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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

高城高『眠りなき夜明け』(寿郎社)

 高城高の連作短編集『眠りなき夜明け』を読む。日本のハードボイルド黎明期を牽引した著者が、バブルに沸き返る1980年代後半の札幌ススキノを描いたシリーズの最終作である。
 ちなみに版元はこれまでの東京創元社ではなく、札幌の出版社、寿郎社からの刊行である。著者も札幌在住だから何らかの縁はあったのだろうが、シリーズ最終巻のみ別の版元というのはさすがに珍しいので、どういう事情があったのか気になるところではある。

 まあ、それはともかく中身に移ろう。まずは収録作。

「不安な間奏曲」
「紳士の贈物」
「師走の別れ」
「一億円の女」
「夜よりも黒く」
「ローソクの炎」

 眠りなき夜明け

 基本的なテイストはこれまでの『夜明け遠き街よ』、『夜より黒きもの』と同様で、バブルという虚構に包まれた夜の街で働く男女の姿をリアルに描いている。
 主人公はおなじみキャバレーの黒服・黒頭悠介。サブマネというポジションの彼は、浮かれる客やホステスはもちろん、店全体の動きに目を配らなければならない。つまりは客観的にものを見るクセができており、まさにハードボイルドの主人公としては適役。また、バブルのススキノの記録を残したいという著者の試みにも最適な存在である。
 語り口はあくまで淡々と。登場人物の仕草や表情などを描写して、彼らの人間性を炙り出していくのはハードボイルドの常套手段だが、もちろん高城高のような名人がやるからより生きてくる。

 ただし物語としては相当に地味だ。
 『夜明け遠き街よ』ではそれなりの事件も起こったのだが、続く『夜より黒きもの』ではかなりアクションが減り、そして本作ではほとんど事件らしい事件も起こらない(あくまでミステリとしての事件、という意味だが)。バブル終焉が近づいていく中、利権絡みの動きが夜の街の人間にどういう影響を与えていったのか、その点に絞ったエピソードが増えている印象である。
 とはいえ一作目『夜明け遠き街よ』から読んでいると、ススキノの変遷や登場人物の動向などがけっこう絡んでおり、構成も緻密である。ただちに退屈だとするのは大きな誤解だろう。
 派手なストーリーはよその作家に任せればいい。本作は洗練された文体と濃密な世界に酔いたい者だけが読めばよい。そんな一冊。


高城高『夜より黒きもの』(東京創元社)

高城高の『夜より黒きもの』を読む。
 バブルに沸きかえる1980年代後半の札幌ススキノ。その夜の世界を描いた連作短編集『夜明け遠き街よ』の続編である。すでに三作目『眠りなき夜明け』も今年の六月頃に刊行されており、ススキノ三部作として完結しているようだ。

 収録作は以下のとおり。独立した作品としても読めるが、エピソードや登場人物が相互にかかっているので、やはり通して読むほうがおすすめである。

「猫通りの鼠花火」
「針とポンプ」
「6Cのえにし」
「悲哀の黒服」
「企業舎弟の女」

 夜より黒きもの

 主人公はキャバレー〈ニュータイガー〉の黒服・黒頭悠介。夜の街に生きるさまざまな男女のトラブルに巻き込まれる黒頭の活躍を通し、バブル当時のススキノのイメージが浮かび上がってゆくという趣向は前作どおり。
 国全体がバブルに翻弄されていた時代、今とは比べ物にならないほど金が動いていた時代である。夜の世界の住人はそれを肌で感じていたはずで、堕ちてゆくもの、野心を実現させるもの、その落差もまた激しい。そんな人間模様を著者は比較的淡々とした筆致で描いてゆく。シャブ、地上げ、横領、ホステスの引き抜き合戦……そういう世界に縁がない人間にも、どこか惹きつけられる危険な魅力がそこにはある。

 夜の世界を描く割には、それほど激しい事件が描かれるわけではない。また、上でも書いたように、その筆致も比較的淡々としている。
 世の中自体が狂っていたようなバブルの時代を描くにしては意外な感じも受けるが、それはもちろん本作がハードボイルドであるからに他ならない。簡潔で乾いた文体、そしてあくまで客観的に。事実のみを第三者の目でクールに描くことで、内面や感情を表現していく。
 前作ではそれでもまだピリピリした空気もあったが、本作はさらに洗練されている印象で、正直、管理人などはこの語り口だけでも十分満足。日本のハードボイルドは本場に比べるとどうしてもウェットな印象があるのだけれど、高城高はやはり別格である。

 さて、残すは『眠りなき夜明け』となったが、ううむ、読むのがもったいないなぁ。


高城高『夜明け遠き街よ』(東京創元社)

 高城高の『夜明け遠き街よ』を読む。
 日本ハードボイルドの祖でありながら、若くして執筆から遠ざかり、幻の作家と称されていた高城高。しかし、2006年に仙台の出版社荒蝦夷から傑作集が刊行されたのを機に執筆活動を再開、今では定期的に作品を発表するまでになり、復帰後だけでもすでに三冊の短編集を上梓しているから、実に見事な復活劇といえるだろう。

 しかも、ただ昔の名前だけで帰ってきたわけではない。著者が凄いのは、長いブランクがあるにもかかわらず、いささかの衰えもなかったこと。むしろより円熟味を増しての復活を為し遂げた印象である。
 デビュー当時の作風はどちらかというと殺伐とした雰囲気、あるいは凍てつくような寂寥感を漂わせた世界観が多く、登場人物たちもまたその世界にふさわしい者たちであった。
 ところが復活後の作品にはある種の余裕が加わったように思う。比較的近い過去の、だが混沌とした舞台。興味深いのは、その世界のなかを意外なほど軽やかに泳いでいる者たちの姿だ。彼らは時代に反骨する部分はもちつつも、変化を受け入れて利用するしたたかさも持ち合わせている。その点にこそ、過去の作品と復活後の作品の大きな違いを感じるのである。

 そして高城高が新たに選んだ舞台は、なんとバブル景気に沸き返る1980年代後半の札幌ススキノである。

 国全体が浮かれ騒いだ1980年代。ここ札幌ススキノも例外ではなく、夜ごと欲望と金が乱れ飛ぶ。クラブ経営を夢見るホステス、地上げ騒動の蔭で跳梁跋扈する面々、暴力団に役人、政治家、実業家……。時代の徒花と知ってか知らずか、消費のための日々に蠢く男女をクールに見つめるのは、キャバレー〈ニュータイガー〉の黒服・黒頭悠介である。

 夜明け遠き街よ

 これはしびれる。
 ひとくせもふたくせもある連中、欲に溺れるどうしようもない輩、さまざまな者たちの物語が連作短編集という形で描かれる。一応はそれぞれ独立した短編ではあるのだが、相互に関連するエピソードが仕掛けられており、通して読むことで、バブルススキノというイメージがいっそう際立ってくるという結構である。
 また、それをさらに効果的にしているのが文体。『函館水上警察』も良かったが、高城高の研ぎすまされた文体は、やはり裏社会にこそよく似合う。この時代、風俗が実に活きいきと描写され、当時のススキノを知らない人であっても、この熱気だけは伝わるだろう。おすすめ。


高城高『ウラジオストクから来た女』(東京創元社)

 まず本日、飛び込んできたニュースについて。既に皆様ご存じのとおり、小松左京とアゴタ・クリストフという二人の偉大な作家が亡くなった。お二方とも純然たるミステリ畑ではなかったが、ボーダーラインの作品は多く残しており、ミステリ者にも非常に愛着のある作家さんだった。思い出を書き出すと止め処もなくなってしまうので、今はただご冥福を祈るばかりである。――合掌。


 気を取り直して本日の読了本。高城高の『ウラジオストクから来た女』を読む。
 『X橋付近』刊行を機に久々の注目を集めた著者が、『函館水上警察』で鮮やかな復活を果たしたのはまだ記憶に新しいところ。本書はその函館水上警察シリーズの続編であり、完結編でもある。
 収録作は以下の四篇。

「ウラジオストクから来た女」
「聖アンドレイ十字 まねかざる旗」
「函館氷室の暗闇」
「冬に散る華」

 ウラシ#12441;オストクから来た女

 前作に劣らず、充実の内容である。一番の読みどころも前作同様、明治中期の函館という、限定された時代と空間にあるのはいうまでもない。
 もちろん主人公の五条文也警部をはじめとするキャラクターも悪くないし、水上警察という組織の活動、あるいは事件そのものも十分に魅力的だ。しかしながらそれらの要素も、結局はこの街この時代だからこそ成立している。この設定なくして本書の成功はなかったといってよいだろう。
 近代国家になりきれていない、まだまだ盤石とはいえない明治の日本。その中にあって諸外国に門戸を開き、しかも列強レベルのイギリスやロシアとの交易が日常的に行われていた函館という街。ビジネスから犯罪に至るまですべてが国際的で、かつその利権を巡り日本中から集まる有象無象。非常にエネルギッシュで猥雑で、だからこそ魅力的な街なのである。
 ちょっと妙な喩えになるかもしれないが、アメリカの開拓時代とけっこうイメージがかぶる。発展途上にある港町、荒くれ者が訪れてはまた去ってゆく、そんな街の治安を守るのは我らの五条保安官。うん、これは函館版西部劇なのかもしれない。

 ただ、そういう設定だけで成功するとは限らない。本書が楽しめるのは、やはり著者の丹念な取材や格調高い文章があったればこそ。著者は本来ハードボイルド作家だが、この物語に合わせて文語的な言い回しを多用するなど、かなり意識して文体を変えてきている。もともと適度に抑制を効かせた文章を書く人だが、それをよりクラシックというか上品にした感じである。
 そして、その優雅な文体から繰り出される明治函館の情景や生活。これがまた見てきたような詳しさで、ミステリに興味が無くとも、この側面だけで十分読むに値する。

 各短篇はそれぞれに味があるのだが、驚いたのはやはり最後の「冬に散る華」。シリーズ完結編たる所以でもあるが、これには完全に意表を突かれた。しばらく余韻(呆然?)に浸れることは確実である。ただ、この時代この街を表す手段として、ラストシーンはかなり象徴的かつ効果的である。著者の強いメッセージを感じずにはいられない。
 結論はもちろんオススメ。蛇足ながら、著者にはまだまだ元気でいてもらって、新作を期待したいところである。


高城高『函館水上警察』(東京創元社)

 高城高の『函館水上警察』を読む。
 高城高は河野典生や大藪春彦と並んで日本ハードボイルドの黎明期を支えた作家である。だが本業の関係で早々に執筆活動を休止し、2006年の『X橋付近』刊行をきっかけに創作を再開したことはファンならご存じのとおり。そして本書はその記念すべき復活第一冊目となる。

 函館水上警察

 さて、復活に際して著者が選んだのは、明治時代の函館を舞台にした警察小説である。しかも普通の警察ではなく、函館港内を管轄とする水上警察だ。
 当時の函館は横浜にも負けないぐらいの国際都市。イギリスやロシア、ドイツ等の外国船が頻繁に来航し、活気と異国情緒に満ちあふれていた。だがそれだけに問題もまた多い。とりわけ諸外国の出入り口となる港は、文化の異なる外国人との揉め事はもちろん、日本人同士でも縄張りや利ザヤを巡る争いが頻発するなど、とにかくトラブルが絶えない。そんな港ならではの事件の捜査にあたるのが、五条文也警部率いる函館水上警察の面々である。

「密猟船アークテック号」
「水兵の純情」
「巴港兎会始末」
「スクーネル船上の決闘」
「坂の上の対話――又は「後北游日乗」補遺」

 収録作は以上。「密猟船アークテック号」から「スクーネル船上の決闘」までが函館水上警察シリーズとなる。ただこのシリーズは表面的には警察小説ではあるが、ミステリとしてのアプローチはそれほど強いものではない。どちらかといえば歴史小説の味わいなのである。興味の中心は事件の謎というより函館そのものにあるといってよく、事件を通して見えてくる当時の函館の社会や人々が一番の読みどころであろう。
 西洋文化の香りと港町特有の猥雑さ、この両者を併せ持つ、函館という町の独特のムード。さらにはその地で交わされるやくざ者や警官あるいは外国籍の船員たちなどのやりとりが実に鮮烈だ。しっかりした時代考証はもちろんだが、ハードボイルドで磨き上げた簡潔な文章がそれをより際だたせているといえる。
 なお、ミステリとしてのアプローチが強くないとは書いたけれど、連作という形式を利用して、構成にちょっとした趣向を凝らしているのはなかなか楽しい。

 「坂の上の対話」は若き日の森鴎外を主人公とした短編で、非シリーズもの。ただし、本作も完全な別物ではなく、函館水上警察と共通する世界観の上で書かれている(時代的にはこちらの方が先)。内容は、函館を席巻しようとするコレラの謎に鷗外が迫るというもので、実はミステリ的要素はこっちが上。本書中のベストであろう。

 これまで明治の警察ものというと、山田風太郎の明治ものが必ず頭に浮かんだが、これからは高城高もぜひ加えたい。ミステリファンよりはむしろ時代小説・歴史小説好きにこそ勧めたい一冊だ。


高城高『墓標なき墓場』(創元推理文庫)

 会社移転に伴っていろいろなことが起こりすぎる今日この頃。精神的に疲れることも多いが、問題はストレスで酒量が増えすぎること。ほぼ毎日飲むうえに、1回の酒量が増えているのがまずい。などと言いつつも金曜は朝まで痛飲。しかも土曜は仕事だ。そして本日は同僚の結婚式で昼から飲むわ飲むわ。ちょっとやばいぞ(笑)。


 読了本は高城高の『墓標なき墓場』。昨年、『X橋付近』で再ブレイク?した高城高の唯一の長篇である。

 墓標なき墓場

 昭和三十三年、夏。北の海で一隻の運搬船が沈み、乗組員が全員死亡するという海難事故が発生。その日の朝、花咲港に入港したサンマ船が、岸壁に衝突するという事故も発生していた。不二新報の釧路支局長、江上は二つの事故に何らかの関連があると考え、独自の調査を進めるが……。

 『X橋付近』で短篇については文句なしの実力を見せてくれた高城高だが、長篇も悪くない、っていうか凄くいい。
 そもそも高城高の魅力はまずその文体と描写力にあるわけなので、短篇だろうが長篇だろうが、その長所が変わるわけはないのである。一見すると硬めで素っ気ない文体なのだが、実に詩情にあふれスタイリッシュ。登場人物たちの書き込みや、北の大地の情景描写も、長篇ゆえにいっそう冴える。特に当時の地方記者の心情などは、経験者ならではの説得力もあり、本作ならではの楽しみといえるだろう。
 しかしながら、作者はこの文体をいったいどうやってものにしたのか。志水辰夫や北方謙三らが一大ムーヴメントになっていた頃でも、彼らの文体で特に衝撃は受けなかったものなぁ。「見よう見まねで書いた」みたいなことを著者がどこかで謙遜して述べていたが、まあ、これは話半分だし。

 話を戻そう。『墓標なき墓場』の魅力を、管理人などはついついハードボイルドとしての観点だけで語ってしまいがちなのだが、本作はミステリとしてもしっかりしたレベルを保っている。どちらかというと社会派的な流れに収まるのかと考えていたのだが、着地点はまったく予想していなかったところにあり、意外な巧さも垣間見せてもらった感じだ。
 ただ、謎解きとしてフェアだとかアンフェアだとか、という問題になると、構成の悪さも相まってややマイナスポイント。この辺りをもう少し整理し、終盤のバタバタがなくなれば、本書は大傑作になっていたかもしれない。

 むろんトータルではオススメである。ただ、語りを楽しむ部分が多い本ゆえ、できれば本場のハードボイルドで、多少は基本を押さえてから読んでもらいたい気はする。


高城高『X橋付近』(荒蝦夷)

 昨年の暮れ、高城高(こうじょう・こう)の作品集が出版されるというニュースを知ったときは本当に驚いた。高城高といえば、大藪春彦、河野典生と並んで日本のハードボイルド界創生期を支えた作家である。しかしながら作品数はそれほど多くなく、過去に出版されたのは短編集と長編がそれぞれ一冊ずつ。しかもどちらも古い本で入手が難しいときているから、アンソロジーでいくつかの短編が読めるだけであった。
 それが荒蝦夷という仙台の出版社から、高城高の新たな短編集『X橋付近』が出るというのである。早速注文したことはいうまでもなく、手元に届いてからももったいなくて、なかなか読むことができない始末。ようやく先月から読み始め、寝る前に短編一作ずつという超スローペースで楽しんできたわけである。

 高城高の作風は極めてまっとうなハードボイルドだ。
 もともと乾いた世界観を旨とするハードボイルドは、基本的に日本人には合わないのでは、という説も以前はあったらしい。今日の馳星周や大沢在昌の活躍を見れば、そんなことは杞憂だったこともすぐにわかるが、当時はそもそもハードボイルドとは何ぞや?という時代であったから、高城高らの作品が果たしてどれだけ理解されていたかは疑問である。当の作者本人も、お手本がハメットやチャンドラーしかいないので見よう見まねで挑戦したようなことを、どこかの記事で読んだことがある。
 しかし、見よう見まねの割にそのレベルはおそろしく高く、ただスタイルを真似ただけのものでないことは簡単に理解できるはずだ。当時は文学部在学中であり、やがて新聞社勤務という道をたどったことから、当然「書く」ということにこだわりを持っていたのだろうが、この文章、そしてテーマをデビュー当時から持っていたことは、驚嘆に値する。

 その作品群は、仙台を舞台にしたものと、北海道を舞台にしたものに大きく分けられる。まったく個人的な意見になるが、仙台ものはシンプルなハードボイルドで、高城高の精神性をより感じたい向き。
 一方の北海道ものは謀略やスパイをネタにしたものも多く、エンターテインメント性が高い。また北海道という地域性を巧みに作品世界に取りこんでいる。情景と叙情が常に表裏一体とでもいおうか、北海道のさまざまな景観描写がメタファーになっていると感じさせる、その技術が素晴らしい。

 最期に収録作一覧とお気に入りの感想をいくつか。
 作品単位では、定番とも言える「X橋付近」や「ラ・クカラチャ」もいいのだが、個人的には、何となく映画『明日に向かって撃て』を思い出させるラストシーンが印象的な「火焔」がおすすめ。短いしあまりハードボイルドっぽくもないけれど、これは素敵な青春小説にもなっている。
 廃坑の荒んだ状況を普遍的なものとして感じさせる「廃坑」もいい。
 そして珍しく謎解き要素を含んだ「賭ける」、その意外な続編の「凍った太陽」はセットで読みたい、っていうか読んでくれ。
 「微かなる弔鐘」「死ぬ時は硬い笑いを」あたりは完成されたスタイルを素直に楽しめる。

<仙台>
「X橋付近」
「火焔」
「冷たい雨」
「廃坑」
「賭ける」
「ラ・クカラチャ」
「黒いエース」

<北海道>
「淋しい草原に」
「暗い海 深い霧」
「微かなる弔鐘」
「雪原を突っ走れ」
「追いつめられて」
「凍った太陽」
「父と子」
「星の岬」
「死ぬ時は硬い笑いを」


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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