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 先日、少しTwitterでもつぶやいたが、映画『アサシン クリード』の先行上映会にいく機会があったので参加してきた。開催したのは映画の原作となるゲーム「アサシン クリード」シリーズを開発しているユービーアイソフト。

 普段あまりゲームに縁がない方は知らないだろうが、実はこの原作のゲームがなかなか良シリーズなのである。
 主人公は中世ヨーロッパに暗躍したアサシン(暗殺者)の子孫という設定。そして主人公はアニムスと呼ばれる遺伝子記憶を追体験する装置により、過去の世界でアサシンの活動を体験していく。
 つまりゲームプレイは、この過去の時代でのさまざまな暗殺ミッションがメインとなる。あるときは屋根を駆け回り、あるときは壁をつたい登り、またあるときは高所からのダイビング。しかし、ここぞというときには人混みや風景に紛れ、アサシンブレードを利用してターゲットを瞬殺する。まさにアサシン。
 このパルクール的なアクションと人目を忍ぶステルス性アクション、二つの要素を併せ持つのが、シリーズ最大の魅力であり、特色なのだ。


 そんなシリーズの実写映画化ということで、最初はやや不安な部分もあった。
 なんせゲームの実写映画化といえば、だいたいは悲惨な結果になることが多いのが定説。「バイハザード」シリーズや「トゥームレイダー」シリーズ」は比較的いい方だと思うが、基本、原作との関係性がかなり希薄になってしまうものが多く、そういうのは原作のネームバリューだけを必要としているのであって、原作へのリスペクトなどが感じられないのはやはり観ていて不快である。
 さあ、その点、本作はどうだろう、というのがやはり大きな見どころ。
 監督はジャスティン・カーゼル、主役はX-メンシリーズのマグニートー役でおなじみマイケル・ファスベンダーという布陣だ。

 人間の自由意志をコントロールするという秘密が込められた”エデンの果実”。それを手に入れるため、中世ヨーロッパでは二つの組織の間で、長年にわたって争いが繰り広げられてきた。
 組織の一方は、”エデンの果実”によって人類全体をコントロールしようとするテンプル騎士団。もう一方は、人間の自由意志を重んじ、あくまで”エデンの果実”を封印しておこうとするアサシン教団である。
 ときは2016年。アブスターゴ財団のリッキン博士は、死刑囚カラム・リンチを獲得し、自らが開発した遺伝子記憶の追体験装置「アニムス」にカラムを接続させる。
 カラムこそマスターアサシンとして暗躍したアギラールの子孫であり、アギラールは歴史上”エデンの果実”に最も近づいた男ともいわれ、アブスターゴ財団は彼に記憶を追体験させることで、”エデンの果実”の在処を知ろうと企んでいた。アブスターゴ財団こそテンプル騎士団が設立した多国籍複合組織であり、”エデンの果実”による人類支配をいまなお企てていたのである……。

 なるほど。ドラマの部分はあくまで現代で進め、アクションシーンはほぼ中世で展開し、役目を切り分けているというのは、原作のゲームシステムをうまく反映させている。
 それほど複雑なものではないとはいえ、二つの時代の因果関係をちゃんと一本のストーリーに集約させているのもお見事。このあたり、やりすぎてグダグダになる作品も多いので。

 ストーリがそこそこしっかりしてくれれば、あとは本作最大のウリ、アクションシーンがどれだけ堪能できるかというところである。その点、パルクールを彷彿とさせるアクションは素晴らしい。
 パルクールとは障害物を越えながら目的地に効率的に移動することを目的としたスポーツ。壁や障害物、屋根をとにかく躊躇せず超えてゆく。立ち止まって越え方を考えたりしないところが素晴らしく、それだけに危険だが魅力もあるわけで、中世スペインの街なみで繰り広げられるアクションはまさに目を奪われんばかり。
 惜しいのはステルス系アクションについてはほとんど見せ場がないところ。まあ、あるにはあるのだが見せ方が弱くて、これは日本の必殺仕事人シリーズをぜひ参考にしてほしいぐらいである(笑)。ま、これは次作の課題といえるだろう。
  ともあれトータルでは予想以上の良作であった。ゲームの映画化ベストテンなどがあれば、まずトップグループ入りは間違いなかろう。

 ちなみにラストは続編のやる気満々な感じであったが、本作で現代におけるテンプル騎士団とアサシン教団の対立構造が明確になってしまったので、今後のストーリーはちと気になるところである。


 立川のシネマシティで映画『ドクター・ストレンジ』(監督:スコット・デリクソン)を鑑賞。ベネディクト・カンバーバッチが主演ということ、マーベルのアメコミが原作ということは知っていたが、そのほかの知識はまったくなく、決め手は単純にテレビの予告編のCMである。高層ビルや街がねじれる映像がけっこうなインパクトだったので、単純に興味を持ってしまった次第。

 こんな話である。
 スティーヴン・ストレンジは数々の脳外科手術を成功させてきた天才外科医。しかし、その能力の高さゆえ慢心し、傲慢な性格であった。
 ある日のこと、スティーヴンは車の運転中に大事故を起こし、両手に大きな障害を負ってしまう。様々な治療や手術を試すも機能は戻らず、それは外科医生命の終わりを意味していた。
 捨て鉢になるスティーヴンだが、あるときチベットにどんな傷も治せる師がいるという話を聞き、藁にもすがる思いでチベットのカマー・タージへと向かった……。

 ドクター・ストレンジ

 マーベル作品に詳しいわけではないので全然知らなかったが、中にはこういう東洋系、魔術師系のパワーをもったヒーローもいるのだね。
 ただ、キャラクターとしては異色で面白そうなのだが、こういう東洋系や魔術師系タイプをネタにした作品は、映画でも小説でもだいたいが観念的なストーリーや闘いになってしまって、ラストはぐだぐだということも多い。まるでドラッグ中毒者の幻覚でも見るような映像でごまかされるというか、いつのまにか主人公が覚醒していたり、敵を倒していたりというパターンね。
 本作もそういう意味ではほぼほぼ予想どおり。主人公が魔術を取得するあたりまでは悪くないが、後半は厳しい。まあ、いろいろな要素が理詰めで構築されるのではなく、そういうことになっているという前提だけで物語が進むから、やはりストーリーに対する期待感は見ていてもまったく湧き上がってこない。

 それを救っているのが、やはり映像だろう。もはや現代のCG技術で再現できない映像などないのだろうから、あとはセンスや着想の勝負。
 その点、本作は十分合格点である。高層ビルや町並みを捻ってみせたり、重力の向きが変わる中でのアクションはスピィーディで迫力あり。
 また、ラストの時間が巻き戻る中、つまりフィルムの逆回し状態だが、その時間が戻るなかで自分たちだけは順回しで戦っているというのは、ありそうでなかったパターン。別の次元とかではなく、同時に干渉しあっている状況がすごいのである。映像技術としてはそれほど難しくないのかもしれないが、これはアイディアの勝利だろう。

 ベネディクト・カンバーバッチは『SHERLOCK』以後、すっかり俺様キャラや天才役が嵌っているが、本作でもそれは健在。旬な役者さんをこういう映画に起用してしまうディズニーもすごいが、受けるカンバーバッチもえらいものだ。
 ほかのキャストで気になったのは、師匠のエンシェント・ワンを演じたティルダ・スィントンか。途中から脳内で三蔵法師に変換されて困ったが(苦笑)、あのクールでインテリジェンスな雰囲気はいいよなぁ。

 というわけで、いいところ悪いところいろいろと挙げてはみたが、トータルでは60点、まずまずというところか。ラストの決着も含めてもう少し爽快感はほしいかな。

 ちなみに続編を匂わすようなエピソードがエンドロール後にあるのは珍しくもないが、今回、ふたつもあったのには驚いた。ひとつはマイティ・ソ−・シリーズ、もうひとつは正当な続編っぽいが、ネットで調べるとアベンジャーズにもつながるようで、ううむ、まったく商魂たくましいですのぉ。さすがだわ。


 それほど期待はしていなかったのだけれど、けっこう評判がよろしいようで、本日は立川シネマシティへ『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を観にいく。
 監督はハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』も撮ったギャレス・エドワーズ。キャストは正直、それほどのメジャーどころは出ていないのだけれど、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』に連なる物語だけに、4のキャラクターがここかしこに顔を出しているのがファンには嬉しいところだろう。

 さて、本作はスピンオフ作品とか外伝とかいわれているが、ストーリーとしては密接に本シリーズにつながっており、ナンバリングでいえば3.9というところ。
 『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』では、帝国軍の宇宙要塞デス・スターの設計図を盗み出した反乱同盟軍が、レイア姫にその設計図を託したものの、レイア姫が帝国軍のダースベイダーに捕獲され……というところから幕を開ける。本作ではそのデス・スターの設計図をいったいどうやって盗み出せたのかという物語だ。

 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

 結論からいうと、なかなか楽しめた。
 本作は従来のシリーズとはやや作風を異にしているというか、スペースオペラというより普通の戦争映画、あるいはスター・ウォーズ版『七人の侍』とでもいった雰囲気を醸し出していて、そこがうまくツボにはまった感じだ。
 その大きなポイントになっているのがストーリーライン。本シリーズの設定に主人公ジン・アーソのドラマを絡めるところまでは予想の範囲内なのだが、意外にもそのドラマを中盤で早々に片付け、以降をシンプルにチームの戦いのドラマとしたところが好感度大。終盤はそれぞれの見せ場を作りつつ、一人また一人と倒れる中、最後に目的を達成するというのはあまりにベタなのだけれど非常に胸を打つものがある。考えてみると大物俳優を起用しなかったのも、このストーリーを活かすためかなとも思った次第。

 スピンオフをあまりやられてもしらけるが、本作に関してはOK。個人的にはエピソード1〜3、7よりも楽しめて満足の二時間だった。


 年末年始の必須ミッションだった『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』をようやく観てくる。エピソードIVからリアルタイムで体験してきた身としては、入場料が変わろうが評判や出来がどうあろうが、これは絶対に観なければならない一作なのだ。

 スター・ウォーズ/フォースの覚醒

 舞台はエピソードVI、ジェダイの復活から三十年後の世界。銀河帝国の残党により組織された「ファースト・オーダー」が、再び銀河の平和を脅かそうとしていた。レイア将軍は独自の軍事組織「レジスタンス」を結成し、新共和国の支援を受けつつ、ファースト・オーダーに立ち向かおうとしていた。そのためには唯一のジェダイであるり、レイアの双子の兄ルークの力が欠かせなかったが、ある理由からルークは消息不明となっていた。
 そんなときレジスタンスのポーは砂漠の惑星ジャクーでルークの所在を示した地図を手に入れる。しかしファースト・オーダーに捕らえられそうになったため、ドロイドのBB-8に地図を託すのだが……。

 以上は序盤中の序盤の展開。このあと物語はレジスタンスとファースト・オーダーの地図をめぐっての争奪戦という流れになるのだが、その過程で懐かしの面々が再登場し、新たなキャラクターがどのようなカギを握っているかが明らかになってくるという按配である。
 この旧メンバーと新メンバーの比重がまずまず成功しており、新しいファンでも何とかついていけるかという感じ。細かいくすぐりをここかしこに盛り込むなど、世界観はきっちりと継承し、スタッフがシリーズの過去作品に相当気を遣っていることがわかる。

 ただ、気を遣いすぎたのかどうか知らないが、思い切ったチャレンジはそれほどやっておらず、そういう意味での物足りなさは残る。
 特にストーリーにそれが顕著で、要素を分解すると見事にエピソードIVの焼き直しである。歴史は繰り返すというが、こんな形で繰り返してはいかんだろう。序盤が砂漠のシーンでスタートすること、主人公のフォース覚醒、酒場での出会い、ダークサイドとの対決、デススターならぬキラースターの攻略などなど多数。少なくともこれではストーリーから刺激を受けることは難しい。
 リスペクトもあるだろう。ファンの期待を裏切らないことは確かに重要だ。スタッフもいろいろ悩んだ上でのことだとは思うが、それでも無難に作った感はどうしても拭えないのである。

 変に思い入れがない人はむしろ楽しめる作品なのだが、ううむ、難しいなこれは。


 仕事で疲れているせいか風邪が長引いているせいか、読書があまり進まない。時間はとれないこともないのだが、通勤電車や寝る前のベッドでもページがなかなか進まず、すぐに落ちてしまう。本日も休みだったが、家事をこなした後にグッタリしてほぼ1日中を寝て過ごす始末である。

 だが睡眠だけは久々に取れたせいか、夕方頃に少し体が楽になり、録画してあった実写版『図書館戦争』を観ることにする。監督は佐藤信介、公開は2013年。
 もちろん有川浩の原作は知っていたし、本に対する規制というテーマ自体は面白そうだったが、いかんせんラノベ臭が強そうで敬遠していた作品である。だが、実写版であれば、それほどクセもなかろうと思った次第。

 何を今更ではあるが一応、ストーリーなど。
 昭和のあとが平成ではなく、正化という時代になったパラレルワールドの日本が舞台。公序良俗を乱す表現を規制するため、政府はメディア良化法を制定し、メディア良化委員会が不適切な創作物を取り締まっていた。だがときには武力も駆使するなど、その行為はエスカレートする一方。ついに図書館は弾圧に抵抗するため、「図書館の自由に関する宣言」を元に「図書館の自由法」を制定。本の自由を守るべく、図書隊による防衛制度を確立する。
 そして正化31年、笠原郁は関東図書隊の図書特殊部隊に抜擢された。かつて高校生の頃、良化隊員に本を奪われそうになったとき、図書隊員に助けてもらったのが図書隊に入った動機だった。彼女は教官である堂上篤の部隊に配属され、訓練と図書館業務に励んでいたが……。

 ええと、ほとんど予想どおりというか(笑)。
 本の検閲といえばすぐに思い浮かぶのがブラッドベリの『華氏451』。まあ、さすがにそこまでは期待していなかったけれど、本に関する部分というのは想像以上に薄くて、もっぱら主人公たちの恋愛がテーマ。やはりラノベテイストというかラブコメがメイン、あとはアクションがそこそこ頑張っている程度である。要は図書館でなくても全然かまわない映画なのだ。

 まあキャラで見せる映画でもいいのだけれど、せっかくこんなに特殊な世界観にしているのだから、まずは設定をストーリーにしっかり馴染ませてほしいものである。
 図書館とメディア良化委員界だけが武装して、表現の自由のために死者まで出すというレベルなのに、それ以外の部分はなんら今と変わらない普通の日本というのがあまりに不思議。要するに公務員同士が局地的かつ合法的に戦闘しているということなのだが、この不思議な状況が映画ではいっさい理屈として説明されていないのが問題。少なくとも国全体がファシズムとか戦争状態に晒されているぐらいの背景がないとバカバカしくてどうしようもないだろう。

 これらの弱点を果たして原作はどう処理しているのか気になるところだが、少なくとも映画版はあかん。メディア良化委員会に真っ先に処分される内容である。


 レトロゲームをネタにした映画『ピクセル』を観賞。ガキの頃からゲーム好きで、社会に出てからも長らくゲーム業界にお世話になっている身としては、これは観ないわけにはいかない。

 1982年のこと、NASAはまだ見ぬ地球外生命体との交流を図ろうと、地球の様子や文化などをまとめ、電波に乗せて宇宙に送っていた。そのなかには当時爆発的に流行していたゲームの情報も含まれていた。だが、それを受け取った異星人はそれを地球からの宣戦布告と勘違いしてしまう……。
 時は流れ、2015年。異星人は受け取ったゲーム情報をもとに地球侵攻を開始した。巨大なゲームキャラクターが地球のあらゆるものをピクセル化していくなか、かつてのゲーム世界チャンピオンたちが立ち上がった。

 ピクセル

 まあ、B級臭はぷんぷん臭っているんだけれど(笑)、予告編がなかなか良くて、おまけに監督が『ホーム・アローン』や『ミセス・ダウト』などのホーム・コメディ、『ハリー・ポッターと賢者の石』や『パーシー・ジャクソンとオロンポスの神々』などのファンタジーアクションを撮ってきたクリス・コロンバスである。そこそこ悪くないレベルに仕上がっているのではないかと少し期待していたのだが、これがまあ何と予想以上に楽しい映画であった。

 「パックマン」「ギャラガ」「ドンキーコング」などなど1980年代の傑作ゲームのキャラクターが敵としてバンバン出てくるのだが、当時のゲームなので元はドット絵。それをピクセルによる3D化して見せてくれる。これらのキャラクターがけっこう違和感なく都市の情景や戦闘シーンに溶けこんでいて、そういう絵面を見ているだけでもなかなか楽しめる。
 ストーリーはいたってシンプルというか、よくある地球侵略もののパロディだが、それをゆるいギャグでつなぎつつ、要所では締める。テイストとしては『ゴーストバスターズ』あたりを思い浮かべてくれればよろしいかと。

 もちろん基本的にはB級なので、地球侵略ものといっても大作感はないし粗もいろいろある。間違っても感動などは期待できないけれど、普通にSFアクション映画としてよくまとまっており、昔のゲームを知らなくても十分楽しめる一作ではないだろうか(もちろん知っていれば面白さはさらに倍増するが)。
 管理人としては近年ゲームをここまでフィーチャーしてくれた実写映画はなかったので素直に嬉しい。
 それにしてもこういうバカなネタを最新特撮技術で大真面目に作り上げてしまうからハリウッドは侮れない。

 蛇足だが、本作の上映館はそこそこあるのだけれど、字幕版の上映が少ないのはちと困った。結局、仕方なく吹き替え版を見たのだが、肝心の主役の声優が大根に近いレベルでこれだけが痛恨の極み。
 よく言われることだが、声優と俳優は似て非なる仕事である。もちろん例外はあるだろうが、基本的には俳優は声優としては素人。それをいきなり重要な役に就かせるのはまったく意味不明だ。本作にしてもその俳優で集客が見込めるわけではないだろうに、よくあんなレベルでOK出したなぁ。


 立川のシネマシティへ出かけ、『ジュラシック・ワールド』を鑑賞。本作はシリーズ四作目となるが、なんせ二作目、三作目へと続くシリーズの展開の仕方がいまひとつだったし、監督にもコリン・トレボロウという若手が起用されており、全体に不安要素満載。
 しかし、腐ってもジュラシック・パーク・シリーズである。怪獣映画ファンとして一作目の衝撃は未だ忘れられず、新作が出るかぎりは観るしかないのである。

前作の事件から二十二年後。インジェン社を買収したマスラニ社は遂にジュラシック・パークをオープンへとこぎつけ、パークは毎日二万人が訪れる世界有数の観光地となっていた。しかし次々と新しいものを望むお客の声に応えるため、パークの責任者クレアは遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させる。ヴェロキラプトルの訓練を試みるパークの管理人オーウェンは強く反対するが、クレアは聞く耳を持たない。案の定、インドミナスが脱走してしまい……という一席。


 ジュラシック・ワールド

 いつもながら恐竜の自然な動き、迫力ある映像には感心する。本作の見どころはほぼそこがすべてで、こいつらが思い上がった人間をばったばった食い殺してしまうのがカタルシスなのである。
 科学やシステムですべてを制御できるといった甚だしい勘違い。結局は人間がコントロールするかぎり、科学やシステムに絶対はないのだという単純な事実があるわけで、恐竜たちはそれを思い上がった人類に教えてくれるわけである。まあ昔からある普遍のテーマではあるが、原発の現状とか安全保障関連法案の動きとか見ていると、全然他人事ではないわけだ。

 ただ、そういう意味で少し気になったのは、食われるべき人間が食われていないぞという点か。勝手にDNAをいじくりまわした科学者たちは胚芽をもって全員逃げていったし(続編の伏線でもあるのだろう)、ヒロインも改心した感じはあるが、企業幹部としての責任はとてつもなく重大である。
 おそらくこれは、本作において初めて主人公をパーク側の人間にした点が原因。テーマを若干曖昧にしたことは本作で最大のミスであり、単なる家族愛で最後を締めようとしたのはスピルバーグにしてはいささか杜撰である。

 したがってシリーズ最高傑作という謳い文句はさすがに大げさ。そこそこ頑張ってはいるが、普通に楽しめる一本というところだろう。そもそもこのシリーズほど一作目から内容が変わらない映画も珍しいわけで(笑)、よほど設定を変えないことにはファーストインパクトを超えるのは無理な話なのだ。

 なお、ラストの恐竜バトルは、怪獣映画ファンとしては理屈一切抜きで楽しめた。いろいろここにも指摘すべき点はあるのだが、まあここまで映像で見せてくれれば許す(笑)。


 先週、挫折した『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(監督はアラン・テイラー)をようやく観にいくことができたので、その感想など。
 ターミネーター・シリーズはこれまで四作が公開されているが、回を重ねるごとにストーリ−がグダグダとなり、個人的には1がダントツの傑作、内容的に見れるのはせいぜい2までで、3、4はどうしようもない出来であった(まあ4のクリスチャン・ベールとサム・ワーシントンの二枚看板はよかったけれど)。
 本作はシリーズ第五作目ということで、当然ながら期待は抱かず。ただ、悲しいのはファンの性である。もしかすると2ぐらいには復活していることもあるんじゃないかと思い、いそいそと映画館へでかけた次第である。

 ターミネーター:新起動/ジェニシス

 さて、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』だが、これまでの作品と同様、その設定や世界観はすべて共通である。2029年の近未来、地球はスカイネットと呼ばれる人工知能が指揮する機械軍によって支配されている。生き残った人間は抵抗軍指導者であるジョン・コナーのもと、反撃に転じている。これが大前提。
 直接ジョン・コナーを倒すことが難しいと考えたスカイネットは奥の手を出す。殺人ロボット・ターミネーターを過去へ送り込み、ジョンの母親サラ・コナーを殺害することで、ジョンを歴史から抹消しようとしたのだ。これを知ったジョンはサラを守るべく、最も信頼している部下、カイル・リースを同様に過去へ送り込んだのだった。
 これはシリーズ一作目『ターミネーター』のストーリーでもあるのだが、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』は実はこの一作目の設定を同じくしながら、異なる展開を描いたパラレルワールド的作品なのである。

 ただ、試みは悪くないけれど、やはりこれは大失敗。 タイムトラベルなんてものはもともと禁断の果実。ネタとしては面白そうなのだが実は科学的には無茶な話であって、実際やればやるほど矛盾が出てしまい、どう取り繕っても粗は大きくなるばかりである。ターミネーター・シリーズもこの例に漏れるものではない。
 本作でもカイルが過去へ飛び、聞かされていた状況が違うぞと戸惑うあたりまではいいけれど、そこから先のストーリーはもうなんだかなぁという感じ。ほったらかしの疑問や満載の矛盾とご都合主義。根本的なところで歴史改変までやるから、もうなんでもありな世界になってしまう。
 見どころはせいぜい特撮とアクションだが、以前に見たようなネタが多くてアイディアとしては凡庸。

 この新展開も三部作になるようだが、先行きは暗い。ああ、久々に辛い映画を見てしまった……。


 ジャック・ショルダー監督による『ヒドゥン』を視聴。1988年(本国アメリカでは1987年)に公開されたSFアクションホラー映画。今ではカルトっぽい人気を誇る作品で、管理人も実はオールタイムベストテンに入れてもいいぐらい好きな映画である。

 こんな話。わずか一週間で多くの犠牲者を出した凶悪殺人犯デヴリーズ。腕利きとして知られるロス市警のベック刑事は、派手なカーチェイスの末、ついにデヴリーズを逮捕したが、ある疑問が残っていた。事件を起こす前のデヴリーズはいたって平凡な常識人。いったい彼を凶行に走らせた理由は何だったのか。
 そこへ現れたのがロイド・ギャラガーと名乗るFBI捜査官だった。ギャラガーはまだ事件が終わっていないといい、事実、新たな連続殺人が発生、犯人はなんとデヴリーズが収容された病院で同室の男だった。ベックはこれら連続殺人の背後にあるものを教えるようギャラガーに詰め寄るが、なぜかギャラガーは答えをしぶるのだった……。

 ヒドゥン

 いやあ、久々に観たけれど、やはり『ヒドゥン』はいいわ。
 要は宇宙からやってきた凶悪犯と刑事の異星人が、地球上で人間の姿を借り、追いつ追われつを繰り広げるという物語。まあ、典型的なB級映画ではあるのだが、刑事ものやアクション、SFやモンスターホラー等々のエンターテインメントの各種要素が絶妙のバランスで成り立っている。面白さのレベルや種類でいえば『ターミネーター』に匹敵する出来だ。

 いいところはいろいろあるのだが、まずは異星人の地球上での生態について、きちんと設定やルール作りがされているのが高ポイント。異星人が人間の姿を借りているというよりは、寄生しているといた方が正確なのだが、たとえば、こういう条件でないと異星人を倒せない、これこれの状況でないと寄生できないとかである。
 こういう要素が伏線として上手くストーリーに組み込まれているから、ちょっとしたミステリっぽさも味わえるし、結末への興味が持続する。

 刑事ものとしてみても悪くない。オープニングがいきなり銀行襲撃(警備カメラの映像というのがまたいい)、そしてカーチェイスへと移る件などはなかなかの名シーンで、他にもストリッパーと刑事の銃撃戦なども印象的だ。
 ただこれらのアクションもいいのだが、より注目してほしいのはベックとギャラガーの間に芽生える友情や家族愛の描き方である。
 これらの描写が実に過不足ないというか、単なる添え物ではなく、といってメインストーリーの邪魔をするわけではない。しかもそれが、本作ならではの非常に感動的なラストシーンにつながっていく巧妙さ。もしかしたらこのラストシーンがやりたかったから、こういう設定にしたんじゃないかと思うほどだ。

 もうひとつポイントを挙げておくと、役者の演技にも要注目。特に異星人に寄生された人間を演じる役者陣は素晴らしい。
 寄生された人間は既に人ではなく、その表情もすべて異星人の演技によるもの。そのどことなく無機質で嘘っぽい表情の作り方がなんとも言えないのだ。単にクールに済ますのではなく、嘘っぽい笑顔や怒った表情が微妙に織り混じるところが絶妙。出てくる役者さん役者さん、これがまたみな上手いんだよなぁ。

 というわけで久々に熱く語らせていただいたが、いやほんと名作なんだって。


 先週末に観たDVDの感想をば。ものは1973年公開のSF映画『ソイレント・グリーン』である。監督はリチャード・フライシャー、主演はチャールトン・ヘストン。

 時は2022年。世界規模で進んだ人口増加によって人々は路上に溢れ、また、環境汚染によって自然がほぼ壊滅した世界が舞台。野菜や肉といった自然食品は今や一部の富裕層だけが口にできる非常に稀少で高価なものとなり、人々の多くはソイレント・グリーンという合成食品の配給だけで生き延びていた。
 そんな世界で、ソイレント・グリーンを製造するソイレント社の幹部が殺害される。殺人課のソーン刑事は同居する老人ソルの協力を得て捜査を進めるが、さまざまな妨害を受け、自らも命を狙われる。やがてソルは幹部殺害の原因を突き止めるが……。

 ソイレント・グリーン

 テレビ放映で何回か観たことがある作品だが、今回ン十年ぶりにDVDで視聴し、あらためてその出来に感心した。「ソイレント」というキーワードは今ではSF系のアニメやゲームでもネタとして使われることもあるぐらいだし、もはや古典といっても差し支えない作品だろう。

 テーマとしてはディストピア=反ユートピアものになるのだろう。一般大衆にとっては悲惨な未来世界だが、その中にあっても一部の権力者だけは数々の恵みを享受している。彼らは現体制を維持すべく、同時に大衆を巧みにコントロールすべく、常に陰謀を企てている。
 こう書くとありきたりな世界観かも知れないが、ディテールのひとつひとつが興味深い。たとえば高級マンションには美人女性が各部屋に"家具"として用意されていたり、知識のある老人には"本"としての仕事があったり、高齢者には安楽死のための施設が準備されていたり、富裕層だけが入れる"公園"(畑?)があったり。
 これらの積み重ねによって、一般大衆と特権階級の差がひとつひとつ明らかになり、その結果、見えてくるのは、特権階級にとっては人間もまた消費物のひとつということ。この思想が物語全体のベースになっており、なかなか衝撃的だ。

 そんな腐った世界をぶちこわそうとするのがチャールトン・へストン演ずるソーン刑事……だったらいいのだが、彼も優秀な刑事ではあるのだが、決してヒーローなどではない。等身大の人間、それどころか刑事の職権を利用して平気で賄賂を要求したり、物品や食料をくすねてゆく。
 ただし、それはあくまで特権階級や犯罪者に対してであり、最後の一線は越えていない。彼もまた貧困にあえぐ者の一人であり、大衆の側の人間なのだ。その人間臭い描写がなかなかよくて、決してハードボイルドではないけれど、非常に引き込まれるキャラクターであることは間違いない。

 観る者に否応なく未来を考えさせるラストシーンも印象的。この社会がこの先どうなるのか、本作のラストは暗示するのみだが、ソーン刑事の叫びが強く心に残る。未見の方はぜひどうぞ。



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