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 最近あちらこちらのミステリ系のサイトや掲示板などを眺めていて思うのだが、今の若いミステリファンというのは翻訳ものって読まないのだろうか?どんな本を読もうと、それはもちろんその人の勝手なのだが、何となくもったいないと思うのは私だけか?
 私が江戸川乱歩やホームズの児童向けを卒業し、創元推理文庫などに手を出し始めた頃は(中学一、二年生ぐらい)けっこうガイドブックのようなものを買って、系統立てて読んでみたり、傑作と呼ばれるものを軒並みあたってみたりした思い出がある。あらかた世の名作というのをひととおり読み切って、そこから本当の長い長い旅が始まるわけである。

 ミステリは純文学とは違い、その芸術性だけで語れる文学ではない。どれだけテーマが深かろうと、どれだけ秀逸な文章力であろうと、そこに謎や犯罪といった一定の構成要件を満たす必要のある特殊な文学なのである。しかも時として、そこには科学的な制限が課せられることも多い。
 それはある種のコードといってもよいだろう。ミステリのコードである。
 あまり深刻に考えなくてもいいのだが、極端なことをいうと、純文学の作家は何を書いても、著者が「これは文学だ」と言えば、それは文学なのだ。
 だがミステリでそれをやることは許されない。いや、やってもいいのだが、ミステリのコードを破った時点でその作品がミステリでなくなってしまうだけの話だ。だからこそ著者、読者、編集者……ミステリに関わる者であれば、最低限知っておかなければならないコードがあり、その上でミステリは成り立っている。『アクロイド殺し』などはそのコードを逆手に取った作品であり、だからこそ歴史に残る傑作となった。
 ただ、このコードは普遍ではない。ミステリにおけるコードはあくまで技術的なものであり、したがって時代とともに進化すると考えてよい。
 それだけに進化の過程を追ったり、過去の蓄積を知っておくことが重要なのだ。今の日本のミステリ作家たちのエッセイなどを読んでも、やはり外国の名作などに触れた結果、今の自分があるようなことを書いている人は多い。それを見習えなどと不遜なことを言うつもりはないが、やはりミステリファンを名乗る以上は、その道の一般教養だってほしいじゃないか。ごくごく当たり前のことなのである。
 自分で書いていても年寄り臭い説教めいた話だと思うが、要は海外の古典も少しは読もうよってことで。ほんと、意外と面白いんだから。

 長々とこんなことを書いたのも、小倉孝誠の『推理小説の源流』(淡交社)を読んだからだ。淡交社というミステリとは縁のない版元なので(裏千家の経営する出版社で、当然だがメインコンテンツは茶道関係の出版物である)、あまり知られていない本だとは思うが、これはなかなか面白かった。
 内容は仏文学者の著者によるミステリ史に関する評論である。ポーを祖とし、ドイルで完成したといわれる推理小説の定説。それを否定するところから論は始まる。そしてフランスにおける犯罪小説からミステリに至るまでの歴史を解説し、続いてポーとドイルの間を埋めたフランスミステリ界、っていうかガボリオの意義や役割を立証してゆくのである。
 ガボリオの果たした功績もよくわかるが、それよりも前半のフランスの犯罪小説の始まりについて書かれた部分が、個人的には面白かった。それはイコール、フランスの新聞小説の歴史でもあり、大衆小説の歴史でもある。十九世紀のフランスの一般社会の様子や大衆の興味の推移などについても触れられ、なかなか刺激的な内容。若いミステリファンも、たまにはこういうのも読んでほしいぞ、と思うのはやっぱりこっちがオッサンになった証拠なんだろうな。

テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌



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