昨年秋頃から作品社の「山本周五郎探偵小説全集」が刊行され始めたことはご存じの方も多いだろう。だが山本周五郎の書いた探偵小説といえば、せいぜい『寝ぼけ署長』が知られている程度で、逆に言うとそれぐらいしか作品がないと思っていた人もまた多いのではないか。
かくいう管理人も今はなき探偵小説誌『幻影城』で特集を読んだことがあるので、多少は他の探偵小説の存在を知ってはいたものの、全集の全貌が明らかになるにつれ、こりゃとんでもない勘違いだったことを痛感している次第である。
本日の読了本はその「山本周五郎探偵小説全集」の第一巻『少年探偵・春田龍介』。あの文豪がこれだけのジュヴナイルを書いていたことにも驚くが、問題はその量より質である。
そもそも戦前に書かれた少年向け探偵小説といえば、基本的には正義感溢れる少年が、知恵と勇気と腕力にものをいわせ、数々の事件を解決してゆくというパターンである。ただし当時の世相を反映して、様々な条件を満たすことを要求された。例えばその国威高揚愛国精神爆発的な思想の上に成り立っていることは必要不可欠。そのため事件も単なる犯罪よりは防諜ものスパイものが多くなり、加えてそれらの物語を彩る様々なギミックも必要となる。テンションもあくまで高くなければならない。それらが当時の少年たちの心を掴むために欠かせなかったのだ。
考えてみれば、これは生半可なテクニックだけで書けるものではない。少年向けだからこそある意味大人向けの普通小説よりも過大な努力と技量が試されるのである。そして驚くべきことに、山本周五郎はこのハードルを若い時代に、易々とクリアしていたのだ。

「危し!! 潜水艦の秘密」
「黒襟飾(ネクタイ)組の魔手」
「幽霊屋敷の殺人」
「骸骨島の大冒険」
「謎の顎飾り事件」
「ウラルの東」
「殺生谷の鬼火」
「亡霊ホテル」
「天狗岩の殺人魔」
「劇団「笑う妖魔」」
収録作は以上十作。上から六作は春田龍介を主人公とするシリーズで、下の四作はノン・シリーズ、「ウラルの東」のみ長篇という構成である。
ノン・シリーズ作品はオカルトチックな謎を科学的に解いてゆくという意外にまっとうな作りであり、カーばりの展開にちょっと嬉しくなったりもするのだが、本書の魅力はやはり春田少年のシリーズであろう。
もちろん魅力といっても、今の水準で考えるととんでもない要素ばかりである(笑)。春田少年は中学生ながら、車は運転する、ピストルは撃つ、あげくに大砲まで扱い、大の大人にも当然ため口。自信も相当なもので、単身満州に乗り込んで、アジアを震撼させているギャング団を一人でたたきつぶそうというのだから、嫌なガキである(笑)。御都合主義も凄まじく、悪者の落とした暗号がたまたま春田少年の学校で見つかったり、まったく痕跡が残らないという未知の毒薬が登場したり。
また、物語とは直接関係ないところでもけっこう無茶がある。例えば短編のいくつかはストーリーに関連があったりするのだが、登場人物の名前がころころ変わっていたりするのが困る。春田少年の伯父さんなどは登場する度に「若林」>「林田」>「牧野」と変化していき、もしかするとこれは別人なのだろうか、自分が読み間違っているのだろうかと思ったりもするのだが、でもたぶん周五郎の間違いである。そういう点には大らかな時代だったのであろう。
さらに、力が入りすぎの章タイトルも読みどころであろう。まあ、作品のタイトルですら「危し!! 潜水艦の秘密」とかなり危し感は出ているのだが、章のタイトルともなると「危機! 危機!!」とか「殴れ!! 壮太!!」とか「こん畜生、毛唐め!!」とか「アレアレ墜落する天狗岩」とか。なんなんだ「アレアレ」って。ただ、これらの章タイトルは笑ってみていればよいが、中にはネタバレしている章タイトルまであって、それにはマジに閉口した。見出しでオチを書いてどうする?(笑)
まあ、いろいろと笑いどころを並べてみたものの、本書の胆はそんなところにあるのではないーーいや、確かに相当に楽しいんだけれどねーーそうではなく、むしろ少年小説とはかくあるべし、みたいな熱がヒシヒシと感じられるところにあるのだ。
文豪の作品とはいえ名声を得るのはまだまだ後の話、習作時代といってもよい頃の作品で、しかも生活費稼ぎのために書いたとされている子供向けの作品群ということだが、そんなことは微塵も感じさせない。当時の少年小説で必要とされたエッセンスをとことんまで煮込み、濃縮に濃縮を重ねたかのような味わいである。この手の作品に免疫のない人はともかく、少年探偵団が死ぬほど好きだった人にはぜひともお勧めしたい。中毒性、高し。