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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

ジェフリー・ライナー『新・刑事コロンボ/殺意のナイトクラブ』

 DVDで『新・刑事コロンボ/殺意のナイトクラブ』を視聴。監督はジェフリー・ライナー、シリーズ通算六十九作目にして最終作品でもある。

 ジャスティン・プライスは念願だった自分のクラブをオープンさせる目前だった。資金難という問題もあったが、友人トニーからの融資も決定、あとはオープンを待つだけであった。そんなときトニーは別れた妻ヴァネッサがプライスとつきあっていることを知り、ヴァネッサに激しくつめよるが、ヴァネッサは弾みでトニーを殺してしまう。
 ヴァネッサから連絡を受けたプライスは、トニーが失踪したように偽装するが、今度はパパラッチのリンウッドが二人を脅迫し始めた……。

 新・刑事コロンボ/殺意のナイトクラブ

 シリーズ最終作ということで、ある種の感慨はあるのだが、出来そのものはまずまずといったところ。
 コロンボの追い詰め方は概ね理にかなっており、説得力をもってはいるが、それに対抗する犯人役がもろいのが残念だ。シリーズ最大の特徴ともいえる犯人とコロンボの対決が、本作ではあまりにもコロンボ有利に進みすぎて、むしろ犯人が気の毒に思えてしまうほどである。
 まあ、犯行から何からすべてが行き当たりばったりで、これでコロンボに勝とうというのが無理だわな。ただ、犯人を演じるマシュー・リスは繊細な感じがよく出ていて好演といえる。もう少し見せ場を作ってあげたかったところである。

 ミステリドラマという枠を取っ払ってしまうと、やはり興味深いのは最終作としての意味合いである。
 作り手にそういう意図があったかどうかはわからないが、もはや老人と言っていいほどのコロンボと犯人役の若者の対比、そして、ここかしこに感じられるシリーズへのオマージュともいえるような演出&設定。ここかしこで最終作の気配が感じられ、そういう観点で見ればより楽しめる一作である。


パトリック・マクグーハン『新・刑事コロンボ/奪われた旋律』

 相変わらず読書が進まず、したがってブログの更新も進まないので、例によってDVDの感想でお茶を濁す。『新・刑事コロンボ/奪われた旋律』はシリーズ通算六十八作目。いよいよラス前の作品である。

 サスペンス映画緒音楽の巨匠として知られるフィンドレー・クロフォードだが、実は弟子のマッケンリーがこの数年の楽曲のほとんどをゴーストライトしていた。いつまでもチャンスを与えてもらいないマッケンリーは遂にしびれを切らし、すべてを暴露するとクロフォードに告げる。慌てたクロフォードは次のコンサートで1曲を彼に指揮させ、かつ次の映画音楽を監督に推薦すると応じ、その場をしのいだが、すぐにマッケンリーの殺害計画を練りはじめ……という一席。

 新・刑事コロンボ/奪われた旋律

 監督が前作に続いてパトリック・マクグーハンというのがポイントで、全体的に作りは丁寧。リハーサル無しでコンサートを行うなど、いくつかの点で無茶な御都合主義はあるけれども、基本的にはコロンボファン・ミステリファンの気持ちがわかっているというか、ツボをしっかり押さえているので安心して楽しめる。
 コミカルな要素も新シリーズにありがちな意味のないものは少なく、むしろコロンボが仕掛ける陽動作戦といった趣なので、それも気にならない。

 残念なのはラストだ。
 最後の謎解き部分で状況証拠や疑惑は山ほど出るのだが、それが直接的な決め手につながらず、どういう締め方をするのかと思っていると、あっさり犯人が自供するのである。まあ、コロンボではたまにあるケースだが、本作ではちょいとやりすぎ。なんで犯人がここで自供するのかまったく不明である。
 犯人がちゃんとした楽曲を自分で作曲できなくなったというエピソードがあるので、将来に希望がもてなくなった犯人が最後でやけになったという可能性は考えられるのだが、それにしても……ううむ。

 ぶっちゃけこの一点があるから本作は絶対に傑作にはなり得ない。むしろ途中までのわくわくを台無しにしているといっても過言ではないレベル。逆にいえば、これでコロンボの逆トリックなどがきれいに決まっていたら、新シリーズでもトップグループに入るレベルだったろう。惜しい。

 蛇足。楽曲のゴーストライトという題材が、つい最近世間を賑わせたあの事件を連想させて笑えた。犯人の風貌まであの人に似ていて(ついでに言えば役所広司にもけっこう似ているぞ)、これから見ようという人は要注目である。


パトリック・マクグーハン『新・刑事コロンボ/復讐を抱いて眠れ』

 この三連休は仕事が佳境なこともあってすべて出勤。とほほ。
 もちろん平日もそれなりの忙しさなのでなかなか読書もはかどらず、とりあえずコロンボだけでも進める。シリーズ通算六十七作目の『新・刑事コロンボ/復讐を抱いて眠れ』。監督はパトリック・マクグーハン。
 マクグーハンは本作で監督だけでなく製作や犯人役も演じているのだが、この人が絡むだけで安心というか、品質保証の目印という感じである。しかも、ものの本によると本作では脚本も担当したのではないかという話もあり、正にマクグーハンの総力を結集したような作品。その甲斐あって、新シリーズでは数少ない良作となった。

 かつて役者を志してハリウッドにやってきたエリック・プリンス。その夢は叶わなかったものの、今ではハリウッドのセレブたちを相手に葬儀社を経営し、大成功を収めていた。しかし、その成功のきっかけになったのは、ある女優の遺体につけられていたダイヤのネックレスを盗み、経営資金としたことであった。
 そんなエリックの過去を調べ上げ、テレビで暴露すると脅したのが、エリックに捨てられた元愛人でテレビレポーターのヴェリティ。エリックは葬儀社にやってきた彼女を撲殺し、そのとき行われていたある俳優の葬儀を利用して、死体を処分しようとするが……。

 新・刑事コロンボ/復讐を抱いて眠れ

 上で書いたように、これは新シリーズでもトップクラスの面白さである。いや、正直いうとマクグーハンはことさら特別なことはやっていないのである。新シリーズで目立つわざとらしい演出、過剰な性描写(大したレベルではないのだがコロンボという世界観に合わないという意味である)を止め、旧シリーズのようにコロンボと犯人の知的対決を上品に描き、ミステリドラマとして丁寧に伏線やどんでん返しを盛り込んでいるだけなのである。
 まあ、それが難しいという話もあるけれど、新シリーズでは方向性すら見失っている作品が多いので、とりわけ本作の真っ当さが際だっている。
 ラストの決め手もちゃんと伏線が張ってあって、犯人が完璧を期したはずの一手が、実はそれでも完全ではなかったというオチも楽しい。

 強いてケチをつけるとすれば、邦題が安手のハードボイルドっぽくてまったく似合わないことぐらいか。原題の『Ashes to Ashes』は犯行や舞台設定など、いろいろな意味に絡んでいて秀逸なのにねぇ。もったいない。
 まあ、そんな細かいことは置いといて、久々に安心しておすすめできるコロンボ新シリーズの一作ではありました。


ヴィンセント・マケヴィティ『新・刑事コロンボ/殺意の斬れ味』

 DVDで『新・刑事コロンボ/殺意の斬れ味』を観る。通算六十六作目。監督はヴィンセント・マケヴィティ。

 デアゴスティーニでのコロンボの新シリーズ発売以降、こうして各号が発売されるたびにあらためて視聴し、感想を書いてきたわけだが、いいかげん辛くなってきた(笑)。正直、ここまでひどい作品が多いとはさすがに予想していなかったものなぁ。
 新シリーズだけを先入観なしで観ていたら、もしかするとそれほど気にもならなかった可能性もあるのだが、旧シリーズでコロンボの素晴らしさを知っているわけだからそりゃハードルも高くなっているし。
 本作『殺意の斬れ味』も、コロンボが本来備えているシリーズの魅力をいい感じで台無しにしている一作である(苦笑)。

 実業家クリフォードは大きな損失を与えてしまった投資家から激しく非難されていた。クリフォード本人はどこ吹く風だったが、投資家は告訴すると息巻き、敗訴すると破産は確実。クリフォードの妻キャサリンはもともと粗野な夫に愛想を尽かしていたため、愛人パトリックとともに、この機に乗じてある計画を企てる。それは投資家を殺害し、その罪をクリフォードに着せるというものだった。
 そして犯行は実行に移された。やがて銃殺された投資家の家へ捜査にやってきたコロンボ。そのコロンボの前に現れたのがなんとパトリックの姿だった。彼はロス市警の鑑識課員だったのだ……。

 新・刑事コロンボ/殺意の斬れ味

 新シリーズのミスはいくつでも挙げられるのだが、最大の失敗は何といってもコロンボと犯人の知的対決という構図を疎かにしてしまったことだろう。本作ではその点にこそ工夫すべきだと考えたのか、犯人を別の容疑者になすりつけるというトリックをぶつけているわけだが、それこそコロンボと犯人の対決という構図がぼやけてしまい、ドラマとしての魅力が薄れてしまっている。
 それでもミステリドラマとしてちゃんと説得力があれば良いのだが、犯人がコロンボに疑われてしまうきっかけの酷さ、犯行トリック(背広のほこりやコンビニの監視カメラの件)の杜撰さなどミステリとしても低調である。

 ピーター・フォークの奥さんがとうとう犯人役として出演した記念すべき作品だというのに、この出来ではなぁ。


ヴィンセント・マケヴィティ『新・刑事コロンボ/奇妙な助っ人』

 DVDで『新・刑事コロンボ/奇妙な助っ人』を観る。監督はヴィンセント・マケヴィティ、通算六十五作目。

 こんな話。ロス郊外でサラブレッド牧場を経営するマクヴェイは、ギャンブル狂の弟からマフィア相手の借金を帳消しにするため、八百長レースを頼まれていた。しかし、マクヴェイは薬を使い、あえてそのレースを負けさせてしまう。
 実はマクヴェイは弟を厄介払いするため、かねてから弟の殺害計画を練っていたのだ。弟を殺し、その容疑を借金相手のロマーノに向けさせ、なおかつ自分を狙ってきたロマーノを正当防衛で殺害するという周到な計画である。果たして計画通りに犯行は進んだが、コロンボは弟が殺害された車の状況に不審を抱き……。

 新・刑事コロンボ/奇妙な助っ人

 犯人マクヴェイ役のジョージ・ウェントの好演、名優ロッド・スタイガーのゲスト出演など、見るべきところもあるにはあるが、個人的にはこの作品が『初夜に消えた花嫁』すら超えて、ワーストに入るかもしれない。
 理由は言うまでもなく、マフィアの暴力をもって証拠を強要するそのやり方だ。もちろんコロンボが考えたトリックではあるのだが、逆トリックとすらいえないその逆トリックはシリーズ中でも最低だろう。別にマフィアに限らず、この手段を用いればどんな事件でも解決できるんではないかい?

 しかし、新シリーズのだめっぷりにもいい加減慣れてきたつもりだったが、まだこんな駄作バリエーションがあったとは。残すところは四作だが、むしろそういう興味で観た方がいいのかも(苦笑)。


ヴィンセント・マケヴィティ『新・刑事コロンボ/死を呼ぶジグソー』

 この週末に観たDVDの感想など。おなじみ刑事コロンボから『新・刑事コロンボ/死を呼ぶジグソー』。通算六十四作目、監督はヴィンセント・マケヴィティ。

 ある夜、アパートに忍び込んだ男が帰宅した男と相打ちとなり、二人とも死亡する。捜査に駆けつけたコロンボたちが目にしたのは、忍び込んだ男が手にしていたジグソーパズルのように切り取られた写真の一部だった。
 翌日、コロンボたちのもとへ保険調査員を名乗る男クラッチが現れた。彼は昨夜に見つかったものと同じような写真の欠片を持っていた。その写真の欠片をすべて集めれば、数年前に起きた銀行強盗事件で不明になっていた四百万ドルの隠し場所が明らかになるというのだ。
 また、クラッチは別ルートで入手した七人の名前が書かれたメモも持っていたが、それには今回の事件で死んだ二人の男の名前も記されていた。コロンボたちはそのメモをもとに残りの欠片も探し始めるが……。

 新・刑事コロンボ/死を呼ぶジグソー

 さあ、出ました。本作は『初夜に消えた花嫁』に続く問題作。エド・マクベインの原作を使った、倒叙でも本格でもない、サスペンスとアクションで見せる、ある意味真っ当な刑事ドラマである(笑)。
 相変わらずシナリオに苦しんだ末の苦肉の策ではあるのだが、ただ困ったことにこれがそこそこ面白く、しかも当のピーター・フォークがかなり楽しそうに演じているところがいやはや何とも。ラストで僅かながらもコロンボが推理の冴えを見せてはくれるのだが、ううむ、これじゃあファンには物足りないよなぁ。

 逆にファンからすれば噴飯もののシーンは目白押しである(笑)。コロンボが潜入捜査をするというだけでも、まあ古いファンからすればかなり辛いのだが、チンピラや保険屋やマフィアなんて、どう考えても似合わない。そもそもコロンボじゃなくてピーター・フォークが演じているようにしか見えないのが問題である。
 最悪なのはコロンボが侵入者に殴られて気絶するシーンか。いくら何でもありゃやりすぎだ……。

 フォークの奥さんがまたまた登場しているとか、そういう見どころもあるにはあるが、まあオススメはいたしません。


デニス・デュガン『新・刑事コロンボ/4時02分の銃声』

 DVDで『新・刑事コロンボ/4時02分の銃声』を視聴。シリーズ第六十三作目。監督はデニス・デュガン。
 本作最大の目玉は、何といっても『ルーサン警部の犯罪』以来の犯人役となったウィリアム・シャトナー。そう、『スター・トレック』でおなじみカーク船長の、二度目の登板である。

 政治経済のコメンテーターとしてラジオでパーソナリティーを務めるフィールディング・チェイス。傲慢な性格で敵は多いが、娘ヴィクトリアだけは溺愛し、ヴィクトリアは完全なるチェイスの庇護の元で暮らしていた。
 だが、そんなヴィクトリアが実は小説家志望であり、チェイスの助手ウィンタースは彼女の書いた小説を大手出版社に売り込もうとする。それは彼女の小説を評価したからだけではなく、チェイスからの自立を促すためでもあった。
 ところがそれを知ったチェイスは、出版の話を握りつぶす。怒ったウィンタースはチェイスの過去のあくどい手口を暴露すると宣言。後がなくなったチェイスはウィンタースの殺害を計画するが……。

 新・刑事コロンボ/4時02分の銃声

 上でも書いたように、本作はコロンボ対カーク船長二度目の対決が見どころである。大物ゲストゆえか、新シリーズにありがちなイレギュラーな展開や過剰な演出は影を潜め、実にオーソドックスな作り方をしているのが嬉しい。
 これでメイントリックが良ければ旧シリーズに匹敵するのだろうが、残念ながらそこまでの力はない。トリックは携帯電話を利用したもので、まあそれ自体は悪くはないのだけれど、別の者に容疑をなすりつける手段などが稚拙であり、トータルではせいぜい並というところだろう。結局メイントリックが弱いから、それを打ち崩すコロンボの逆トリックも鮮やかというにはほど遠く、腰砕けな感は否めない。
 まあ、久々にコロンボらしいコロンボを見られたということで良しとしますか。


ヴィンセント・マケヴィティ『新・刑事コロンボ/恋におちたコロンボ』

 ようやく大掃除もひと区切りついて、あとは大晦日の買い出しを残すのみ。これもまた面倒っちゃ面倒なんだけど。


 DVDで『新・刑事コロンボ/恋におちたコロンボ』を視聴。通算六十二作目、監督はヴィンセント・マケヴィティ。まずはストーリーから。

 ビバリーヒルズの富豪ローレンは自宅でパーティーの真っ最中。恋人のニックも途中からやってきたが、ポーカーがあるとかですぐに帰ってしまう。しかし、実はニックは女を食い物にするゲス野郎。その日もポーカーなど行かず、リサという若い女性を自宅に呼んでいたのだ。
 ところが自宅に帰ったニックを待っていたのは、密かにパーティーを抜け出していたローレン。なんと彼女は問答無用でニックを射殺してしまう。リサとローレンはニックの悪行を許すことができず、二人で共謀していたのだ。
 やがてローレンはパーティーに戻り、あらためてニックの自宅へ向かう。ローレンが管理人を呼び出して鍵を借り受け、二人でニックの部屋へ向かったとき、リサが発砲。こうしてローレンのアリバイを工作したのだ。しかし、現場に現れたコロンボは不審な個所に気づき、ローレンに接近するが……。

 新・刑事コロンボ/恋におちたコロンボ

 本作の見どころは、あのフェイ・ダナウェイを犯人役に迎えたというその一点に尽きる。そもそもビッグスターをゲストに迎えることがコロンボの見どころの一つではあるけれど、一定以上の年齢の人であれば、やはり彼女は別格だろう。
 そのフェイ・ダナウェイがピーター・フォークと対決するのだから、それを素直に楽しめばいいのであって、まあ野暮なことは言いたかないのだけれど、新シリーズのシナリオは相変わらずしょぼい(笑)。
 犯行そのものが緩いというか、完全には程遠い手口。電気毛布のトリックはすぐに意味が無くなってしまうし、冷蔵庫の氷の件も厳しい。電話の履歴から足がつくなんて、この時代でもさすがにやってはいけないのではないか。いつの時代のミステリドラマかと言いたいぐらいである。
 救いは、新シリーズには珍しく基本フォーマットをきちんと押さえていること。だからフェイ・ダナウェイとピーター・フォークとのやりとりだけで何とか持ちこたえているといった印象である。

 あと、これはいいのか悪いのか判断に迷うところだが、本作ではコロンボが酒場のマスター相手に事件について話すシーンが多いのだけれど、そこで自分の内面について吐露するのが非常に気になってしまった。コロンボの飄々としたところやユーモラスなところは、内面(哀しみや怒り)を晒さないための一つのポーズであって、だからこそ時に見せる怒りの表情などが活きるわけである。
 本作ではそういう心の内をけっこうあけすけに話しており、ここまで人間臭いコロンボはちょっと違うかなと感じた次第である。


ヴィンセント・マケヴィティ『新・刑事コロンボ/死者のギャンブル』

 『新・刑事コロンボ/死者のギャンブル』を視聴。監督はヴィンセント・マケヴィティ。
 本作はシリーズ通算六十一作目、新シリーズとしては十六作目にあたるのだが、やはり新シリーズの息切れ感は相当なものがある。とりあえずストーリーから。

 マフィアから多額の借金を抱えるハロルド。プロ・フットボールチームを経営する叔父から金を工面しようとするが、むげなく断られ、絶体絶命の危機に瀕していた。遂には遺産相続を狙って叔父殺害を企て、パイプ爆弾を叔父の車に仕掛けてしまう。
 ところが殺害実行の前に叔父が轢き逃げにあい、死亡したことで計画は大きく狂う。慌てたハロルドは車から爆弾を回収しようとするが、轢き逃げ捜査にきていたコロンボたちの目の前で車は爆発、庭師が命を落としてしまったのである。
 爆弾が既に死亡した叔父を狙ったものだと考えたコロンボはハロルドに目をつけ、捜査を開始。一方、叔父の遺産をアテにしていたハロルドだが、遺産がすべてもともと関係のあった叔母に渡ってしまい、今度は叔母に取り入ろうとするが……。

 新・刑事コロンボ/死者のギャンブル

 前作の『初夜に消えた花嫁』が完全にシリーズのパターンを無視した作品だっただけに、今度は手堅くオーソドックスな作りにするかと思いきや、本作はまた別の意味でシリーズのパターンを裏切る内容となった。
 ただ、本格ミステリーの魅力をどこかに置いてきてしまった前作とは異なり、本作は一応、本格のフォーマットを尊重しつつ捻りを加えたものだけに、狙いはわからないではない。
 とりあえず倒叙の形で犯行を進めつつも、それが未遂に終わって別の犯行が発生(この時点でもう一人の未知の犯人がいるのがミソ)、続いて当初の犯人の犯行が図らずも異なる形で実現してしまい、さらにはもうひとつ意外な形で犯行が行われるという結構は、結果はともかくとして意欲は買える。

 残念ながら新シリーズの常として完成度が低く、さらには捻りすぎのシナリオによってシリーズの持つ魅力がいくつも失われているのはいただけない。事件に関係ない人物の死や、知性も魅力も感じられない設定の犯人など、上品な知的ゲームを望んできた視聴者にはいささか辛いものがあるだろう。
 可能性を感じさせるプロットだけに、もう少し犯人の設定などをきちんと練れば良かったのになぁと思わせる一作。


アラン・J・レヴィ『新・刑事コロンボ/初夜に消えた花嫁』

 DVDで『新・刑事コロンボ/初夜に消えた花嫁』を観る。監督はアラン・J・レヴィ、シリーズ通算六十作目。新シリーズでも屈指の問題作(笑)、いよいよ登場である。

 こんな話。本日はコロンボの甥っ子アンディ刑事とモデルをやっているメリッサの結婚式。コロンボも親代わりに出席し、スピーチにダンスに大活躍。ところがその夜、ホテルに宿泊した二人を悲劇が襲う。アンディのシャワー中、メリッサが消え失せてしまったのだ。連絡を受けたコロンボがアンディと二人で部屋を調べたところ、クロロホルムの染みこんだ綿や不審な車の目撃情報から、メリッサは誘拐されたと判断。コロンボはパーティに出席していた刑事たちを招集し、捜査に乗り出した……。

 新・刑事コロンボ/初夜に消えた花嫁

 本作にはシリーズの約束事がいくつか破られており、それが故にシリーズ中でもワーストに推す人が多い。
 まずはオリジナル脚本ではなく、エド・マクベインの原作を基にしたシナリオであることだ。
 新シリーズのコロンボはそもそも慢性的な脚本不足に苦しんでいた。まあ、これだけ長く倒叙をメインに据えた本格仕立てでやってきたのだ。それは苦労もするだろう。
 だがそれでもオリジナルにこだわったのはスタッフたちの意地でもあるし、やはり番組の価値を高く保つために他ならない。ところが製作総指揮にピーター・フォークが絡み出したあたりから、この部分がないがしろにされてしまった感がある。極論をいうと、コロンボというキャラクターがいて、中身が面白くさえあれば、別にルールにはこだわらなくてもいいんじゃない?というスタイル。

 ここで次の掟破りに繋がるのだが、本作でもマクベインの原作を使っているから、そこそこ面白くは観られる。観られるのだけれど、本作は倒叙どころか本格や謎解きのテイストがほとんど入っていない。要するに警察の組織的捜査だけで事件が解決し、そこにはコロンボシリーズがここまで人気を博した魅力のひとつがバッサリ切り捨てられているのである。
 確かにコロンボというキャラクターだけでこのシリーズを観ている人もいるのだろう。だが、まずはドラマとしての確かさ、脚本の素晴らしさである。倒叙や謎解きの要素なくして何のコロンボか。単なるサスペンスが観たければ、他にいくらでもその手の刑事ドラマはある。コロンボならではの魅力を捨てたところに本作最大の問題があるといえるだろう。

 あとはこれに比べると大きな問題ではないが、それでも気になる点はまだまだある。
 そのひとつがコロンボの親類を登場させてしまったこと。コロンボが犯人とのやりとりなどに際し、かみさんや親類の話を持ち出すのは恒例だが、実際にかみさんや親類が登場したことは一度もない。それゆえに話の信憑性自体は非常に低いのだが、となるとこれはコロンボの陽動作戦なのかと視聴者は考える。
 実際に親類を登場させたことで、その妙味が失せてしまったのは実に残念だ。

 お終いにラストの犯人逮捕のシーン。これも長年コロンボを観ている者には相当ショッキング。コロンボにはこういう現場に立ち会ってほしくなかったという気持ちもあるし、コロンボは最後までコロンボであろうとしているのが逆に空々しく、後味の悪さはいただけない。

 続けなければならない理由はわかるのだが、ここまでして続けることにいったい何の意味があったのか。コロンボの新シリーズはいろいろな課題を持つけれど、この回はマジに存続最大の危機だったのではないだろうか。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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