あれから一ヶ月。そろそろ全力で気分を変え、遅れ気味の仕事に集中したいところだが、逆に大きな余震が増えつつある罠。さすがにこれだけ地震を集中して体験するのは初めてのことで、いいかげん心身共に耐えられない人も出てくるんではなかろうか。東京の震度と回数でも相当めげるのだから、被災地の方々はもちろんこんなもんじゃ済まないだろう。とにかく大問題が山積なのだから、せめて余震だけでも治まり、ゆっくり休める夜がきてほしいものだが……。
怪奇小説は嫌いじゃないが、普段はそれほど読むジャンルではない。英国の怪奇幻想小説界を代表する大御所、アーサー・マッケンすら決してご贔屓というわけではなく、過去に読んだのはおそらく創元推理文庫の『怪奇小説傑作集〈1〉』に収録されている「パンの大神」くらいだ。それでも一度はひととおり読んでみたい作家ではあるし新訳なら尚更、というわけで手に取ったのが光文社古典新訳文庫で刊行されたアーサー・マッケンの『白魔』である。
収録作は以下のとおり。
「白魔」
「生活のかけら」
『翡翠の飾り』より
「薔薇園」
「妖術」
「儀式」

怪奇幻想小説は当たり前だがやはり怖くあってほしい。怖さの対象・性質はどのような種類のものでもかまわないが、頭では理解できない、本能に直接訴えかけてくる怖さが重要である。ただ、マッケンのような、いかにも英国っぽい古典を読むと、ああ、こういうタイプの怪奇幻想小説もあるのだと今さらながらに感心する。
そこに描かれるのは不可思議な「何か」であるのは間違いないのだが、決してストレートに怖さを表現しているわけではない。しみじみと、そして淡々と、日常が語られるなかで浮かび上がってくる静かな違和感である。その違和感がこちらの精神状態をじわじわと揺さぶってくる。
例えば表題作の「白魔」は、少女があやかしの世界へ足を踏み入れる過程を描いた物語。魔に魅了されていく少女という、その題材だけですこぶる魅力的だが、加えていくらでも深読みできるアンバランスな物語は、怖さというより美しさすら感じさせる。
そして「生活のかけら」は「白魔」以上にアンバランス。若い夫婦の日常を淡々と描いていく物語であり、一見するとアンバランスの欠片も感じられないのだが、その退屈な日常が静かに変容していく様は実にスリリング。正直言うと、もう少し突っこんでくれた方が個人的には好みだが、でも寸止めのようなこの感じが、堪らない人には堪らないのだろうなと思う次第。