本日の読了本はローレン・D・エスルマン『欺き』。
なんと十年ぶりの私立探偵エイモス・ウォーカーものだ。名無しの探偵、アルバート・サムスン、マット・スカダー、ジョン・マーシャル・タナーなど、同時代のネオハードボイルドの探偵たちがある程度コンスタントに翻訳され続けたのに対し、この作家は実力の割に日本で冷遇された一人といっていいだろう。ハヤカワのポケミスで初紹介された『シュガータウン』からして、ウォーカーものの五作目という始末だが、以下六作目、八作目が出ただけで、途絶えていたシリーズ。今回の『欺き』はシリーズの七作目であり、もう順番めちゃくちゃ。本国ではまだまだ現役で、2001年にはすでに十六作目までいってるから、海の向こうの人気は悪くないはず。でも日本じゃ売れないんだよな。
今回の話は、元ジャズマンだった父親を捜してほしいと、元娼婦の女性から依頼されるのが発端。前半は地道なウォーカーの捜査が中心となるが、やがて意外な男の過去が浮かび上がるにつれ、事件は地元のギャングなども巻き込んで、複雑な様相を呈していく。
エスルマンの物語で特徴的なのは、やはり人物造形の巧さだ。エイモスの魅力もさることながら娼婦上がりのアイリス、捜査に協力してくれるセイラー警部補、オールダーダイス警部補など、印象に残る人物は多い。しかし、いかんせん事件が退屈で、後半はでな展開になるにもかかわらず、もうひとつのめり込むことができない。キャラクターが活きているので場面場面は読ませるのに、読後の印象は弱いのが残念。
これはシリーズ全般にいえる特徴でもあり(っても邦訳された四冊しか読んでないんだけど)、このあたりが日本でブレイクできない理由のひとつだろう。
ついでにいうと、日本で売れないもうひとつの理由もある程度察しはつく。それはエイモス・ウォーカーというキャラクターのせいではないかと思っている。
エイモス自体はかっこいいのだ。同時代のネオハードボイルドの探偵たちが何かしら弱さを持っていたのに比べ、彼はタフな上に知性もあり、いきのいい警句も忘れない。作者自身がマーロウを尊敬しているというように、ウォーカーは現代のマーロウなのだ。
しかしシリーズものの魅力として、主人公たちの私生活があることは言うまでもない。読者は主人公や作中のシリーズキャラクターたちの私生活を知り、成長を見ていきたいのだ。弱さがなければ共感も得にくい。また、弱さを見せなくてもいいから、せめて生の感情を知りたいとも思う。犯罪者に対して持つ怒り、被害者に対して持つ憐れみ、そのほか様々なことに対する考え。
だが彼の生き方は、彼の口からはほとんど語られることはない。エスルマンは、(おそらく)あえてシリーズもののそうしたメリットを避け、初めから完成された探偵を使い、あくまで事件を中心にして語っていくのだ。この辺はロスマクっぽいところでもある。それが良いか悪いかは別にして、少なくとも日本での人気をあげるのに一役買っているとはいえないだろう。
非難めいた感想になったが、管理人はこのシリーズを“買い”だと思っている。オーソドックスながら、ここまで決めてくれるハードボイルドなんて、最近は滅多にない。