読み手もそれなりの知識と教養が必要なことは言うまでもない。次から次へと提示される小テーマに、はっきりいってついていくだけで精一杯である。読んでいる間、自分が本当に作家のメッセージを理解しているのか、ほとほと不安になるのだ。
加えて『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』に比べると、物語の持つ力はそれほど強くないのが辛い。
ストーリーはわかりやすいと言えばわかりやすいが、要は漂流者の妄想だから、上っ面だけを読んでも絶対にエーコの企みなど理解できるはずもない。登場人物たちのかわす会話は自ずと講義のようでもあり、小説を読んでいるという気持ちすら失せてくる。いや、エーコはおそらく最初からそんなことは無視しているのだろう。
とにかく読んでいると退屈と興味が交互に襲ってきて、大変疲れる。少なくとも通勤電車で読む本ではないだろう。
そんななかで最後にエーコは、小説に対して妥協?を見せる。ロベルトの最後の行動がそれだ。決着のつけ方としては何とも無理矢理であり、結末が読者の判断に委ねられるとしても、これは少々いただけない。「じゃあ今までたれてきた蘊蓄は何なの?」って、読者をそんな気にさせちゃだめだと思うのだが。
そんなこんなで『前日島』を人にお勧めするのは、なかなか躊躇いがある。たまには小難しい小説を読みたいという人なら。