ちょっと珍しいところでヘンリイ・セシルの『判事に保釈なし』を読んでみる。まずはストーリー。
世間の尊敬を一身に集める高名なるブラウン判事。あるとき車に轢かれそうになった子供を助けたが、そのショックで一時的に正常な判断ができなくなってしまう。
調子が悪いことはなんとか自覚しているものの、このまま帰宅すると心配する娘のエリザベスに無理やり病院へ行かされてしまうだろう。そうなると裁判も欠席することになり、自分の職業意識からすれば、とてもそんなことには耐えられない。
そう考えた判事は、エリザベスから身を隠すため、あろうことか街で出会った売春婦のところに五日も泊まり込んでしまう。ところがその売春婦が何者かに殺害され、容疑はブラウン判事に。
父の無実を信じるエリザベスは、たまたま出会った犯罪集団のボス、ロウにその事件の真犯人を見つけるよう依頼するが……。

著者は弁護士や判事を務めながら法廷ものミステリを多く書いた人だが、シリアスなガチガチの法廷ものではなく、皮肉と諧謔精神にあふれたユーモラスな作風が特徴である。本書もその特徴がふんだんに盛り込まれた一作。
設定がそもそも馬鹿らしくて(褒めてます)、厳格な判事が売春婦の宿に泊まるという展開だけでも無茶なのに、殺人事件の調査をするのが犯罪者である。世の中の常識を真逆にしてみせることで、その本質を問うているようなところはあるのだが、まあ、そこまで深読みしなくてもそのギャップだけでまずは十分楽しい。
特に探偵役を務める犯罪集団のボス、ロウの存在は面白い。これまでは慎重に犯罪を指揮していたのでまったく警察に逮捕されることなどなかったプロフェッショナルである。ところが立場が180度変わって探偵側になった途端、逆に警察に疑われて逮捕される羽目になってしまうという皮肉。
また、ロウに雇われる退役軍人のブレイン大佐もとぼけた味があってよい。自分が何をやらされているのかわからないくせに、自信満々で脅迫まがいのことをやってのけ、相手の反応が面白いと宣う性格の悪さを発揮している。
ふと思いついたのだが、全体的な印象はモンティ・パイソンにも近いのかなと感じた次第。けっこう下品なネタなのに、それをさらっと上品でブラックな笑いにまとめるのは、考えると英国のお家芸である。
とまあ、良い点をこうして挙げてはみたものの、実はミステリとしてはそこまで大したものではない。事件や真相は弱いし、肝心の法廷シーンもトリッキーな面白さには乏しい。ヘンリイ・セシルのファン、あるいは英国の伝統的なユーモア小説を読みたい人向け、といったところか。