日本では八年ぶりの新刊となるポール・アルテの『あやかしの裏通り』を読む。
刊行時はネット上でちょっとした騒ぎになったのも記憶に新しい。単に久しぶりの邦訳ということだけではなく、版元がこれまでの早川書房から、なんと福岡で設立して間もない行舟文化という小さな出版社に変わっていたからだ。しかも経営者は中国出身、夫婦共同の張舟というペンネームで創作や翻訳をされている方のようで、それもまた異色。行舟文化というちょっと変わった社名もなるほどという感じである(今後は中国ミステリも紹介する予定らしい)。
話題のタネはそれだけではない。予約購入をした人にはアルテの短編「斧」収録の小冊子、行舟文化ホームページもしくはヤフーショッピングで購入した人にはアルテが物語の場面を描いた、四枚のオリジナルイラストポストカード付きというから驚いた(ちなみにアルテは本書のカバーイラストも手掛けている)。
おまけに予約販売の人には、抽選でアルテのサイン本が送られるガチャ要素まであったり、まあ何とも意気込みがすごいというか商売上手というか(笑)。
得てしてこういう大盤振る舞いは逆に嫌みだったりすることもあるものだが、twitterでの書き込みを拝見したり、翻訳者にポケミス時代から担当する平岡敦氏を起用したり、さらには解説に芦辺拓氏を起用しているところなど、全般的に読者の目線に立った誠実な印象があり、そういうところも好意的に受け取られたのではないか。

さて、前置きが長くなったけれどもまずはストーリー。
美術評論家にして探偵としても有名なオーウェン・バーンズ。ある夜のこと、彼は友人アキレスと自宅で寛いでたが、外では何やら騒がしい様子。どうやらかつてオーウェンが逮捕に協力した極悪犯ラドクリフが逃走中のようなのだ。そこへ飛び込んできた一人の男。それはラドクリフに似てはいたが、旧友の外交官ラルフの姿だった。
そしてラルフが語ったのは、何とも奇妙な話だった。自分はクラーケン・ストリートという裏通りで奇妙な殺人を目撃したのだが、いったん通りを出て戻ってみると、クラーケン・ストリートが消え失せていたのだという……。
本作はポケミスでおなじみのツイスト博士シリーズではなく、アルテが生み出したもう一人の名探偵、オーウェン・バーンズのシリーズである。このシリーズの特徴はまず本格ミステリであること、そして舞台を現代ではなく、二十世紀初頭のロンドンに置いていることだ。要はホームズの時代、クラシックミステリを徹底的に意識した作りになっているのである。
ある意味、ツイスト博士シリーズ以上にマニアックさを増し、本格ミステリという娯楽に徹している感じがいい。冒頭のちょっとしたドタバタ騒ぎから、裏通りでのラルフ奇妙な体験、そして裏通りそのものが消えるという魅力的な謎……のっけから不可能犯罪趣味全開であり、この時代がかった雰囲気がたまらない。
正直、この手の謎&トリックは短編の方が向いているのではないかと思ったのだが、本作は裏通り消失というトリックもさることながら、実は事件の真相と犯人がそれ以上に工夫されている。最後まで読めば本作は決してトリックだけを楽しむ作品ではなく、伏線も踏まえてトータルで本格ミステリのエッセンスを味わう作品であることを思い知らされる。
また、本作の真相や仕掛けは、この時代だからこそ生きるものであり、このシリーズが単なる懐古趣味でクラシック調にしているわけではないことも同時に理解できる。
ともあれ、この水準なら大歓迎。版元はシリーズ全作を刊行する旨、発表しているようなので、今後の楽しみがまたひとつ増えた感じだ。