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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

橘外男『橘外男日本怪談集 蒲団』(中公文庫)

 『橘外男日本怪談集 蒲団』を読む。バラエティに富む作風の橘外男だが、あえて看板をいえば幻想怪奇小説か。中でも海外を舞台にした秘境伝奇系は非常にインパクトの強い作品が多いけれども、その一方で日本を舞台にした、オーソドックスな怪談風の物語も印象に残る。
 本書は後者の代表作をまとめた怪談集ということで、さすがにに既読の作品が多いけれども、これから橘外男を読もうという人にとっては実におすすめの作品集となっている。

 橘外男日本怪談集蒲団

「蒲団」
「棚田裁判長の怪死」
「棺前結婚」
「生不動」
「逗子物語」
「雨傘の女」
「帰らぬ子」

 収録作は以上。久々に橘外男の怪談をまとめて読んだけれど、やはり凄い。内容そのものは本当にオーソドックスな怪談なのだけれど、とにかく語りが素晴らしい。海外の秘境伝奇ものなどを書くときの、あの熱にうなされたような特徴的な文体ではなく、むしろそういう熱量をできるかぎり押し殺した、静謐ささえ感じさせる語りである。合理的な説明などほとんどない、つかみどころのない話だからこそ、そういう静かな語りの方が、逆に怖さを倍増させるのだろう。

 以下、作品ごとのコメントなど。
 巻頭の「蒲団」は久しぶりに読んだがやはりは絶品。縮緬蒲団を仕入れたその日から始まった古着屋の凶事。絵に描いたようなオーソドックスな怪談で、すぐに蒲団との因果関係がわからないところがミソ。ごく普通の古着屋一家がゆっくりゆっくりと呪いに侵食されてゆく様は実に怖い。

 「棚田裁判長の怪死」は初読。旧家にかつて起こった凄惨な事件が子孫の代に祟る物語。「蒲団」同様に、呪われる当人たちには何の責任もないことがポイントで、そういう理不尽さもまた日本の怪談の特徴だろう。なぜか屋敷の見取り図が入っており、題名とあわせて妙に本格っぽい仕立てである。

 「棺前結婚」も有名な作品だ。気弱な青年医師のもとに嫁いだ花嫁が、姑に気に入られず、策略のものに離縁され、挙句に肺病で死んでしまう。姑の仕業に気付かぬ青年医師だったが、やがて花嫁の気配が日常に感じられるようになり、ついにはそれを決定づける鉄道事故が発生して……。先の二篇とは異なり、どちらかというとストーリーで読ませる美しくも悲しい物語である。また、鉄道事故とその後に続く棺前結婚のシーンは、鮮烈なイメージとして残る。

 「生不動」は本書中ではやや毛色が違って、怖さはあるが怪談ではない。その怖さも珍しくストレートなもので、まさに「生不動」というイメージありきの作品と言っていいだろう。

 著者の怪談といえばまず上がるのは表題作の「蒲団」か、この「逗子物語」。妻を亡くして逗子に逗留していた主人公は、荒れ寺の墓地で少年とその召使と思しき三人組と出会う。ところが村の人間の話では、すでに亡くなった人ではないかという……。個人的には本作が橘怪談ではもっとも好み。ストーリー、語り、絵のイメージすべてが渾然一体となった怖くも美しい作品である。解説によると、橘外男の早世した最初の妻が逗子で療養していたらしく、それを知った上で読むと余計に物悲しいものを感じてしまう。

 「雨傘の女」もオーソドックスな怪談話だが悪くない。。死者が死にきれない状況、残した者への未練など、こういうテーマは数多いが、橘外男が描けばここまで怖くできるのだという見本のような作品。

 「帰らぬ子」は、実際に幼い我が子を亡くしている橘外男が、その体験をもとに描いたと思われる話。前半では七歳で病死する子供・恵と主人公夫妻の交流が描かれるが、それから二十年後、主人公は家の決まった場所で恵の気配を感じるようになる……。なぜ今頃になって恵の気配を感じるようになったのかも興味深いが、何といっても前半の恵との暮らしぶりが切なく、思わず目頭が熱くなった。


橘外男『獄門台の屋敷』(湘南探偵倶楽部)

 ここのところ湘南探偵倶楽部さんが復刻した子供向けの探偵小説を集中的に消化しているが、本日もその中から橘外男の『獄門台の屋敷』を読む。集英社の「おもしろブック」という雑誌で1958年にわたって連載されたものだ。
 復刊にあたっては当時の雑誌をそのままスキャンして製本している。したがって当時の挿絵はもちろん、紙面の端々にある当時の広告やら漫画やらもそのまま見ることができ、そういうのを眺めているのも楽しい。
 ただ、レイアウトの際に版面を意識していなかったのか、本ののどに版面が食い込んでしまい、一部の文字がたいへん読みにくいのが残念。レイアウトは本来、製本された場合の状態を想定して制作するのだが、本書はあくまで同人誌なので、それに関する知識がなかったのだろう。次回からは注意してほしいところだ。

 さて、肝心の中身だが、こんな話。
 島根県の高座山に勝本家という名家があった。かつての栄光を示すかのような立派な屋敷ではあったが、何代か前の領主が領民を酷い目にあわせたため、その牢屋の跡から今でもすすり泣きが聞こえるとか、門の脇にあった罪人の首を切ってさらす獄門台には人魂が出るとか、不気味な噂が絶えないのであった。
 そんな屋敷にいまは信彦少年と若奥様が使用人らと暮らしていた。信彦少年は体が弱く、その日もかかりつけの医師が訪ねてきたが、いつもとなぜか様子が違い……。

 獄門台の屋敷

 一言でいうと、化け猫の怨讐譚。橘外男の化け猫ものといえば、ミステリ珍本全集にも収録された傑作『私は呪われている』を思い出すが、本作は児童書連載ゆえ多少はおとなしめではあるが、それでも相当な橘ワールドが炸裂していて面白い。
 勝本家の使用人が一人づつ殺されていくという前半は、怪談もしくはホラーの王道である。為す術もなく化け猫の恐怖に怯える一家の面々。警察らの介入もむなしく、ほとんどの人間が命を落とし、とうとう屋敷も焼失してしまう。子供向けとは思えないほど凄惨な展開で、いや、これは大人でも普通に引き込まれる。まさに橘外男の面目躍如といった感じである。
 問題は後半だ。さあ、少年は生き残ったものの、この化け猫はどうやって倒すのか。そんな展開を期待していると、これが本筋に関係ない先祖のバイオリンにまつわるエピソードの解明に費やされ、まるで別の物語になってしまう。多少、強引でもいいから、前半の化け猫騒動と後半のバイオリンのエピソードをなんとか関連づけてくれればよかったのだが、端からその気がまるでないというか、バランスはすこぶる悪い。
 化け猫はどうなったのだという疑問については一応答えを出しているけれど、これがまたけっこう肩すかしもので、終盤の喪失感はなかなかのものだ(苦笑)。

 これは単純に構成の失敗だとは思うのだが、そういえば以前に盛林堂ミステリアス文庫から出た、橘外男の子供向け探偵小説『死の谷を越えて—イキトスの怪塔—』を読んだときも、後半はグダグダだった記憶がある。著者は緻密なプロットなどはあまり意識せず、どうやら勢いとセンスだけで書いてしまうタイプのようだから、こういう例は他にも多いかもしれない。
 そういうわけで小説としての完成度は低いのだが、前半の化け猫パートの面白さは捨てがたく、橘外男のファンであれば読んでおいて損はない。
 ともあれ、こういった作品は同人の形でもないとそうそう簡単には読めないので、湘南探偵倶楽部さんにはぜひ今後も頑張ってほしいものである。

橘外男『コンスタンチノープル』(中公文庫)

 橘外男『コンスタンチノープル』を読む。
 著者は自作のことを実話小説というふうに呼んでいたというが、本作もまたオスマン帝国(オスマントルコ)の裏外交史の1ページといった趣。史実をベースにしながらも、奔放な想像力で一人のドイツ人女性の数奇な運命を描いている。

 物語の舞台となるのは、第一次世界大戦の足音も迫るオスマン帝国。ドイツの大富豪にして武器商人ヨーゼフ・ケルレルは美しい夫人のエリスを帯同し、コンスタンチノープルを訪れていた。しかし、ドイツの中東外交政策の駒として、夫妻は犠牲になってしまう。ヨーゼフは虎狩りの最中に命を落とし、残されたエリスはオスマン皇帝に献上されてしまったのである……。

 コンスタンチノープル

 第一次世界大戦前の頃のトルコというのは、ヨーロッパで絶大なる栄華を誇っていたオスマン帝国末期の時代である。最盛期は中東を中心にヨーロッパやアフリカ北東部にまたがる勢力を誇っていたが、傘下の諸民族が独立したり、ヨーロッパの列強が関与してきたり、帝国内部の腐敗もひどく、かつての求心力はひどく衰退していた。結局、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国は多くの領土を失い、現在のトルコ共和国の部分が残ったのである。
 トルコの歴史をある程度知っていたほうが理解はしやすいだろうが、物語を楽しむ分にはまあこの程度でも十分か。要はこの時期のオスマン帝国が爛熟、腐敗し切った状態であるということ、そして周囲のヨーロッパの列強もまたオスマン帝国に対していろいろと画策していたことが認識できればいい。

 ただ、読む前はオスマン帝国が舞台の歴史ものかとちょっと腰が引けていたのだが、いざ読み始めると歴史ものというよりはピカレスク小説や悪女ものという雰囲気で、まあこれが意外なほど読みやすくて面白い。
 権力者たちの思惑に翻弄されてしまう美貌のドイツ人エリス。皇帝に幽閉され、まあ、いろいろと恥ずかしい目にもあって最後には心折れ、皇帝の奥方となる。だが、そこで自らの権力を確たるものとし、自分をこのような境遇に追いやった者たちへ復讐を企てるというのが大きな流れ。
 まあ、ありきたりのプロットではあるけれど、物語のミソはエリスが健気なヒロインタイプなどではなく、ガチの悪女というところだろう。夫との結婚も金のためだし、色仕掛けもする、とにかく目的のためには手段を選ばない。かようにエリスのキャラクターが立ちまくっているので、彼女が悲惨な目にあおうがえげつないことをしようが、客観的に読め、いっそ爽快な気分である。

 惜しむらくはラストがちょっと急ぎすぎというか、急展開で終わってしまうのが残念。何らかの理由があったと思われるが、単行本として出すさいにもう少し膨らませてもよかったのにとは思う。
 とはいえ橘外男のまた違った面を堪能できて、まずは満足できる一冊であった。


橘外男『私は前科者である』(新潮社)

 本日の読了本は橘外男の自叙伝『私は前科者である』。
 橘外男といえば文壇から距離をおいた無頼派の作家というイメージ。その経歴も無頼派にふさわしく、若い頃から荒れた生活を送って旧制中学を退学になったり、父親から勘当されたり、挙げ句の果てには横領で実刑判決をくい、服役経験まである。
 その後も前科者の烙印を押されたことで底辺の生活を送っていたが、妹の死をきっかけにもともと興味のあった小説を書き始め、やがて自らの経験を活かした『酒場ルーレット紛擾記(バー ルーレット トラブル)』が実話小説の懸賞に入選。ついには『ナリン殿下への回想』で、直木賞を受賞するに至る。
 戦時中には満州に移住したりもしたが、その経験も戦後の執筆活動に活かされ、その作品はSFや幻想小説にまで及び、非常にバラエティに富んでいたが、橘外男は常に自らの作品を実話小説と呼んでいたという。

 私は前科者である

 さて、本書は自叙伝ではあるが、書かれている時期はかなり限られている。
 具体的には刑務所から釈放された直後からほんの数年間のこと。すなわち出所できたはいいが前科者という立場では思うように勤めがみつからず、徐々に社会の底辺に落ちていく時期。どん底を経験したのち、あることをきっかけに再びまともな職につき、これが思いがけない出会いを生んで、ようやく仕事の運が向き初めてくるという希望の知らせで幕を閉じる。

 したがって本書内では創作や小説についての記述はほとんどない。まだ創作に手を染めてない時期の話であり、それがなんとも期待外れでもあり残念でもある。まあ、そもそも本書は前科者に対するエールの書なので、それも致し方あるまい。
 当時は今と違って前科持ちに対して非常に厳しい時代だった。とりわけ橘外男は家族からも見捨てられた立場で、就職に保証人が必須であることから、普通の勤めはほぼ選ぶことができない。それでも時代ゆえのゆるさもあって履歴書や保証人を偽ることもできるのだが、それもばれると最悪である。
 橘外男はそういう負のサイクルにどっぷりはまって転落の一途を辿るのだが、それを救ってくれたのはやはり人の縁や恩である。彼はその体験をもとに、前科者に対して決してあきらめるな、自棄になるなと応援してくれる。そういう本なのである。

 ただ、確かに探偵小説的な興味はほとんど満たされないけれど、書かれている内容は単純に驚くばかりである。当時の底辺社会を描いた小説や映画で多少は知識があるけれど、やはり実体験だけに描写が細かい。まあ、そうはいってもなんでも実話小説と謳っていた橘外男の自伝なので、もしかしたらかなり話を盛っている可能性はあるけれど(苦笑)。
 橘外男はもともと厳格な軍人の家庭に生まれた。そのしつけの厳しさに対する反発、あるいはいいところの生まれという甘え、その両方がないまぜになって道を踏み外したと思われる。だから橘外男の心情や立ち直るまでの道筋には、必ずしも全面的に共感できるわけではないのだが、だからこそ興味深く読めるところはある。
 橘外男の熱烈なファンなら、といったところか。

 なお、管理人は古本の新潮社版で読んだが、調べてみると現在はインパクト出版会版が現役の模様。ううむ、ミステリとはまったく縁のない出版社なので完全ノーマーク。復刊されていたことも知らなかったぞ。


橘外男『私は呪われている』(戎光祥出版)

 先日読んだ『死の谷を越えて―イキトスの怪塔―』は読めただけでもありがたいし、見るべきところも多々ある作品だが、いろいろと欠陥も多い作品だったから、消化不良感がないといえば嘘になる。ならばというわけで、もう一冊続けて橘外男を読むことにした。ミステリ珍本全集の第6巻として刊行された『私は呪われている』である。
 橘外男というだけでも十分お腹いっぱいになるところへ、ミステリ珍本全集(日下氏編集)というフィルターが入るわけだから、これは相当期待してよいはずである。かの時代の探偵小説に過大な期待は禁物なのだが、いや、これは期待するなという方が無理でしょ。

 私は呪われている

「私は呪われている」
「双面の舞姫」
「人を呼ぶ湖」
「ムズターグ山(ムズターグアタ)」
「魔人ウニ・ウスの夜襲」
「雨傘の女」

 収録作は以上。「私は呪われている」は戦後に書かれた長編。「双面の舞姫」と「人を呼ぶ湖」はジュヴナイルの長編、中編。残りの三作は短編で、これまで単行本に未収録だった作品である。
 ミステリ珍本全集に採られるぐらいだからどれもレアどころだし、これまで復刊や書籍化されてこなかった原因や理由はもちろんあるのだが、読み物としてはどれも予想を上回る面白さである。

 まず表題作の「私は呪われている」。これは伝奇小説あるいはホラー小説の類であり、より具体的に言うなら化け猫小説である。
 発端は山陰地方にやってきたある学生が目撃したという化け猫の事件。地元警察の多田署長は馬鹿らしいと思いながらもひととおりの調査を行うが、それらしい事実は認められなかった。だがその学生が帰省後に不審な死を遂げてしまう。時を同じくして水戸では若きエリート警察署長が妹殺害事件を引き起こす。二つの事件に共通する老坂村の存在が気になった多田署長は、自らその村を訪ねるが、そこで事件につながる過去の因縁話を老僧から聞かされることになる……。
 この老僧の話、すなわち幕末を舞台にした時代もののパートがいわば本編となる。ざくっとまとめると、元城主の父の悪行によって逆恨みされた若殿が、その汚名をすすぐべく奮闘するも報われず、逆にだまし討ちにあって命を落とす。その仇を討つは若殿を慕う大猫であった、という一席。

 橘外男の過剰なまでのテンションは伝奇小説にこそよくマッチする。しかも外国を舞台にした物語より、こういう日本を舞台にしたおどろどろしい雰囲気にこそ最適なのかもしれない。時代がかった大仰な語り口が時代物に合うというのもあるし、読み手に見せ場やクライマックスをきちんと予測させ、カタルシスを与えるよう書けるのはさすがの技術である。
 本作でも時代もののパートでは救われない感じを受ける人もあるだろうが、凄惨な内容とユーモラスな味付けがバランス良く配合されていて、リーダビリティはすこぶる高い。特に大猫が活躍する場面は圧巻で、いまの特撮技術で映画化してもらいたいぐらいの気持ちである。
 残念なのは前後を挟んだ現代のパートがあまりうまく消化されていないことだ。正直、時代物のパートだけで完結させてよかったのではないかと思うぐらいで、橘外男の構成力があまりあてにならないことは最近よくわかってきたのだが(笑)、こういう長めの話になってくるとよりその弱点が顕著になってくる。猫の怨念が現代に蘇ったのか、あるいは連綿と祟りが続いていたのか、この辺りはもう少し親切にやってほしかったところ。
 それでも表題作として十分務めは果たしており、個人的にもお気に入りの一作である。

 表題作以上にインパクトがあったのは 「双面の舞姫」。
 物語は大富豪の老紳士が警視庁を訪れる場面から幕を開ける。老紳士の娘は十五年前に旅行先で行方不明になっており、手がかりすら掴むことはできなかった。 その行方不明の娘が、大晦日の夜、突然、家へ戻ってきたという。しかし、その姿は黒い布ですべて覆われ、体からは異臭が発せられていた。やがて娘は失踪当時の状況やこれまでの経緯を説明するが、それは恐るべき内容であり、老紳士はその出来事を報告しにきたのだった。

 ううむ、これはやばい。ジュヴナイルといえば、それこそ盛林堂さんの『死の谷を越えて―イキトスの怪塔―』を読んだばかりだが、あちらはテンションをキープしつつもさすがに諸々はジュヴナイル仕様ではあった。ところが本作は根本的にものが違う。
 もともとは海外を舞台にした大人向けの作品「青白き裸女群像」であり、それを日本を舞台にした児童向けに改作したのが本作。根っこにはある病気を扱っているのだが、当時の理解不足やそこからくる差別問題等の絡みで非常に問題の多い内容になってしまっている。しかもヒロインを襲う悲劇とか悪の組織の設定とかが強烈すぎて、いや当時(1953年)はともかく、よくこれがいま出版できたものだ。
 そういった内容は置いておいて、小説の技術的なところに目をやると、これも構成的にはやや強引。エピソーごとのインパクトはあるが、全体を通しての盛り上げはぎこちなく、風呂敷をたたむのはやはり苦手という印象だった。

 「人を呼ぶ湖」も児童向けである。 「双面の舞姫」の後ではさすがに分が悪いが、水死体のイメージに関する描写は上手い。
 短編 「ムズターグ山(ムズターグアタ)」と「魔人ウニ・ウスの夜襲」はほぼ同じ設定の物語で、橘外男の改稿癖を知るための作品としては面白い。

 というわけで非常に充実の一冊であった。ちなみにミステリ珍本全集は本書をもって第一期終了らしいが、ご存知のようにすでに第二期が大河内常平『九十九本の妖刀』でスタートしている。これも大変楽しみな一冊であり、こちらの感想もそのうちに。


橘外男『死の谷を越えて—イキトスの怪塔—』(盛林堂ミステリアス文庫)

 橘外男の『死の谷を越えて—イキトスの怪塔—』を読む。版元は盛林堂ミステリアス文庫。
 以前にも書いたが、盛林堂ミステリアス文庫は西荻窪の古書店、盛林堂さんが発行している叢書で、商業出版ではとても成り立たない企画をやってくれるのがありがたい。
 『死の谷を越えて —イキトスの怪塔—』も、橘外男という程度ならまだ商業出版の可能性はあるのだが、これが戦後間もない頃のジュヴナイル、しかも内容が想像以上にアレだったから(笑)、いや、戎光祥出版のミステリ珍本全集あたりならともかく、これは普通の出版社だと絶対に出せないだろうな。ぜひ今後も大手がなかなか参入できないあたりをチクチク狙っていってもらいたいものである。

 さて『死の谷を越えて—イキトスの怪塔—』だが、まずはストーリー。
 インドの北端、高峰連なる一帯に小さな村があった。英国領事マアロウ一行は旅の途中に束の間の休息をとっていたが、そこに半人半獣の怪物、身の丈は2.3メートル、頭髪も鼻もないまるで海坊主のような異形な者が出現したという知らせが舞い込んだ。村人の頼みもあり、マアロウたちは気軽に視察へ赴いたが、一行はそこでまさしく半人半獣の怪物に襲われ、かろうじてマアロウだけが命を取り止める。帰国したマアロウの話に科学者たちはどよめき、最新の研究を重ね合わせた結果、怪物の正体は実に意外なものであった……。
 ところかわってブラジル。アマゾンの奥地に開ける都市ネマルドナードに住む勝彦という日本人少年がいた。ブラジルで事業に成功した両親らと幸せに暮らしていたある日のこと、勝彦は立入を禁止されている河に入り込み、不思議な箱を入手るが……。

 死の谷を越えて

 本作は昭和二十五年から二十六年にわたって雑誌『中学生の友』に連載された作品で、初の単行本化である。橘外男といえばテンション高めのエログロ秘境小説というイメージが最初にくるが、こうした児童向けの小説でもガッツリそのテイストを維持して書いているのが素晴らしい。
 特に前半のインドを舞台にしたパートでは、ジュヴナイルなのに子供はまったく登場せず、怪物によって人々が殺害されたり女性がさらわれていく描写など、大人向けのものと遜色はない。ジュヴナイルゆえ「ですます」体の文章を用いているが、むしろその丁寧さが逆に効果を盛り上げているところもある。
 もちろんエロ描写は控えているし、大人向けなら人獣婚交について示唆するところも省略されている。もっと奔放に書きたかったところもあるのだろうが、なかなか健闘しているといえるだろう。

 ただ、後半になるとその勢いが失速していくのは残念。おそらく子供を主人公にという編集部側からの要請もあったのだろう。ここにきて勝彦少年が主人公となり、ようやくジュヴナイルらしくなってくるのだが、まあ、それはいい。
 問題は、前半のインド編が後半のブラジル編とほとんど何のつながりもないことである。しかも明らかに連載終了に間に合わなかったためだろう、最後はやっつけといってよい展開。勝彦をはじめとする少年たちの活躍があらすじのように語られてお終いである。題名にある「死の谷を越えて」や「イキトスの怪塔」というキーワードもこのあらすじもどきで初登場する始末だ。
 ただ、作者の構想は理解できる。本来は勝彦少年の活躍によって怪物を退治するという展開をみっちりとやり、そのなかでインド編の伏線も回収する予定だったのだろう。橘外男の発想は子供雑誌の連載ではとても収まりきらなかったということか(笑)。

 まあ完成度ではグダグダの一冊だが、橘外男のパッションは十分伝わってきたし、極めてレアな作品がこうして読めたことに満足である。

橘外男『ベイラの獅子像』(現代教養文庫)

 現代教養文庫の橘外男傑作選第三巻『ベイラの獅子像』を読む。収録作は以下のとおり。

「博士デ・ドウニヨールの『診断記録』」
「野生の呼ぶ声」
「米西戦争の蔭に」
「ベイラの獅子像」
「棺前結婚」

 ベイラの獅子像

 初期の秘境もの四作に加え戦後の怪談もの「棺前結婚」を収録という構成。妙にバランスが悪い感じがするのだが、この現代教養文庫版橘外男傑作選は、全体的に収録作の意図がわかりにくいのが欠点である。満遍なく傑作を収録するのはいいのだけれど、全三巻もあるんだから、もう少し明確な編集意図を打ち出してもよかっただろう。

 ただし、収録作の質そのものについてはまったく問題ない。本作でも相変わらずの橘外男ワールドを存分に楽しめるわけで、特に秘境ものについてはとりわけえぐい作品が採られている印象。
 戦前作家の秘境ものといえば香山滋や角田喜久雄、久生十蘭、小栗虫太郎など様々な書き手がいたが、橘外男のそれはエログロにおいて直接的表現が多く、そういう面では突出している。これまた相変わらずの熱にうなされているかのような文章も相まって、好きな人にはたまらない味わいだろう。以下、各作品ごとのコメント。

 「博士デ・ドウニヨールの『診断記録』」は毒蛇の研究のためコンゴーに赴いた科学者夫婦の悲劇を描く。橘外男お気に入りの類人猿による人外婚ネタであり、その描写は容赦がない。

 「野生の呼ぶ声」はエクアドルの農場で働くアメリカ人青年と現地先住民の奇妙な友情を描く。友情を描くとはいいながら、物語のクライマックスは例によって大虐殺ではあるのだが、それを踏まえてもラストはなかなか感動的だ。

 「米西戦争の蔭に」は著者には珍しい女スパイもの。設定だけでも十分に異色作なのだが、主人公の企てや悲哀に満ちたラストなど読みどころも多く、本書中のイチ押し。

 表題作の「ベイラの獅子像」はモザンビイクのベイラ港に立つ獅子と子どもの像にまつわるエピソード。これまたラストが切なく、橘外男が何故にここまで容赦ない運命を登場人物たちに託すのか興味深いところである。著者流の神話や御伽噺の類と思えば納得できないこともないが、それだけでは片付けられないものがありそうだ。これは宿題。

 「棺前結婚」は日本を舞台にした怪談。「逗子物語」や「蒲団」に比べるとやや落ちるが、幽霊の在りようが一般的な恨みなどとは一線を画している点が特徴的で惹かれる。


橘外男『ナリン殿下への回想』(現代教養文庫)

 橘外男の『ナリン殿下への回想』を読む。先月読んだ『死の蔭探検記』同様、現代教養文庫から出た橘外男傑作選の第二巻。まずは収録作。

「ナリン殿下への回想」
「蒲団」
「聖コルソ島復讐奇譚」
「マトモッソ渓谷」
「令嬢エミーラの日記」
「雪原に旅する男」

 ナリン殿下への回想

 中央書院から刊行された『橘外男ワンダーランド』全六巻はテーマ別の短編集だったが、現代教養文庫版の傑作選は、それぞれに著者の魅力をまんべんなく収録している。本書でもユーモアものから秘境もの、怪談となかなか幅広い。
 例によって熱にうなされているかのような独特の饒舌体だが、秘境ものに限らず静かなタイプの作品であっても意外にマッチしているのが面白い。もちろんまったく同じ文体というわけではなく、語り口はそれなりに変えているのだが、その"くどさ"というか"しつこさ”は共通のものだ。

 表題作の「ナリン殿下への回想」は第二次世界大戦直前という緊迫した状況下が舞台。インドの若き殿下と売れない作家の奇妙な友情を描いた作品で、ノリとしてはドタバタのユーモアものだが、戦争の影が全編を覆い、最後にしみじみさせるところが著者ならでは。

 「蒲団」はイチ押し。この怖さは絶品である。「ナリン殿下への回想」を読んだ後に読むと、よけい橘外男の懐の深さが感じられる。

 「聖コルソ島復讐奇譚」は秘境ものの一種で、コルソ島という未開の島の娘と結ばれた男の悲惨な恋の行方を描いたゲテモノ作品。後味も悪くて、正直、橘外男がこの作品を通じて何を訴えたかったかは不明(苦笑)。ただ、熱の高さだけは超一級である。

 ゲテモノ系なら「マトモッソ渓谷」も負けてはいない。未開地に棲む半獣半人の怪奇な生態を描くが、インパクトはあるもののボリュームがちと物足りないのが惜しい。

 こちらも秘境もの「令嬢エミーラの日記」。ジャングルで発見された惨たらしい女性の遺体。それはゴリラを研究するマッドサイエンティストとその娘を襲った悲劇の結果であった。
 ゴリラを扱う秘境もののSFや伝奇小説はいくつかあるが、橘外男のはじけっぷりは異常である(苦笑)。

 「雪原に旅する男」は一種の愛憎劇だが、珍しく抑えた文体が効果的、だが逆に異邦人が話す威勢のいいべらんめえ口調が気になっていまひとつ集中できず。

 ということでいくつかアレなものもあるけれど、全体的には満足できる傑作集である。ただ、ご存じのとおり本書は版元が倒産したことで絶版になっており、古書価もそれなり。ただ作品自体は他のアンソロジーや短編集でも読めるものが多いので、無理に高値で買う必要はないだろう。興味ある方はちくま文庫版の『怪奇探偵小説名作選5 橘外男集 逗子物語』でどうぞ。


橘外男『死の蔭探検記』(現代教養文庫)

 台風がきているのでひきこもって読書。今はなき現代教養文庫から橘外男傑作選のI巻『死の蔭探検記』を読む。
 ざくっと橘外男の全貌を知るには、ちくま文庫の『怪奇探偵小説名作選5 橘外男集 逗子物語』が便利だが、それが出るまではこの現代教養文庫の傑作選全三巻が定番だった。中央書院の橘外男ワンダーランド全六巻という手もあったが、あちらはハードカバーということもあって、やはりおすすめはお手軽な文庫版だったのだ。

 橘外男の魅力というと、実話という形をとった奔放な作品世界と特徴的な文体ではないだろうか。熱に浮かされたような独特の語りで描写される海外を舞台にした秘境物、かたや一転して静謐な文体で語られる国内を舞台にした幻想怪奇譚。このふたつの顔が魅力である。
 まあ、文体が異なるというよりは、語られる素材の違いで受ける印象が変わってくるだけなのだが、共通するのはストレートで過剰な形容である。だから猥雑なものはより猥雑に、怖いものはより怖く伝わる。「饒舌体」と言われたらしいが、感情を増幅する文体といってもよいだろう。
 久生十蘭みたいな格調は感じられないけれど、物語の内容に非常にマッチしているのが最大のポイント。とにかく読んでいて思わず引き込まれる文体なのだ。

 死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記

 そんな文体で語られる物語が、本書では以下のとおり六作収録されている。再読もいくつかあったが、非常に楽しい読書であった。

「酒場ルーレット紛擾記(トラブル)」
「怪人シプリアノ」
「死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記」
「恋と砲弾」
「逗子物語」
「生不動」

 まずはユーモア小説といえる「酒場ルーレット紛擾記」。文藝春秋の懸賞募集で入選した著者の出世作でもある。内容は日本人とオランダ人が共同で始めた酒場の顛末記、というか店主の二人が喧嘩して仲直りするだけの話なのだが、それこそ文章の楽しさだけで読める話。

 「怪人シプリアノ」は人狼テーマの怪奇小説。最初に学生時代の伏線だけを連ね、意外な形でクライマックスをもってくるストーリー展開が効果的。まあ、伏線がベタベタすぎて、誰一人としてシプリアノの怪しさに気づかないのが不思議だが(笑)、こういうサスペンスの盛り上げ方もいいものだ。
 本筋とは関係ないが(いや、あるか)当時の人種差別とか偏見とかに関する表現が非常に露骨で、著者がこれを書いた根本にはそういうものがあったのかもしれない。

 表題作の「死の蔭探検記」はオーソドックスな秘境もの。オーソドックスではあるがその展開は徹底的に激しく、一気に引き込まれる。
 似たような話がマイクル・クライトンの某作品にあったことを思い出したが、あちらはちょうど逆の設定だったか。似たような素材を扱ってもここまで雰囲気が変わるのかという、ごく当たり前の感心をしてしまった。

 「恋と砲弾」は激しい愛情の果てに待っている悲劇を描くが、感情の方向性がストレートなので、面白みはやや少ない。

 「逗子物語」はちくま文庫版にも収録されているが、何度読んでも凄い。日本怪談アンソロジーを組んだときには絶対に外せない一作。悪いことはいわない。橘外男に興味がなくても、これと「蒲団」だけは読んでおいた方がいい。

 「生不動」は火だるまになった三人の男女というイメージの激しさだけで読ませる話。一応、火だるまになった理由とかもあるが、ほとんど大した意味はない。その強烈なイメージがときには感動を残すという絵画的作品である。


橘外男『怪奇探偵小説名作選5 橘外男集 逗子物語』(ちくま文庫)

 『怪奇探偵小説名作選5 橘外男集 逗子物語』読了。収録作品は以下のとおりで、上の五作が海外を舞台にした実話風の作品、下の五作が日本の怪談ものという構成。橘外男という作家の傾向がある程度つかめる仕組みとなっている。

「令嬢エミーラの日記」
「聖コルソ島復讐奇譚」
「マトモッソ渓谷」
「怪人シプリアノ」
「女豹の博士」
「逗子物語」
「蒲団」
「生不動」
「幽魂賦」
「棺前結婚」

 さて、個人的には橘外男の作品集を読むのはこれが初めてである。無論アンソロジーではいくつかの作品を読んだことはあるが、その数少ない読書体験から受けた印象は、奔放な想像力とエネルギッシュな語り口で、海外の奇妙な話をぐいぐい読ませる、というイメージ。まあ、よく著者紹介に書いてあるとおりの印象である(笑)。
 で本書を読んでの感想だが、一面ではそのイメージはまったく変わらなかった。ノリ重視というか、くどいばかりのフレーズがこれでもかこれでもかと出てくる。繰り広げられる話の内容も、その語り口に負けず劣らず濃い。本能の赴くまま、といったら大げさかもしれないが、少なくとも面白いホラ話を聞かせてやろう、という著者の熱は十分すぎるぐらい感じることができた。「令嬢エミーラの日記」や「聖コルソ島復讐奇譚」あたりはその代表格であり、大仰なれど古き良き時代を感じさせて決して嫌いではない。
 一方、日本を舞台にしたものは、著者の別の顔である。著者のこの手のものは「逗子物語」以外おそらく読んだことがなかったので余計新鮮に思えたのだが、もうとにかくストレートな怪談ものなのである。しかも海外物とは一転して実にしみじみと語られるその幻想の世界。この作者はこういうタイプの物語もたくさん書いていたのだという驚きに加え、このレベルの高さは何事なのだという二重の驚き。あらためて読んだ「逗子物語」、そして「蒲団」の凄さはちょっと比べる作品が思い浮かばないほどだ。
 というわけで本書で橘外男の凄さを再認識した次第。ワンダーランドや現代教養文庫もそのうち読んでみたい。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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