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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

庵野秀明、樋口真嗣『シン・ゴジラ』

 怪獣映画ファン、特撮ファンとしてこの夏に観ておきたい映画はいくつかあるが、個人的にはやはり『シン・ゴジラ』である。初日は無理だったが公開二日目の本日、立川シネマシティ2で鑑賞。
 ちなみに立川は『シン・ゴジラ』のストーリー内で臨時政府が置かれる場所。モノレールの車両基地とか昭和記念公園とか知っている場所がいくつも出てきて、ううむ、いつの間にそんなの撮影していたのか。
 まあ、それはともかくストーリーから。

 東京湾を走るアクアラインで原因不明の崩落事故が発生した。政府はただちに緊急会議を開き、海底火山等の自然災害という見方で決着しようとしたが、内閣官房副長官の矢口蘭堂だけは、海底に生息する巨大生物の可能性もあると提言。しかし非現実的な意見とばかりに周囲はこれを否定した。
 だが矢口の予想は的中した。巨大生物が海面から姿を現したのだ。
 巨大生物は古代の恐竜のようにも見えたが、エラをもち、四足歩行でそのまま東京大田区へ上陸する。その巨体は道路幅にとうてい収まらず、生物が移動するだけで市街地はたちまち破壊されてゆく。
 前例のない想定外の事態に慌てふためく政府。何を決定するにも会議や根回しが必要な今のシステムではすべてが後手に回り、現場で対応にあたる警察や消防、自治体は苛だちを隠せない。
 そんななか諸外国も事態の動向に注目していたが、なかでも米国のアプローチはなぜか積極的だった……。

 シン・ゴジラ

 総監督&脚本はエヴァでお馴染みの庵野秀明、監督&特技監督は『日本沈没』や実写版『進撃の巨人』等で知られる樋口真嗣という布陣。
 2014年に公開されたハリウッド版第二弾の『GODZILLA ゴジラ』がなかなかの出来だったことを思うと、ここは本家ならではの意地を見せてくれと願うファンは多かったはず。庵野監督にも相当のプレッシャーがあったと思われるが、いやあ、この出来なら一安心。十分満足である。なんだ、日本、やればできるではないか。

 何がいいといえば、やはり徹底したリアリティだろう。
 ゴジラは戦争や核や災害などのメタファーになっていることが多いけれども、本作ではゴジラを災害と見做し、それに対して現代の日本政府や自衛隊はどのように対処するのか、そもそも対応できるのかというところを描いている。つまり「有事における危機管理」。
 こういうアプローチは過去のゴジラ作品にもあり、決して初めてというわけではないのだが、庵野監督は変にSF的な要素を持ち込まず、あくまで現在の日本政府がこの未曾有の災害に直面したときどう対応するかを徹底的に描いていく。この軸がぶれないのがいい。

 加えて注目したいのは、主人公を権力側に置いていることだろう。
 得てしてこの手の映画というのは、主人公が現場側であり、保身や利益に走る権力側や体制側との対立を描くケースが多い。要は権力側というのはドラマを盛り上げるための悪役的役回りである。まあ、感情移入しやすいし、わかりやすい構図ではある。
 本作ではこの見慣れている構図、即ち現場側=善=主人公という構図を捨てて、主人公を内閣官房副長官とし、権力側の苦悩にスポットをあてているのが興味深い。
 まあ内閣や外国との板挟みにあう、いかにも中間管理職的な描き方もされているのだが、基本的には安保問題や核問題、東日本大震災などを想起させる様々な問題にどう対応していくかを浮き彫りにしている。現場の苦労もいいのだが、権力側でなければわからない苦悩をきちんと見せることもこういう映画では必要だろう。個人的にはここがけっこうツボでありました。

 気になったのは、あえてやっていると思われる棒読み的な早口のセリフ使いである。
 特に矢口がまとめる対ゴジラの緊急対策チームに所属する若手の政治家や学者や研究者などが、一様に専門用語を織り交ぜた長ゼリフを早口でまくしたてる。これがアメリカ映画だったら、感情に任せた怒鳴り声が交錯したのち、誰かが最後にきちんと説明的にまとめるところだが、これもある意味リアリティを感じさせる部分ではある。まあ、わかりにくいときも少なくないので、好みが分かれるところだろうけれど。

 演じる役者さんはまあまあ悪くない。主役の矢口役には長谷川博己、準主役のカヨコ・アン・パタースンには石原さとみ、内閣総理大臣補佐官に竹野内豊。他にもかなりの有名どころが端役で出演しており、これもゴジラ映画ならでは。ただ、石原さとみがこういう役を演じるには、若干若すぎるかな。長谷川博己は好演。
 異色なのは初日までシークレットだった、ゴジラのモーションキャプチャーを担当した野村萬斎だろう。今回のゴジラは巨大で非常にゆったりした動きであり、野村萬斎の能楽師としての動きに通じるところがあるかもしれないが、そこまで意味があるかどうかは疑問である。むしろ話題作りの方が大きいのかも。

 ゴジラそのものについては、過去作をリスペクトしつつ新設定も織り込んで悪くない。第一形態が少々残念な感じだったけれど、巨大化してからは佇まいだけでも鳥肌ものだし、カット割りや絵コンテも相当しっかり練られている印象で、エヴァでの見せ方もかなり取り込まれているのだろう(ここ詳しくないので予想だが)。
 ちなみに自衛隊は結局ゴジラに手も足も出ないのだけれど、ゴジラに向かってゆくヘリや戦車の見せ方は実にかっこよく、そういう表面的なところだけでなく、その存在意義について言及されるシーンもまたよし。

 取り止めがなくなってきたので、そろそろまとめ。
 本作は歴代ゴジラ映画でもトップクラスとみていいだろう。映像の進化はもとより、設定やストーリーもしっかりしており、巨大生物の存在以外は徹底したリアリティの追求で楽しめる。ここまで真面目に作ってくれた庵野秀明、樋口真嗣両監督に感謝したい。



北村龍平『ゴジラ FINAL WARS』

 夏休み明けの仕事がたまっている上に、仕事絡みの飲み会も立て続けに入って読書が停滞中。いま手をつけているのが少々大物なので何とか今週中に読めればいいのだが、たぶん無理(苦笑)。


 リーチがかかっていた「東宝特撮映画DVDコレクション」をさっさとあがっておこうと思い、『ゴジラ FINAL WARS』を観る。監督は北村龍平で2004年の公開。ミレニアムゴジラシリーズ六作目にしてゴジラシリーズ通算二十八作目、そして現時点でのゴジラシリーズ最終作である。

 基本的に個々が完全に独立した作品であるミレニアムゴジラシリーズだが、本作は舞台を近未来20XX年にもってきた。世界中の核実験や戦争により眠っていた怪獣が次々と目をさまし、これに対抗するため国連は地球防衛軍を結成したという設定。何となくゴジラというよりはウルトラマンシリーズ的だがまあそれは許容範囲。
 本作ではさらにプラスαとして「ミュータント」という要素をもってきた。他の人類より身体能力の優れた新人類、そして彼らによる特殊部隊「M機関」が怪獣たちと戦うというもの。ううむ、ここまでくると微妙(苦笑)。
 さて、そんな地球へやってきたのがX星人。彼らは暴れる怪獣たちをたちまち消し去り、地球と友好を結びたいという。当然ながらこれは嘘八百で、X星人は人類を家畜として用いるために地球征服を企てていたのだ。しかし、M機関や科学者たちの活躍でX星人の陰謀が明らかになる。
 さあ、怒るX星人。彼らはM機関のほとんどの隊員を洗脳し、さらには消した怪獣を一気に出現させる。地球は未曾有の危機を迎えたのである。残った者たちは最後の秘策として、かつて南極の氷塊に閉じ込めたゴジラを放ち、怪獣に対抗させようとする……。

 ゴジラ FINAL WARS

 この作品を観るのは二回目だが、ゴジラシリーズをひととおり観たうえで観なおせば、また違った感想が出てくるかとも思ったが、いや、これはやっぱりひどいや(笑)。
 ポイントはいくつかあるが、最後のゴジラ作品ということで、登場する怪獣や兵器、キャストに至るまで総登場という趣なのが何といっても一番か。ヘドラやエビラ、キングシーサーなどというレアどころの怪獣も登場するし、ジラ(ハリウッド版ゴジラ)まで出すんだものなぁ。役者さんも水野久美、佐原健二、宝田明など往年の東宝特撮を彩った方々がちゃんとした役で出演しているのも嬉しい。小ネタも怪獣ファン、ゴジラファンが思わず頬を緩ませるようなものも多い。
 じゃあ、何がダメなんだということになるのだが、つまりそれ以外が全部ダメ(笑)。往年のファンが喜びそうなネタを仕込んでいるのに、設定は逆にお子様向けだし、結局誰に向けて作っているのかが見えない始末。
 おまけに演技も相当な出来である。重鎮はノープロブレムなのだが、メインどころが酷い(なんせ格闘技の選手とか重要な役どころで使いすぎ。いや菊川怜なんてプロパーだけど酷いし)。
 まあ、これが過去作と比べて特別ひどいわけではないし、むしろ暇つぶしのためと割り切れば楽しめる部分もなくはないのだけれど、ラストでこれをやってくれるかという気持ちである。

 ともかく、ようやくこれで「東宝特撮映画DVDコレクション」をコンプリート視聴できた。
 定期購読を始めて、第一巻の『ゴジラ』が届いたのが2009年の10月。二年ほどで全五十五巻が発売されるはずだったが、おそろしいことに途中で六十五巻まで延長されることになり、結局すべてを見終えるまでに三年弱もかかってしまった。初期の未見マイナー作品はもちろんだが、こちらが年をくってからの作品はさすがに観ていないものが多くて、それらをまとめて消化できたのは嬉しいかぎり。
 ちなみに東宝ゴジラは休止状態だが、ハリウッド版は第二弾が控えており、ぼちぼち海外からニュースも伝わっている。まだまだ特撮熱は冷めそうにもないなぁ。


手塚昌明『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』

 東宝特撮映画DVDコレクションから『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』を観る。監督は前作『ゴジラ×メカゴジラ』に続き手塚昌明。ゴジラシリーズとしては二十七作目。長い間、東宝特撮映画DVDコレクションの感想を書いてきたが、ようやくこれがラス前。もちろんゴジラシリーズとしてもラス前である。

 ゴジラと機龍の戦いから一年、再びゴジラの危機が日本に迫っていた。千葉の九十九里浜では巨大生物の死体が打ち上げられ、ゴジラによる傷が致命傷だと推測されていた。また、グアム沖では米軍の原潜がゴジラに襲撃されるという事件が起こる。
 特生自衛隊の整備士、中條義人らは機龍の修理に追われる一年だったが、迫るゴジラの脅威に、最後の仕上げに入っていた。そんなとき休暇で叔父の中條信一博士のもとを訪れていた義人は、インファント島の小美人に遭遇する。かつてモスラが日本を襲撃した際に尽力した中條信一博士に対し、小美人は「死んだ生物に人間が手を加えてはならない。機龍を海に帰すべきだ。その代わりにモスラが命をかけてゴジラを食い止める」と言い残す。
 遂にゴジラが上陸した。その進路上には機龍が設置されている八王子駐屯地がある。機龍はゴジラを倒すための人類最後の武器のはずだが、同時にゴジラを呼ぶ危険な存在でもあるのか? 義人は苦悩する……。

 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

 うわあ、本作は前作『ゴジラ×メカゴジラ』の直接の続編になるのだが、前作はけっこうよいと思ったのに、なぜ急にここまで落ちるのか。
 一番、感じるのは、やはりモスラと小美人の存在なのだよな。彼女たちに罪はないのだが、基本的に彼女たちはファンタジー世界の住人なのだ。もう理屈は関係なく、何でもありの世界。大切なのは世界観そのものの魅力であり、調和である。一方、機龍の存在は(あくまで個人的な見解だが)ハードSFである。荒唐無稽に見えることをできるだけリアルな手法で描き、もっともらしく見せてくれることをこちらは期待している。
 その二つを融合させようとするから、虻蜂取らずになってしまう。いや、制作サイドは虻も蜂も捕ろうとは思っておらず、そもそもその両者が違うことを認識していないのかもしれない。まあ、今作では機龍も終盤に完全にファンタジー世界の住人になってしまうし確信犯なのかも。やれやれ。

 もうひとつ引っかかったのは人間ドラマの部分。前作は変に凝ることをせず、シンプルなテーマと演出が頑張っていたが、本作はこれもダメ。整備士を主人公とする設定はなかなか珍しく、出だしは悪くないかもと思ったが、いやあ、機械と心を通わせるのはメタファーとしてあってもよいけれど、リアルに実現してはいけないでしょ(上のファンタジー云々とも関係するところである)。パイロットたちとの確執もものすごく中途半端で、確執する理由もわかり合える理由も全然説得力がない。
 まあ、やりたいことはいやっというほどわかるのだが、それを演出するほどの力がないということか。

 ダメ出し、三つめ。1964年の『モスラ対ゴジラ』に対するオマージュが本編に満ちあふれているのはいいとして、そのバトルシーンをまるまるなぞっているのはいかがなものか。加えて、海中にゴジラもろとも、というのもメカギドラであったよなぁ。これらはリスペクトというよりも思考停止に近いのではないか。

 そんな感想をもったのも管理人だけではなかったのだろう。興行成績はなんとシリーズのワースト4位という成績だった。新しいファンも古いファンも離れるという結果を招き、挙げ句に次作がシリーズ最終作となることも決定したのだから、何とも罪作りな一作ではあった。


手塚昌明『ゴジラ×メカゴジラ』

 東宝特撮映画DVDコレクションもいよいよ佳境である。本日は2002年に公開された手塚昌明監督による『ゴジラ×メカゴジラ』を視聴。ゴジラシリーズとしては二十六作目、ミレニアムゴジラシリーズとしては四作目にあたる。

 1999年、台風と共に上陸した巨大生物。それは1954年に日本を襲ったゴジラと同種の生物と確認された。対特殊生物自衛隊=通称「特生自衛隊」はゴジラを迎撃するもまったく勝ち目はなく、その最中に家城茜隊員はメーサー殺獣光線車を仲間の車両に激突させ、結果的に命を奪ってしまう。やがてゴジラは去ったが、家城茜は責任を問われて資料課へ転属となる。
 一方、政府は館山沖から初代ゴジラの骨を引き上げることに成功、その骨格をもとに四年の月日をかけ、機龍=メカゴジラを完成させた。資料課へ転属しながらもトレーニングを欠かさなかった家城茜もまた、機龍のオペレーターとして現場に復帰する。そして機龍の発表があったそのとき、ゴジラが東京湾に姿を現した……。

 ゴジラ×メカゴジラ

 メカゴジラが登場するとシリーズ終焉が近いというジンクスがあるゴジラ映画。ミレニアムゴジラシリーズもその例外ではないが、メカゴジラ自体の人気は高い。結局はシリーズが続いて飽きられ始めたとき、てこ入れの意味でメカゴジラが投入されるという理屈なわけで、メカゴジラにとっては不本意な起用法ではなかろうか。

 まあ、それはさておき、本作ではゴジラの影が非常に薄い。逆にいうと人間側のドラマやメカゴジラの設定がけっこう充実していることの証しでもある。
 孤独な人生を送ってきた家城茜という女性隊員。その茜が仕事で失敗して心の傷を負い、そこから立ち直る姿が描かれるわけだが、チーム内での確執とか子供との触れあいとか定番ではあるけれども意外なくらいしっかりした展開で、それを釈由美子がこれまた予想以上にしっかり演じているのが好印象。
 メカゴジラにしても、事の起こりからじっくり開発の話なども含めて見せていくのはありそうでないパターン。ゴジラの骨からメカゴジラができるのか、という突っ込みはわかるが、いやこれぐらいなら許そうや。
 実はドラマだけではなく、特撮などもひとつひとつの演出がなかなかいい。合成もこの時期のシリーズの中では粗が見えにくいほうだし、怪獣同士のバトルも武器系だけでなく格闘をちゃんとやっているのも評価できる。

 実はひとつだけ大きな不満があって、それはゴジラのメタファーである核や戦争の部分が完璧なまでに触れられていないということ。
 上でも書いたが、本作はゴジラの影が薄い。メカゴジラと人間側のドラマばかりが全面に出てしまい、ゴジラにスポットがあたっていないのである。つまり本作におけるゴジラの存在はただの怪獣にすぎず、これはゴジラ映画として致命的欠陥ともいえる。ゴジラはやはり絶対的な恐怖の存在でなければならないのだと再認識した次第。
 ただ、エンターテインメントとしての出来は正直悪くないから困る。認めたくないけどしょうがないか、という気持ち(苦笑)。


金子修介『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』

 数年かけて観てきた東宝特撮映画DVDコレクションもいよいよ残り少なくなってきた。本日は『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』を視聴。通算二十五作目のゴジラ映画。公開は2001年、監督は平成ガメラ三部作をものにした、あの金子修介である。

 1954年のゴジラ日本襲撃から半世紀あまり。グアム島沖で消息を絶ったアメリカの原潜を救助するため、日本の防衛軍は特殊潜航艇「さつま」を現場に向かわせる。だが、そこで「さつま」の乗務員が見たものは、原潜の残骸と、背びれを青白く光らせて移動する巨大生物であった。
 巨大生物は果たしてゴジラなのか。防衛軍で協議が行われるなか、新潟県妙高山のトンネルでは暴走族が赤い怪獣に襲われ、鹿児島県池田湖では大学生たちが繭に包まれた遺体で発見されるという怪事件が続出していた。
 BS局のレポーター立花由里は、知り合いの学者から情報を集め、事件の場所が『護国聖獣伝記』に記されている三体の聖獣、婆羅護吽(バラゴン)、最珠羅(モスラ)、魏怒羅(ギドラ)が眠る場所であることに気づく。事実を求めて由里は伝記の著者、伊佐山教授に会うが、伊佐山は「ゴジラは太平洋戦争で死亡した人々の怨念の集合体である」と語る……。

 ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃

 タイトルだけ見ると昭和ゴジラのような感じだが、中身はまったく異なる。これは平成に入ってから撮られたゴジラ映画では最も異色な作品であり、出来そのものも平成以降ではトップクラスのゴジラ映画であると思う。やはり監督でここまで映画は変わるのか。
 そもそもミレニアム・シリーズは、昭和や平成の設定をリセットして、作品毎に新たな世界観を設けている。本作でも『ゴジラ』一作目の設定のみ生かし、その他の歴史はなかったことになっているが、とりわけ本作が奮っているのは、モスラやバラゴン、キングギドラを日本を護る聖獣として扱い、伝奇的に話を展開させていることだ。従来のインファント島やら宇宙怪獣やらという設定を忘れろというのは、古いファンにはいささか難しいところではあるのだが、その違和感を差し引いても、この物語世界は悪くない。
 独自の設定はゴジラにも及び、上のストーリーでも書いたように、ゴジラは「太平洋戦争で死亡した人々の怨念の集合体」という解釈。管理人的には、自然災害、戦争、核の恐怖など、もはや人智を越えた負の存在のメタファーであればある程度は納得できるところなので、これもまたよし。ただ、ゴジラの出自が核兵器であったことを考えると、今回の「太平洋戦争で死亡した人々」の中にアメリカ兵も混ぜるのは、さすがにいかがなものかという気はする。

 ストーリーラインだけではなく、映画の撮り方についても、怖い怪獣映画を意識しているのがよろしい。白目をむいたゴジラ、じわじわと盛り上げる恐怖やショッカー的演出も悪くない。特に前半は物語が伝奇風であり(天本英世の怪演もいい!)、ホラー映画的である。ゴジラ上陸以降も、宿や病院や学校での見せ方、なすすべなく死んでいく人々の描写など、印象的なシーンが多かった。

 ただ、人間サイドのドラマがいまいちで、非常にもったいない感じは残る。そもそもドラマ以前の問題として、演技が全般的にひどすぎないか?
 ぶっちゃけいうと怪獣映画に出演する役者のなかには、適当に演じているように思える人も少なくない。というか想像力がないんだろうね。子供が見るものだと思って、はなから過剰演技だったりメリハリが効き過ぎていたり。見ているこちらが恥ずかしくなることも多い。
 だが今回はそういう話ではなく、単に下手に思えるケースが多くて困った。役者さんの罪というより、これは明らかなミスキャストであろう。
 とはいえ今回ばかりはそういう部分に目をつぶり、トータルでは一応、成功作といっておきたい。

 東宝特撮映画DVDコレクションも残り三作。ミステリ好きな方々にはスルーされまくりの記事だとは思うが、もう少しおつきあいください(笑)。


手塚昌明『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

 『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』を観る。2000年公開。ゴジラ映画としては第二十四作目、第三期=ミレニアムシリーズとしては二番目の作品にあたる。
 監督の手塚昌明はこれが監督デビュー作。後に『ゴジラ×メカゴジラ』や『戦国自衛隊1549』なども監督することになる人だが、面白いのは、監督をやるようになってからも監督補佐としてリメイク版『犬神家の一族』にも参加しているのである。特撮畑が多いせいか、仕切り、特に大きな映画のやりくりに定評があるようで、その腕を買われてのことだったようだ。

 ゴジラ×メガギラスG消滅作戦

 それはともかく。
 本作はまず設定がふるっている。登場するゴジラは1954年に東京を襲撃したゴジラ、つまり第一作目の『ゴジラ』なのだが、そのゴジラは死んでおらず、その後もたびたび日本を襲っているという設定なのだ。しかも東京を襲撃されたことで、首都は大阪へ遷都されており、加えて原子力発電所を狙うゴジラに対し、日本は原子力発電所を永久放棄したことになっている。
 なんとまあ、今の世相を反映したかのような設定。
 ただ、残念ながら設定は面白くとも、それがストーリーの面白さに直結しているわけではない。結局、舞台はほとんどが東京だし、作中でゴジラが狙うのは核燃料ではないにせよ代替品のエネルギーである。普通に東京を首都にして、ゴジラが原発を狙う話でもまったく問題はないのである。このあたり、正直、作り手の意図がまったく見えない、というか意図がそもそもあったのかどうかも疑問だ。

 特撮部分は相変わらず物足りないが、新怪獣のメガギラス登場の展開は悪くない。
 ゴジラを始末するはずの装置が時空に亀裂を起こし、そこから古代の昆虫が侵入する。それはかつて『空の大怪獣ラドン』に登場したメガヌロンの成虫、メガニューロである。そのメガニューロの産んだ卵が渋谷に持ち込まれたことで、事態は悪化する。多くのメガヌロンが孵化し、それが成虫化してメガニューラ、さらにはクイーン化してメガギラスとなってゆく過程はそれなりに説得力もある。
 ちなみに造型は、昆虫型怪獣ということもあって可もなく不可もなく。そこそこのデザインにはなるのだが、昆虫のレベルを脱していないというか。

 致命的なのは、全体的に感じる絵空事っぽさである。軽さといってもよい。
 その原因のほとんどを占めているのが、防衛庁内の組織「特別ゴジラ対策本部」である。この組織の描写や各種ギミックがなんとも中途半端にSF的なデザインばかり。いってみれば非常にウルトラマンっぽいのだ。他の科学は普通の発達を遂げているだけに、この落差が妙な感じだ。せめて自衛隊も多めに出動させておいて、一部そういう兵器が出てくるのなら、もっと自然に見えるのだろうが。
 怪獣映画に関しては、できりだけリアルな嘘をついてほしいという管理人の考えなのだが、なかなかそう思っている方々は多くはないようで、本作もその例にもれない。
 そんなわけで本作もまた期待はずれ。設定や狙いは決して悪くないだけに、なんとも惜しい。


小林正樹『怪談』

 DVDで1964年公開の映画『怪談』を観る。小泉八雲の原作に材をとったオムニバス映画で、「黒髪」「雪女」「耳無し芳一の話」「茶碗の中」の四話を収録。監督は巨匠、小林正樹。キャストに三国連太郎、新珠三千代、仲代達矢、岸恵子、中村賀津雄、丹波哲郎、仲谷昇等々の布陣を擁した大作で、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を授賞し、アカデミー外国映画賞にもノミネートされた作品。なお、これも歴とした東宝特撮映画DVDコレクションの一本である。

「黒髪」
 貧乏に疲れ、妻を捨てて遠い任地へ向った武士がいた。彼はそこで裕福な家柄の妻を娶るが、その性格は我侭で冷酷であった。男は今更のように別れた妻を慕い、ついにある夜、荒溌するわが家に帰りつく。男は妻と再会し、今迄の自分をわび、一夜を共にした。だが、夜が明けたとき男を待っていたものは……。

「雪女」
母親と暮らす若い樵夫の巳之吉は、茂作老人と森へ薪をとりに入ったが、吹雪のため山小屋に閉じこめられる。その夜のこと、二人の前に雪女が現れ、老人は白い息を吹きかけられて殺されてしまう。しかし巳之吉は、今夜のことを誰にも話さないという条件で命を助けてもらうのであった。なんとか村へ帰った巳之吉は、その後、森で出会った美しい娘を妻に迎え、仕合せな日々を過していたが……。

「耳無し芳一の話」
 僧の芳一は琵琶の達人であった。そんな彼の元へ、さる高貴なお方の遣いと名乗る男が現れ、毎夜のように芳一は連れ出されて琵琶を弾じることになる。だが、不審に思った同輩が後をつけると、芳一が弾じていたのは平家一門の墓前であった。彼は平家の怨霊に憑かれていたのだ。住職は抱一の生命を案じ、抱一の身体中に経文を書き、怨霊が迎えに来ても声を出さないよう告げるのだが……。

「茶碗の中」
 中川佐渡守の家臣、関内は、茶店で出された茶碗の中に不気味な男の顔を目にする。茶碗を何度とりかえても顔は消えず、関内は結局それを飲みほして帰っていく。やがて屋敷に帰った関内を、見知らぬ侍が訪ねてきた。その男こそ、茶碗の底に映った不気味な顔の持ち主であった。問答のすえ、遂に関内は男を斬ったのだが……。

 怪談

 原作ではどれも数ページ(だったような)の短い話なのだが、それを各話だいたい50分程度をかけてゆったりと語るように見せる。
 とにかく映像のインパクトが強くて、一見すると何らかのメッセージや象徴性を持たせているようにも思えるのだが、たぶんそれほど意味はない(笑)。普通は美術や音楽がストーリーに貢献するが、この映画では逆にストーリーや演出が、美術と音楽に奉仕すると言ってもよいのではないだろうか。それぐらい存在感があるのだ。
 「怪談」だからといって特に怖くするでなく、文芸作品だからといって深い話にするでもなく、それぞれのストーリーが持つイメージを独特の美術と音楽で再現してみせる、アートのような映画といってもよいだろう。
 なかでも「雪女」は、一貫したブルーのイメージといい、アバンギャルドな背景といい、すさまじくシュール。岸恵子の妖艶な演技も相まって本作中のイチ押しである。

 トータル三時間という長丁場ゆえ、いわゆるエンターテインメント性だけを求めるとあては外れるけれど、気忙しい日常を忘れるにはいい映画といえる。全面的におすすめはしないが、個人的には納得の一本。


大河原孝夫『ゴジラ2000 ミレニアム』

 『ミレニアム2火と戯れる女』の下巻を進めなければいけないのに、ミレニアムつながりでついつい『ゴジラ2000 ミレニアム』を観てしまう。

 1995年に『ゴジラvsデストロイア』でシリーズを終えた平成ゴジラ。そこから四年という意外に短いスパンで復活したのが第三期ゴジラシリーズ、通称ミレニアム・シリーズである。『ゴジラ2000 ミレニアム』はその第一作目であり、『ゴジラvsデストロイア』でもメガホンを取った大河原孝夫が監督を務める。

 本作でのゴジラは完全なる災害という扱い。地震や台風と同じように、ゴジラの存在そのものを消すことは不可能であり、人類にできるのはその生態を研究することで、出現をいちはやく予知し、それによる被害をできるだけ抑えること。政府はもちろんだが、民間による「ゴジラ予知ネット(GPN)」というものも存在し、企業相手に情報を提供することで収入を確保している者たちもいる。このへん今のウェザー情報を提供するサービスを連想させて面白い。

 さて、本作の主人公はその「ゴジラ予知ネット」を主催する篠田雄二。彼は科学の暴走という可能性に畏怖し、大学の研究者を辞め、今では娘のイオらとともに「ゴジラ予知ネット」を運営していた。そんなある日、彼は雑誌『オーパーツ』の記者である一ノ瀬由紀とともに根室でゴジラと遭遇する。発電所を襲うゴジラを目の当たりにし、篠田はゴジラが人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのではないかと感じる。
 同じ頃、日本海溝で強力な磁波を帯びた巨大な岩石が発見された。危機管理情報局(CCI)の宮坂四郎、局長の片桐光男らの主導で岩石が引き上げられたが、その岩石は太陽光を受けると自力で浮上し、飛び去ってしまう。
 一方、根室を襲ったゴジラは茨城県沖に出現、東海村の原子力発電所を狙う危険性が高まる。片桐は自衛隊とともにゴジラを待ち伏せ、防衛作戦を展開するが、その最中に表れたのが、飛び去ったはずの岩石だった。岩石はビームによりゴジラを攻撃、ゴジラもまた熱線で対抗するが……。

 ゴジラ2000ミレニアム

 ネットで評判を見ると、けっこうぼろくそ書かれているのだが、まあそれも仕方ないか(苦笑)。
 個人的には平成ゴジラシリーズよりはいいと思うし、昭和ゴジラの越えられない部分を異なるアプローチでクリアしようとする試みは嫌いではない。特にゴジラと自衛隊の戦闘シーンの見せ方などは、他の特撮作品や海外の作品で研究した感じは伝わってくる(パクリともいうが)。また、上でも書いたが、民間による「ゴジラ予知ネット」という設定は現代的で面白い。ただ、それを親子でやっているという設定が急に現実離れしてしらけるのがもったいないけれど。
 残念ながらその他の欠点は快挙にいとまがない。相変わらずCGのしょぼさ(特に飛行シーン全般、今回は船団が集まるシーンもいまいち)、ストーリーにおける強引さや意味不明さ、宇宙人ミレニアンの造型の貧弱さ、ドラマの中途半端さなどなど。とりわけ終盤のミレニアンの件は、これで本当に観客に意味が伝わると思ったのだろうか。
 いつも不思議に思うのだが、観客の不満に思う点が、なぜ作り手にこうも伝わらないのだろう。温度差といって片付けるには、あまりにも大きな問題のような気がするのだが。


原口智生『ミカドロイド』

 ROM138号が届いたので、ぱらぱらと目を通す。小林晋氏の「『死の扉』前後のこと」とか森英俊氏の「Book Sleuth」とか真田啓介氏の「江戸川乱歩の「探偵小説の定義」をめぐって」とか、相変わらず濃い話や興味深い考察が目白押しで圧倒される。S・A・ドゥーセの短編掲載も嬉しいですのぅ。

 東宝特撮映画DVDコレクションから『ミカドロイド』を観る。映画ではなく、もとは「東宝シネパック」というブランドで発売されたビデオである。1991年の作品で監督は原口智生。名前程度は知っていたが、これが初見。長年気にはなっていたのだが、期待半分地雷半分という雰囲気だったので、こういう機会でもなければおそらく観なかったはずの一本である。こういう機会がどういう機会なのかは自分でもよくわからんが(笑)。

 ミカドロイド

 太平洋戦争末期のこと。旧日本軍は本土決戦に向け、「百二十四式特殊装甲兵ジンラ號」という秘密兵器を開発していた。それは不死身の肉体をもつ人造人間を造り、さらにそれを特殊装甲と各種武装で包んだ、いわば人間戦車とでもいうべき究極の殺人兵器だった。だが敗戦濃厚な日本は計画を中止、兵器は開発者や研究所もろとも処分される。
 ときは流れて1990年代。かつての研究所の真上に建設されたディスコの地下で漏電事故が発生する。そして、それが深い眠りについていたジンラ號に再び生を与えた。そんな頃、ジンラ號の目覚めに気づいた者たちがいた……。

 設定は以上のとおり、なかなか凝った設定だが、実際の物語はほとんどが追いつ追われつのサスペンス。見せ方もホラー仕立てで極めてシンプルな造りである。物語の舞台もほとんどがビルの地下にある駐車場と研究所だし、登場人物もその中に偶然に閉じ込められた二人の若者、ジンラ號、そしてジンラ號を倒そうとする二人の男という具合。
 そういった諸々の基本設計は嫌いではない。戦争の亡霊というジンラ號の意義、バブル末期という世相を反映した登場人物のバックボーンも悪くはない。個人的にはジンラ號のデザインも旧日本軍の兵器という味は十分出せていると思う。

 ただ、それでもオススメというには厳しい映画である。今あげた長所を帳消しにする短所がいろいろとあるわけで、最たるものは演出のまずさか。
 ホラー映画的盛り上げを重ねる割にはぬるい殺戮シーン、なぜかアップでしか描写してくれないメイン武器「100式短機関銃」、ラストのカギ爪の設定など、気になる点は数多い。プロローグがけっこう頑張っているだけに、本編に入ってからがいやはやなんとも。
 また、戦争兵器としての改造された男たちの悲哀、それぞれの友情のドラマが、いまひとつ伝わりにくいのも惜しい。要は説明不足なだけなのだが、クライマックスにも通ずるところだし、最も重要な部分なだけに実に残念。

 ビデオゆえ予算の問題などもあったのだろうが、素材がけっこう面白いだけにもったいないという印象ばかりが残る。それこそ映画にでもリメイクして、今の特撮技術で撮ればかなり良くなる気もするのだが。ううむ。


古澤憲吾『大冒険』

 ラーソンの続きは置いといて、この週末に観たDVDの感想をば。ものは東宝特撮映画DVDコレクションの最終巻にあたる『大冒険』。
 まずは先入観抜きで、下のストーリーを読んでもらいたい。

 世界の主要都市で次々と発生する偽札事件。このままでは経済的な大混乱は必至。国際的組織の暗躍が囁かれるなか、警視庁は極秘裏に捜査を開始した。
 ところかわって都内の安アパート。元体操選手という華々しい経歴をもちつつも、今ではしがない雑誌記者の植松という男がいた。彼は隣のアパートに住むアマチュア発明家とともに、複写機の特許で一稼ぎする計画を練っていた。ところがそのテスト中に偽札を発見し、植松はそれを記事にしてたちまちトップ賞を手に入れる。
 だが、そんな植松を警察は偽札犯と断定し、植松の逮捕に向かう。一方、偽札組織も植松が重大な秘密を知っているとばかり、その命を狙いだす。果たしてこの三つ巴のチェイスの行方は……?

 大冒険

 古澤憲吾監督による1965年公開のこの『大冒険』。上のストーリーではまるでサスペンスものであり、確かに特撮もふんだんに使われてはいるのだが、実はこのシリーズに入れていいのかどうか微妙なところではある。
 なんせ本作はクレージーキャッツ結成10周年記念映画。主役に植木等を据えたコメディ作品だからだ。

 とはいえ中身の方が、当時人気のあった007をパロったスパイコメディとあれば、特撮の必然性もそれなりにあるのかもしれない(笑)。植木等らクレイジーキャッツの面々が体を張ってアクションに挑むというのも、それはそれで魅力的。しかも、お笑い要素をとりのぞくと、意外にちゃんとした巻き込まれ型スリラーになっているのはさすがである。かてて加えて、実は●●ものだなんてオチまでつき、これはなかなかツボを突いているんじゃなかろうか。

 ところどころ間の繋ぎが悪くて、テンポを削ぐところがあるのは残念だが、「え?」というようなアクションシーンも多くて、意外にスケールの大きい作品である。今でもひまつぶしには十分耐えられる面白さで、特撮云々はこのさい忘れて観るのが吉かと。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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