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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

ヘレン・マクロイ『読後焼却のこと』(ハヤカワミステリ)

 先週の水曜から体調を悪くしていたのは前回の記事のとおり。ようやく熱も治って三連休明けの火曜から仕事に戻ったのはいいが、結局、熱がぶり返して翌水曜日はダウンしてしまう。木金はなんとか出社したが、仕事上のイベントごとはキャンセルさせてもらって、この週末も大事をとって大人しく寝ていることにする。
 ううむ、しかし過労もあるのだが、風邪でここまでひどくなるとはなぁ。年はとりたくないものだ。


 本日の読了本はヘレン・マクロイの『読後焼却のこと』。ベイジル・ウィリング博士シリーズ最終作にしてマクロイ最後の長編である。まずはストーリー。

 ボストンにやってきた女流作家ハリオット・サットンは、理想的な家を見つけたが少々割高。そこで一部を下宿屋に改装し、作家や詩人といった五人の同業者に貸すことにした。
 そんなある日のこと。ハリエットは庭で一枚の紙片を拾ったが、それには衝撃的な内容が書かれていた——辛辣な書評で作家たちの恨みをかっている匿名書評家“ネメシス”がこの家に住んでおり、いまなら事故死に見せかけて殺すことができる——。
 そしてその数日後、殺人事件が現実のものとなる。しかし、被害者のみならず容疑者までもが、ハリエットの思いもかけぬ人物であった……。

 読後焼却のこと

 最近でこそマクロイの実力と人気はすっかり定着したように思うが、それもこの二十年ほどの話で、以前は『暗い鏡の中に』こそ傑作として知られていたものの、知る人ぞ知る作家ぐらいのイメージではなかったか(そもそも当時の現役本もハヤカワ文庫版の『暗い鏡の中に』ぐらいだったような)。
 再浮上のきっかけは1998年からの創元推理文庫での紹介だったように記憶するが、実はまったく翻訳がなかったわけではなく、空白を埋めるような感じで1982年ポケミスから出たのが『読後焼却のこと』である。

 結論からいうと、これがいまひとつ残念な出来であった。
 設定はものすごく魅力的だ。同じ下宿で暮らす五人の作家。その中にボストン中の作家から恨まれている匿名の書評家、そして彼を殺そうと企む二人の作家がいるのである。いったいそれは誰なのか?
 確率としてはそれほど低いわけではないが、シリーズ探偵の精神科医ベイジル博士はこれをどうやって解き明かすのか。正直、事件は多少平凡でもいいから、この狙う者と狙われる者、そしてベイジルの三竦みの心理戦が見どころと期待していたのである。
 ところが著者はどうしたことか、最初に発生する事件への興味をあらぬ方向に外らせてしまう。これが書評家殺人計画の事件とどうにもシンクロせず、最終的にはもちろんきれいにまとめてくれていはいるのだが、なんだか肩透かしを食ったような感じである。
 トリックについても、古臭さを感じさせるのは仕方ないとしても、これは90%実行不可能なトリックで、あまりきちんと裏を取っていない気がする。

 読みどころはやはり上で書いたとおり、ベイジルと作家の対決。会話の端々にあるヒントをもとにベイジルが“ネメシス”や殺人予告を書いた者たちを見破っていくところは見逃せない。
 ただ、内容は興味深いが、いつになくさらっと終わらせているのが物足りないところ。最晩年に書かれた影響はあるのだろうが、ネタが面白いだけに実にもったいない。油の乗り切った時期にこれを書いてくれていれば、相当面白い作品になっただろうになぁ。

 ということで、マクロイのなかでは低調な部類。とはいえ“ネメシス”というキャラクター造形の凄さなど見逃せない点もしっかりあるので、マクロイのファンであれば一度は読んでおくべきだろう。

 ちなみに本書は1982年に日本で刊行されたと上でも書いたが、当時のマクロイの一番新しい作品とはいえ、数多の傑作をもつマクロイ作品から、何故わざわざこれを選んだのか。ジョン・ロードの件もそうだが、何から紹介されるかでその後の人気や翻訳に大きな影響を与えることもあるわけで、翻訳ものの編集者はけっこう責任重大だと思う次第である。


ヘレン・マクロイ『悪意の夜』(創元推理文庫)

 ヘレン・マクロイの『悪意の夜』を読む。今年は『牧神の影』も出ているが、マクロイ人気もすっかり安定しているのか最低でも年に一冊は出るのが喜ばしいかぎりである。

 さて『悪意の夜』だが、こんな話。
 夫のジョンを転落事故で亡くしたばかりの未亡人アリス。彼女が夫の遺品を整理していたとき、鍵のかかった抽斗から「ミス・ラッシュ関連文書」と書かれた封筒を発見する。生前はお互いにまったく隠しごとのない夫婦だったはず。だが、アリスはそのラッシュという名前に一切の覚えはない。私信なのか、それとも夫の仕事に絡んだ政治的なものなのか、不安が募るなか、思い切って中を開けるが肝心の中身は見当たらなかった。
 その直後、息子のマルコムが年上のガールフレンドを連れて帰宅した。女性の名はクリスティーナ・ラッシュ。アリスは内心の驚きを隠して対応したが、さまざまな疑念が浮かび上がり、すぐさま行動を開始する……。

 悪意の夜

 ううむ。マクロイの作品としては低調な部類に入るかな。帯には“サスペンスと謎解きの合わせ技”とあるけれど、それのもっといい成功例がマクロイの他の作品にあるわけで、この程度で景気のいい惹句をぶち上げると、マクロイ初心者などが読むとけっこうガッカリするかもしれないわけで逆効果であろう。

 そもそも本作は合わせというよりはけっこうサスペンス寄りの作品。ヒロイン・アリスが謎の女性クリスティーナ・ラッシュにまつわる秘密を探り出そうとするのが主軸である。
 好感が持てるのは、アリスがサスペンスにありがちな、ただ危険に怯えるおバカなヒロインではないこと。自らいくつもの仮説を立て、それを周囲の者たちにも明らかにし、積極的に行動するヒロインなのだ。だからストーリー的にもテンポがいいし、よしんばヒロインの行動が裏目に出ても納得感がある。

 ただ、本作がサスペンスとしてまずかったのは、同時にファム・ファタール、つまり悪女ものという要素も盛り込んでしまったことだろう。ヒロインと悪女の見せ方についてバランスが悪く、どっちつかずになった面はある。
 これが二人の真っ向対決ということであれば、それはそれで違った面白さが出てくるけれど、肝心の悪女が意外と早めに退場してしまい、結局マクロイにしては珍しく盛り上がりを外した感がある。

 盛り上がりを外したという点では、ラストもそう。
 最後には探偵役のベイジル・ウィリング博士が入ってくることで本格風味にもなって、真相もそれなりに悪くはない。ただ、これにしても“手記”という見せ方が効果的とは思えず、その後の展開もヒロインと悪女、両方を欠いたままとなる。ストーリー上の見せ場はいろいろあるはずなのに、どうにももったいない。

 ということで最初に書いたようにマクロイの作品としては落ちるほうだろう。とはいえマクロイの作品の中ではということなので、決して読んでつまらない作品ではないので念のため。

 なお、ちょっと気になったので書いておくと、本作はベイジル・ウィリング博士シリーズの最後の未訳長編という触れ込みで売られ、解説でも本作が最後になった経緯など触れられていたが、まあ確かにそのとおりではあるんだけど、そこじゃないだろうという違和感はある。
 マクロイの著作やベイジル・シリーズのなかで本作だけが何十年も未訳だったとか、あるいはベイジルが登場する最後の作品というのならわかるけれど、そもそもマクロイの紹介が進んだのがこの二十年ほどの話で、しかも日本で再評価されて以後は毎年のように順調に翻訳されてきた作家である。シリーズ中で最後になった理由などまったく必要ないわけで、むしろまだまだ残っているノンシリーズ作品について、どんどん煽ってほしいところなのだ。
 本筋には関係のない話ではあるが、売り方にはもう少し気を遣ってほしいものだなぁと思った次第。


ヘレン・マクロイ『牧神の影』(ちくま文庫)

 ヘレン・マクロイの『牧神の影』を読む。
 管理人のお気に入り作家の一人だが、本作もまた期待を裏切らない傑作である。

 まずはストーリー。
 アリスンは深夜に内線電話で起こされた。相手は従兄弟のロニー。二人の伯父である、かつてギリシア古典文学の教授を務めていたフェリックスが亡くなったというのだ。死因は心臓発作で不審なとところはないように思えたが、翌日、陸軍情報部の人間が現れたことで様相が変わってくる。なんとフェリックスは軍のために暗号を開発していたのだ。だが、大きな収穫もなく、陸軍情報部の人間は帰ってゆく。
 その後、経済的な事情から山奥のコテージで暮らすことになったアリシアだが、その周囲に怪しい出来事が起こり始める……。

 牧神の影

 日本で紹介された当初はサスペンス作家という括りであり、その後翻訳が進むにつれ、本格のエッセンスが実はかなり多く含まれることが明らかになったマクロイ。本作はそのいいとこ取りというか、サスペンスと本格を見事に融合させている。
 ベースはあくまでサスペンスであるといってよいように思う。主人公アリシアが一人暮らしを行う人里離れたコテージ。その周囲を正体不明の何者かが深夜に徘徊する。不審者の正体は? その目的は?
 オーソドックスなスタイルなのだが、マクロイの場合、下手なサスペンス作家がよくやる主人公が自ら墓穴を掘るような馬鹿なストーリーとは無縁。きちんとそれなりの理由なり説得力なりがあるので、純粋に恐怖を楽しめるのがいい。

 そしてこのサスペンス小説の上にどっさりと振りかけられているのが本格エッセンスである。メインとなるのは暗号だ。
 フェリックスの残した暗号がストーリーのカギを握るのだが、単なるギミックとしてではなく、暗号そのものが謎として提示される。ミステリでも暗号をここまで真っ向からとりあげることはそれほど多くない。実際、暗号をきちんと解く読者はそうそういないだろうし(苦笑)、作者もそれは百も承知なのだろう。暗号小説の過去の傑作がそうであるように、本作もまた暗号をストレートに解くだけではなく、その扱い方に妙があり、だからこそ面白さが倍増するのである。
 また、暗号だけではなく、限られた状況での意外な犯人、伏線の張り方なども見事。序盤の雰囲気作りすら伏線になっているという、この鮮やかさ。最初にも書いたが、サスペンス仕立てなのに読後感は完全に本格という、この融合ぶりが凄いのである。

 褒めついでに書いておくと、犯人像がまた実によい。この辺りを詳しく書いてしまうとネタバレになるので現物を読んでくれとしか言いようがないのだが、表面的な動機とその裏にある犯人自身も自覚していない動機があって、それがまたプロットにも密接に関連するという徹底ぶり。しびれる、これはしびれます。

 なお、解説も相当に気合の入ったもので、資料的にも役に立つ。それらも含めて大満足の一冊である。


ヘレン・マクロイ『月明かりの男』(創元推理文庫)

 ヘレン・マクロイの『月明かりの男』を読む。1940年に発表された著者の第二長編にしてベイジル・ウィリング博士シリーズの第二作である。

 まずはストーリー。長男の進学の相談でヨークヴィル大学へやってきた次長警視正のフォイル。彼はそこで“殺人計画”が記された紙片を拾ってしまい、そこへたまたま現れたコンラディ教授にも意見を求める。ところがコンラディは予想以上に深刻にそれを受け止め、自分が死ぬことがあったら決して自殺ではないからと告げてその場を去っていった。
 その直後、学内でブリケット博士が実験に使っていた拳銃の紛失騒ぎが起こり、気になったフォイルはその夜、再び大学を訪れたが、案の定その不安が的中した……。

 月明かりの男

 未訳作品の紹介が進むにつれ、サスペンスの名手からいつの間にか本格の名手に変貌したマクロイだが、本作もまたオーソドックスな本格探偵小説である。
 まず大学という舞台がいかにもそれらしい。そこに堅物の学者だけでなく、マッドサイエンティストもどきや俗物、ワケありの亡命学者など、個性的なキャラクターを配し、彼らとウィリングのやりとりだけでもなかなか読ませる。
 加えて著者お得意の心理分析や精神医学などもふんだんに盛り込んでいるが、 後期の作品ほどひねった扱いではなく、嘘発見器だとか心理テストで捜査にあたるなど、そのストレートな使い方も楽しい。また、そんなテストの結果から推理するだけでなく、テストを拒否する者たちの心理を読んでいくところなど、十重二十重に仕掛けてくれるところも心憎い。

 もうひとつ本作の特徴として目立つのは、やはり1940年という時代すなわち戦争の影響である。ストーリー上でも需要な要素として機能しているのだが、ことさら反戦などと騒ぎ立てるのではなく、ごく普通に物語の背景として用いているとところが恐れ入る。
 カーの作品などもそうだが、こういう当時の英米作家の感覚やお国事情にはいつも考えさせられる。この彼我の差はなんなんだ。

 ということで、驚くような大トリックなどはないけれども、マクロイの特徴でもある心理分析や精神医学がふんだんに盛り込まれ、実に楽しい一作である。これらの特徴はデビュー長編『死の舞踏』でもすでに顕著だが、二作目にして一気に上手くなっている印象である。


ヘレン・マクロイ『ささやく真実』(創元推理文庫)

 ヘレン・マクロイの『ささやく真実』を読む。まずはストーリーから。

 誰もが認める美女ながら、悪趣味ないたずらで騒動ばかり起こしているクローディア。そんな彼女が知人の科学者から盗み出したのが、新発明の自白剤。彼女は自宅のパーティーでカクテルにこれを混ぜ、皆にふるまおうというのだ。
 そしてパーティー本番。クローディアの企みは見事に成、宴は暴露大会と化すが、その報いか、彼女は何者かに殺害される。その直後に現場を訪れた精神科医ウィリング博士は、犯人が物音に気づいて逃走したことから推理を展開させてゆく……。

 ささやく真実

 精神科医ベイジル・ウィリング博士のシリーズ第三作目ということで、比較的初期の作品。まだこの頃は後期のようなトリッキーさも感じられず、どちらかというとオーソドックスな本格ミステリの雰囲気である。
 そのなかにあって自白剤によって秘密を暴露するという設定だけは少々突飛なのだが、これもぎりぎり許せる範囲か。全体的にはおとなしめのストーリーながら、自白剤によって巻き起こるドタバタや人間模様が物語の芯になっており、それがいい味付けとなっている。
 また、謎解きについては“音”の扱いがなかなか巧い。こういうネタだけで二転三転させ、しかもストーリーを引っ張ってくれるのはやはり実力者の証。決してマクロイのなかでは上位にくる作品というわけではないが、フーダニットとしては十分に楽しめる作品といえるだろう。

 とりあえず本作も満足。マクロイはまだまだ未訳が残っているが、このぐらいのペースでよいのでぼちぼち紹介が進んでいくと嬉しいねぇ。


ヘレン・マクロイ『二人のウィリング』(ちくま文庫)

 ちくま文庫版ヘレン・マクロイの第二弾、『二人のウィリング』を読む。

 まずはストーリー。
 精神科医のベイジル・ウィリング博士が自宅近くの煙草屋に入ったときのこと。あとから店に入ってきた男が、自分はベイジル・ウィリングだと名乗り、タクシーで去っていった。
 驚いたウィリングは男の後を追い、ある屋敷で行われているパーティーに潜入する。参加しているのは主催者の精神科医ツィンマー博士をはじめ、盲目の婦人、詩人、土建業者、クラブオーナーなどのセレブたち。
 やがて偽のウィリングを見つけたウィリングは二人でパーティーを抜け出し、名前を騙った理由を問いただそうとする。だが男は突然に苦しみだし、「鳴く鳥がいなかった」という謎の言葉を残して息をひきとってしまう……。

 二人のウィリング

 相変わらず安定した出来栄え。マクロイは本当にハズレがない。本作もマクロイお得意の精神分析を取り混ぜつつ、コンパクトにまとめた佳作である。
 偽ウィリングの正体とは? なぜ彼が殺されなければならなかったのか? さらには「鳴く鳥がいなかった」というダイイングメッセージの秘密とは? 立て続けに提示される魅力的な謎と、パーティーの主催者ツィンマー博士とその招待客を襲う連続殺人というサスペンスで、やや短めの長篇を一気に引っ張っていく。

 正直、謎ひとつひとつの種明かしはさほどでもないのだ。しかし、事件そのものの構図と真相が驚くべきもので、あらためてマクロイのプロット作りの上手さ、語り&騙りの妙に酔わされる。
 とりわけ巧いなと思ったのは、終盤近くで事件関係者が再びパーティーに招待される場面である。関係者それぞれの反応を順番に描き、いかにもこの中に犯人がいるんですよと言わんばかりの演出で、確か似たような趣向は『あなたは誰?』にもあったような気がするが、ここはマクロイの自信と稚気の表れとも取れるだろう。
 傑作、とまではいかないが十分にオススメできる一作。


ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』(ちくま文庫)

 ヘレン・マクロイの『あなたは誰?』を読了。珍しやちくま文庫からの刊行だが、以前こそ戦前国産探偵小説を出してくれたこともあったが、翻訳物となると最近ではチェスタトンがあるぐらいで、他はとんと思いつかない。チェスタトンにしても純粋なミステリは少ないし。
 どういう経緯があったかは知らぬが、この先の展開が気になるところではある。

 まあ、それはともかく。本作は精神科医のベイジル・ウィリング博士を探偵役とするシリーズの一冊。マクロイ初期の本格探偵小説ということで、これは読む前から期待が膨らむ。

 こんな話。ナイトクラブの歌手・フリーダは精神科医の卵であるアーチーと婚約し、二人はお披露目のため、アーチーの故郷ウィロウ・スプリングへ向かうことになった。ところがその矢先、フリーダのもとに「ウィロウ・スプリングには行くな」という警告の電話が入る。
 不安はそれだけではない。この婚約を快く思わないアーチーの母・イヴ、いつかはアーチーと結ばれることを夢見ていた幼馴染のエリス、ヨーリッパから突然やってきた一族の厄介者イヴの従兄弟・チョークリー。小さな火種がくすぶる中、到着早々にフリーダの部屋が荒らされる事件が起き、そして隣人のマーク上院議員の家で催されたパーティでついに殺人事件が起こる……。

 あなたは誰?

 おお、これはいいではないか。物語の興味はストレートなフーダニット。いったい誰が殺人事件の犯人なのか、ということだが、それと並行して描かれるフリーダを脅迫する人物の存在が面白い。
 二つの事件の犯人は同一犯なのか、それとも別人なのか。それぞれの動機は何なのか。状況からどちらの事件も犯人は内部のものに限られている。しかもその容疑者はごくごく少数。この極めて難易度の高い状況で、マクロイは周到な仕掛けを講じ、伏線を張りまくる。

 特に感心したのはメインの仕掛けである。この仕掛けが事件全体を構築しているといってもよいのだが、マクロイはその仕掛けをストレートに真相につなげるのではなく、そこから一捻り加えており、ここが巧いのである。ネタの性格上、曖昧にしか書けないのが歯がゆいかぎりだが、これはまあ読んで驚いてほしいとしか言いようがない。
 実を言うと、この仕掛けは今ではそれほど珍しくもないのだが、それを1943年の時点で、この完成度で成立させているのが素晴らしい。

 ちなみにタイトルの『あなたは誰?』の原題は『Who’s Calling?』。
 冒頭ですぐにその意味するところが理解できるだろうけれど、実は本当の意味は別のところにある。読後、そのタイトルのつけ方の巧さにも唸らされるわけで、いやあ、マクロイの作品はどこをとっても面白い。おすすめ。


ヘレン・マクロイ『逃げる幻』(創元推理文庫)

 ヘレン・マクロイの『逃げる幻』を読む。1940年代の中頃、『ひとりで歩く女』や『暗い鏡の中に』などの佳作をばんばん世に送り出しておいた時期に書かれた作品で、これは期待するなという方が無理な話である。

 まずはストーリー。精神科医でもある予備役のダンバー大尉は、ある秘密の任務を帯びてハイランド地方を訪れた。ところが旅の途中で知り合ったネス卿から、家出を繰り返す少年が荒野の真ん中で消失したという話を聞かされ、興味を覚える。その夜、宿泊先で偶然その少年を見つけたダンバーは、彼が異様なほど何かを怖れていることに気づく。そして、二日後、悲劇は起こった……。

 逃げる幻

 いやあ、面白い。これはまた非常にマクロイらしい作品である。マクロイのいいところと悪いところが明確に顕れているというか。いや、悪いところはマクロイの計算尽くだと思いたいので、ここはむしろマクロイの狙いどおりに驚かされ、考えさせられた作品といっておこう。

 ぶっちゃけ悪いところというのは表面的なトリックの部分である。すなわち少年の消失と密室殺人。この二つがかなり腰砕けで、マクロイを読み慣れていない一見さんだと「何じゃこりゃ」ということにもなるのだろうが、もちろん著者の狙いはそこではない。
 本作における最大の謎は"なぜ少年は何度も家出を繰り返すのか"なのであり、先のトリックそのものが、この謎を活かすための壮大なカモフラージュになっているといったら褒めすぎだろうか。
 だが、それぐらいこの謎の結構は鮮やかであり、しかも、それが解き明かされたとき本書のテーマが読む者の胸に迫ってくる。こういう小説としての企みが何よりマクロイは巧いのである。そしてそれを実現させる描写の確かさがある。

 特に感心したのは、このサプライズのための仕掛けである。伏線が巧妙に張られているのはもちろんだが、それを誤誘導する手並みがまた鮮やかなのだ。
 人間消失を序盤から盛大にアピールしているのもその一つだし、語り手をダンバーという精神科医に設定しているのも巧い。ダンバーは精神科医という職業柄、相手を極めて客観的かつ冷静に分析する。その断定的な分析が逆に……というところもあり、加えてダンバーが担う秘密任務がいったいどういうふうに絡むのかという興味もあって、これが忘れた頃にドカンとくるから堪らない。

 ちなみにシリーズ探偵のベイジル・ウィリング博士の登場も、本書三分の二あたりからと少々遅いタイミングである。この登場シーンも含め、事件が一気に動く終盤は至福の時間であった。テーマから謎解きに至るまで、実にマクロイらしさに溢れた一作。おすすめ。


ヘレン・マクロイ『小鬼の市』(創元推理文庫)

 本日の読了本はヘレン・マクロイの『小鬼の市』。
 以前はサスペンスの書き手だと思われていたマクロイだが、ここ数年の紹介で、実は本格メインであることがようやく定着してきた。サスペンスやスリラーに移行した時代もあったのだが、どんな作品であっても常にトリッキーな味つけがなされており、しかもアベレージが高い。日本でのブレイクがここまで遅れたのか不思議なくらいの、実にハイレベルな作家なのである。

 こんな話。時は第二次大戦下、舞台はカリブ海に浮かぶ島国サンタ・テレサ。アメリカの新聞社〈オクシデンタル通信〉の支局長として働くハロランが、仕事中に不慮の死を遂げる。職を探していたアメリカ人放浪者のスタークは、その機に乗じて支局長の後釜に座ることに成功するが、ハロランの死に不審なものを感じて調査を開始する。

 小鬼の市

 上でも書いたようにマクロイにはサスペンス志向の作品も少なくはないのだが、これはまたとりわけ異色である。冒頭から殺人事件は起こるにせよ、全体を包むのは戦時色。そこを素性の知れぬアメリカ人が記者として行動するうち、何やら背後に潜む陰謀が浮かび上がるといった寸法で、いわば冒険サスペンスものといった体。正直、予備知識がなければマクロイの作品とはわからない。
 ただし、同時に本格風味も強いのが、やはりマクロイ流か。真相の解き明かし方、暗号の使い方、時局と事件の絡ませ方など見るべきところは多く、これらが明らかになるラストはやはり本格ミステリの楽しみと共通のものである。ついでにいえば、タイトルのつけ方も相変わらず上手い。
 『幽霊の2/3』や『殺す者と殺される者』などの傑作群と比べるとやや落ちるが、十分にオススメできる一作である。

 最後に蛇の足。帯にある惹句は完全に編集側の勇み足。できれば帯は極力見ないで読むことをお勧めします。


ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』(創元推理文庫)

 ヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』を読む。マクロイの最高傑作といわれながら、ハヤカワ文庫で長らく品切れだった同書の復刊である。まずはストーリーから。

 ブレアトン女子学院に勤める女性教師フォスティーナ。同校に勤め始めてまだ五週間の彼女だったが、校長から突然、解雇を言い渡されてしまう。しかも解雇の理由すら告げられぬまま。
 落ち込むフォスティーナに同僚のギゼラも同情し、犯罪捜査に詳しい恋人の精神科医、ベイジル・ウィリング博士に相談する。さっそく彼女の代理人として調査に赴いたベイジルだったが、そこで知らされた解雇の理由は驚くべきものだった……。

 暗い鏡の中に

 いやー、ほんとにようやるわ、というのが第一印象。もちろん褒めてる(笑)。
 マクロイの醍醐味のひとつに、大向こうを唸らせるケレン味があるのだが、本作はとりわけハッタリのかまし度合いが激しい。しかも変にいろいろなネタをつっこまず、ほぼメインの仕掛け一本で勝負する。もちろん犯人やトリックの意外性も十分なのだが、まずはこういうテーマでシンプルに勝負しているところを評価すべきである(ちなみに、このテーマは前半で明らかにはなるものの、これ自体が驚きのひとつなので、初めて読む人のためにここでは触れません)。

 ややもするとバカミスに転びかねないこのテーマ。それをしっかりサスペンスとして踏みとどまらせているのが、マクロイのプロット作りの巧さであろう。特に感心したのは興味の引っ張り方。変に謎を引っ張りすぎることもなく、ほどよくサスペンスを盛り上げておいていったん花火を上げ、また次の興味につないでゆく、そのタイミングの巧さである。読者をほんの少しだけ焦らせるタイミングといってもよいだろう。結果としてリーダビリティはすこぶる高い。

 ただ、ラストの締め方は賛否両論かもしれない。本格志向が強ければ、当然ながらすっきりしない人もいるだろうことは予想できる。とはいえ本作のテーマにうまく絡めたエンディングであることもまた確かで、この何ともいえない余韻を味わうことも、本書の楽しみのひとつではないだろうか。

 とにかくマクロイは素晴らしい。未訳作品がたっぷり残っているのが実にもったいない限りだ。あ、これこそ論創社さんにお願いすればいいのか(笑)。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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