クリストファー・ブッシュの『中国銅鑼の謎』を読む。
論創海外ミステリはレアなクラシック作家を紹介してくれる実にありがたい叢書なのだが、今回のブッシュのように、そこそこ知られているのにまったく紹介が進んでいない作家をあらためて掘り返してくれるのも非常にありがたい。
ブッシュの作品では、すでに『失われた時間』が論創海外ミステリから発売されており、これが悪くない作品だったので、この『中国銅鑼の謎』もけっこう期待して読み始めた。
まずはストーリー。
ビクトリア朝の屋敷をかまえ、年に一度は甥たちを招待する金持ちの老人ヒューバート・グリーヴ。しかし、赤貧に喘ぐ四人の甥たちにはまったく援助の手を差し伸べないため、その遺産だけをあてにする甥たちは、毎年しぶしぶそのパーティーに顔を出していた。
だが、今年は少々、事情が違っていた。これまで絶縁していた妹エセルに遺産を譲るため、ヒューバートは遺言を書き直したいというのだ。
そんななか屋敷に集まる関係者。そして食事を知らせる銅鑼がなったとき悲劇が起こる。ヒューバートは衆人環視の中、何者かによって射殺されたのだ……。

おお、これも悪くないではないか。
本作は1935年、ミステリ黄金期に書かれた本格探偵小説だが、当時の探偵小説の雰囲気や魅力をあますことなく味わえる。
例えば、強欲で死んでも誰も悲しまない被害者がいて、かつ容疑者はみな善人っぽいという設定はけっこう重要なポイントだ。
読者は被害者にまったく遠慮する必要がなく、安心してストーリーを楽しめ、だからこそより純粋に探偵小説のゲーム性を楽しむことができるのである。現代の小説にはあまりこういうことは思わないのだが、クラシックはやはりここが大事である。
導入が巧い。プロローグ的に関係者の一部を倒叙的に登場させ、その後、屋敷に関係者が集まってくるという展開。期待をあおりつつ、伏線を張りまくる心憎い演出である。
衆人環視のなかで行われる不可能犯罪もなかなかで、銅鑼で銃声をごまかすという犯行手段ながら、実はそれだけではすまさない仕掛けもあり、これが小粒ながらいろいろあって楽しめる。しかもメイントリックはかなり独創的だ(バカミスと紙一重ではあるが)。
事件発生後も、探偵役ルドウィック・トラヴァースによる手書きの現場の見取り図が差し込まれたり、関係者全員が怪しいという状況でまったり聞き取り捜査が進められる。
つまりはこういった、いかにもなストーリー展開や構図、雰囲気作りが本書には詰まっており、それはある意味、作り物感も強いのだが、それを含めて楽しめる一作なのである。
これぞクラシック、これぞ探偵小説。衝撃度は低いが、『失われた時間』も良かったし、このレベルであればどんどん紹介を進めてもらいたいものだ。