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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

マイケル・ディブディン『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』(河出文庫)

 本日の読了本は、マイケル・ディブディンの『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』。
 ホームズ譚のパロディであり、タイトルそのままにホームズと切り裂きジャックとの対決を描く物語である(ただし原題は『The Last Sherlock Holmes Story』だけど)。語り手はもちろんワトスン博士。

 この本を大きく特徴づけているのは、やはり作者がマイケル・ディブディンということに尽きるだろう。最近では本書以外にまったく翻訳されてないので、知名度もずいぶん落ちたかもしれないが、一時期は矢継ぎ早に翻訳されて、さながらプチブームという状況であった。
 有名なのはイタリア警察のゼン警視を主人公にしたシリーズだが、ノン・シリーズも多く、これがまたどれも妙なタイプのミステリであった。一応は警察小説やスリラーの体裁をとってはいるものの、犯罪全般に対する思索的なアプローチがあったり、あるいは社会問題についての考察があったり、何かとメッセージ性が強いのである。しかもジャーナリスティックではなく、学究的なイメージ。極端にいうと、ディブディンの思索を残らず詰め込むようなところがあり、そういう意味では物語の流れをかえって悪くしたり、読みにくいところも多かった記憶がある。
 本書はそんな一癖ある作家、マイケル・ディブディン長編デビュー作、しかもホームズ・パロディなのだから、どういうものになるのか、興味津々で読み始めた。


(以下、ややネタバレっぽいのでご注意)


 で、実際に読み終えてみると、まずは思いもよらぬほどしっかりしたパロディ、パスティーシュとして成立していることに驚いた。あの独特のワトスンの言い回しをベースに(まあ、これは訳も頑張っているからだが)、聖典における時間の流れ、矛盾なども踏まえた上で、いかにもありそうな切り裂きジャックとホームズの対決を描いている。
 そして(予想はしやすいものの)ここまでやっちゃったかという、驚愕のラスト。管理人はシャーロキアンではないので、聖典との整合性やラストが冒涜にあたるかどうかなどは判断できないが、いちミステリファンとしてみれば、ディブディンの腕前はなかなか見事だと言わざるを得ない。

 しかし本書の本当の魅力は、単なるパスティーシュとかパロディとかにあるのではない。例えば表題にもなっている「切り裂きジャック」だが、これは読めばわかるとおり、表面的な素材のひとつにすぎない。ディブディンは「切り裂きジャック」をとっかかりにして、ホームズ譚すべての別解釈を試みているのであり、ひいてはワトスンやホームズの全人格に至るまでを再検証しようとしている。
 とりわけ語り手たるワトスンに対しては、心理描写も多く入るため、その力の入れ方は尋常ではない。ある意味、本書はホームズの物語というより、ワトスンの物語であり、真相が明らかになりつつある後半からの展開はパスティーシュの域を超えている。解説にも書かれているが、ディブディンは本書自体が独立して成立しうる水準にまでテーマを高め、鮮やかな心理劇を披露している。
 通常のミステリの定規では測りにくい作品を多く残したマイケル・ディブディンだが、デビュー作にして早くもその片鱗をのぞかせていたといえるだろう。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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