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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

藤雪夫『藤雪夫探偵小説選 II』(論創ミステリ叢書)

 『獅子座』で知られる著者が、1950年代に単独で書いた作品をまとめた作品集の第二巻、『藤雪夫探偵小説選 II』を読む。まずは収録作。

「青蛾」
「黒い月」
「C‐641」
「遠い春」
「暗い冬」
「紅い宝石」
「星の燃える海」
「ロケットC‐64」
「虹の日の殺人」
「七千九百八十年」
「ジュピター殺人事件 発端篇」

 藤雪夫探偵小説選II

 真摯に本格ミステリを追求し、かつ小説としても読み応えのあるものをと苦心していた著者。本書収録の作品も傾向としては大きく変わることなく、謎解きの物語でありながら、その中で人間をできるかぎりきちんと描こうとしている姿勢がよい。すべてが成功しているわけではないが、クロフツを参考にしているという方向性や作風も好ましく、個人的にはシリーズ探偵の菊地警部が意外なほど多く登場しているのも嬉しいところである。
 「遠い春」、暗い冬」、「紅い宝石」、「虹の日の殺人」あたりがその類の作品で、ちょっと場違いなトリックが入っていたり、ネタのめ込み過ぎが相変わらず気になるものの、真面目な作風が本当に心地よいのである。
 「星の燃える海」は長篇『獅子座』の原型となった中篇。これはさすがに力作で、個人的には整頓された『獅子座』のほうが好みではあるけれど、「星の燃える海」の熱量は半端ではなく、こうして読める形になったのが実にありがたい。

 「青蛾」と「黒い月」は著者には珍しい軽いサスペンスもの。そこまでのネタではないが悲哀を感じさせるラストはやはり著者ならではだ。特に売れないミステリ作家を描いた後者は切ない。

 ちょっと驚いたのはSFが収録されていることだ。「C‐641」、「ロケットC‐64」、「七千九百八十年」の三編だが、推理小説に比べるとさすがにこちらの出来は苦しい。テーマはどれも人類滅亡ばかりで、落としどころも雑。どういう経緯でSFを書いたのかは不明だが、科学的知識などの細部はともかく、SF的な知識やセンスが身についていないまま書いたような感じなので、もしかすると編集者に請われるままに無理やり捻り出したのかもしれない。
 なかでも「C‐641」は列車消失から始まるので、ホワイトチャーチの「ギルバート・マレル卿の絵」みたいな話かと思ったが、まさかの重力操作による犯罪。もうストーリーもネタも無茶苦茶で、著者の作品のなかでも飛び切りの怪作といっていいだろう。

 「ジュピター殺人事件 発端篇」は合作の担当分のみ収録したものだが、全体の構想を自分なりにまとめたエッセイも載っているのがナイス編集であある。


藤雪夫『藤雪夫探偵小説選 I』(論創ミステリ叢書)

 『藤雪夫探偵小説選 I』を読む。藤桂子との親娘コンビによる『獅子座』『黒水仙』で知られる著者だが、これは単独で書いた作品をまとめたもの。
 そもそも藤雪夫は1950年代に活躍した作家だ。1950年に雑誌『宝石』のコンクールで二等に入った「渦潮」でデビューする。本格を志向していたこともあり、鮎川哲也らと鎬を削ったようだが、コンテストでトップを取れなかったり版元と揉めたりなどもあってか、当時はなかなか単行本デビューが叶わなかった。そうこうしているうちに1959年には電気技師として就職。その後はそちらが多忙を極め、およそ二十五年近く創作から離れていた。ようやく現役を退いて創作を再開し、1984年に親娘コンビによる『獅子座』を発表したものの、次作『黒水仙』の執筆途中で逝去。その後、2015年になって、ついに論創ミステリ叢書から全二巻の単独著書がまとめられた。

 藤雪夫探偵小説選I

「渦潮」
「指紋」
「辰砂」
「黒水仙」
「夕焼けと白いカクテル」
「アリバイ」

 収録作は以上。
 注目すべきはやはり著者のデビュー作であり、長篇『黒水仙』の原型となった作品「渦潮」だろう。もちろん設定やストーリーなど共通する部分は多く、銀行強盗殺人という発端も同様。ただし長篇『黒水仙』では後半にまったく新しい展開が発生して、むしろそちらに比重が置かれている。
 そもそも長さが違うので、要素自体が増えるのは当たり前なんだけれど、実はテイストもけっこう異なるのが面白い。「渦潮」は徹底した本格志向でアリバイトリックがメインの作品。対して長篇『黒水仙』では、プラスされた後半の真相に異常心理といった要素が加えられ、このインパクトがとにかく強かった。
 個人的には長篇に軍配を上げたいのだが、これは決して好みの問題というだけではない。というのも「渦潮」はやはりデビュー作ということもあって、とにかく余裕がないのである。改行もなく情報を詰め込んでいくし、描写も思った以上に濃い目。ラストの一章などは著者としては気合十分なのだが、当時もいろいろ批評されたようで、とにかく構成も文章もキツキツ&やりすぎの感じは否めない。
 とはいえ、この応募作こそが藤雪夫が最初に求めていた方向性であることは確かだし、トリックも含めて決してつまらない作品ではない。

 ややこしいので、もう一つの中篇「黒水仙」を次に紹介しよう。これは「渦潮」を原型とする長篇『黒水仙』とはまったくの別物。中篇「黒水仙」と共通するイメージが長篇『黒水仙』にあったのかもしれないが、さすがにこれは混乱するだけなので、長篇を同じ題にするのはやめてほしかったところだ
 それはともかくとして、内容的には藤雪夫版『幻の女』というイメージで興味深い。ただ構成や発端が酷似しているため、発表当時はいろいろ酷評されたらしい。しかしながら犯人の設定は異なるし、本家を凌ぐような面白さもあり、個人的には決して嫌いではない。ただ、かなり粗が多いことも事実で、きちんと欠点を潰していけば、かなり面白い作品になったのではないか。「渦潮」もそうだが基本的に詰め込みすぎるクセがあり、そのくせチェックが甘いんだよなぁ。何とももったいない一作。

 その他の短篇はやや低調。「指紋」、「辰砂」、「夕焼けと白いカクテル」の三短篇はそれぞれキモになるトリックや仕掛けが弱く、肝心なところで粗さが目立つ。完成度に関する線引きがやや甘い、そんな印象を受けてしまった。窯焼きなどの題材は面白いし、雰囲気は悪くないのだけれど。
 そんな中で「アリバイ」は(これもツッコミどころはあるけれど)ラストの見せ場も面白いし、なかなかの力作。

 ということで長所短所取り混ぜて、いろいろと楽しめる一冊だった。
 1950年後半には清張や仁木悦子、鮎川哲也、土屋隆夫といった面々が独自の世界を広げていった時期でもあり、著者が就職せずにミステリを描き続けていたら果たしてどのように成長し、どんな作品を残していったのか、少々気になるところではある。
 さて、なるべくなら間をおかず、『藤雪夫探偵小説選 II』にかかりたいものだ。


藤桂子『逆回りの時計』(創元推理文庫)

 藤桂子の『逆回りの時計』を読む。『獅子座』『黒水仙』『疑惑の墓標』と続いた、菊地警部シリーズの掉尾を飾る作品である。

 高城あずさは、脳梗塞で倒れた母から呼び出され、家の権利書と実印をある男に渡してくれと頼まれる。莫大な資産だというのに、その理由も明かさぬ母。あずさは不安を覚え、独力で調査に乗り出す。
 一方、この数ヶ月の間に、武蔵野では女性の刺殺事件、ホテルのサウナでもガスによる女性殺害殺人が発生していた。警察が捜査を進める中、菊地警部の捜査線上にあずさとの接点が生まれ、過去に起こったある事件が浮かび上がる……。

 逆回りの時計

 藤桂子作品の特徴をいくつか挙げてみると、まずは地道な捜査による警察小説という側面がある。加えて素人探偵の活躍を盛り込み、警察の捜査と交差させながら描くところもお馴染みだ。これはクロフツに倣ったと著者本人が書いているとおり。
 さらには叙情性の高さも要注目。娯楽作品でありながら、藤桂子の作品は決して明るいものではない。事件を通して人の心に眠っている狂気や闇を炙り出すことに主眼を置き、それによって運命を狂わされる人々を描く。

 その持ち味を、藤桂子は本作でも遺憾なく発揮している。警察のパートと高城あずさのパートが交互に語られ、捜査が進むにつれて自然に物語が融合し、そのままクライマックスへとなだれ込む。警察側の抱えている事件が菊地警部の捜査するものだけではなく、複数あるというのもポイント高し。
 それら複数の事件と高城あずさの調査、すべてを繋ぐものは何かという興味の引っ張り方もいいし、構成も今までの中では一番まとまっているのではないか。
 もちろん「事件を繋ぐもの」の真相には今回も驚かされた。しかも毎度のようにえぐい(苦笑)。こういう動機というか、事件の背景に隠された秘密で、ここまで驚かされる作品はあまりないだけに、管理人などはこれを読みたくて読んでいると言っても過言ではない(まあ、決して楽しい話ではないけれどw)。
 ただ、残念なことに、トリックに関していまひとつなのも相変わらずである。ここまで動機や叙情性で読ませるのだから、無理にそういう方向に走らなくともいいと思うのだが、やはり推理作家として性なのか。変に作りすぎたトリックが物語全体から浮いてしまっているのは惜しいかぎりだ。

 と、ここまで感想をグダグダ書いてはきたが、実は一番感じ入ったのは、この菊地警部シリーズが非常に推理小説らしい推理小説であったということだ。「ミステリ」でも「探偵小説」でもなく、あくまで「推理小説」。
 まあ、管理人もそれほど呼称に気を遣っているわけではない。基本は単純に年代的な区分である。戦前のものはやはり「探偵小説」というクラシックな響きが好ましいし、戦後に「偵」の字が当用漢字外になると「推理小説」、「推理」にこだわらない、より幅広いジャンルを包括するようになった最近のものは「ミステリ」、という具合である。
 ただ、その時代に流行った作品は、当然ながらその時代の呼称がよく似合う。個人的に「推理小説」が似合うと思うのは昭和の香り漂うものだ。例えば社会派や、あるいは動機を重視したドラマ性の強いもののイメージ。
 菊地警部四部作は、そんな「推理小説」のイメージを良い意味で感じさせるシリーズだった。いくつかの瑕もあるにはあるが、ひとつの時代を代表する作品として、藤雪夫と藤桂子の名は残していかなければならない。


藤桂子『疑惑の墓標』(創元推理文庫)

 秘かなマイブームになっている藤雪夫&藤桂子から一冊読了。『獅子座』『黒水仙』に続く、菊地刑事が登場するシリーズ三作目『疑惑の墓標』である。ただし、本作からは藤桂子の単独作品となる。

 高見沢建設の社長夫人、妙子が失踪後、トランク詰めの遺体となって発見された。容疑者は愛人のカメラマン浅倉。逮捕は、マンション管理人の田辺が浅倉の不審な行動を警察に知らせたことがきっかけだったが、浅倉の人柄を知る田辺は浅倉に対して申し訳ない気持ちから、自ら真犯人の調査に乗り出す。
 一方、ある温泉地で不審な死を遂げた塾講師の坂口。新妻の陽子は夫を殺害した犯人を見つけ出すべく、彼女もまた自力で調査を開始していた。
 やがて二人のたぐるそれぞれの線は一本になり、そこには思いもかけない真実が浮かび上がるが……。

 疑惑の墓標

 作者曰く、クロフツの『製材所の秘密』を意識して書いたという作品。事件の内容というわけではなく、前半をアマチュア探偵のパート、後半をプロフェッショナル探偵つまり警察捜査のパートに大きく分けた二部構成という点がポイントである。とはいえ、本当に類似点はそれぐらいなので、あまりクロフツ云々は意識する必要もないだろう。
 厳密にいうと、アマチュア探偵は二人、主要な刑事も二人登場する。ただし、それ以外にもカギになる登場人物は多くて、しかもシーンに応じてそれぞれの視点で描かれるから、どうしても散漫な印象を受ける。群像劇っぽくは見えるけれど、本作の場合は盛り込みすぎて構成上のポイントを絞りきれなかったという方が正解だろう。
 しかしながらプロット自体は考えられていて、アマチュア探偵たちの捜査で、ある仮説が立てられる前半のクライマックスはなかなか読ませる。このまま後半も主人公を変えず、せめて警察の捜査と同時進行ぐらいにしたほうがむしろ良かったのではないか。いい感じの緊張感が後半に入ってぷつっと切れるのが実にもったいない。

 なお、ラストで明かされる真相は例によって強烈。前の二作同様、人間のドラマをしっかりと盛り込みたいという著者の気持ちは十分伝わってくる。単なるひまつぶしと思って本書を読んだ人は、ちょっとイヤーな感じになることは必至なのでお気をつけて。


藤雪夫、藤桂子『黒水仙』(創元推理文庫)

 もう春なのかと思っていたら、いきなり霙や雪の波状攻撃。明日の朝が心配だ。


 本日の読了本は藤雪夫と藤桂子の親娘コンビによる第二作『黒水仙』。先日読んだ『獅子座』が思いのほか良かったので、早々にとりかかった次第。なお、本作執筆中に藤雪夫は亡くなり、娘の桂子が残りを独力で完成させたものだという。こんな話。

 宮城県のとある銀行で行員が射殺されているのが発見された。しかも一緒にいたはずの支店長の姿はなく、その日預けられていた一億円も消えているではないか。奇妙なことに、殺された行員の口には黒い水仙の刺繍が入ったハンカチが押し込まれていた。やがて支店長は崖下に転落した車の中から発見されるが、支店長もまた被害者であることがわかり……。

 黒水仙

 おおお、これもいいぞ。相変わらず辛気くさい内容ではあるけれど、読後の印象だけでいうと『獅子座』に優るとも劣らない。むしろ本作の方が上かも。
 注目すべきはやはり人間ドラマの部分。『獅子座』と同様に、事件の背景にある真実、そしてそのために起こる悲劇には、実に引き込まれるものがある。本作では重要な登場人物に複数の親子が設定されているが、事件を語りつつその関係を対比させる手際はなかなか悪くない。
 そして何より本作を忘れられなくしているのは、ある一人の特異な人物を生み出したこと。この人物があればこそ本作は光るわけで、この時代にこういうアイディアを導入した点は注目しておいてよいと思う。
 なお、これらのドラマを生み出しているのは、執筆担当の藤桂子の力によるところらしい(藤雪夫はトリックやプロットの考案らしい)。ところが父、雪夫の教えでこういう物語る部分を疎かにしなかったという話があとがきで触れられており、なんだかいい話ではある。

 ただ、ここまで褒めておいてなんだが、本作は一般的な意味でいう傑作とまではいかない。すぐれた点はあるのだが、欠点もまた『獅子座』と同様に抱えているからである。
 それはとにもかくにもバランスの悪さ。ゲーム的なトリックの部分とドラマの部分が乖離しすぎて、非常にちぐはぐなのである。
 例えば前作の暗号にあたるのは、本作では密室。普通はここまでやらんだろうというような、複雑かつ面白みのない物理的トリックで、種明かしされても全然感心できない。とはいえ本作がそういうゲームに徹した本格というのであればまだしも、上述のように人間ドラマにも力が入っているだけに始末が悪い。このあたりの粗をできるだけ削り落としていれば、本当の傑作になったのではないだろうか。

 しかしながら、最初は藤雪夫&藤桂子名義のものだけ読もうと思っていたのだが、こうなると藤桂子の単独名義の方もちょっと読みたくなってきた。昼休みにでも少し探してみるか。


藤雪夫、藤桂子『獅子座』(創元推理文庫)

 会社でミステリの話はなかなかできないのだが、幸か不幸か東宝特撮DVDの話は、けっこう食いつきがいい(苦笑)。本日も朝イチで「sugataさん『サンダ対ガイラ』出ましたよね。あれ海外版ですか、日本版ですか?」と、のっけからディープなことを聞きにくるやつがいる。昼休みならいざ知らず、朝イチはメールチェックやら何やらそれなりに忙しいというのに、お前は何を考えておるのだと思いつつ、「いや、そこのところなのだが……」と思わず話に乗ってしまう自分が情けない。



 本日の読了本は藤雪夫、藤桂子による『獅子座』。元々は藤雪夫の単独作で、あの鮎川哲也の『黒いトランク』と、講談社の「書下し長篇探偵小説全集」第十三巻の座をコンテストで争った作品でもある。ただコンテストでは惜しくも二位。その後本作は長きに渡って封印されていたわけだが、約三十年後、実の娘さんである藤桂子との合作という形で、講談社より出版されたという曰く付きの一冊だ。この辺の事情は解説に詳しいので、興味ある方はぜひそちらで。

 物語はこんな感じ。埼玉県で、あるサラ金会社の支店長が殺されるという事件が起こる。警視庁の菊地警部は地元警察署と協力して捜査を進めるが、今度は、事件を通して知り合った青年が死体となって発見される。一見、支店長殺人事件は青年の犯行であり、覚悟の自殺と思われた。だが菊地は青年の無実を晴らすべく、被害者の残した暗号解読に挑戦する。そしてその謎を解いたとき、思いもよらない過去の犯罪が浮かび上がる……。

 獅子座

 結論からいうと予想していたよりは全然いい。謎としては、前半の暗号解読、後半のアリバイ崩しが柱となってはいるのだが、正直それほど魅力あるものではなく、本格として見た場合にはいろいろと弱点も見られる。とりわけ前半は、暗号云々という以前に、物語にメリハリがなく、まったく興味が持続しない。適度にシリアス適度にユーモラスという具合で、バランスがいいといえば聞こえは良いが、淡々と事務的にお話を読まされている気がするのである。
 これは一杯食わされたかと思っていると、中盤、暗号の謎が解かれて過去の事件が浮かび上がると様相は一変。重要なキャラクターが登場する辺りから、ぐいぐいと力強さを増してくる。ミステリ的にはアリバイ崩しが縦軸となるのだが、この捜査の過程に人間模様が上手くマッチングし、物語にぐっと深みを与えている。そして事件の謎がすべて明らかになったとき、登場人物たちの抱える業もまた白日の下にさらされる。決して快い結末ではないが、このほろ苦い余韻は味わっておいて損はない。

 ただ、惜しいのはやはり前半。また、変にトリックなどに凝らず、もう少し現実味のあるものに落としてもかまわないから、ドラマ性を活かしてハードボイルド的に書かれていれば、これはかなりの作品になっていたのではないか。タイプこそ違えど、本作はコナリーのボッシュ・シリーズやクックの諸作品にも通じるものがあると感じた次第だ。ちょっと褒めすぎかな(笑)。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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