エリオット・チェイズの『天使は黒い翼をもつ』を読む。帯には“伝説の傑作ノワール”という何とも景気の良いキャッチが踊り、ネットでも一時期評判が上がっていたけれども、実は読もうかどうかけっこう迷った一冊である。
というのもチェイズは過去に三冊ほど邦訳があり、管理人はその中の
『さらばゴライアス』を読んだことがあるのだが、そのときの印象がイマイチ。新聞社の記者だったか部長だったかを主人公にしたシリーズで、いわゆる軽ハードボイルド路線。社主殺害事件を扱っていたが、謎解きもドラマもキャラクターも全般的に物足りない作品だったのである。
しかも1983年の『さらばゴライアス』でこれだから、1953年発表の『天使は黒い翼をもつ』が不安になるのは当然。本格ミステリーの場合、傑作はデビュー以後の早い時期に生まれることが多いが、ハードボイルド系はある程度作家が人生経験を積み、技術も熟練した後期に生まれることも多い。『さらばゴライアス』の三十年も前に書いた作品など期待しろという方が無理な話だ。
そんなこんなで眉唾もので読み始めたのだが、これが何と帯のキャッチどおりの傑作で驚いてしまった(笑)。

こんな話。石油掘りの仕事をしばらく続けていたティム・サンブレードは、多少の金を手に入れて久々に町へ戻ってきた。ホテルに宿を取り、娼婦を呼ぶが、これが実にいい女のヴァージニア。勢い余って三日間もホテルを共にし、そのまま彼女と共に町を出てしまう。しかしティムはただヴァージニアを気に入ったわけではない。ティムには一攫千金を狙う計画があり、その実行のためにもう一人仲間が必要だったのだ……。
人生を踏み外した男と女が、一発逆転を狙った犯罪に挑む。最初はすべてが上手くいったかに思えたのだが……という絵に描いたような定番のストーリーだが、ノワールにおいて重要なのは何を描くかというよりどう描くか。もとよりノワールは闇社会を舞台に、人間の欲望や悪意、暴力などを描き、それ自体が大きなテーマである。そんなテーマを効果的に表現するには、成功へ向かって邁進する主人公はとても似合わない。やはりそこには欲望のために人生を踏み外し、闇の底へ真っ逆さまに転落する主人公こそ似合うのである。
その意味で本作のティムとヴァージニアの人物造形は素晴らしい。人生の最底辺で出会い、意気投合する二人だが、実はその過去は正反対。二人の言動の随所にその対立構造が現れ(ただし、表面的にはそれほど対立しているようには見えないのがミソ)、その恋愛模様とコンビネーションが実に鮮やかに描かれていく。
プロットも巧みで、計画を実行する前段階と、それが成功してからの転落の模様がじっくり描かれるのに対し、肝心の計画実行の場面は実にあっさりとしている。こういう緩急のつけ方によって本作のテーマが明確に浮かび上がるわけで、何気ないエピソードなど(特に聖書を唱える少年とか)も物語のアクセントとして非常に印象的である。
もう見事すぎてケチをつけるのは憚られるのだが、あえて書くとすれば、例えばジム・トンプスンの諸作品がそういうものを意識せず、サラッと書いたと思われるのに対し、チェイズの本作はかなり練られたうえで書かれたという印象が強い。
もちろん管理人の個人的な印象なので本当にそうかどうかはわからない。ただ、読んでいてどうにも隙がないというか、ストーリーやエピソードなど各所がハマりすぎていて、テキストのすべてに意味を求めている感じを受けるのである。ガチガチに意味づけされたノワールが果たしてノワールといえるのか、そんな疑問も生まれてきてしまうわけで、ぶっちゃけあざといのである(苦笑)。
とはいえ、ノワールに馴染みのない人にとって、この完成度の高さはおすすめである。
まあ、最後に余計なイチャモンはつけたが本作は確かに傑作。もしかしたら『さらばゴライアス』も今読むと評価が変わるのだろうか。