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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

モルテン・ティルドゥム『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 

 DVDで『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 を視聴。第二次世界大戦中にドイツ軍のエニグマ暗号の解読に取り組み、のちに同性間性行為の罪で罰せられ、最後は自害したイギリスの暗号解読者アラン・チューリング。その悲運の生涯を描いた歴史スリラーである。
 日本では2015年公開。監督はモルテン・ティルドゥム、主演は傲慢な天才役をやらせたらピカイチの(笑)ベネディクト・カンバーバッチ。

 ときは1939年。イギリスがドイツに宣戦布告した年のこと。数学者アラン・チューリングは政府暗号学校が置かれるブレッチリー・パークを訪れ、デニストン中佐の指揮の下、数名の仲間とチームを組み、ナチスの暗号機エニグマの解読に挑むことになる。
 朝から晩まで暗号の解読に励むメンバーたち。だがチューリングだけはひとり暗号解読装置の設計に没頭していたため、両者の間には溝が深まってゆく。だが後から加わったクラークがチューリングとメンバーの中をとりもつことで、チームは徐々に結束、ついに装置は完成した。
 だがドイツ軍は暗号のパターンを毎日変えるため、装置の処理が追いつかない。業を煮やしたデニストンは装置の破棄とチューリングの解雇を命じる。仲間の協力でこれを回避したチームだったが、問題はそれだけではなかった。両親から仕事を辞めろと迫られるクラーク、チームにかけられるスパイ容疑、そしてチューリング自身に隠された秘密などなど。
 そんななか、チューリングは通信を傍受する役目の女性職員の話から、ついに暗号解読のヒントを思いつく……。

 イミテーション・ゲーム

 ううむ、まずまず楽しめたけれど、チューリングの天才っぷりや暗号解読についての見せ場がそれほどではないのが残念。
 確かにチューリングという人物に注目した場合、数学者としての偉業もさることながら、その不遇な生涯に目を奪われる。自己中心的な性格や性的嗜好が災いしたことで、最終的には逮捕されて科学的去勢を施されてしまう。挙句に四十一歳という若さで自ら命を断つことになるわけで、どうしてもヒューマンドラマ寄りにしたい制作サイドの気持ちはわからないでもない。
 しかし、そのドラマもチューリングの天才的数学者としての部分があってこそ。だから、その天才っぷりや暗号解読の描写をがっつりと見せてくれないことには何とも物足りないのだ。

 ちなみにプロットとしてひとつ気になったのは、装置完成後にチューリングが下した決断である。
 エニグマを解読したことがドイツにばれてはその苦労が意味のないものになってしまう。よってエニグマから得る情報を取捨選択し、より重要な情報のみ対応していくべきだというのである。これは逆にいうと、戦略的に重要でない情報は、多少の犠牲が出るとわかっていても、あえて味方にも教えずにスルーするというのだ。
 これ、見る人の価値観でまったく意見が分かれる重要なところだし、暗号解読チームの中でも意見が対立する見せ場の一つのはずだが、意外にあっさり意見がまとまり、国も素直にそれに応じるのがやや違和感のあるところである。ドイツの作家シーラッハなどは、まさにこのテーマひとつで『テロ』を書いたほど重いテーマなのだが。

 ということでカンバーバッチの名演技は見る価値ありだが、ヒューマンドラマとしてはまずまずだろう。歴史スリラーや暗号興味で見る人はあまり期待せぬように。


ダリオ・アルジェント『サスペリアPART2/紅い深淵』

 DVDで『サスペリアPART2/紅い深淵』を視聴。ダリオ・アルジェント監督による1975年の作品である。何を今頃こんな中途半端に古い映画を観たかというと、先日読んだ『映画秘宝EX 最強ミステリ映画決定戦』の影響である。実は同書で数あるミステリ映画の一位に輝いたのが、この『サスペリアPART2/紅い深淵』なのだ。

 おいおい、ちょっと待て、『サスペリア』ってホラー映画じゃなかったっけ?という方もいると思うが、本作は原題を『Profondo rosso』といい、何を隠そう(いや別に隠す必要もないのだが)、『サスペリア』よりも以前に作られた純粋なサスペンス映画であり、オカルト要素は一切ない。それどころか『サスペリア』とストーリ−的な関係もまったくなく、完全に別物の映画なのである。
 ホラー映画のファンには常識なのだが、日本では先に公開された ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』がヒットしたせいで、日本での配給会社がその人気にあやかるべく、同監督のすでにあった映画『Profondo rosso』を引っ張り出していかにも続編的なタイトルをつけて公開したのである。

 で、『サスペリアPART2/紅い深淵』だが、先に書いたように本作は純粋なサスペンス映画である。しかも『映画秘宝EX 最強ミステリ映画決定戦』で一位に輝いたように、ミステリとしてかなり上質の作品なのである。
 などと知ったようなことを書いている管理人も、実はこの映画がそこまで凄かったという印象はあまりなかった(苦笑)。もちろん面白かった記憶はあるのだが細部はほとんど覚えておらず、一位と言われてもピンとこなかったのが正直なところである。
 これではいかんだろうというわけで、わざわざDVDを購入し、あらためて視聴した次第である。

 サスペリアPART2:紅い深淵

 まずはストーリー。
 プロローグとして挿入されるのが、ある家でクリスマスの夜に起こった出来事である。レコードで子供の楽しげな歌が流れる中、子供の叫び声が響き、床には血まみれの包丁。そして、その包丁に近づく子供の足。何らかの惨劇が行われたことを暗示しつつ、物語はとあるホールへと変わる。
 そのホールで行われているのは超心霊学会で、テレパシーの持ち主であるヘルガの公演の真っ最中であった。ところが突如、ヘルガが悲鳴をあげる。聴衆のなかに過去に殺人を犯した者がいて、その人物は再び人を殺そうとしているというのである。
 その夜のこと。ヘルガがホテルの一室で電話をしていると、どこからともなく子供の歌が聞こえてきた。不審に思ったヘルガは邪悪な者の存在に気づいたが時すでに遅く、彼女は何者かの手によって惨殺される。
 その場面を屋外から目にしていた一人の男がいた。たまたまホテルの前で、しがないピアニストの友人カルロと立ち話をしていた同じくピアニストのマークだった。マークはヘルガがホテルの窓際で殺される瞬間を目撃し、急いで部屋に向かうが、現場には事切れたヘルガの姿しかなかった。
 やがて警察も駆けつけ、警察と部屋を検分していたマークはある違和感を覚える。それは部屋にかけられた不気味な絵の数々だった。自分が現場に来たときにあったはずの絵が一枚なくなっているのではないか?
 事件に興味を持ったマークは独自に調査を開始するが……。

 いやあ、なるほどねえ。こう来ましたか。
 犯人と真相はなんとなく覚えていたが、あらためて観るとけっこう衝撃的ではないか。しかも、ただびっくりするだけではない。プロットが非常に練られているうえに、伏線をガンガン張りまくっているのが凄い。真相を知ったときに、ああ、あれはああいう意味であったかと、すとんと腹に落ちていく。
 ミステリ的なギミックもなかなかのもので、特に冒頭から引っ張る殺人現場の絵の謎はうまい。これなど小説でやっても大した効果は得られないが、映画では実に有効。映像ならではの強みである。
 また、映画ならではの部分でいうと、中盤で提示される殺人場面を描いていると思われる子供の描いた絵のネタもいい。主人公たちが発見するその絵が、実は全体の一部でしかなく、これを効果的に見せて、なおかつ新たな疑問を観る側に生じさせるテクニックなど実に心憎い。
 他にもバスルームのダイイング・メッセージなども仕掛けとしては面白い(ただ、その中身はいまひとつであるが)。

 世界観の作り方も実に堂に入ったものだ。原題にもある”rosso”(赤)、さらには”絞首刑”というイメージを全編に擦り込ませて雰囲気を盛り上げるが、実はもっと素晴らしいのが、それらの表面的なイメージの下に性や男女の問題を隠しテーマとして含ませていることだ。これがまたいくつものエピソードを何層にも重ねることで、物語に奥行きを与えている。
 ここを詳しく書くとネタバレになってしまうので控えるが、こういう描き方をすることでより世界観がしっかり構築されているように思える。

 疵もないではない。完全に余計としか思えないアクションシーンを入れたり、BGMがちぐはぐだったり、主人公がどうにも不用心過ぎるなど、全体に作りが荒っぽいし、バランスも多少悪い。早い話がいかにもB級然とした作りなのである。
 ただ、そんなところは多少なりとも我慢して観るべきだろう。そういう欠点を含めてもお釣りは十分にくる。
 まあ、正直な話、さすがにすべてのミステリ映画で一位とは思わないが(笑)、ベスト20クラスの力は確かにある。どんでん返しの効いたミステリ映画が好きなら、一度は見ておいて損はない。


マシュー・ヴォーン『キングスマン』

 本日は立川のシネマシティに出かけて『キングスマン』を視聴。劇場の予告編を観たときからそのアクションシーンが気にはなっていたのだが、監督が『キック・アス』のマシュー・ヴォーンと知り、それも納得。心の必見リストに入れておいた作品である。

 こんな話。ロンドンにある高級テーラー「キングスマン」は独立スパイ組織。どこの国にも所属せず、数々の難事件を解決してきた秘密組織である。
 あるときキングスマンのメンバーの一人が、アメリカのIT起業家リッチモンド・ヴァレンタインを調べるうち、命を落とす。キングスマンのベテラン工作員ハリーはその欠員を埋める試験に、かつて自分が命を救われた仲間の息子エグジーを推薦し、試験に参加させる。
 エグジーは過酷な試験に挑戦することになり、徐々に勝ち進んで行くが、その頃ヴァレンタインは人類の存亡を揺るがす陰謀に着手していた……。

 キングスマン

 『キック・アス』の監督さんということで期待したのだけれど、見事なまでに内容が『キック・アス』の二番煎じでびっくり。面白いことは面白いのだが、その結構があまりに『キック・アス』を踏襲していて、オリジナリティという部分ではどうよ?というのが残念。
 そもそも『キック・アス』や従来のスパイ映画を越えようという意識が製作者に強すぎるのか、やりすぎの部分も目立ち、それが裏目に出ているところもちらほら(例えばラストの首が破裂するシーンとか)。

 ただ、英国紳士を前面に押し出したスパイというアイディアが秀逸で、武器などのギミックにもしっかり反映されているから、なんだかんだで評価は甘くなってしまうんだよねぇ。
 名優コリン・ファースの演技も素晴らしく、トータルではオススメといっておきたい。


野村芳太郎『配達されない三通の手紙』

 1979年に公開された野村芳太郎監督によるミステリ映画『配達されない三通の手紙』をDVDで視聴。
 原作はあのエラリイ・クイーン中期の傑作にしてライツヴィルものの第一作、『災厄の町』である。名匠、野村芳太郎がエラリイ・クイーンの傑作を映画化するということで、当時はそこそこ話題になったものだが、いかんせん今ではミステリファンでも知っている人は少ないかも。
 映画史においてもミステリ史においてもすっかり影が薄くなった『配達されない三通の手紙』だが、久々に観直しての感想となる。

 まずはストーリー。
 山口県萩市で名家として知られる唐沢家。銀行を経営する光政を筆頭に、妻のすみ江、次女の紀子、三女の恵子とともに暮らしていた。そこへ日本文化を学ぶため、アメリカへから親戚のロバートという青年がやってきた。歓迎する一家だが、次女の紀子だけは気分がすぐれない様子。彼女は三年前に婚約相手だった藤村敏行が突如失踪して以来、自宅に引きこもる毎日だったのだ。
 そんなある日、藤村が突然、萩に帰ってきた。光政は娘に与えた悲しみと家の面子を傷つけられたことから、藤村を許すつもりはなかったが、紀子可愛さから二人の結婚を認めることにする。
 だがその幸福も束の間の出来事だった。結婚翌日から現れた藤村の妹、智子、そして紀子が見つけた三通の手紙の存在が、再び唐沢家に悲劇を招くことになる……。

 配達されない三通の手紙

 ううむ、大筋では確かに『災厄の町』だが、やはり日本に舞台を置き換えたことでいろいろと無理が目立つし、演出にも疑問が残る(むしろこちらが問題なのだが)。
 いいところで言うと、やはり俳優陣の熱演に尽きる。とりわけ紀子役の栗原小巻、智子役の松坂慶子は絶品。義理の姉妹という表面的な関係に隠された因縁の凄まじさを、天下の美女が熱演している。長女麗子役の小川眞由美も出番は少ないながら存在感はさすがだ。
 エラリー・クイーン役の蟇目良はずいぶん脇役的になってしまっているが、傍観者としての立ち振る舞いがいい距離感で思ったほど悪いイメージではなかった。

 まずいところは先に書いたとおりなのだが、一番の問題はドラマ性を強調するのか本格ミステリとしていくのか、あるいは(ハードルが高いけれども)それを両立させるのかがはっきりしていないことだろう。それらが中途半端なせいかアラばかりが目立ち、結果的に豪華な二時間サスペンスドラマのような効果しか生んでいないのである。
 具体例を挙げていくときりがないのだが、ミステリとしては、妹の存在を結婚相手に教えないとか、警察がヒ素の入手経路を調べないとか、被害者の身元も調べないとか、基本的なことを疎かにしているのはお粗末。また、推理の道筋をきちんと説明する場面が意外にさらっと流されているのは残念。探偵役が原作ほどには固定されていないこともあるのか、特にラストの事件を総括するシーンは物足りない。
 ドラマとしても恵子のロバートの関係性をまったく無視していることとか、智子の存在についての説明不足とか、後半に登場する記者の意義についての説明不足とかが非常に残念。原作『災厄の町』についてはかなり忘れたところも多いのであまり断言できないのだが、人間心理や宗教、共同体と個の関係などといったところが重点的に描写されていたはずで、だからこそ傑作たり得たはず。これをほぼ三人の愛憎の問題だけに絞ったところが、本作最大のマイナス要因となるのだろう。二時間サスペンスドラマと呼ばれるのもむべなるかな。

 クイーン原作とか野村芳太郎のミステリ映画とかの先入観なしに、できれば過度な期待を抱かず観れば、それなりには楽しめる一作である。


ジェームズ・マクティーグ『推理作家ポー 最期の5日間』

 ただいま公開中の映画『推理作家ポー 最期の5日間』を観てきた。

 エドガー・アラン・ポーといえばアメリカの偉大なる小説家にして詩人。もちろんミステリファンには世界初の推理小説を書いた作家としても知られているが、恐るべきは彼の残したわずか五作の推理小説に、現在につながる推理小説の手法が山ほど詰め込まれていることだ。例えば探偵役とその友人というスタイル、例えば不可能犯罪と推理による論理的解決、他にも密室や暗号などなど。とりわけ謎の論理的解決を文学的カタルシスにまで昇華させたことは、すべてのミステリファンが感謝すべきであろう。
 ポーは自身の生涯にも謎が多い。特にその最期は、泥酔状態で発見されたことや不可解な言葉を残していたことなど、今も不明な点が多いという。
 そんなポーの亡くなる最期の5日間にスポットを当て、彼の死の謎に迫ったのが、ジェームズ・マクティーグ監督の『推理作家ポー 最期の5日間』である。

 1849年、アメリカはボルティモア。ある静かな夜を女性の叫びが切り裂いた。現場に駆けつけた警官たちが目にしたものは凄惨な殺人現場。母親は絞殺ののち首をかき切られ、娘は煙突の中で逆さづりになって息絶えていた。しかも現場は完全な密室……。だが刑事は窓のバネ仕掛けを発見し、密室からの脱出方法があったことに気づく。
 だが、気づいたのはそれだけではなかった。このトリックも殺害方法も、ある作家の書いた小説と酷似しているのだ。刑事はその作家ポーを呼び出し、捜査に協力を求める。だが、やがて犯人の真の狙いが明らかになり……。

 推理作家ポー最期の5日間

 ジョン・キューザック演じるポーの人物像がどこまでリアルなのかはわからないが、全体の雰囲気は悪くない。当時のアメリカの景観や風俗などはもちろんだが、ポーの描いた小説をいろいろな形で作中に再現しており、その世界観やビジュアルは満足できた。役者さんも実力派が多くてマル。

 惜しむらくは、いや、むしろ致命的といってもよいのだが、ミステリとしてポーの考えたものには遠く及ばないということだろう。
 CMや広告ではミステリファンに対するアピールが凄いけれど、これはかなり誇大広告。謎解き興味はほとんどなく、それどころか、そもそもどの犯罪にも無理がありすぎる。「モルグ街の殺人」を模した最初の事件にしても原作では犯人が●●●●●●●だから成立するのに、それをどうやって本作の犯人は再現できたというのか。
 この最初の事件に限らず、とにかくすべての事件で突っ込みどころが多すぎなのである。雑すぎる上に推理や論理的解明もほぼ皆無という状態で、ミステリ映画でそれはないだろうという感じ。ミステリドラマとしてはテレビの『SHERLOCK(シャーロック)』、ポーを扱ったミステリとしてはルイス・ベイヤードの『陸軍士官学校の死』の方が全然上である。
 真相もかなり残念。上で書いたように雰囲気自体はいいのでラストまでは退屈せずに見れるのだが、真相には何の驚きもカタルシスもない。犯人の意外性、動機、人物像はどこかで見たようなものばかりだし、おまけに深みも感じられない。ポーと犯人の対決シーン、それに続くポーが死にいたるシーン、これらもなんでそういうふうに展開するのか必然性に乏しく、理解に苦しむばかりだ。

 ポーの小説や詩をある程度読み込んだ上でその映像化を楽しみたい、当時のアメリカの空気を感じたいという興味であればOK。ただ、ミステリ映画としてはとてつもなく期待はずれなのでご注意を。


ブラッド・バード『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』

 少し未見の映画も片付けておきたいということで、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』をDVDで視聴。言うまでもなくトム・クルーズ主演の『ミッション:インポッシブル』シリーズ第四作。

 ブダペストで極秘ファイルを奪う任務に就いていたIMFエージェントのハナウェイたち。だが、簡単なはずだったその任務はハナウェイの死と任務の失敗で幕を閉じる。
 その後、ハナウェイなきあとのチームはロシアにいた。モスクワ刑務所に収容されているイーサン・ハントを救出し、ファイルを奪い返すミッションのリーダーを依頼するためだ。新たなチームを引き受けたイーサンは、ファイルを受け取る予定だった「コバルト」という男の正体を探るため、クレムリンに潜入するが……。

 監督のブラッド・バードは、『トイ・ストーリー3』や『レミーのおいしいレストラン』『Mr.インクレディブル』なんてところを撮っているアニメ畑の人で、実写作品はなんとこれが初。大丈夫かいな?と思っていたが、いやいや、やってくれるではないですか。個人的には一作目が一番いいと思っているのだが、それと同程度もしくはそれ以上の満足感はある。
 まあ、御都合主義が目に余るのはハリウッド映画の常ではあるし、このシリーズではとりわけひどかったりもするが、それを笑って許せるぐらい本作はがんばっている。予告編やCMでさんざっぱら見せられたドバイの世界一の超高層ビルのアクションなどはもちろん凄いのだが、ホテルでの極秘ファイルの取引シーンなどは本来のスパイ映画らしい趣向でなかなかよろしい。

 ただ、このぐらいのことは最近のエンタメ映画ではそれほど珍しいわけではない。本作がそれなりに面白いと感じた理由はどこにあるのか。
 つらつら考えてみるに、どうやら下手なドラマを削ぎ落としてスパイの活躍に絞っているところではないかと思えてきた。脇の人の小さいドラマはいろいろ詰め込んではいるのだが、よく考えるとトム・クルーズ演じる主人公イーサン・ハントに関しては、最近の映画には珍しいくらいドラマがないのである。だからチームリーダーである彼は任務に際し、何の迷いもなく危険に飛び込み、臨機応変に対処する。このプロフェッショナルな感じが非常に気持ちよい。ついでにいえば、それがストーリーのテンポにも貢献している。
 そういう意味では本作はトム・クルーズのための映画であり(当たり前っちゃ当たり前だけど)、トム・クルーズやっぱり凄いぞと再確認するための映画なのである。


アリスター・グリアソン『サンクタム』

 DVDでアリスター・グリアソン監督の『サンクタム』を観る。秘境の洞窟探検をテーマにした映画で、ちょうど半年ほど前に公開されたもの。内容もさることながら製作にジェイムズ・キャメロンの名前が入っていたので、気にはなっていた映画だ。

 南太平洋はパプアニューギニアの密林地帯。フランクをリーダーとする探検隊一行は、実業家カールの資金援助のもと、世界最大と言われるエサ・アラの洞窟を調査中だった。しかし。自らも冒険好きのカールが恋人の登山家ヴィクトリアと到着したその日、事故は起こる。
 “悪魔のくびき”と呼ばれる地点から先へ続くルートが発見されたのだが、そこで酸素ボンベのトラブルから女性ダイバーが死亡したのだ。チームには疲労の色も濃く、その事故の責任をめぐってフランクの息子ジョシュはフランクと対立。チームには不穏な空気も流れるが、フランクの強い指導力でなんとかチームは前進を続けようとする。
 そんななか、パプアニューギニアを襲った嵐が巨大サイクロンへ変貌し、洞窟のメンバーは完全に隔離されてしまう。しかも増水が洞窟を襲い、助けを待つ余裕もない。一行は脱出路を求め、洞窟の先を進んでゆく……。

 洞窟からの脱出劇。冒険ものではあるが、むしろパニック・ムービーのノリに近い。最初は七人ほどいた仲間が数々の困難を乗り越えつつも、一人、また一人と倒れてゆくパターンは限りなくど真ん中な展開。その中に親子の対立、人生論やリーダー論みたいなものを交えて人間ドラマとするのも、またど真ん中。
 それらがほどよくミックスされていて、まずまず楽しめる作品にはなっている。なっているのだけれど。

 展開が単調というか見せ方が地味というか、圧倒的なスケール感や洞窟ならではの臨場感に欠けているのがとにかく残念だ。劇場公開では3D上映もあったらしいが、それが生きるシーンも少ない印象。密林にぽっかり空いた巨大洞窟の穴がインパクト大で、導入こそ引き込まれるものの、脱出劇になると途端にこじんまりしてしまう。
 実話をもとにしているということだから、大風呂敷はあえて広げなかったのかもしれないが、コンパクトにまとめすぎた一本といえるだろう。


ロベルト・シュヴェンケ『RED/レッド』

 ブログの訪問回数を示すアクセスカウンターが、遂に30万ヒット達成。本当にありがとうございます。
 20万ヒットがやはり昨年五月のことなので、一年で10万アクセス。超アバウトにいうと一日平均300というあたりでしょうか。
 ミステリのブログを標榜しながら話題の人気作家などはほとんど取り上げず、古い探偵小説やら海外ミステリなど、自分の好みのままに書いているだけなのですが、これだけの皆様に読んでいただけるのは本当にありがたいことです。また、日頃いただくコメントも、管理人としては本当に励みになっております。
 最近は更新頻度も落ちつつあり……っていうかそもそも読書ペースが落ちておりますが、なんとかここを最低ラインとして頑張っていこうと思いますので、今後ともご贔屓のほど何卒よろしくお願いいたします。



 と、何やら年頭の挨拶みたいな雰囲気だが、ここからはいつものノリで。

 本日は先頃レンタル落ちしたばかりの『RED/レッド』をDVDで視聴。監督はロベルト・シュヴェンケ、主演はブルース・ウィリス。引退して平穏な生活を送ろうとしている元CIAの腕利きエージェントが、突如、何者かに命を狙われて……というコメディタッチのアクション映画。
 主人公が引退したCIAエージェントということで、やはり引退したスパイたちの協力を仰ぐのがミソ。スパイばかりか殺し屋や、挙げ句は現役当時には対立していたはずのロシア側にまでヘルプ。この爺さん婆さんの反撃が見ものである。

 正直、ブルース・ウィリスのこの手の映画はほとんど何を観ても同じだし、つまらない作品も少なくないのだが、本作はけっこうまともな方ではなかろうか。
 爺さん婆さんが衰えるどころか、経験を活かして若い連中にひと泡もふた泡も吹かせるところが楽しい。アクションも単に派手さをめざすのではなく、可笑しさを狙っているのが良い方に転んでいる感じ。
 脇を固める豪華キャスト、モーガン・フリーマンやジョン・マルコヴィッチもいのだが、ここはあえて敵方のCIA局員ウィリアム・クーパーを演じるカール・アーバンをイチ押しにしたい。老獪な元スパイたちに翻弄されながらも最後は……という一種の成長物語にもなっていて、だんだんよく見えるから不思議。カール・アーバンってこんな上手い役者さんになったのね。
 暇つぶし的映画としては上々の一作。


デヴィッド・グリーン『ギルティ・コンサイエンス』

 めとろんさんのブログ『めとLOG~ミステリー映画の世界 2nd season』でDVD発売を知り、すぐに購入したのが、今回ご紹介するTV映画の『ギルティ・コンサイエンス』。知る人ぞ知るバリバリのミステリドラマということだが、それもそのはずスタッフ・キャストが実に豪華。
 まず製作・脚本は刑事コロンボの生みの親、リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク。監督は、これまたミステリ映画の傑作として名高い『刑事マッカロイ 殺しのリハーサル』を演出したデビッド・グリーン。そして主演はあのアンソニー・ホプキンスときては、もう期待するなと言う方が無理だ。

 ギルティ・コンサイエンス

 弁護士のアーサーは愛人と結婚するため、妻の殺害を計画する。そこに現れたのが、アーサーのギルティ・コンサイエンス。ギルティ・コンサイエンスというのは簡単にいえば罪悪感。後ろめたい、疚しい、そんな気持ちである。そんな気持ちがもうひとりのアーサーとなって実体化し、犯罪を練るアーサーと激しく議論を展開する。途中からは妻や愛人までが加わって、どこからどこまでが事実なのかアーサーの脳内なのか判然としなくなり、ラストでアッと言わせるところはさすがにレヴィンソン&リンクのシナリオである。
 果たして完全犯罪は成立するや否や。ほぼその議論だけで展開するストーリーは、一幕物の舞台劇のようでもあり、独特の迫力と緊張感を生む。これがまたロジック命のようなミステリマニアの方々には堪らない味わい。

 ただ、お話はおそろしいほど地味だし(笑)、本格ミステリ的な興味がなければ辛いところはある。一般受けや痛快さという点では『刑事マッカロイ 殺しのリハーサル』が上だろうが、こういうものを映像化したというャレンジ精神は素晴らしい。犯罪計画の疑似体験という、実に濃密な90分間を過ごすことができる一作。


ドワイト・リトル『TEKKEN -鉄拳-』

 小説の映画化が往々にしてこけるように、ゲームの映画化(ここでは実写に限る)もまた同様である。いや、むしろゲーム映画化の方が惨憺たるありさまであろう。内容的にも興行的にも成功した例としては、『バイオハザード』や『トゥームレイダー』が頭に浮かぶが、その後がもう続かない。まあ、正直、駄作が当たり前のジャンルといってよいだろう。ゲーム映画化の歴史は、概ねゲームファンの怒りの歴史でもあるのだ。
 この春、そんな棘の道をあえて歩もうとした、一本の映画があった。本日紹介する『TEKKEN -鉄拳-』(監督はドワイト・リトル)である。

 原作となるゲームは、バンダイナムコゲームスが発売する『鉄拳』シリーズ。3D格闘ゲームとしては『バーチャファイター』シリーズと双璧を為す人気ゲームである。ゲームシステムもさることながら、そのキャラクターや世界観の突き抜け具合が見事であり、映画化もおそらくはその辺りに目をつけてのことなのだろう。
 しかしながら、これを劇場で観るのはなかなか勇気が要る。劇場公開は今年の三月頃だったかと思うが、ゲーム映画化という時点で既にB級感は拭えないところに加え、キャストもスタッフもまったく無名。管理人もそれなりに思い入れのあるゲームなので、そのキャラクターイメージが壊れるのではないかという不安もある。
 あえて地雷を踏む必要があるのか、などと悩んでいるうちに、ロードショーはあっという間に終了。なんでも日本におけるワーナーの週末興行収入記録を塗り替えるほど不入りだったそうである。うう、恐ろしや。

 まあ、そんなこともあってすっかり忘れていた映画だったのだが、先週末、DVD落ちとなっているのをレンタルショップで発見。思わずレジへ直行したのであった。
 で、感想だが。結論から書くと、もう見事なまでに予想どおりダメダメである。設定とキャラクターを借りただけの実にイージーな仕上がりで、ゲームファンがそれぞれ持っている『鉄拳』のイメージは木っ端みじんに打ち砕かれる。
 セットの貧弱さを隠す夜のシーンの多用。微妙すぎる日本語の連発。キャラクターの粗雑な扱い(それぞれファンがいるのに、あんなバンバン殺しちゃだめでしょ)等々。
 特にキャラクターの扱いはひどい。ゲームで際だっている格闘家達の個性がほぼ消され、みんな戦い方が同じなのは困ったものである(唯一、エディ・ゴルドはよかった)。頼むから固有技使ってくれよ。それがあるだけでずいぶん『鉄拳』らしくなるんだけれど。ストーリーの貧弱さは端から期待していないのでまだ許せるが、格闘シーンはどこからどう考えてみても「ウリ」のはずだろうに。

 いいところもないではない。
 主人公の「風間仁」役の役者さんは甘いマスクで動きもよい。特にオープニングではフランスの競技パルクールのように、ひたすら敵から逃げ続けるシーンがあって、そこはけっこう引き込まれる。
 その他のキャラクターでは、レイヴンやエディ・ゴルド、吉光あたりが見た目的には悪くない。お色気担当のクリスティやアンナ、ニーナといった女性陣も同様に見た目は悪くないが、やはり格闘術にまったく個性がないのは大きなマイナスだ(繰り返すが、そこ、本当に肝だと思うのだけれど)。

 この手の映画に大傑作など誰も期待しないとはいうものの。せめて原作ファンを喜ばせるツボだけは外さずにしてほしいね。もっとひどいゲーム映画化作品は山ほどあるので、それに比べりゃましな方だとは思うけれども。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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