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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

米田興弘『モスラ3 キングギドラ来襲』

 仕事がけっこう慌ただしく、読書が進まないうえに体力も下降気味。本日は久々にゆっくり完全休養することにして、午後からビールを飲みつつダラダラDVDを観たり、パラパラ本を読んだり。読書は二冊同時進行中で、どちらもボリュームがあるので遅々として進まず。決してつまんないわけではなく、どちらも楽しんでおりますゆえ、感想は後日。


 さて、本日はDVDの感想など。ものは平成モスラ・シリーズの掉尾を飾る第三弾『モスラ3 キングギドラ来襲』。監督は米田興弘、公開は1998年。
 キングギドラの来襲を、あの有名な「ノストラダムスの大予言」の“空から大王が降ってくる”というフレーズになぞらえる導入部は、1998年という時代ならでは。まあ、それが本編に活かされているわけではなくて、あくまで導入部だけの話だが(笑)。

 モスラ3キンク#12441;キ#12441;ト#12441;ラ来襲

 まあ、そんな導入で地球に現れたキングギドラだが、これまでの設定とはずいぶん様相が異なっている。なんと地球で生態系の上位にくる生物を捕食し、地球を滅ぼそうとするのである。一億二千年前の恐竜絶滅もキングギドラの仕業というからいやはやなんとも。
 で、現代の地球では当然ターゲットが人間であり、キングギドラは子供を掠っては、富士の樹海に作り出したドームに閉じ込めてしまう。子供たちを一気に食らうことでより自らのエネルギーを高められるのだという。そんな危機的状況にインファント島のフェアリー、エリアス姉妹はモスラを呼び出して戦わせる。しかし、いかんせん相手が悪い。相手は宇宙最強の呼び声高いキングギドラだ。モスラは戦いに敗れるばかりか、エリアス姉妹の一人、ロラもキングギドラにマインドコントロールされる事態となる。キングギドラどんだけスキル高いのか(笑)。
 ところ変わって主人公の少年がいる。この少年が登校拒否児童という、これまた時代を反映した設定だが、彼は登校拒否をしていたおかげでキングギドラに掠われずにすむ。そしてエリアス姉妹のかたわれモル、そしてキングギドラに敗れたモスラと出会うわけである。
 ここから物語は急展開。このままでは強大なキングギドラに勝てないため、モスラは恐竜を滅ぼした時代、一億二千年前へ飛び、幼体のキングギドラと戦うというのだ。しかし、過去へ飛べば現代へ戻る手段はない。それでもモスラはゆく。しかもモルはモスラを過去へ送ることでエネルギーを使い果たし命を落とす。いまわの際、モルはロラのマインドコントロールを解くよう少年に依頼する。「僕は学校にも行くことができないのに……」尻込みする少年。だがモルは、登校拒否が少年のもつ美しく繊細な心ゆえのことであると諭し、息を引き取る。少年は子供たちが閉じ込められたドームへ向かい、モスラは過去で幼体キングギドラと激突する。その結末やいかに。

 実はここから、さらに物語は二転三転。個人的にはストーリーは(破綻が大きいけれど)決して嫌いではない。しかし、何というかなぁ。制作者たちのやりたいことはヒシヒシと伝わってくるのだが、なんでそれがちゃんと映像になって表れてこないのか。
 例えば本作のテーマは、平成モスラシリーズならではの家族愛、絆である。これについては人間ドラマもさることながら、平成モスラシリーズのカギを握る存在として描かれてきたエリアス三姉妹によってより強調されている。前作でエリアス姉妹が二人ではなく、悪役ベルバラもまた姉妹であることが明らかになったわけだが、本作ではそれぞれ個性の異なる彼女たちが心をひとつにすることで、より大きな力を得ることになる。
 それはいいのだけれど、主人公の少年のドラマがそれなりに重くなければならないのに、これが実にアッサリとしか描かれない。小学生の登校拒否ですよ登校拒否。それなりの事情が当然あるはずなのに、一切を説明抜きで家族もそんなに心配してないし、子供も苦悩を抱えているようにはまったく見えない。もちろんわざわざ生臭い話にする必要はないけれど、蓋をしすぎるのも考えものだ。子供向けに作っておきながら、結局は子供をなめている。子供の側に踏み込んでいく姿勢が皆無で、歯がゆくて仕方がない。
 特撮も中途半端。最もひどいのは恐竜の時代である。本作の五年前にあの『ジュラシックパーク』があるというのに、このちゃちさは何なんだ。誇張でも何でもなくソフビの人形レベルで、ちょっとこれは噴飯もの。キングギドラやモスラで予算を使い果たして恐竜まではフォローできなかったというのか。こんなものしか出来ないなら、最初から恐竜時代などやってくれるなと言いたい。
 あと、これは平成モスラ全般にいえるのだが、飛行シーンの不自然さが一向に改善される気配がないのもなんだかなぁ。制作側も自然に見えないのはわかっていると思うのだが、こういうところをきちんと見せるだけでも、ずいぶん印象は変わってくるのにねぇ。

 日本の特撮映画というのは本当に不思議な存在である。制作者たちの志、技術、お家の事情などが時代によってアンバランスに入り混じり、その結果、摩訶不思議なものが出来上がる。東宝に限っていえば『ゴジラ』の呪縛といってもいいかもしれない。
 これからもファンを歓喜させ悶絶させていく作品ができあがるのだろうが、まあ、こちらもそれを承知で見続けるしかないんだろうなぁ。


三好邦夫『モスラ2 海底の大決戦』

 東宝特撮映画DVDコレクションから『モスラ2 海底の大決戦』を鑑賞する。平成モスラ・シリーズの第二弾で監督は三好邦夫、1997年の公開。

 こんな話。
 沖縄の海にオニヒトデを思わせる奇怪な生物が現れ、毒液でさまざまな被害が発生する。それは沖縄の伝説、ニライカナイの古代文明が生み出した怪獣ガダーラの仕業であった。ニライカナイの人々は環境汚染を浄化するシステムとしてガダーラを生み出したのだが、そのシステムが暴走し、ついにはニライカナイ滅亡を招いたのだ。
 一方、沖縄の小学校に通う少女が、ゴーゴという不思議な生き物と出会う。そこへ現れたのが、ゴーゴの身につけた装飾品を狙う密猟者たち。少女はクラスメートたちの協力を得て、追っ手から逃げようとするが……。

 モスラ2海底の大決戦

 沖縄の伝説、ニライカナイの運命を物語のバックボーンとし、文明社会への警鐘というテーマに乗せてモスラの活躍を描くシリーズ第二作。
 前作に引き続いてファンタジー然とした作りであり、以前にも書いたとおり個人的にはあまり興味が湧かないのだけれど(笑)、子ども向けというスタンスがしっかりしているので好感はもてる。むしろその点については一層強化された印象で、テーマの見せ方、演出、ストーリーの展開などなど、すべてが王道まっしぐら。環境破壊とかの堅苦しいお話だけでなく、勇気やあきらめない気持ちといったストレートなメッセージも盛り込まれているのも抜かりはない。

 ただ、子供が主人公なので、どうしてもこじんまりした話になるのは致し方ないのだけれど、もう少し沖縄という部分はアピールすべきではなかったか。伝説以外の悲しい歴史がある地なのになぁ。
 また、往年の怪獣ファンには、モスラの度重なる変身がなんとも悲しいのだけれど、まあこれは別物と割り切るしかないのだろうね。

 ちなみに、本作に限らないが、この時期の東宝特撮で割と目につくのが、他のファンタジーやSF映画のパクリである。本作ではインディ・ジョーンズのネタ絡みが多く、見えない橋のくだりは相当まずいんじゃないかと心配になるほどであった。こちらは子ども向けとか関係なく悲しい事実である。


米田興弘『モスラ』

 東宝特撮映画DVDコレクションから『モスラ』を観る。1961年の方ではなく、いわゆる平成モスラ・シリーズというやつで、1996年に公開された米田興弘監督作品。
 ゴジラがハリウッドに貸し出された関係で、その間を中継ぎするために企画されたシリーズ。とはいうものの意外に興行成績は健闘したようで、結果的には三部作となった。本作はその一作目となる。

 環境保護団体と対立しながらも、利益追求のために今日も山林開発を続ける豊国商事。その現場監督を務める後藤裕一は、北海道の森林伐採中に古代遺跡を発見、そこに埋め込まれていたメダルを娘の土産のために外してしまう。だが、そのメダルこそ、6500年前に宇宙から来訪し、植物を滅ぼして恐竜絶滅の原因を作った宇宙怪獣デスギドラを封印したメダル、実は妖精エリアス族の作った〈エリアスの盾〉であった。
 メダルを受け取った娘の前に現れたのが黒い妖精ベルベラだった。デスギドラを操るべく、エリアスの盾の力を利用しようとしたのだ。だが、そこへエリアス族の姉妹がフェアリー(小型モスラ)と共に現れ、ベルベラを阻止しようとする……。

 モスラ(1996年)

 本作を評して、怪獣映画というよりはファンタジー映画だという意見があるが誠にごもっとも。初代モスラもそういう側面は多分にあったが、この1996年版では完全に子供やファミリーを対象にした別物である。怪獣映画が本来持っていなければならない怖さはまったくないし、主人公も子供たちと妖精。怪獣と自衛隊の戦いもなし。そもそもそういう国歌組織的なものがまったく出てこない。地球レベルの危機にもかかわらず、救うのは家族レベルという始末である。

 ただ、そういうものと割り切ってみるなら、これもまあアリかなと。環境破壊を最大のテーマにしつつ、ここに家族の絆を絡め、勇気や愛の尊さを散りばめる。子供向けゆえテーマが非常にわかりやすいのは重要だ。
 また、それを表現する役者陣も悪くない。高橋ひとみや羽野晶紀、萩原流行など重要な役どころにはメジャーな役者さんを揃え、ドラマをしっかり見せるのも高ポイント。カメオ出演的ではあるが、寺尾聰まで出ているのには驚いた。
 主役の子供たちも悪くない。ただしラストのラストで「決意の強さを表現する演技(おそらく)があるのだが、これが無表情で、かえって不気味にしか見えない結果になっていたのは残念。それ以外はまずまずがんばっていただけにね。

 特撮部分では、そもそもデスギドラがキングギドラの亜流にしか見えず、明らかに手抜きとしか思えないのだがどうなんだろう?
 戦いにしても、三首竜のデスギドラとモスラ親子の対決だけに噛み合わないのはある程度予想されたが、まさに不安的中。例によってビームの撃ち合いに終始するのが残念至極(ただし、モスラの親子タッグは非常に貴重)。
 だが序盤の妖精同士が見せる家の中でのバトルレースはアイディアとして面白い。CGにもっと予算がかけられるなら、ここはより面白いシーンになったはずだ。

 という具合で、いい部分悪い部分がかなり顕著に出た本作。同時期には平成ガメラシリーズがリアルを追求して人気を博していただけに、徹底したファミリー向けファンタジーという独自路線は間違ってはいないのだろうが、ううむ、この時期に関していえば相手が悪かったか。


山本迪夫『血を吸う薔薇』

 論創ミステリ叢書がとうとう第6期をスタートさせた。しかも判型をこれまでの変型からA5判に変更したため、Twitterでも話題になっていた。まあ、管理人的にはこれまでの判型にそれほどこだわりがなかったので(なんせ通勤読書が大変だし)それほど気にはならない。まあ、これまでも背のデザインを途中で変えているし、むしろそっちが気になるぞ(笑)。
 ちなみに一発目は『守友恒探偵小説選』だが、お次は大下宇陀児が控えている。しかも「I」という番号付きなので、これは当然「II」もあるということ。大下宇陀児は全集が出ても買いたいぐらいなので、うう、待ち遠しいなぁ。


 山本迪夫監督による「血を吸う」シリーズ三部作。そのトリを務める『血を吸う薔薇』をDVDで観る。
 シリーズ一作目の『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』が1970年、二作目の『呪いの館 血を吸う眼』が1971年、本作は1974年の公開と少し間が空いているが、実はこの前年、あのオカルト映画の大傑作『エクソシスト』が公開されており、それに影響されて三作目が作られたのではと言われている。真偽のほどは知らないが、本作は前の二作と少々、雰囲気が異なるだけに、そういうこともあるのかと思わせる一作ではある。

 八ヶ岳の山奥にある全寮制の女学園に赴任してきた白木。だが迎えてくれた吉井教授の話によると、二日前に学長夫人が亡くなったばかりだという。学長と会った白木はお見舞いの言葉をかけるが、学長は早々にその話題を切り上げると、白木を次期学長として迎えたいと語る。
 その晩から白木の前で起こる不思議な事件。やがて白木は校医の下村から、この地に伝わる伝説の話を聞き、さらには前任者の秘密を耳にする。そして遂には下村も失踪、白木は残された下村のカメラのフィルムを現像し、学長の怖ろしい秘密を知ることになる……。

 血を吸う薔薇

 これまでのどちらかというと静かな怖さから離れ、かなりアクティヴな展開と演出で見せてくれる。また、エログロをより強化しているのは、先述したように『エクソシスト』の影響が大きいのだろう。
 まあ、今の尺度でいうとエログロといってもかわいいものだが、こういうのは怖さも一緒で、抑え気味の方がかえって効果的だったりする。だからある意味、当時よりも今観るほうがむしろ刺激的といえるかもしれない。

 役者陣で特筆すべきは岸田森。前作に続き、本作でも見事な吸血鬼を演じている。前作の評判がかなり良かったからか、前作を遙かに上回る立ち回りで熱演。ただ、吸血鬼メイクもいいのだが、普通の状態で静かに語る彼の姿のほうがむしろ怖い。こういうのは役者が持っているオーラとしか言いようがないのだが、この二作で終わったのが実に惜しまれる。
 ちなみに美女軍団も前作よりパワーアップし(苦笑)、エロチック方面を全面的にバックアップ。目立つのはやはり桂木美加。『帰ってきたウルトラマン』の丘ユリ子隊員役の女優さんは本作でも健在である。ちょっと珍しいところでは後年ジャズヴォーカリストとしてデビューする阿川泰子も冒頭から柔肌をご披露している。
 メインキャストではないのだが、唯一、三部作すべてに出演している二見忠男は、ちょい役なんだが相変わらず存在感抜群。本作も白木演じる黒沢年男にバス時刻を教えるというシーンだけなのに、なぜ、それをああも胡散臭く見せることができるのか。これもひとつの才能なんだろうなぁ。

 ということで「血を吸う」シリーズは本作にて完結。シリーズとはいってもそれぞれ独立した作品なので、興味を持たれた方は完成度の高い『呪いの館 血を吸う眼』あたりから入るのがよいかも。


大河原孝夫『ゴジラvsデストロイア』

 少々、洋画にかまけていたので、まだまだ残っている東宝特撮映画DVDコレクションを飽きずに消化。本日は1995年公開の『ゴジラvsデストロイア』で、監督は大河原孝夫。

 本作はゴジラシリーズとしては二十二作目にあたるが、いわゆる平成ゴジラシリーズとしては七番目の作品。そして平成ゴジラシリーズの最終作でもある。一応はシリーズ最終作ということで(この時点で既にアメリカへのゴジラ貸し出しが決定しており、三年後の1998年、エメリッヒ版『GODZILLA』が公開される)、制作スタッフも相当に気合いは入ったと思うが、その結果として出されたアイディアが、「ゴジラの死」である。

 ゴジラとリトルゴジラが暮らしていたバース島が消滅していることが確認された。二匹の消息をつかめないまま一ヶ月が過ぎたとき、ゴジラが香港に姿を現す。だが、その姿は赤く発光し、赤い熱線を吐く従来とはまったく異なる印象のゴジラであった。バース島の地下にあった高純度の天然ウラン、それが火山の影響で爆発を起こし、ゴジラに影響を与えたのだ。だが、影響はそれだけではなかった。ゴジラの体内炉心の核エネルギーが不安定になり、いつ爆発を起こしてもおかしくない状態になっていたのだ。
 一方、しながわ水族館で魚が突然、白骨化するという事件が起こる。原因はかつて初代ゴジラを死滅させたオキシジェン・デストロイヤーが、海底に眠っていた微少な生命体に影響を与え、異常進化・繁殖した生物・デストロイアが魚を補食していたのだ。やがて生物は巨大化し、警察、自衛隊の攻撃に対して、さらに合体・巨大化して暴れ出す……。

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 平成ゴジラシリーズ全般についていうと、『ゴジラ』『~vsビオランテ』あたりまではそこそこ見られるが、『~vsキングギドラ』あたりになるとかなりアラが目立ち、『~vsモスラ』以降は実に苦しい。
 シリーズゆえビジュアル的にもストーリーにしてもハラハラドキドキが薄れるということがまず大きいだろう。ただ、それは致し方ないとしても、完成度というか緻密さというか、作品にかける熱が薄れているように思うのは気のせいだろうか。メカゴジラやスペースゴジラあたりに諸々の事情があるのは知っているが、ゴジラの亜流を繰り返し使う時点でもうダメであろう。それが興行成績にも響き、結局シリーズ終焉を迎えるわけだからなぁ。ううむ。

 で、本作はシリーズを完結させるということで、作品としてはかなり持ち直してはいる。
 「ゴジラの死」という選択がまず評価できるが、昭和29年の初代ゴジラと徹底的にストーリーをリンクさせたところもよろしい。かの芹沢博士の遺族をメインにもってきた点やデストロイアという怪獣の設定などはシリーズファンには嬉しい仕掛けといえるだろう。
 だが、最も評価できるのはクライマックスである。
 (一応、ネタバレです)

 瀕死のリトル・ゴジラ、怒れるゴジラの逆襲と勝利、ゴジラのメルトダウン、そして東京は放射能に包まれる……という流れは予想どおり。人類への核の警告で締めるラストはゴジラシリーズに相応しい。
 意表を突かれたのはここからだ。東京が放射能に包まれるその瞬間、急激に放射能はかき消され、東京は浄化される。そして猛煙のなかで立ち上がり、彷徨するゴジラの姿。
 ゴジラは確かに死んだ。だがそのメルトダウンで放出された莫大な放射能により、リトル・ゴジラが完全ゴジラ化して蘇生したのである。かくしてシリーズは終焉を迎えた。同時に、新たなステージを予感させつつ。
 トンデモな展開ではあるのだが、このクライマックスの盛り上げはお見事。「ゴジラの死」で予告をバンバン打っておきつつ「復活」をもってくるのは巧い。

 とまあ、ひとまず褒めてはみたものの、相変わらず脚本全体の流れが悪かったり、当時流行った他の特撮の影響を受けまくっていたり、デストロイアが完全生物って割には弱かったりと、不満もそれなりに多い。まあ最悪なのはデストロイアの造型なんだけど。とはいえ、これまでのシリーズの出来を考えるともっと悪くなっていた可能性もあるので、まあ、これぐらいで済んでよかったといえるのかもしれない。
 さあ、続いては平成モスラ三部作に移行するわけだが、ううむ、これもまた厳しいんだよなぁ(苦笑)。


山本迪夫『呪いの館 血を吸う眼』

 山本迪夫監督による「血を吸う」シリーズ第二作『呪いの館 血を吸う眼』をDVDで鑑賞。1971年の作品。
 このシリーズの大きな特徴は、何といっても西洋タイプのゴシックホラーを持ち込んだことだが、前作『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』では日本風怪談との融合が面白いテイストを生んでいたのに対し、本作はよりストレートに西洋型ゴシックホラーを再現している。

 富士見湖畔で暮らす姉妹、秋子と夏子。最近、姉の秋子は悪夢に悩まされており、一枚の絵にそのイメージを描いていた。そんなある日、隣人のボートハウスのもとへ差出人不明の柩が届けられ、その日から奇怪な事件が近隣で発生するようになる。飼い犬が惨殺され、親しかった男が急に襲いかかり、怪我もないのに異常に衰弱した患者が発見される。そして魔の手はやがて姉妹にも及び、秋子は恋人の佐伯に助けを求めるが……。

 呪いの館 血を吸う眼

 前作も良かったがこれもなかなかいい。ストーリーはシンプルで小粒な作品ではあるけれど、細かいところまで気を配られており、完成度でいえば前作を上回っている。
 この手の映画でいつも気になるのは、流れや一般的な感覚を無視した非常識な展開だ。もともと突拍子もない内容の映画だけに、できるだけ説得力をもたせることには注力してほしいのである。例えば科学的考証、異常事態を前にした人々の反応など、そういった当たり前のところが当たり前に処理されているかどうかがけっこう重要なのだ。
 本作はその点で十分合格点をあげられる。変に気を持たせない潔さのあるストーリーも幸いしているだろうが、すべからくホラー映画やモンスター映画はこうあるべきだろう。

 もちろん肝心のホラーとしての出来も鮮やかだ。ショッカー的演出がどうのとかもあるが、その最大の功労者は吸血鬼を演ずる岸田森の存在だろう。もともとこういう妖しい雰囲気をもった役者さんではあるが、真っ向から吸血鬼を演じてここまではまるとは(苦笑)。前半の静、後半の動という演技も悪くないし、ラストも熱演である。
 おっと、吸血鬼の餌食となって、自らも吸血鬼と化してしまう二人の美女も忘れてはいけない。江美早苗と桂木美加の両名だが、官能的雰囲気を醸し出して、ヒロインの藤田みどりをくってしまっている印象。ちなみに桂木美加は、『帰ってきたウルトラマン』の丘ユリ子隊員役の女優さんである。

 少しだけ残念なのは、吸血鬼の出自がざくっとラストで語られるだけで、少しわかりにくいところ。クライマックスでの展開もこれが理解できていないと面白くないし、余韻も弱くなってしまう。その点だけが惜しまれる。


山本迪夫『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』

 先頃、無事に完結した「東宝特撮映画DVDコレクション」全六十五巻だが、観る方はそんな簡単にはいかないわけで、本日もなんとか一本消化。
 ものは山本迪夫監督の『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』。公開は1970年。
 本作は七十年代に制作された「血を吸う」シリーズの第一作。吸血鬼を題材にした、東宝特撮映画の中でも屈指の異色シリーズだ。当時はそれなりにヒットしているが、いかんせん所詮は徹底したB級テイスト。いまでは知る人ぞ知るシリーズとなってしまったが、これがまた悪くないのである。

 雷雨の夜、婚約者の夕子を訪ね、蓼科の山中にある生家を訪れた和彦。そこには夕子の母親とその下僕が二人きりで暮らすばかり。なんと夕子は半月ほど前に交通事故で亡くなったというのだ。ところが和彦はその夜、泊まった屋敷の窓から死んだはずの夕子を目撃し……。
 一方、なかなか帰京しない和彦を心配する妹の圭子。彼女は恋人の高木浩を誘って屋敷を訪れるが、夕子の母から聞かされたのは、和彦が既に帰ったという話。しかし和彦のカフスボタンを発見した二人は、車の故障を口実に屋敷に泊めてもらい、密かに調査を開始しようとする……。

 血を吸う人形

 人里離れた山中の洋館を舞台に繰り広げられるゴシック・ホラー。
 設定そのものは海外ホラーからいろいろと拝借している感じ。ただ、それらを海外ホラーのごとくたたみかけるように見せるのではなく、国産の怪談の手法とミックスして見せているのが印象的だ。
 例えば、まずはショッカー的な仕掛けで登場人物の男(もちろん観客もいっしょに)をドッキリさせる。その男が慌てて逃げ出し、ようやく立ち止まって肩で息を切らせている……ここで一瞬の間があり、何気なく横を見やると……などという演出はわかっちゃいるが怖いわけである。そんなに斬新な手ではないけれど組み合わせが巧い。今できることを最高の状態でやってみましたという感じか。

 キャストもいい。導入から中村敦夫だし、それを受ける南風洋子に高品格、一応は主人公にあたる二人には松尾嘉代に中尾彬という布陣。現在からすると濃すぎるほどのメンバーだが、当時はさすがにそれほどではなく、適度なアクの強さが心地よい。
 そして何といってもヒロイン夕子を演じる小林夕岐子の存在感。この女優さん、『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』では原住民のお姉ちゃんを演じたり、『ウルトラセブン』ではアンドロイド少女を演じたりと、東宝特撮系ではけっこう特殊な役柄が多い人なんだが、本作においては決定的なハマリ役。役柄上ほぼセリフもないが、その微笑や憂いを含んだ透明感溢れる表情が絶品である。薄幸の美少女の、まさに典型。これがもう一方のヒロイン松尾嘉代と役柄が逆だったら、ここまでの作品にはならなかっただろう(笑)。

 けっこう褒めてはいるが、もちろん欠点もいろいろある。なんたってB級ですから。
 決定的なのはヒロイン夕子の秘密で、これがけっこう胡散臭い理屈で押し通してしまうのがなんとも(苦笑)。それに絡んでラストもなんでこうなるの?という疑問は否めない、というか夕子の言動(いや”言”はないか)に意外と一本筋が通っていない嫌いがある。ううむ。
 でもいいのである。本作は演出やキャストの熱演をこそ味わい、ゾクッとくればいい映画なのだから。

 最後に蛇の足。
 吸血鬼が題材のシリーズといいながら、本作に関してはまったく吸血鬼は関係ない。単なる比喩的な意味合いに留まる。
 上で腐したメインのネタだが、実はポーの「ヴァルドマアル氏の病症の真相」が元ネタらしい。まじか。


山下賢章『ゴジラvsスペースゴジラ』

 休日に観だめしておいた東宝特撮映画DVDコレクションの感想など。ゴジラシリーズとしては二十一作目にあたる『ゴジラvsスペースゴジラ』。監督は山下賢章で、1994年公開作品。

 前作で登場した対ゴジラ部隊Gフォースが、二つのプロジェクトを進めるという設定で幕が開く。ひとつはメカゴジラを凌ぐ強力兵器MOGERAの開発によってゴジラを倒そうとするMプロジェクト。もうひとつは超能力レディ三枝未希のテレパシーによってゴジラをコントロールしようとするTプロジェクトである。
 現在は南太平洋のバース島で暮らすゴジラ、そして前作のベビーゴジラから成長したリトルゴジラ。そこでTプロジェクトが実行されようとしていた矢先、宇宙から巨大な怪獣が襲来する。GフォースはMOGERAで宇宙怪獣にあたるが……。

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 前作『ゴジラvsメカゴジラ』の感想でも書いたが、東宝は大人向けに始めた怪獣映画を、結局、子供やファミリー向けに合わせて内容をシフトするという愚を二度も犯すことになった。本作『ゴジラvsスペースゴジラ』でも軌道修正は叶わず、前作のベビーゴジラを相変わらず妙なタイミングで起用し、凶暴なゴジラとして復活したはずの平成ゴジラは、昭和ゴジラ同様、よき父親みたいな存在に成り下がってしまっている。しかも本作では、結果的に人間の味方のような形でスペースゴジラと戦う羽目になっているのも致命的。

 本来だったら1957年の『地球防衛軍』以来37年ぶりに復活したモゲラを祝うべき映画のはずなのだが(いや、そうでもないけれど)、こちらも設定上いろいろ無理がありすぎて辛い。とりあえずあれで宇宙いっちゃだめでしょ。
 加えてスペースゴジラの誕生した原因も気が狂っているとしか思えない説明がなされており、少しは相手を上手く騙そうという気はないのかと問い詰めたいくらいだ。ついでにいえば地球へ来た理由やリトルゴジラを捕まえた理由もほぼ意味不明である。
 シナリオの粗は他にも非常に多いのだが、これ以上いちいち挙げるのは止めておこう。もう十分お腹いっぱいなのである。
 百歩譲ってそれなりに派手な戦闘シーン(ただしビームの撃ち合いばかりなのも辛いっちゃ辛い)を評価できないこともないけれど、それならそれで戦闘を全面に押し出し、リトルゴジラのパートは一切なくしてほしかったところだ。

 唯一、見どころとして挙げておきたいのは、人間ドラマの方。ゴジラ映画としては画期的だが、二組の男女の恋愛ドラマを加味しているのである。ただ、その演技やシナリオがあまりに時代がかっており、これはもしかしたらパロディか何かなのかと疑問に苛まれつつ観る羽目になったことも付け加えておきたい(笑)。


大河原孝夫『ゴジラvsメカゴジラ』

 なかなか落ち着かなくて週末限定更新も覚束なくなっているが、本日は久々に終日ぼーっと過ごす。ま、こういうときはだいたいDVD消化というのがお約束で、ブツが東宝特撮映画DVDコレクションというのもパターンである。

 さて、『ゴジラvsメカゴジラ』は1994年公開。監督は大河原孝夫、シリーズ通算二十作目、平成ゴジラシリーズとしては五作目にあたる。
 近年に頻発するゴジラ災害に対応すべく、国連はG対策センターおよび対ゴジラ部隊Gフォースを設置して、対策兵器の開発や研究に専心していた。そして開発されたのが、究極の対ゴジラ兵器メカゴジラである。かつて未来人によってもたらされたがゴジラと共に海底に沈んだメカキングギドラを引き揚げ、そのテクノロジーを解析、利用したのである。
 そんな頃、ベーリング海のアドノア島で翼竜と思しき卵の殻や、孵化していない卵が発見される。さっそく調査に向かった調査隊だが、そこへラドンとゴジラが現れ、調査隊は命からがら卵を入手して脱出する。やがて持ち帰った卵からゴジラザウルスが生まれ……というお話。

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 平成ゴジラシリーズの特徴のひとつとして、ストーリーがすべて繋がっていることが上げられる。世界観も時間軸も共有されているわけで、どうしてもあとの作品ほど過去の設定が加味されていくため、初見の人には理解しにくい個所が多くなるのが欠点である。
 特にシリーズを通してキーウーマンとなる超能力レディ三枝未希の存在や、G対策センターやGフォースといった組織については、ほぼ前提として話が進められるだけに厳しいところである。しかも本作ではメカキングギドラなんてものまで加わるので、なんのこっちゃという人もさぞや多かろう。それをプロローグ的にあたまで解説するわけだから、導入として盛り上がりに欠けること夥しい。

 そもそも平成シリーズは全般的に評価が低いわけだけれど、とにかくシナリオが全体的に弱いのが最大の原因だろう。本作では冒頭も弱いが、ベビーゴジラ(ゴジラの赤ちゃん、ただし実の息子とかではない)の設定も残念のひと言。
 ゴジラのベビーという存在を打ち出し、「命」をテーマにしたといえば聞こえはいいが、わざわざ巨大な怪獣を使ってそんなことを訴える必要もあるまい。間口を広げて新たなファンを開拓しようというのはわかるが、昭和シリーズでやった過ちを見事に繰り返すところが理解不能である。特にベビーゴジラに関しては、その数ヶ月前に角川映画が同様のテーマで『REX 恐竜物語』を公開しており、パクリ疑惑もあったほどだ。

 あと、ラドンが久々の登場だが、これが見事なまでのかませ犬。ゴジラとラドンの闘いはけっこう貴重なので、そういう意味では興味深いのだが、それもラストのラドンとゴジラの関係性で帳消し。あれだけドンパチやりながら最後に身を挺してゴジラを救うシーンなんて唖然とするのみ。しかも前作『ゴジラvsモスラ』でのモスラとバトラと同じパターンではないか。

 『ゴジラ』や『ゴジラvsビオランテ』あたりはまだ見れるが、平成シリーズ、だんだんきつくなるなぁ(泣)。


大河原孝夫『ゴジラvsモスラ』

 東宝特撮映画DVDコレクションから本日は『ゴジラvsモスラ』を観る。ゴジラシリーズ第十九作、監督は大河原孝夫、1992年の作品である。

 小笠原沖に巨大隕石が落下した。その影響で海底深くに眠っていたゴジラが目覚め、南洋では嵐が発生してインファント島から謎の物体が姿を現す。
 そんな頃、トレジャーハンターの藤戸はタイで遺跡泥棒が発覚し、逮捕されてしまう。だが冒険者としての知識と腕を買われた藤戸は、無罪と引き替えにインファント島の案内を依頼される。家環境計画局職員で元妻の手塚雅子、丸友観光社長秘書の安東らとインファント島に向かった藤戸が目にしたものは、コスモスと名乗る2人組の小美人、そしてモスラの卵であった。
 小美人はバトラの復活と地球の危機を警告、それが現実となった頃、一方ではゴジラも現れ……。

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 前作『ゴジラvsキングギドラ』では怪獣人気でもトップクラスのキングギドラを復活させたためか、かなりの興行収入を上げたという。そこで東宝は続く作品で、これまた人気の高いモスラを復活させることにした。
 当然ながら1964年の『モスラ対ゴジラ』は意識しており、環境破壊を強く押し出したストーリーにはなっている。ま、それはいいのだが、あろうことかここにインディ・ジョーンズばりのトレジャーハンターを登場させ、しかも家族愛をテーマに絡めているから、なんとも居心地の悪い作品になってしまった。
 なんというか、そういうドメスティックな興味や感動はこのシリーズには合わない。ファミリーを意識した時点で、本来、怪獣映画のもっているテーマや凄みが一切帳消しになってしまうからだ。決して小さな子供が、街を破壊している怪獣に「モスラさん」などと語りかけてはいけないのである。できれば子供は怪獣映画に登場させてほしくはないし、登場させるのであれば怪獣に遭遇した子供は泣き叫ぶ、そうでなくてはいけない。

 特撮部分は可もなく不可もなくという程度か。
 ただ、実写とCGの合成については非常にきついものがあった。海外ではその十年以上も前に『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』『エイリアン』『E.T.』『ブレードランナー』『遊星からの物体X』なんて映画ができているのになぁ。日本でも技術的には可能なはずなのに、こういうところに手を抜くというか一生懸命作らない体質がまたイヤなのだ。

 なお、怪獣の造型は好みもあるので一概にはいえないが、バトラは派手にするような要請があったということだが、全体的に色を使いすぎているせいか”軽さ”が気になった。
 空を飛ぶ怪獣なので軽いのは好都合じゃないか、という話ではなくて(笑)、存在感としての”軽さ”である。モスラのように飄々とした雰囲気があればまた話は別だが、破壊神としての存在だからなぁ。ゴジラの相手としてはやはり分が悪かろう。

 まあ、そんなこんなでシリーズ中でもなかなか厳しい一作である。モスラはそもそも扱いが難しい怪獣なのだが、ゴジラと絡めると一層それを強く感じた次第。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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