ジョージ・C・チェスブロという作家がいる。今ではあまり聞かない名前だが、15、6年ほど前に『ボーン・マン』という作品で「このミス」のベストテンに入ったこともあるので、覚えている人もいるかもしれない。ホームレスの男を主人公にし、ニューヨークの地下を舞台にするという奇抜な設定の『ボーン・マン』は、不思議な、そしてスリル満点の物語で、なかなかの傑作だった。
しかし、なぜかそれ以後翻訳はなく、日本では一発屋のイメージが定着しているのではないだろうか。実際にはその前にも翻訳作品はあるのだが、とっくに絶版の上に話題性ではもっと低いので、そういうイメージも仕方あるまい。ただし多作とはいえないまでも、その後も本は書き続けているし、本国ではすでに20冊以上の著書もある。決して過去の作家というわけではないと思うのだが本当のところはどうなのだろう?
前置きが長くなったが、そのジョージ・C・チェスブロの本が久々に出た。『摩天楼のサファリ』である。これがまた評価に困る内容であった。こんな話。
普段は画家の顔を持つ主人公ヴェイル。元CIA工作員にしてマーシャルアーツの達人である。また、夢と現実の境界を生きる男でもあった。何と彼は、他人の行動や感情を、夢として追体験することができるという特殊能力を持っていたのだ。その彼の前に、アフリカから来た青年が現れる。青年は密輸団に盗まれた部族の神像を奪い返すためにやってきたのだが、深手を負って都会のただ中に姿を消す。青年を救おうとする女性とともにヴェイルは青年の探索に乗り出すが、一方、巨大な犯罪組織もまた神像を狙って動きだしていた……。
ううむ、純粋なミステリかと思ったら、けっこうSFっぽい設定。
夢で他人の行動を知るという部分がミソではあるが、とりあえず思ったのは、それがどうにも生かされていないのではないか、ということ。なんせ語られる事件が派手なアクションものであり、しかも主人公が絶対に負けないであろうという雰囲気を漂わせすぎている。先のSF的要素が物語に多少のアクセントや深みは与えるにせよ、このスーパーヒーロー的演出に完全に負けているというか、無くてもほとんどストーリーには影響がないのである。
ちょっと思い出したのが、日本でも二十年ほど前にはやった、夢枕獏や菊池秀行らに代表されるスーパーバイオレンスアクション小説(ちなみに原作の発表年もだいたい同じ頃のようだ)。格闘技やスーパーナチュラル、宗教の要素などを味付けとして、過激なアクションで一世を風靡したジャンルである。あの手の作品群と印象がけっこう似ており、しかも正直な話、夢枕獏のサイコダイバー・シリーズとかの方がそういった設定を活かしているし、面白さも上ではないか。
新手のヒーローものと思えば割り切れるが、久々のチェスブロに期待しすぎたせいか、ちょっと物足りなさばかりが残ってしまった。