fc2ブログ

探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

マイケル・ドハティ『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

 このブログを読んでくれている方なら、管理人が探偵小説と同じぐらい特撮映画、なかでもモンスターや怪獣が登場する映画に目がないことはご承知かと思う。
 で、もちろん先週の公開日翌日には観てきました『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』。ギャレス・エドワーズが監督したモンスターバース・シリーズの第一作『GODZILLA ゴジラ』の続編で、本作は新鋭マイケル・ドハティが監督を務める。
 本作の売りは何といっても、キングギドラやラドン、モスラといった東宝怪獣が一挙に登場することである。それはそれで実に楽しみだったのだが、強い懸念もあった。確かに一作目の『GODZILLA ゴジラ』はまずまず良かったけれども、この手のシリーズではより強い刺激を求めるための近道として、単純にモンスターの種類や数を増やすことに陥りがちである。深く進化するのではなく、表面的な派手さである。これはそれこそ、かつての東宝ゴジラが歩んだ道でもあるのだが、海外でもエイリアンやプレデターなどが同じ轍を踏んでしまっている。
 怪獣映画に別に深さは求めないけれど、あまりにスッカスカの内容は勘弁、と期待半分不安半分というところで観にいったわけである。

 こんな話。ゴジラがムートーを倒し、その姿を消してから五年。怪獣の調査を行う秘密機関モナークは、その後も極秘にゴジラの行方を追っていたが、いまや怪獣はゴジラやムートーだけではなく、他にも多くの怪獣が存在し、いわゆる冬眠状態にあることが判明していた。
 モナークはそんな怪獣の管理・研究を行なっていたが、そんな施設のひとつ、中国雲南省には、モスラの卵が管理されていた。やがて卵の孵化が始まり、モスラの幼虫が誕生する。モナークの科学者エマ・ラッセル博士と娘のマディソンらは、研究を進めていた怪獣との交信装置"オルカ"を使い、孵化したモスラの幼虫との交信を試みる。だがそのとき、環境テロリストたちが研究所を襲撃、エマ・ラッセル博士と娘は"オルカ"とともに連れ去られ、モスラも行方をくらませる。
 モナークの責任者でもある芹沢博士は、エマの夫であり、元モナークのアランに協力を依頼した。アランは"オルカ"の開発者でもあったのだ。
 オルカの信号をもとに芹沢たちが向かった先はモナークの南極基地だった。そこには"モンスターゼロ"と呼ばれる怪獣が眠っていた……。

 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

 結論からいうと、まあ、面白いは面白いけれど、こんなものかなという感じが大きい。えらく気の抜けた感想で申し訳ないが、決して怪獣映画ファンの期待を裏切るわけではない。全体的には昭和ゴジラの後期、つまり怪獣プロレスを最新の映像技術で再現したという印象である。迫力もあるし、ビジュアルもなかなかのセンスで、トータルでは十分合格点をあげられると思う。
 ただ、前作『GODZILLA ゴジラ』や日本の『シン・ゴジラ』を踏まえると、新たな驚きに欠けるというか。
 ハリウッドが本気でゴジラ愛をもって映画化するとどうなるかという『GODZILLA ゴジラ』、ゴジラの怖さを再確認させ、基本に立ち帰った『シン・ゴジラ』に比べると、とにかく驚きが少ない。すべてが予想の範囲内で、「やられた!」とは思えないのだ。

 本作は、怪獣が太古の時代から生息していたという同一の世界観で物語をつなぐモンスターバース・シリーズの第三作。だがこの三作目で、初めてゴジラやキングコングのいる世界をつなぐ解釈が披露された。
 その証としてのラドンやモスラ、キングギドラの登場であり、実はこの部分こそが最大のトピックだったのだ。そこをもっと掘り下げ、怪獣プロレス・プラスアルファの魅力で驚かせてほしかった。
 管理人的には怪獣プロレスも嫌いではないのだが、人間対怪獣という図式の方がより好みということもあり、その分さらに評価が辛くなってしまったところもあるかもしれない。

 とはいえ先にも書いたように、客観的には合格点はあげてよいと思うし、実際、世間の評判はまずまず良いようだ。やはりハリウッドのバリバリの特撮でみせる怪獣対決は爽快感抜群。キングギドラやモスラの登場シーンは単純にかっこいいし、とりわけラドンが市街地を飛んだときの衝撃波で街が壊れるシーン、戦闘機との空中戦はしびれるばかりである。
 一方、誰もがあげる欠点としては人間ドラマの酷さ。正直、主人公格のラッセル夫妻の言動に納得できる人は少ないだろう。製作陣の狙っているところは理解できるが、その表現があまりにチープで浅かった点は否めない。
 ただ、そういった欠点はあるにせよ、怪獣映画の根本的なところでは評価してよいのではないだろうか。

 最後に小ネタをいくつか紹介しておこう。あまり本筋に関係ないところだが、本作には東宝ゴジラへのオマージュというか、小ネタがふんだんに盛り込まれている。
 なお、以下のネタが公式に認められているかどうかは不明なので念のため。
 あと、ここから先はネタバレありなのでご注意を!
  ∮
  ∮
  ∮
  ∮
  ∮
  ∮
  ∮
・ラドンの登場シーン……本作では火山から登場するが、『空の大怪獣ラドン』では火山で最期を迎えた。フェニックス、復活という意味合いを持たせていると思われる。
・ゴジラのテーマ、モスラの歌……オリジナルのテーマ曲をアレンジした曲が挿入歌として使われている。ゴジラはまあ予想できるが、モスラをエンドロールでガッツリやってくれたのは嬉しい。それこそこれが最大の驚きであった。
・バーニングゴジラ……終盤で見られる核エネルギーで真っ赤になったゴジラは『ゴジラvsデストロイア』でおなじみの俗称バーニングゴジラである。
・芹沢猪四郎博士……渡辺謙演ずる博士の名前は、もちろん初代『ゴジラ』に登場する博士の苗字「芹沢」と、監督「本多猪四郎」の名前を組み合わせたもの。
・芹沢博士の最期……初代『ゴジラ』では芹沢博士がゴジラを倒すため、単身、潜水してゴジラに向かってゆくが、本作ではゴジラを救うために芹沢博士が命を投げ打つ。
・オキシジェン・デストロイア……初代『ゴジラ』を倒した最終化学兵器が本作でも登場。
・怪獣のコントロール……音楽にかぎらないが、電波などさまざまな媒体を使って怪獣を操るという設定は、『怪獣総進撃』など過去の東宝作品でも何度か用いられている。
・双子の女性博士……『モスラ』でおなじみのインファント島の双子の小美人。本作ではモスラの管理を担当する科学者が双子の女性である。
・キングギドラの登場シーン……キングギドラが『三大怪獣 地球最大の決戦』で初登場した時のシーンと同様、真正面からのアングル。
・成虫モスラの登場シーン……こちらも真正面からのアングルだが、平成ガメラのイリスの登場シーンと似ている。
・キングギドラの名称……映画の中では当初「モンスターゼロ」と呼ばれているが、これは『怪獣大戦争』で使われていた名称でもある。
・秘密機関モナークの基地番号……これは後から知ったのだが、基地番号がゴジラ関連の映画のナンバリングを振り分けているらしい。

マーク・フォースター『プーと大人になった僕』

 本日は先週に見た映画の感想など。ものは『プーと大人になった僕』。
 ミステリファンには『赤い館の秘密』でおなじみのA・A・ミルンだが、世間的にはもちろん児童小説『クマのプーさん』の原作者としてよく知られているところだろう。本作はその『クマのプーさん』の後日談的内容のファンタジー映画である。
 ちなみに監督はあの異色ゾンビ映画『ワールド・ウォーZ』の監督も務めたマーク・フォースターである。

 こんな話。100エーカーの森でプーやその仲間たちと楽しい日々を過ごしていた少年クリストファー・ロビンは、ロンドンの私立寄宿学校に入学するため、みんなと別れることになった。
 やがて大人になり、結婚、戦争などの体験を経て、今では妻と娘とともに暮らすロビン。だが、ロビンはいつしか子供の頃の想像力を失い、プーたちのことも忘れ、仕事一辺倒の人間になっていた。
 そんなある日、ロビンは業績不振にあえぐ会社からリストラの担当者に指名される。人件費を他の経費でまかなえればよし、さもなくば従業員の二割を減らさざるを得ない。ロビンは月曜の会議に間に合わせるため、週末の家族旅行をキャンセルし、改善提案書を作成することになるが、妻と娘は怒ったまま二人で旅行へ出発する。
 その頃、100エーカーの森では、プーがいつの間にか森から消え失せた仲間たちを探していた。そしてある大木の穴へ潜り込んだプーは、なぜかロンドンに現れ、ロビンと再会するのだが……。

 プーと大人になった僕

 この映画のテーマは非常にシンプル。
 人が人として幸せに生きるために、本当に大事なことは何なのか、プーはロビンだけでなく観る者すべてに問いかけてくれるのである。

 家族と仕事とどっちが大事なのか?
 生活するためには家族を犠牲にすることも必要なのか?
 将来を楽しくするために、いま本当にそんな苦しくていいのか?
 人生を豊かにするために働いているのに、なぜ実際には人生が豊かにならないのか?
 すべて人生は効率的、建設的である必要があるのか?
 なぜ君は君なのに、大人になったら変わったと思ってしまうのか?

 まあ、こういうのはみな嫌になるほど実感していることで、何が大切なのかも実はみなわかっている。それでも現実はそんなに簡単にはいかない。制作者も観客もみーんなわかっちゃいるのだが、それでもねえ。
 だからプーという存在があらためて教えてくれるのである。

 プーの無邪気な言葉の端々に含まれる真理。
 ロビンも実はわかっている。だから、かえってそれが癪に障り、だんだんイライラしてくる。でも、それでもプーやその仲間たちと接しているうちに、少しずつその頑なさ、諦めの境地みたいなものがほぐれてきて、本当の幸せに踏み出していく。
 いや、まったくもってお約束のストーリーなのだけれど、実に心に染みてくる。名台詞もバンバン出てきて、テーマ云々より、この映画こそが癒やしであり、実に素敵な時間を過ごすことができた。満足。

 なお、プーを知らない人のために補足しておくと、プーはクマではなく、あくまでクマのぬいぐるみである。そのリアルぬいぐるみの温かみや動きを再現しているCGも本作の見どころのひとつだろう。

ジョーダン・ヴォート=ロバーツ『キングコング 髑髏島の巨神』

 先日、久々に特撮映画でもと、未見だった『キングコング 髑髏島の巨神』をDVDで視聴。監督はジョーダン・ヴォート=ロバーツ。
 『スーパーマン』や『スパイダーマン』、『バットマン』もそうだが、最近のハリウッド映画はけっこうリブートが多いようで、本作もまたリブート映画の一つである。
 リブートとは、元の作品やこれまでのシリーズ作品をいったんチャラにし、設定を一から作り直した作品のこと。リメイクと似ているが、リメイクは文字どおり作り直し。原則として元の作品とだいたい同じような物語にするという点で、リブートとは大きな違いがある。

 ということで『キングコング 髑髏島の巨神』。
 時は1944年、第二次大戦中の南太平洋上において日米の戦闘機が激突。両機のパイロットはとある島に不時着する。二人は最後まで戦おうとするが、そこに巨大な生物が姿を現した……。
 それから約三十年後。ベトナム戦争からの撤退が決まったパッカード大佐率いる部隊は、帰国直前に新たな命令を受ける。未知の島・髑髏島の地質調査に向かう民間調査隊の護衛がその任務であった。
 調査隊長のランダをはじめ、元特殊空挺部隊隊員のコンラッド、カメラマンのウィーバーらも加わり、輸送船からヘリで島へ向かう一行。だが島の上空で調査用の爆弾を落としたとき、巨大なゴリラのようなモンスターに襲撃される。ヘリは全滅、わずかに生き残った調査隊も散り々々となってしまう。
 島を脱出するには迎えのヘリがくる合流地点へ急がねばならない。一行は合流地点をめざすが、その島は巨大なゴリラ以外にもさまざまなモンスターが出没する、死の島であった……。

 キングコング髑髏島の巨神

 これまでの『キングコング』といえば、コングを捕獲する髑髏島での前半、脱走したコングがニューヨークで暴れまくる後半という設定だったが、本作は後半をごっそり削除。島のみを舞台に、とにかく人間とモンスターの戦い、モンスター同士の戦いに終始し、まさに典型的怪獣映画として成立している。ストーリーの骨子だけ見ても、ほぼ『エイリアン2』や『プレデター』と同じである。
 モンスターもあくまで従来の動物を大きくしただけのような造型ではなく、クリーチャーとしてのアレンジがなされており、よりファンタジー色が強い。
 このシンプルさが良くも悪くも本作の特徴であり、管理人はけっこう満足したが、まあ怪獣映画に思い入れがない人は絶対ダメだろう(笑)。 

 とりわけいいと思った点は、実はここが説明しにくいところなのだが、人間とモンスターとの戦い、モンスター同士の戦い、人間ドラマ、この三つの配分がよいということ。お約束的な設定ではあるが、目的のためには仲間の命すら厭わない科学者、復讐に狂った軍人がいて、彼らの確執を巧みにスト−リーに絡め、ストーリー的にも無理がない範囲で最大限の爽快感と恐怖を煽ってくれている。若い監督のはずだが、これがけっこう達者なのである。

 ちなみにその監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツは日本のポップカルチャーにも強く、ゲーム『メタルギアソリッド』の実写映画化の話も出ていた人だ。本作でもあちらこちらに日本のアニメ等へのへのオマージュが挿入されているが、こちらは書くのが面倒なので、ネットで検索していただければ、いろいろと小ネタが見つかるはずである(個人的には日本兵の名前がイカリ・グンペイというのにまずニヤッとした)。
 ただ、この監督さん、ベトナムで不可解な事件に巻き込まれて瀕死の重傷を負い、現在は長期療養中だという。こちらも映画顔負けのミステリアスな事件なのだが、また元氣になって新作を撮ってもらいたいものである。


スティーヴン・S・デナイト『パシフィック・リム:アップライジング』

 本日は先週末に観た映画『パシフィック・リム: アップライジング』の感想など。本作は言うまでもなく巨大ロボットと怪獣の対決を描いた『パシフィック・リム』の続編だが、監督はギレルモ・デル・トロからスティーヴン・S・デナイトにバトンタッチ。その影響は果たしてどうか、というのが注目ポイントである。

 こんな話。
 ときは西暦2035年。異世界から次元の裂け目を通して現れた怪獣が、人型巨大兵器「イェーガー」の活躍で絶滅してからはや十年。世界は平和を取り戻したが、怪獣が再来する可能性も捨てきれず、PPDC(環太平洋防衛軍)は次世代のイェーガーを開発し、若いパイロットたちを育成していた。十年前の戦いで戦死した英雄ペントコスト司令官の息子ジェイクもまた優秀なパイロットとなるはずだったが、ある理由から軍を除隊、今ではイェーガーの廃品を違法転売する悪事に手を染めていた。
 そんなある日、ジェイクは自前でイェーガーを作る(これもまた違法行為)孤児の少女アマーラと知り合い、二人とも軍に逮捕されてしまう。しかし、PPCD事務総長を務めるジェイクの姉マコの恩情もあり、二人は無罪放免と引き換えに、パイロット教官と訓練生としてPPDC入隊を命じられる。
 時を同じくして、中国のシャオ産業が無人イェーガーの売り込みを図っていた。PPCDは無人イェーガーを採用すべきかどうか、シドニーの会議で決定することになっていたが、そのとき所属不明の漆黒のイェーガーが現れて会場を襲撃する……。

 パシフィック・リム:アップライジング

 ううむ。とかくヒットシリーズの第二作にはハードルが上がってしまうものだが、いや、やはり前作に比べると大きく落ちる。
 なんせ前作では、生粋のオタクでもあるギレルモ・デル・トロ監督が、日本のロボットものや怪獣ものの定石あるいは演出を巧みに取り込んだところが非常によかったのだ。いわゆるアメコミをベースにした特撮映画とは、そこで一線を画していた。もちろん人間ドラマが安っぽいとかいうところはあるけれど、この映画にそんなものが必要かという話である。人間ドラマは軽いが、戦闘シーンの実にヘビーなこと。
 本作ではそういう前作のエッセンスが薄められているのがとにかく残念だ。戦闘におけるディテールはやけにあっさりしているし、イェーガーもスタイリッシュになりすぎて、肝心の重量感や怖さがなくなってしまった。また、画像も変に明るくて、なんだか『トランスフォーマー』を観ているような気になってしまうのだ。 
 デナイト監督はギレルモ・デル・トロ監督からせっかく素敵なオモチャをプレゼントしてもらったのに、その遊び方をどうやら間違えてしまったようだ。

 ただ、単なるハリウッド製の特撮ロボット映画としてみれば、実はそれほど悪くはない。いや、上にあげた日本のオタク的こだわりを捨てると、これはむしろよくできているといっていいかもしれない。
 特にストーリーにはちょっと感心した。
 世界の危機が去って全体的には少々緩みの出ている状況。しかし、依然として危機感をもつ人々もおり、それなりに防衛体制は整えている。加えて怪獣やイェーガーでひと儲けを企む人々もそれなりにいるという世界観が、けっこう説得力や納得感がある。
 そこに訪れる危機というのが、これまた人的なものかと思わせておいて実は……というのが非常に巧く、最終的に人類が一致団結する展開もスムーズで悪くない。最初に出てくる敵が謎のイェーガーだったり、暴走する量産型イェーガーが登場したりと、意外に先を見せない展開もよろしい。

 ということで、どういう観点で観るかでずいぶん評価が変わってしまうのだけれど、個人的にはもう少しシリーズを続けてほしい(せめてゴジラとの共演まで)ので、今回はギリギリ合格点ということにしておこう。

ライアン・ジョンソン『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』をようやく視聴。全九部作の八作目にあたる本作は、監督がJ・J・エイブラムスからライアン・ジョンソンにバトンタッチされ、普通に楽しめる作品にはなっているけれど、やはり不満はないではない。

 スターウォーズ最後のジェダイ

 本作は前作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』からダイレクトにつながる物語で、大きくは二つの軸で流れていく。
 ひとつはファースト・オーダーによって追い詰められていくレジスタンスのストーリー。もうひとつは覚醒したレイがルークと会うストーリーである。
 もちろんそのふたつの流れが最後には一つにまとまるわけだが、レジスタンスのほうには、さらにサイドストーリー的にレジスタンスの若きリーダー・ポーや元ファースト・オーダの脱走兵・フィンの流れもあったりで、三時間弱という尺を飽きさせない工夫はさすが。

 ドラマとしてはかなり微妙な出来か。善と悪の戦いというよりは、銀河の覇者の候補たちの世代交代劇のように見えてしまった。敵も味方もぽんぽん死にすぎであり、これが感動にいまひとつ結びつかないところに本作最大の弱点があるように思う。
 サイドストーリーの詰め込みすぎも影響しているのだろうが、やはりこういう映画なのだから、テーマとストーリーはきちっと見せておくべきだろう。

 他にもけっこうな不満や疑問はあるのだが、 まあ、そもそもが本作はミドル・ストーリーなので野暮はやめときましょう。普通にアクションSF映画としてみればそれなりによくできた作品であることは確かだし。
 ただ、このまま次で本当に完結するのかどうか、かなり不安だなぁ(苦笑)。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『ブレードランナー 2049』

 先週末に観た映画の感想など。ものは『ブレードランナー 2049』。
 1982年に公開されたリドリー・スコット監督による『ブレードランナー』は、単なる傑作を通り越して、いまやくSF映画の金字塔として知られている作品だが、本作はもちろんその続編。
 監督には『メッセージ』や『ボーダーライン』、『プリズナーズ』などの作品で知られる実力派ドゥニ・ヴィルヌーヴを迎え、主役『ラ・ラ・ランド』の記憶もまだ新しいライアン・ゴズリング。これに前作の主役ハリソン・フォードも加わって、あの名作をどのように発展させるのか、そして新たな解釈を披露してくれるのか、これは気にならないほうがおかしい。

 そもそも続編を作っていい映画なのかという心配があった。あの作品ですべてが解き明かされているわけではなく、だからこそファンはその答えを求め、いろいろな解釈が生まれていたわけだが、それに公式な答えを出すことの野暮さというものがある。
 また、傑作の続編に傑作なしというジンクスもあるし、出来がひどかった際のダメージは計り知れない。制作側もかなりの度胸と覚悟がなければ、この続編を作ろうという気にはなかなかなれないだろう。

 そんなこんなで『ブレードランナー』公開から三十五年。そこへいきなり沸いた『ブレードランナー 2049』の発表である。
 上に書いたような不安はあったが、公開されたからには「観ない」という選択肢はなく、公開最初の休日に映画館へ足を運んだ次第である。

 ブレードランナー 2049



※なお、ネタバレは極力避けておりますが、できれば映画をご覧になってからお読みください。



 時は2049年。環境破壊はさらに進み、人類に寄与するための存在だったレプリカント(人造人間)も反乱の度合いを高め、ついには製造元のタイレル社も倒産していた。しかし、その資産を買収したウォレス社によってレプリカントはさらに洗練されたモデルとなり、ごく自然に社会に溶け込んでいた。
 LAPDに属する最新型レプリカント・ネクサス9型の“K”もまた、人間とまったく見分けがつかない精巧なレプリカントだった。Kはかつて反乱を起こした旧式のレプリカントを「解任(殺害)」するという任務に就いていた。
 そんなある日、Kは農場で旧式レプリカントを倒したが、その農場に生えていた木の根元で人骨を発見する。分析の結果、その骨は帝王切開の合併症で死亡した女性レプリカントであることが判明。生殖能力がないはずのレプリカントが子供を産んでいたという事実に関係者は驚きを隠せず……。

 まず結論から書いておくと、非常に満足である。
 実力者とはいえ監督も主役も変わり、前作の偉業を台無しにするのではという不安もあったが、ここまで見事な続編に仕上げるとは思わなかった。ブレードランナーの世界観を継承し、かつテーマを一歩進め、しかも心憎いばかりのストーリー。

 ひと言でいってしまえば、『ブレードランナー』は人工生命の命がテーマであり、さらにいえば人工生命の自我がテーマであり、もっといえば人工生命の愛がテーマだ。おお、全然ひと言じゃないぞ(苦笑)。
 まあ、そんな人工生命=レプリカントとはいかなる存在なのかを延々と繰り返し投げかける映画ともいえる。
 前作では人間がレプリカントを蔑む対象としていたが、本作ではレプリカント同士でも蔑む関係が見られたり、あるいはレプリカントが人間をも蔑んでいたりする。ということは、これはつまりレプリカントのみならず人間の存在をも問うということにならないか。
 また、そういった混沌としたドラマのなかで、最大の無償の愛を感じさせる存在が、AIの女性というのがなんとも強烈な皮肉に満ちたメッセージである。
 もちろん、だからといって人間の愚かさをただ否定するのではなく、ラストにはある種の希望がある。しかし、その希望がどういう道に続くのか、これまたはっきりした答えは見せておらず、つまりはこういう終わりのない問答こそが本作の最大の魅力なのだ。

 ただ、前作を超えたかといわれるとさすがにそれはない。
 『ブレードランナー』のカルト的な魅力は超えようがなく、『ブレードランナー 2049』はあくまで前作ありきの傑作なのである。「前作のプレッシャーによくぞ負けないでこれだけの作品を作った」、「絵もストーリーも素晴らしい」と評価はされるだろうが、その評価は前作とは別軸のものだ。
 本作は傑作といってよい。だが、それゆえに『ブレードランナー』の凄さをより感じることができるのは、これまた皮肉な話である。

リドリー・スコット『エイリアン:コヴェナント』

 立川のCINEMA CITYへ出かけ、『エイリアン: コヴェナント』を観賞。
 本作はエイリアン・シリーズの第六作にあたる作品だが、エイリアン・シリーズの第一作である『エイリアン』の前日譚『プロメテウス』の続編という位置付けであり、時系列的には二番目のエピソードである。
 前作『プロメテウス』がエイリアンの起源に迫る内容だったことを踏まえ、本作はそこからさらに謎を掘り下げつつ、『エイリアン』第一作目につなげる試みがなされている。ただ、監督のリドリー・スコットによると、『エイリアン』と話をつなげるためにはもう一作必要とのことで、どうやら次作も予定されているとみて間違いないだろう。
 まとめるとこんな流れである。

『プロメテウス』2012年公開:監督リドリー・スコット
『エイリアン: コヴェナント』2017年公開:監督リドリー・スコット
『次回作?』
『エイリアン』1979年公開:監督リドリー・スコット
『エイリアン2』1986年公開:監督ジェームズ・キャメロン
『エイリアン3』1992年公開:監督デイヴィッド・フィンチャー
『エイリアン4』1997年公開:監督ジャン=ピエール・ジュネ

 エイリアン:コヴェナント

 さてお次はストーリー。
 時は2104年。宇宙船コヴェナント号は冷凍休眠した二千人の入植者と千体以上の人間の胎芽を積み、人類の新天地となりうる惑星オリガエ6を目指していた。しかしニュートリノの衝撃波によって船は故障し、乗組員や入植者に被害が出てしまう。
 乗組員たちが修理に取り組む中、突然、地球の歌らしき信号が受信された。発信源を調べるとそれは付近の惑星からのもので、しかもオリガエ6より地球に近い環境だと判明する。一行は急遽予定を変更し、未知の惑星に調査隊を派遣するが……。

 ううむ、これはいかんなあ。やっていることが『エイリアン』と変わらないうえに、そこまでのサスペンスはないし、かといって『エイリアン2』のような爽快感もなし。結局は『プロメテウス』の補塡的な内容ということで、シリーズのピースを埋める程度の楽しみぐらいしかない。

 このシリーズの肝は個人的には大きく二つあると思っている。
 ひとつは完全生命体という圧倒的な存在のモンスターと、人間がどう戦っていくかというところ。これはシリーズの娯楽部分を占める部分であり、ストレートに観客に訴える部分でもある。
 例えば『エイリアン』ではじわじわと真綿で首を絞められるような恐怖感と息詰まるサスペンスがメインであり、ラストの決着のつけ方はあの時点では最高であった。
 また、『エイリアン2』ではハラハラドキドキのスリラー仕立て。エイリアンとの真っ向勝負であり、ラストもそうくるかという、エイリアンもびっくりの戦いを見せる。
 一方、本作では基本的に一作目の『エイリアン』を踏まえた形である。ただ、一作目をなぞるのは良いとしても、それが一作目をまったく超えていないことが残念。そもそもエイリアンとの対決にそれほど重きを置いていない感すらある。

 シリーズの肝の二つ目は、本シリーズの全体に流れるフェミニズム、あるいは母性というテーマである。
 第一作の『エイリアン』がなぜあそこまで評価されたかというと、もちろんSFホラー映画、モンスター映画としてよくできていたこともあるが、加えて主人公に女性を起用したこと、そしてストーリーや設定に出産や妊娠といったメタファーのあったことが大きい。つまりフェミニズムという主題を非常に色濃く打ち出したところが斬新だったのだ。
 それまでアクション映画のヒーローといえばほぼ男性だったのに対し、『エイリアン』では女性主人公が男性クルーと対等に渡り合い、エイリアン(これは男性のメタファーだろう)と真っ向から対決する。当時、欧米では女性の社会進出の動きが急激に高まった時期であり、この動きをいち早くSF映画に取り込んだことで、見る物に新鮮な驚きを与えてくれたのである。
 『エイリアン2』や『エイリアン3』以降では、そこからさらに母性というイメージも強化され、エイリアンすらいつのまにか男性のメタファーというよりは母性のダークサイドを象徴するような存在となっていく。
 そして肝心の本作では、女性主人公という伝統はかろうじて守ってはいるものの、この母性というテーマからは離れているように思うのである。ぶっちゃけると物語の背後に「人間とは何か、どこから来たのか」という哲学的な問いをもってきており、なんだかずいぶん普通のSFアクション映画になっちゃったねという印象である。

 まあ、たかが娯楽映画を見るのにそんなこだわりが必要なのかという考えもあるだろう。いくつかケチをつけてはみたものの、普通のSFホラーとして見ればそこらの作品よりはまずまず楽しめるわけで。
 とはいえ何の思い入れもない一見さんが本作を見る場合にも問題は少なくない。なんといっても『プロメテウス』を観ていないことには理解できない事柄が多いのは致命的だし、より楽しむためにはやはり『エイリアン』も観ておく必要はあるのだ。
 ということで、最初にも書いたように、本作はシリーズを通して観ているファンが、ストーリーをつなげるための一作といってよい。リドリー・スコット本当にどうしたの?

ビル・コンドン『美女と野獣』

 『美女と野獣』といえばディズニー製作のアニメ映画が定番だったが、これからはビル・コンドン監督の実写化した『美女と野獣』も一緒に語られるようになるかもしれない。世間ではアナ雪を超えたとか超えないとか何やら評判もよろしいようなので、本日ようやく観にいってきたのだが、まあ、これは楽しくできている。

 美女と野獣


 考えたら製作がそもそもアニメ版でがっちりツボは押さえているのである。楽曲や映像、見せ場など、最新の技術を加え、しかも人気俳優を起用すればまず外すことはないだろう。
 もちろん今更衝撃を受けるような内容ではない。ミュージカルとしても物語としても、ほぼほぼお客さんの予想どおりであり、正直、期待以上でも期待以下でもないはずだ。そのうえで最低でも確実に80パーセントぐらいの満足度を提供してくれるところが、ディズニー映画の、そしてビル・コンドン監督のすごいところだろう。
 原作もちょっと気になるので押さえておくべきか? その場合はやはり白水社の完全版がよいのだろうか? 宿題である。

ジャスティン・カーゼル『アサシン クリード』

 先日、少しTwitterでもつぶやいたが、映画『アサシン クリード』の先行上映会にいく機会があったので参加してきた。開催したのは映画の原作となるゲーム「アサシン クリード」シリーズを開発しているユービーアイソフト。

 普段あまりゲームに縁がない方は知らないだろうが、実はこの原作のゲームがなかなか良シリーズなのである。
 主人公は中世ヨーロッパに暗躍したアサシン(暗殺者)の子孫という設定。そして主人公はアニムスと呼ばれる遺伝子記憶を追体験する装置により、過去の世界でアサシンの活動を体験していく。
 つまりゲームプレイは、この過去の時代でのさまざまな暗殺ミッションがメインとなる。あるときは屋根を駆け回り、あるときは壁をつたい登り、またあるときは高所からのダイビング。しかし、ここぞというときには人混みや風景に紛れ、アサシンブレードを利用してターゲットを瞬殺する。まさにアサシン。
 このパルクール的なアクションと人目を忍ぶステルス性アクション、二つの要素を併せ持つのが、シリーズ最大の魅力であり、特色なのだ。


 そんなシリーズの実写映画化ということで、最初はやや不安な部分もあった。
 なんせゲームの実写映画化といえば、だいたいは悲惨な結果になることが多いのが定説。「バイハザード」シリーズや「トゥームレイダー」シリーズ」は比較的いい方だと思うが、基本、原作との関係性がかなり希薄になってしまうものが多く、そういうのは原作のネームバリューだけを必要としているのであって、原作へのリスペクトなどが感じられないのはやはり観ていて不快である。
 さあ、その点、本作はどうだろう、というのがやはり大きな見どころ。
 監督はジャスティン・カーゼル、主役はX-メンシリーズのマグニートー役でおなじみマイケル・ファスベンダーという布陣だ。

 人間の自由意志をコントロールするという秘密が込められた”エデンの果実”。それを手に入れるため、中世ヨーロッパでは二つの組織の間で、長年にわたって争いが繰り広げられてきた。
 組織の一方は、”エデンの果実”によって人類全体をコントロールしようとするテンプル騎士団。もう一方は、人間の自由意志を重んじ、あくまで”エデンの果実”を封印しておこうとするアサシン教団である。
 ときは2016年。アブスターゴ財団のリッキン博士は、死刑囚カラム・リンチを獲得し、自らが開発した遺伝子記憶の追体験装置「アニムス」にカラムを接続させる。
 カラムこそマスターアサシンとして暗躍したアギラールの子孫であり、アギラールは歴史上”エデンの果実”に最も近づいた男ともいわれ、アブスターゴ財団は彼に記憶を追体験させることで、”エデンの果実”の在処を知ろうと企んでいた。アブスターゴ財団こそテンプル騎士団が設立した多国籍複合組織であり、”エデンの果実”による人類支配をいまなお企てていたのである……。

 なるほど。ドラマの部分はあくまで現代で進め、アクションシーンはほぼ中世で展開し、役目を切り分けているというのは、原作のゲームシステムをうまく反映させている。
 それほど複雑なものではないとはいえ、二つの時代の因果関係をちゃんと一本のストーリーに集約させているのもお見事。このあたり、やりすぎてグダグダになる作品も多いので。

 ストーリがそこそこしっかりしてくれれば、あとは本作最大のウリ、アクションシーンがどれだけ堪能できるかというところである。その点、パルクールを彷彿とさせるアクションは素晴らしい。
 パルクールとは障害物を越えながら目的地に効率的に移動することを目的としたスポーツ。壁や障害物、屋根をとにかく躊躇せず超えてゆく。立ち止まって越え方を考えたりしないところが素晴らしく、それだけに危険だが魅力もあるわけで、中世スペインの街なみで繰り広げられるアクションはまさに目を奪われんばかり。
 惜しいのはステルス系アクションについてはほとんど見せ場がないところ。まあ、あるにはあるのだが見せ方が弱くて、これは日本の必殺仕事人シリーズをぜひ参考にしてほしいぐらいである(笑)。ま、これは次作の課題といえるだろう。
  ともあれトータルでは予想以上の良作であった。ゲームの映画化ベストテンなどがあれば、まずトップグループ入りは間違いなかろう。

 ちなみにラストは続編のやる気満々な感じであったが、本作で現代におけるテンプル騎士団とアサシン教団の対立構造が明確になってしまったので、今後のストーリーはちと気になるところである。


スコット・デリクソン『ドクター・ストレンジ』

 立川のシネマシティで映画『ドクター・ストレンジ』(監督:スコット・デリクソン)を鑑賞。ベネディクト・カンバーバッチが主演ということ、マーベルのアメコミが原作ということは知っていたが、そのほかの知識はまったくなく、決め手は単純にテレビの予告編のCMである。高層ビルや街がねじれる映像がけっこうなインパクトだったので、単純に興味を持ってしまった次第。

 こんな話である。
 スティーヴン・ストレンジは数々の脳外科手術を成功させてきた天才外科医。しかし、その能力の高さゆえ慢心し、傲慢な性格であった。
 ある日のこと、スティーヴンは車の運転中に大事故を起こし、両手に大きな障害を負ってしまう。様々な治療や手術を試すも機能は戻らず、それは外科医生命の終わりを意味していた。
 捨て鉢になるスティーヴンだが、あるときチベットにどんな傷も治せる師がいるという話を聞き、藁にもすがる思いでチベットのカマー・タージへと向かった……。

 ドクター・ストレンジ

 マーベル作品に詳しいわけではないので全然知らなかったが、中にはこういう東洋系、魔術師系のパワーをもったヒーローもいるのだね。
 ただ、キャラクターとしては異色で面白そうなのだが、こういう東洋系や魔術師系タイプをネタにした作品は、映画でも小説でもだいたいが観念的なストーリーや闘いになってしまって、ラストはぐだぐだということも多い。まるでドラッグ中毒者の幻覚でも見るような映像でごまかされるというか、いつのまにか主人公が覚醒していたり、敵を倒していたりというパターンね。
 本作もそういう意味ではほぼほぼ予想どおり。主人公が魔術を取得するあたりまでは悪くないが、後半は厳しい。まあ、いろいろな要素が理詰めで構築されるのではなく、そういうことになっているという前提だけで物語が進むから、やはりストーリーに対する期待感は見ていてもまったく湧き上がってこない。

 それを救っているのが、やはり映像だろう。もはや現代のCG技術で再現できない映像などないのだろうから、あとはセンスや着想の勝負。
 その点、本作は十分合格点である。高層ビルや町並みを捻ってみせたり、重力の向きが変わる中でのアクションはスピィーディで迫力あり。
 また、ラストの時間が巻き戻る中、つまりフィルムの逆回し状態だが、その時間が戻るなかで自分たちだけは順回しで戦っているというのは、ありそうでなかったパターン。別の次元とかではなく、同時に干渉しあっている状況がすごいのである。映像技術としてはそれほど難しくないのかもしれないが、これはアイディアの勝利だろう。

 ベネディクト・カンバーバッチは『SHERLOCK』以後、すっかり俺様キャラや天才役が嵌っているが、本作でもそれは健在。旬な役者さんをこういう映画に起用してしまうディズニーもすごいが、受けるカンバーバッチもえらいものだ。
 ほかのキャストで気になったのは、師匠のエンシェント・ワンを演じたティルダ・スィントンか。途中から脳内で三蔵法師に変換されて困ったが(苦笑)、あのクールでインテリジェンスな雰囲気はいいよなぁ。

 というわけで、いいところ悪いところいろいろと挙げてはみたが、トータルでは60点、まずまずというところか。ラストの決着も含めてもう少し爽快感はほしいかな。

 ちなみに続編を匂わすようなエピソードがエンドロール後にあるのは珍しくもないが、今回、ふたつもあったのには驚いた。ひとつはマイティ・ソ−・シリーズ、もうひとつは正当な続編っぽいが、ネットで調べるとアベンジャーズにもつながるようで、ううむ、まったく商魂たくましいですのぉ。さすがだわ。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー