謎の関節痛もようやく小康状態。病名も決まって(暫定的だけど)、鎮痛剤とは別の薬を飲み始めたのだが、とりあえず効果が出始めている感じ。日によって痛みのムラはあるが、一時期ほどの酷さはなくなってひと安心である。ま、まだ通勤電車で立ちっぱとかはきついし、朝はやっぱり痛みのレベルが違ったりとか、全然油断はできないんだけれど。
ちくま文庫の『文豪怪談傑作選 折口信夫集 神の嫁』を読む。柳田国男と並ぶ日本民俗学の巨人、折口信夫の怪談アンソロジーである。「稲生物怪録」から「巻返大倭未来記」までが小説や脚本、以降は主に論考の類という構成。
「稲生物怪録」
「死者の書(抄)」
「神の嫁」
「むささび」
「生き口を問う女」
「生き口を問う女(続稿)」
「とがきばかりの脚本」
「巻返大倭未来記」
「夏芝居」
「お岩と与茂七」
「涼み芝居と怪談」
「寄席の夕立」
「もののけ其他」
「お伽及び咄」
「雄略記を循環して」
「盆踊りの話」
「鬼の話」
「河童の話」
「座敷小僧の話」
「信太妻の話」
「餓鬼阿弥蘇生譚」
「小栗外伝」
「水中の与太者」
「水中の友」
「鏡花との一夕」
「平田国学の伝統(抄)」
「遠野物語」

すごく大雑把な印象ながら、柳田国男はフィールドワークによって基礎を築き、日本民俗学を体系的にまとめた人というイメージがある。一方の折口信夫はそれを継承しつつ、「まれびと」という概念を打ち出し、それに拠って日本文化、古代研究にアプローチした人といったところ。真逆とはいえないまでも、彼の手法はまずイメージありきで、どちらかというとセンス優先の人といった印象なのである。
そんな折口信夫の怪談集(ま、半分以上は論考だけど)だけに、やはり創作ものに関しての文学味は、柳田国男のそれより強いように感じる。異界や人外に向けられた興味が論考の果てに創作という形でも残されたのは、やはり柳田國男にはない資質であろう。未完のものが多いのは残念だが、こうした形で折口信夫の怪談的作品をまとめて読めるのは便利だ。
マイ・フェイヴァリットはやはり「死者の書」で決まりか。抄録ではあるが、死者の目覚めから始まる語り、「したしたした」とか「のくっ」とか独特の擬音の使い方など、ファクターだけでなくその文体にも魅力が満載。中公文庫から確か完全版が出ているはずなので、これは読むしかないな。