久々にファンタジーというか児童文学というか。デイヴィッド・アーモンドの『肩胛骨は翼のなごり』。
書店で数年前に見たときに、タイトル、そしてカバーの写真が実に印象的で、中身はまったく知らなかったのだがそのうち読んでみたいなぁと思っていた本。今年、文庫になったことでその存在を思い出し、数年越しの宿題を片付けた気分となった。

マイケルが家族と引っ越してきた家は中古の住宅。父親はせっせと修繕に精を出し、友人とサッカーを続けたいマイケルは転校を嫌ってバス通学を始める。でもみんなの本当の悩みは、生まれたばかりの妹の病気のことだった。
そんなある日、マイケルに二つの出会いが訪れる。
ひとつは隣家に住むミナという少女。母親の方針で学校には通わず、独特の感性と価値観をもつ彼女に、マイケルは戸惑いながらも惹かれていく。
もうひとつの出会いはもっと奇妙なものだった。庭にある今にも崩れんばかりのガレージの中で、マイケルは「彼」を見つける。黒いスーツを身につけてはいるが、その姿は埃にまみれ、髪や肩にはアオバエの死骸が散らばっている。リューマチでほとんど動くこともできない有り様だ。好物はテイクアウトの中華料理にアスピリン、虫の死骸にブラウンビール……。スケリグと名乗る「彼」はいったい何?
マイケルはミナと共に「彼」を助けようとするが……。
ははぁ、こういうお話でしたか。実はもっとファンタジー色が薄いと予想しており、そもそもタイトルも何かの比喩だと思っていたのだが。ま、それはともかく。
まずは十分に楽しめる、しみじみ系のファンタジー。
話はシンプルながら、あちらこちらに伏線を張り巡らし、意外と構成は緻密。作者はなかなかのテクニシャンなのである。派手になる要素はいろいろあれどもあえて抑えて描写し、美しく静かに語る。全体の構成もそうだし、各エピソードも同様。
登場人物たちも実に個性的だが、エキセントリックなところまではいかず、あくまで上品だ。主人公のマイケルについても、サッカーと作文が得意というやや出来すぎな設定ながら、基本はいたって普通の少年として描くことで、他の登場人物や事件をより鮮明に浮き上がらせている。
とはいえ、抑えすぎの部分がマイナスと思えないこともない。どのような児童文学であっても、主人公の成長物語という側面は欠かすことが出来ないお約束。使命と言ってもよい。そういう意味では主人公のアクの弱さは少々物足りない。一波乱二波乱起こして、主人公にわかりやすく一皮むかせようという山っ気はないようだ。このあたり同時期に刊行されたあの「ハリー・ポッター」とは対照的である。
だが、いくらでも深読みできる作りだし、むしろ込められたテーマは多い。一番の謎ともいえるスケリグの存在自体が各種テーゼになっているのも面白いし、文句をいうほどのことではないだろう。
むしろ気になるのは、著者があまりに心地よすぎる物語にしてしまったことか。癒しの力が強すぎる物語は、それはそれで現実に帰ってくるのが辛いのである。