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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

坂口安吾「盗まれた一萬円」(『新潮』2023年1月号)

 先日の朝日新聞に掲載されて驚いたのが、坂口安吾の幻の探偵小説が見つかったという記事だ。
 なんでも週刊新聞「東京週報」の1933年10月15日号に掲載されたが、そのまま埋もれてしまい、これまで全集などにも収録されず、存在も知られないままだったという。
 タイトルは「盗まれた一萬円」。安吾がまだデビューまもない頃の作品であり、四百字詰め原稿用紙三十枚ほどの短編らしいが、完全な新資料ということで研究者界隈はざわざわ。ついでに探偵小説ファンもざわざわするわけで、これを読まない手はない。どうやらこれが今月の『新潮』に掲載されるというので、さっそく買って読んでみた次第。

 ちなみに近場の書店ではあっという間に売り切れたらしく、どこへ行っても見つからない。面倒なのでこの時点で十二冊在庫があったネット書店で滑り込みゲットしたのだが、いやあちょっと焦った。売れたとはいえ雑誌だから滅多なことでは重版しないだろうし、まことに油断は禁物である。

 盗まれた一萬円

 さて、「盗まれた一萬円」だがこんな話。旧家の主人を往診している若い医者が、いつものように診察を終え、しばらく家人と雑談を交わしているときのこと。主人が慌ててやってきて書斎に置いておいた一萬円がなくなったという。警察に届けようとする三太夫だが、盗んだのは間違いなく家の者しか考えられない。内輪の恥は晒せないと、結局、医者が探偵役として調査することになるが、今度は以前になくなった金剛石が見つかるという出来事が起こる……。

 『不連続殺人事件』を遡ること十年以上も前の作品になるのでそこまで期待はしなかったが、探偵小説として見ると、1933年という時代を考慮してもかなり厳しい(苦笑)。なんせ安吾がまだデビューまもない頃であるし、探偵小説をそこまで真剣には考えていなかったのだろう。
 ただ、着想として気になるところはいくつかある。本作は探偵役の医者の一人称で始まるが、ラストでは神の視点に変わるところ。友人からのツッコミがあったという体でユーモラスに区切りを入れているところ。関係なそさそうでありそうな二つの事件を発生させているところ。恋愛要素を大きな軸にしているところ、などなど。
 狙いは決して悪くない。こうして気になるところをピックアップするとそれなりに面白そうなのだが、この時点ではまだ安吾がきっちりと探偵小説に向き合っていないというか、いいアイデアがないまま無理やり終盤でまとめにいった感じだ。特に一萬円の謎はいただけないのだけれど、その一方で金剛石の謎は(予想しやすいものの)ドラマとしてはそれなりに面白い。
 安吾がどこまで探偵小説を意識して書いたかわからないが、正直まだまだ。だが、もしかすると既に従来の探偵小説の流れに反発し、あえて期待はずれの「一萬円の謎」を書いた可能性もないではない。この辺は研究者の方々の調査を待ちたいところである。


坂口安吾『不連続殺人事件』(新潮文庫)

 坂口安吾の『不連続殺人事件』を読む。これがおそらく四度目ぐらいの再読である。新潮文庫で復刊されたのを機に久々に読んでみたのだが、やはりこれは傑作としか言いようがない。パズルやゲームとしての本格探偵小説を愛した坂口安吾は、読むだけではおさまらず、本作をはじめとしていくつかの探偵小説を残したが、やはりそのなかにあっても『不連続殺人事件』は別格でああろう。

 山中深くで酒造業を営む歌川家。その跡取り息子にして詩人の歌川一馬があるとき東京を訪れ、私(友人の作家・矢代)に、一夏をこちらで過ごさないかと声をかけてきた。
 もともと歌川家には疎開だったり何かと親交のある者が集まってはいたが、それに応じられない理由が私にはあった。私の妻・京子はもともと一馬の父・多聞の妾であり、それを強奪する形で結婚していたからだ。しかし、数日後、一馬から犯罪を予期させるような不吉な手紙が届き、止むを得ず私は京子、そして素人探偵として仲間内で知られる巨勢博士を伴い、歌川家を訪れる。
 だが、そこに集まっていたのは日頃からトラブルの種を播いてばかりいるような、素行不良の文人画人の面々。果たして悲劇の幕が開いた……。

 不連続殺人事件

 読めば読むほど面白くなる探偵小説もそうそうないが、本作はその数少ない例外。初めて読んだときこそ登場人物たちの多さと彼らの言動の破天荒さ・淫猥さに辟易したのだが、読むたびにその真価がわかり、凄い作品であることを実感できる。
 だいたい今挙げた登場人物云々にしても、それ自体がまさしく安吾の狙いであったのに、そこを汲み取れないこちらの甘さ、理解の低さ、加えてそれを楽しめない人生経験の未熟さがあった。

 何より凄いのは、安吾があくまで謎解きゲームとして本作を書き、犯人当ての懸賞までやっている作品だというのに、ゲームゲームしたところがなく、むしろそういうところを超越した愛憎邪淫のドラマとしての面白さを持っていることだろう。
 それなのに最後にはきっちり本格探偵小説としてすべてをクリアにさせる。まさにオールタイムベストテン級。こんな幸せな作品は数えるほどしかない。

 あ、そういえば映画版は観ていなかったな。あの人も重要な役で出ているし、これもそのうちに。


坂口安吾『復員殺人事件』(角川文庫)

 視聴はしていないが、『UN-GO』というアニメが放映されているようで、これがなんと坂口安吾の『明治開花 安吾捕物帖』が原案だという。といってもストーリーはかなり自由奔放のようで、原作の設定を拝借したというぐらいが適当らしい。ちょっと興味あり。

 で、それがきっかけというわけではないのだが、本日の読了本は坂口安吾の『復員殺人事件』。
 傑作『不連続殺人事件』に続いて書かれた長編第二作だが、連載していた雑誌が廃刊の憂き目にあい中断。結局、安吾の手によって完結されることはなく、後に高木彬光が続きを書き足して『樹のごときもの歩く』というタイトルで完成したという曰く付きの作品である。

 舞台は戦後間もない昭和二十二年の小田原。漁業で財を成した倉田家に、戦死したと思われていた次男の安彦が復員してくる。だが喜びも束の間、安彦は戦禍で右手左足、両目を失い、顔も本人とは見分けが付かないほどひどい有り様であった。そこで三男の定夫と次女の美津子は探偵の巨勢博士を訪れ、本人の証しとなるであろう手形の鑑定を依頼する。
 実は二人が巨勢博士を訪ねたのには、もうひとつ大きな理由があった。倉田家では五年前、長男の公一とその息子が不審な状況のなか、鉄道で轢死するという事件が起きていたのだ。そして美津子は、安彦がこの事件の犯人を知っていたのではないかと考えていた……。

 復員殺人事件

 安吾自体は探偵小説=パズルという考え方だったので、もちろん本格としての要素を重要視するし、木々高太郎の探偵小説芸術論には否定的だった。ただ、そこらの作家と違ったのは、決して文章やリアリティを疎かにするわけではないし(むしろ重きを置いていた)、結果的に芸術になるのは全然かまわないと考えたことにある。要は探偵小説としての出来以前に、小説としての出来を問うているわけですな。
 その結果として……かどうかはわからないが、本作品はトリック云々でいうとけっこうアレなわけだけれど、物語としては意外に安定していて面白く読める。つまり本格探偵小説としてはいまいち(笑)。
 「樹のごときもの歩く」というメッセージの意味、顔が判別できない復員兵、睡眠薬の使い方など、どれも消化不良気味で、これらは結末部分を書いた高木彬光にも責任はあるのだろうけど、安吾もどこまで考えていたかは不明。

 ただし、繰り返しになるけれど、お話としてけっこう面白く読めるのはさすが。『不連続殺人事件』同様にエキセントリックな人物たちが登場し、事件を錯綜させてくれるのだが、このやりすぎぐらいの感じがちょうどいい。
 中心となるのは、連続殺人が起きているというのにまったく意に介さない倉田家という成金一家。この家族に加えて使用人たちがまたひどい(笑)。彼らとのやりとりを巨勢博士や警察がどう捌いていくかが見ものなのだが、巨勢博士も言動の奇妙さでは決して負けていないから、ほぼ全編にわたってコメディ色は強い。放屁の場面がこんなにあるミステリなんてそうそうないだろう(笑)。

 なお、結末部分に関しては高木彬光の責任も……なんてことを書いたが、この安吾の文体をしっかり模写しているという点においては、高木彬光の功績は大きい。
 まあ、それだけに真相をもう少ししっかりまとめてくれれば、という思いはあるのだが、本格探偵小説という縛りの多い物語においてはそれも致し方のないところ。探偵小説とはいえ文豪のあとを継ぐという作業は、相当なプレッシャーもあっただろう。
 そんな当時の事情なども加味しつつ、探偵小説史に興味のある人だけが読めばいい作品といえるかもしれない。


坂口安吾『私の探偵小説』(角川文庫)

 先日に引き続いて、坂口安吾をもう一冊。お題は『私の探偵小説』。
 本書は小説ではなくエッセイ・評論集である。先日読んだ『能面の秘密』を実践編とするなら、こちらは言わば理論編。収録作は以下のとおりで、I部が探偵小説に関するもの、II、III部は主に文学に関するもので構成されている。

I部
「私の探偵小説」「推理小説について」「探偵小説を截る」
「「刺青殺人事件」を評す」「推理小説論」
II部
「通俗と変貌と」「未来のために」「私の小説」
「俗物性と作家」「理想の女」「思想なき眼」
「娯楽奉仕の心構え」「長さの問題ではない」「現代とは?」
「新人へ」「志賀直哉に文学の問題はない」「新カナヅカイの問題」
「敬語論」「戦後文章論」
III部
「文芸時評」「世評と自分」「観念的その他」
「感想家の生れでるために」「第二芸術論について」
「わが思想の息吹」「「芥川賞」選後評」

 私の探偵小説

 『能面の秘密』の感想でも触れたが、安吾の探偵小説についてのスタンスはガチガチの本格である。しかも作者と読者の対決。いかにして謎を解くかという、パズルゲームとしての理想型を求めている。
 そのためには作者が余計な描写に凝ったり、文章がわかりにくくては困るわけで、安吾は平易でわかりやすい文章こそ、探偵小説になくてはならぬと考える。
 とはいえパズルに徹していればいいのかというと、決してそれだけではない。安吾はその表現や内容に不自然な要素や稚拙な表現があるのを嫌う。例えば本格で往々にして見られる動機の軽視、あるいは必要以上に複雑なトリックに対しては厳しい。パズルとはいえ、いやパズルだからこそなのか、推理の妨げになるような稚拙さを嫌うのである。だから横溝正史がお気に入りであっても、人工的すぎる密室やその必然性が低い『本陣殺人事件』については評価も辛い。
 実にまっとう。実にシンプル。
 実例を挙げての論評だけに、過激さばかりに目がいきそうだが、ここまで明快で、しかも面白いエッセイはそうそうない。
 もちろん安吾が考える探偵小説は極限の狭さなので、そのまますべてのミステリに当てはめるのは無理があるのだが、それでも古くささはあまり感じられない。むしろ今でも十分に通用するだけの内容を含んでいるといえるだろう。作家名や作品名を俎上に挙げつつ、バッタバッタと切り捨てていく様はあっぱれと言うほかない。

 なお、文学系の方の評論もテイストは基本的に同じ。極度な装飾や過剰な難解さを嫌うのは一貫した姿勢であり、とりわけ批評家とか文芸時評も大嫌いだったようだ(笑)。つねに明快な論旨をぶちあげ、意に沿わないものはこれまたメッタ斬り。あの小林秀雄の書いた文章に対し「そんな馬鹿げた屁理屈」とまでのたまう(笑)。とにかくこちらも十分堪能できるはずである。

 ちなみに本書も残念ながら好評絶版中。入手難易度・お値段ともに『能面の秘密』よりは高いけれど、それでもネット古書店でもまだまだ入手可能のはず。御縁があればぜひどうぞ。


坂口安吾『能面の秘密』(角川文庫)

 坂口安吾の短編集『能面の秘密』を読む。
 安吾といえば『白痴』や『堕落論』などで有名な無頼派と呼ばれる純文学作家だが、その一方では子供の頃からの熱烈な探偵小説ファンでもある。戦後には有名な『不連続殺人事件』を発表して第2回探偵作家クラブ賞を受賞するほか、推理短編やエッセイもけっこう残している。
 今回読んだ『能面の秘密』は、主に1950年代前半に書かれた推理短編を集めたものだ。収録作は以下のとおり。

「投手殺人事件」
「南京虫殺人事件」
「選挙殺人事件」
「山の神殺人」
「正午の殺人」
「影のない犯人」
「心霊殺人事件」
「能面の秘密」

 能面の秘密

 上で安吾が熱烈な探偵小説ファンだと書いたが、好みは純粋な本格ものだった。ただ、カーやヴァン・ダインのような味つけ(過剰なオカルト趣味や衒学趣味)は嫌いだったらしく、謎と論理重視はもちろんだが、簡潔でわかりやすい文体というのも重視していたようだ。好きな作家は横溝正史やクリスティというから実にまっとうである。
 とはいえ「推理小説はパズル・ゲーム」と言い切ったり、あるいは友人らとミステリを読んでは犯人当て等の推理ゲームに興じていたり、というぐらいならよかったのだが、あるエッセイでカーの作品を「ツジツマの合わない非論理的な頭脳」と書いてみたり、それを褒める乱歩まで一刀両断。挙げ句は島田一男の『古墳殺人事件』を「これは、ひどすぎるよ。私にこれを読めという、宝石の記者は、まさに、こんなものを人に読ませるなんて、罪悪、犯罪ですよ」とまで罵倒し、これがきっかけで島田一男が本格を止めて新聞記者ものを書いたと言われているほどで、もうマニアックを通り越して最右翼な感じすら漂わせているところはさすがに無頼派。
 まあ、そういうガチガチの本格好きの部分と、本来の純文学作家として培ってきたものとが合わさった結果が、『不連続殺人事件』であり、本書に収められた短編群であるといえるだろう。
 ただし、こういう人にありがちなのだけれど、必ずしも自分でいうような作品を書いていたかというと話は別。甲賀三郎の例を出すまでもなく例外はあるもので、本書でも本格のコードに乗っ取ってはいるけれど、微妙にバランスが危うかったり、それどころか完全にバランスが壊れていたりといった作品もあり、それはそれで楽しい(笑)。いや、だからこそ楽しい(爆)。

 基本はやはり本格である。とりわけ安吾の興味は物理的トリックより、アリバイや心理的なものに向けられている。本書の作品も確かにトリック的にそれほどすごいものはない。また、小説自体の構成も意外にまとまりが悪く、完成度自体は決して高くないという印象である。
 ところがその弱点を支えているプロットなりテーマなりは実に強烈。結果として長所短所が目につきやすい、非常にアンバランスな安吾ならではのミステリが誕生したわけだ。『不連続殺人事件』もエキセントリックな登場人物だらけで初めて読む人はけっこう驚くだろうが、なに、あれは表面的には激しいけれど、中身はかなりまっとうな探偵小説である。
 その点、本書の作品は肝心なところが危うくてよい(笑)。

 とりわけ危ういところを紹介すると……。
 例えば「投手殺人事件」。本書では一番本格の様式を備えているが(見取り図など2枚も入っている)、野球選手と女優の三角関係どころか四角関係、さらにスカウトや記者を巻き込む展開で、とにかく設定のぐだぐだ感がすごい。ところが世の中広いもので、小学館のガガガ文庫でこの作品を「跳訳」した本も出ているらしい。あな恐ろしや。
 「選挙殺人事件」は勝ち目のない選挙にうってでた商店主に、なにか裏の理由があるのではないかと疑る記者の活躍。最後には事件も起こり探偵小説っぽくもなるが、この選挙の謎も含め、動機が最大のミソである。
 「影のない犯人」は、本書中でも最大の問題作。男の死因を巡って、医者、剣術の先生、木彫家の三人が推理を巡らすといった展開で、そこだけ聞けば「黒後家蜘蛛」か「チョコレート事件」かという感じだが、いや、この作品の結末は相当ですよ。解説で権田萬治がその意義を書いているけれど、安吾にそこまでの意識があったかどうかはかなり疑問(笑)。
 「心霊殺人事件」と「能面の秘密」は、巨勢博士と並ぶ安吾が生んだもう一人の探偵、伊勢崎九太夫が活躍する話。降霊術や鬼女の面をかぶった女按摩師など、導入部やギミックはどちらの作もとてつもなく魅力的なのだが、後半はあまりの意外性の無さに半分腰砕け状態。

 ということで一般的にオススメはしかねるものの、「探偵小説」の愛好者には避けて通れない怪作が目白押し。覚悟を決めて一度はどうぞ。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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