『ハンニバル・ライジング(下)』読了。やっぱり予想どおり微妙な作品であった。
時は第二次大戦中のリトアニア。ドイツ軍の侵攻を避け、山奥に逃げ延びて暮らしていたハンニバル・レクターとその家族だったが、結局は戦禍から逃れることはできなかった。生き残ったのはまだ幼いハンニバルと妹のミーシャのみ。しかし、そんな彼らをさらなる悪夢が襲う。ナチスに協力していた男たちが二人のもとへ現れ、ハンニバルは妹を失ってしまったのだ。
かろうじて生き延びたハンニバルは、孤児院に収容される。言葉を発することもなく、記憶の一部すら失ったままだったが、すでに天才的な知能と恐るべき怪物性の萌芽は生じ始めていた。やがて唯一の肉親である伯父に引き取られ、パリで暮らすことになったハンニバルは、運命の人、紫夫人と出会うことになる……。
ストーリーをあまり書きすぎるとそのままネタバレになりそうなので、まあこの程度で。
ただ、物語自体はそれほど複雑なものではない(シリーズ中もっともシンプルで読みやすいぐらい)。基本はハンニバルの家族を襲った悪に対する復讐の物語である。同時にハンニバルの成長過程が描かれ、彼の恐るべき人格がどのように形成されていったのか、読者は知ることになる。
まあ、ある程度は面白く読めるし、最後のオチの部分は確かに上手いと思うのだが、トータルではほとんど想定の範囲内。過去の作品で受けた衝撃はまったくといっていいほど感じることができなかった。やはり完成された「人格」での活躍?をすでにこちらが知っていることもあり、この程度ではもはや普通の冒険小説ぐらいにしか思えないのである。ハンニバルの殺人技術などもまだ未熟だし、それならそれで思い切ってハンニバルが苦しみながら成長する物語にしてもよいと思うのだが、そこまで落ちるわけでもない。なんとも中途半端だ。
もうひとつ気になるのは、徹底的な日本趣味である。本作では主要キャラクターに日本人が登場し、ハンニバルに大きな影響を与えることになる。当然ながら日本や日本人に関する様々な描写や思想が語られることになるのだが、一昔前の誤った日本人観ほどひどくはないにせよ(むしろ相当がんばっているとは思うが)、それでも日本人からみれば違和感を感じざるを得ない。
結局のところ、やはりハンニバルは単なる怪物としてそのまま置いておくべきではなかったか。本書によってハンニバルを神格化したかったのか、それとも一大サーガを創造したかったのか、正直、作者の狙いがわからない。『レッド・ドラゴン』や『羊たちの沈黙』の怖さまでが薄められてしまうようで、個人的には歯がゆさばかりが残る。
なお、これを書いた後で、いくつか他の感想をネットで見てみたのだが、やはりネタバレ率がけっこう高い。特に映画関係はやばい。ざっと見た限りでも半数以上のブログで、終盤に明かされるある事実を平気で書いてしまっている。もしかすると映画ではさっさと序盤でネタを明かしているのか? こちらは映画を観ていないのでなんともいえないが、とにかく先に原作を楽しもうという人はご注意のほどを。
『ハンニバル・ライジング』が新潮文庫で出たと思ったら、映画の予告編も急にテレビで流れるようになり、少々焦り気味。
というのも、映画の方の感想で、ネタバレを目にする確率が一気に高くなるからである。これはまずいってんで、本日はさっそく上巻までを読み終える。
詳しい感想は下巻読了時にまわすとして、その前にひとつだけ言っておきたいのは、なぜあんな緩い作りにしちゃうかなぁということ。
文字も大きいし、行間もかなり緩め。しかも上下巻それぞれのページ数は250ページ前後だ。ちょっと詰めれば簡単に一冊にできるではないか。まあ、版権料がとてつもなく高いだろうから、少しでも売上げを伸ばしたい気持ちはわかる。死ぬほどわかります。
でもなあ、版権が高ければそのまま定価に乗せてくれればいいのであって、無理矢理それをごまかすような作りにはしてほしくないのだ。角川文庫の『ダ・ヴィンチ・コード』のときもそうだったが、あまり志の低い作り方は勘弁してほしい。天下の新潮社だぜ。