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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

クリスチアナ・ブランド『濃霧は危険』(国書刊行会)

 本日は国書刊行会の〈奇想天外の本棚〉から一冊。ものはクリスチアナ・ブランドのジュブナイル、『濃霧は危険』である。
 ブランドのジュヴナイルというと「マチルダばあや」シリーズがすべてかと思っていたら、こういう単発作品も残っていたようだ。

 濃霧は危険

 こんな話。舞台はイギリス南部のダートムア。いいところのお坊ちゃんであるビル・レデヴン少年は同年代の少女がいる知人宅で休暇を過ごすよう親に言われ、しぶしぶロールスロイスに乗せられてしまう。ところが霧深い荒地で突如、運転手が豹変。ビル少年を置き去りして去っていってしまう。
 残されたビル少年は荒地を彷徨い、ようやく出会った双子の兄妹に助けられるが、その少し前のこと。近くにある少年刑務所では、通称〈ナイフ〉と呼ばれる少年が脱走に成功していた……。

 ひと言でいえば、王道の少年少女向け冒険小説。過保護に育てられた主人公ビルが、冒険を通して成長する姿が描かれている。シャム猫サンタも含めてイキイキとした登場人物たち、出入りの多いストーリー、中盤を引っ張る魅力的な謎など、およそジュヴナイルに必要な要素は十分に詰め込まれている。少々クセのあるブランドの語り口もいいスパイスだ。
 ミステリ的趣向としては、メインの暗号はもちろんだが、他にも一つ面白い趣向があるなどサービスも上々。トータルでは大人も含め、誰が読んでも楽しめる一作といえるだろう。


クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』(創元推理文庫)

 クリスチアナ・ブランドといえばいわゆる黄金期の英国探偵作家の正統的な後継ぎ。しかもレベルが高いうえに作品ごとの出来のムラが少なく、その実力は本格ファンなら知らない人はいないだろう。そんな彼女の未訳長篇が出たというのだから、これは期待するなという方が無理な話である。
 というわけで本日の読了本はクリスチアナ・ブランドの『薔薇の輪』。1977年にメアリ・アン・アッシュ名義で書かれた著者最晩年の作品である。最近では同じ東京創元社から出た『領主館の花嫁たち』が記憶に新しいが、あちらはゴシック風味だったのに対し、本作は本領発揮の本格ミステリなのが嬉しい。

 ロンドンで活躍する女優のエステラ。彼女にはウェールズで離れて暮らす身体が不自由な幼い娘がいた。「スウィートハート」という愛称で呼ばれるその娘とエステラとの交流は、毎週、新聞で連載記事になっており、絶大な人気を誇っていた。
 しかし、実はその記事はうわべを取り繕った作り話であり、ごくごく一部の人間、彼女の秘書や新聞記者、古くからの友人らに支えられて秘密が守られていた。
 そんなときアメリカで服役しているエステラの夫・アルが釈放される。アルはシカゴの大物ギャングだが心臓病を患っており、死ぬ前に一度だけ娘に会いたいという。娘の状況を新聞記事でしか知らないアルが、果たして真実を目にしたら……。慌てるエステラたちだったが、とうとうアルがロンドンにやってきて……。

 薔薇の輪

 往年の傑作に比べるとやや落ちるけれど、ブランド作品を読む愉しみは十分に満たされた。
 登場人物はごく少数で、二つの死体、一人の行方不明者をめぐって紆余曲折する謎解きが描かれる様は、まさにブランドの真骨頂。探偵役のチャッキー警部が信頼できない関係者らに囲まれつつ、可能性をひとつずつ検討していくのが楽しいのである。
 あまりに限定されすぎた状況ゆえ真相が予測しやすい欠点はあるので、いっそのこと深読みはせず、チャッキー警部の推理に浸っていっしょにイライラするのがよろしいかと。

 ミステリ的要素から少し離れると、ブランドならではのシニカルというかブラックなところも健在で、いや晩年の作品だけにむしろ磨きがかかっている節もある。
 でっちあげの経歴や美談でもってスターに登りつめるというのは、まあありそうな話だが、その内容が美しい女優の母と障がいをもつ娘の交流というあざとさ。娘については性格も見た目も読者受けするよう徹底的に装飾を施すという質の悪さである。この娘を取り巻く関係者の心理や言動を、ブランドはとことん醒めた目で描写するのが興味深い。不謹慎ではあるが、基本、人間はこういう生き物なのだ。
 ちなみに本作がこれまで訳されなかったのも、このあたりに事情がありそうである。

 物語の背景が、最近我が国でも話題になった佐村河内某の事件を連想させるように、ネタ自体は意外と新鮮。真相が予測しやすいとは書いたが、トータルでは文句なしに楽しめる一冊である。


クリスチアナ・ブランド『領主館の花嫁たち』(東京創元社)

 クリスチアナ・ブランドの『領主館の花嫁たち』を読む。
 著者が最後に残した長篇で、これがなんとゴシックロマン。しかもホラー仕立てである。正直あまり得意なジャンルではないのだが、あのブランドの作品であるからには、何かミステリ的な仕掛けもあるのではないかと期待半分不安半分で読み始める。

 こんな話。
 1840年英国。荘園を営むヒルボーン家で、当主の妻が若くして亡くなった。悲しみの底に沈む当主だが、その眼差しは妻の死だけではなく、残された双子の姉妹にも向けられていた。ヒルボーン家には四百年の長きにわたって続く呪いがあったのだ。
 程なくしてヒルボーン家に姉妹の家庭教師が雇われた。テターマンというその女性は、癒しがたい瑕をもつ身であったが、双子の姉妹に接するうち、徐々に生きる希望を取り戻してゆく。しかし、館の呪いはそんな彼女たちを放っておかなかった。怪異は繰り返され、やがてテターマンと姉妹の運命を大きく翻弄してゆくことになる……。

 領主館の花嫁たち

 ううむ、これはなかなか重苦しい物語である。ブランドはもともと暗いタッチのミステリが多いだけに、ゴシックロマンとの相性がけっこういいようだ。
 もちろん上っ面の雰囲気だけではなく、美人の双子姉妹、若き家庭教師、怪異現象の起こる古い館など、ゴシックロマンならではといった要素をきちんと散りばめ、さらには心理描写もミステリ作品よりは多めにしている印象で、それが陰鬱な感じを強調して、なかなか堂に入ったものである。プロパーでないとはいえさすがはブランド。
 しかもミステリ的要素はほぼ皆無とはいえ、後半の展開は物語なりのルールに則り、ゴーストたちとの対決をロジカルに展開するなど、けっこう根っこのところではミステリのスタイルが息づいているのも好印象。
 というわけでトータルでは力作と言ってよいだろう。

 ただ、個人的には少々きつい読書であった。これは純粋にお話しの感想になるのだが、双子姉妹の姉クリスティーンの境遇があまりにもきつい。
 クリスティーンは愛ゆえに自己犠牲を伴ってでも周囲の人を救おうとするが、その頑なさゆえに身を滅ぼす。よく愛が深いほど憎しみもまた深くなるというが、クリスティーンにしてみれば、そういうのは最初から純粋な愛ではなかったといえるかもしれない。
 ただ、クリスティーンにしてもそれが最良の道とは思っていないわけで、周囲がそれに甘えるところがなおのこと問題。そりゃ一応はクリスティーンを止めるけれども、ううむ、結局最後は折れるのがミエミエだしなぁ。で、最後にそれが思いもかけない形で返ってくるわけで、こういう意地の悪い展開はさすがにクリスチアナ・ブランドだ(苦笑)。
 ブランドの巧さは満喫できるし、先に書いたように力作だとは思うが、堪え忍ぶ物語が苦手な人にはちょっと辛いかも。


クリスチアナ・ブランド『ぶち猫 コックリル警部の事件簿』(論創海外ミステリ)

 ぶち猫 コックリル警部の事件簿

 クリスチアナ・ブランドの『ぶち猫 コックリル警部の事件簿』を読む。
 原書は2002年に出た短編集『The Spotted Cat and Other Mysteries from Inspector Cockrill's Casebook』だが、このうちのいくつかの作品は既に創元推理文庫の『招かれざる客たちのビュッフェ』に収録されており、それ以外の作品が本書に収められたようだ。収録作は以下のとおり。

Inspector Cockrill「コックリル警部」(エッセイ)
The Last Short Story(The Telephone Call)「最後の短編」
The Kissing Cousin「遠い親戚」
The Rocking Chair「ロッキング・チェア」
The Man on the Roof「屋根の上の男」
Alleybi「アレバイ」
The Spotted Cat「ぶち猫」

 ベストはやはり本書中で最もボリュームのある戯曲「ぶち猫」だろう。三幕物だが、一幕と二幕の逆転する構造にはしばし呆然。そして三幕でのラストにも唖然。常に緊張感が張りつめる展開、いかにもブランドらしい底意地の悪さが表れているラストで、これはぜひ小説にもしてほしかったと思える一作である。

 ただ、総体的にやや物足りなさは残る。正直、美味しい作品は創元に持っていかれちゃった感じか。ジャンル的にも純粋な本格は少なく、どちらかというと軽めの変化球中心といった内容である。
 とはいえ、コックリル警部について語ったエッセイとかショートショート、あるいは上で紹介した戯曲など、これまでとは違ったタイプの作品が読めるところは嬉しいかぎり。雰囲気はあくまでブランドのそれなので、過剰な期待をかけないでおけば、まずまず楽しめるだろう。


クリスチアナ・ブランド『マチルダばあや、ロンドンへ行く』(あすなろ書房)

 仕事で気が重いことが多すぎるため、軽いほのぼのとしたものを、ということでクリスチアナ・ブランドの『マチルダばあや、ロンドンへ行く』を読む。
 著者はもちろん英国の女流本格作家クリスチアナ・ブランドだが、これはミステリではなく児童書。いたずら小僧を懲らしめるマチルダばあや・シリーズの第二作である。

 マチルダばあや、ロンドンへ行く

 舞台をロンドンに移しただけで、基本的な登場人物や設定は前作『マチルダばあやといたずらきょうだい』をほぼ踏襲。「いたずらばっかりしていると……」という、ど真ん中すぎる説教臭がちょっとアレだが、いたずらにしても懲らしめ方にしても、いちいち極端というか過激であり、そこが子供のみならず大人の読者をも惹きつける部分でもある。
 これでもう少しストーリー性が高ければよいのだが、エピソードの積み重ねに終始する展開は、二作続けられると少々物足りない。あくまでブランドのちょっとスパイシーな筆づかいを楽しむぐらいの感覚で読むのが吉かと。


クリスチアナ・ブランド『マチルダばあやといたずらきょうだい』(あすなろ書房)

 昨日のことになるが、ようやく『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』を観る(ややネタバレありにつき注意)。

 『ワールド・エンド』は確か二作目と同時に作られたと記憶するが、それでも三作目で明かされる各種の事実に納得いかないものが多すぎて、しょせんハリウッド映画はこんなものだろうと思いながらも、結局釈然としない。
 前作であれだけ苦戦したクラーケンがいつのまにか死んでいたり、ジャックが彷徨う死後の世界の設定の弱さ、肝心の海賊たちの見せ場のなさ、とってつけたようなカリプソの正体&復活後の行動の意味不明さなど、単純につまらないと思えるところも多い。
 ラストの大渦巻き上で行われる二隻の帆船でのバトルはなかなかのものだが、それ以外は全般的にだめだめ。とにかくもったいない企画である。おそらくは要素を詰め込みすぎてまったく消化しきれていないのであろう。ストーリーを締めるピリッとしたポイントがないのである。少なくとも一作目はそれがあったのにねぇ。


 本日の読了本はクリスチアナ・ブランドの『マチルダばあやといたずらきょうだい』。
 クリスチアナ・ブランドといえばもちろん英国を代表する女流探偵小説作家。コックリル警部を探偵役とするシリーズが有名で、ポケミスで多くの著書が読める(ただし最初に読むなら創元推理文庫の短編集『招かれざる客たちのビュッフェ』あたりがおすすめ)。

 そんな彼女が、実は三作ものジュヴナイル作品を残している。三作すべてにマチルダばあやが登場し、『マチルダばあやといたずらきょうだい』はそのシリーズ第一作目にあたる。
 児童書なので話は単純。あるところにブラウンさんという一家が暮らしており、そのたくさんの子供たちはとにかくいたずらが大好き。そこで彼らがみんないい子になるよう、マチルダばあやがやってきて、きちんと躾けるというお話。

 まず最初にことわっておくと、残念ながらミステリ色は皆無。
 基本的には子供たちのいたずらに笑って、さらにマチルダばあやの懲らしめ方にまた笑えばよいと思う。書かれた時代ゆえにかなり残酷な描写や差別的な描写が多く、ブラックなイメージもなかなか。この辺はブランドの面目躍如といったところか。
 ただし純粋に児童向けの物語なので、当然ながら相応に説教臭は強く、子供ばかりではなく親もまた一緒に成長しなければというメッセージも含まれている。子供は大人を映す鏡であるという言い方があるが、それをしっかり反映させた作品でもある。

 なお、本書は以前に『ふしぎなマチルダばあや』というタイトルで学習研究社から出ていたものの復刻版である。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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