本日より夏期休暇をとる。明日からは温泉に行く予定だが、本日はフリー。ということで渋谷の東急で行われている古書市最終日をのぞいてきたが……見事に欲しい本がない。やっぱり最終日じゃだめだ。
読了本は仁木悦子の『林の中の家』。仁木兄妹ものの第二長編である。
欧州旅行中の水原夫妻から屋敷の留守とサボテンの世話を頼まれた仁木雄太郎と悦子の兄妹。そんなある日のこと、彼らの家に女から奇妙な電話がかかるが、途中で女の悲鳴とともに電話は切れてしまう。「林の中の……」というわずかな情報から電話の家を突き止めた二人だが、なんとそこで女の死体を発見してしまう……。
『猫は知っていた』以上にゲーム性が強い作品である。しっかりした構成、緻密なまでに張り巡らされた伏線。それでいてマニアではなく一般読者を見据えた世界観。戦後、松本清張とともに一時代を築いたことも十分納得できる出来。
もったいないのは事件が地味すぎることか。基本的にドメスティックな設定の多い仁木悦子の作品だが、仁木兄妹ものはとりわけその傾向が強い。普通だからこそここまで成功したのも事実が、個人的にはちょっと味が薄すぎるのだ。全般的にもう少しだけ香辛料を効かせてくれると嬉しいのだが。
出版芸術社から続々と出る仁木悦子の作品集に刺激を受けて、この際仁木兄妹ものも全部順に読んでしまおうと思い立つ。ただ、長編全集はまだ買っていないので、ずいぶん昔に買った講談社文庫版を引っ張り出す。でも出版芸術社版には自筆年譜だとか自伝小説などがおまけに収録されているので、結局はそっちも買うんだろうけど。
まあ、そんなわけで、実に久々の『猫は知っていた』再読。
友人の世話で、箱崎医院に間借りすることになった仁木雄太郎と悦子の兄妹。ところが引っ越し早々に、入院患者と院長の義母が立て続けに失踪するという事件が起こる。しかも箱崎家の愛猫までが行方不明になるというおまけつき。謎が謎を呼び、そして遂に、義母が死体となって庭の防空壕から発見された……。
本書が刊行されたのは昭和32年。今呼んでもそれほど古くささを感じさせず、むしろ溌剌とした印象を受けるほどだ。その大きな要因は、著者の文体とキャラクター設定にある。シンプルで読みやすいだけなら、他にも書き手はいただろうが、親しみやすい兄妹キャラクターを主役に据えたことは、当時としては画期的(ちょと大げさ?)ではなかったか。とりわけ語り手を女子大生においたところに著者の上手さがある(ただし、個人的には、あまりに爽やかなキャラクター設定がちょっと苦手でもあるのだが)。
もちろん読みやすさやキャラクターだけが本書の売りではない。ミステリとして必要な謎と論理をしっかり押さえているからこその古典である。とはいえ、本書ではそれほど大仕掛けなトリックが使われているわけではない。しかし伏線の張り方や病院の見取り図、兄妹の推理合戦、連続殺人や謎解きの演出など、ミステリファンをにやりとさせる技法や趣向を山ほど詰め込み、あくまで本格探偵小説たらんとするその姿勢が心地よい。
本格探偵小説としてのしっかりした骨格を備えながら、語り口はあくまで爽やかに。これが仁木悦子の神髄。
仁木悦子の『名探偵コレクション2面の巻櫟ファミリーの全事件』を読む。タイトルのまんま櫟一家が登場する全作品をまとめた作品集で、テイストは著者が得意とするアットホームな本格ミステリ。仁木兄妹シリーズの夫婦版といえば話が早いか。収録作は以下のとおり。
『二つの陰画』
「花は夜散る」
「一匹や二匹」
「あした天気に」
『二つの陰画』が長編にして櫟ファミリー初登場の作品。残る三つが短編だが、「あした天気に」のみ櫟ファミリーが登場しないボーナストラックで、単行本初収録の童話形式のミステリーとなっている。
このシリーズ(といっても三作しかないわけだが)の特徴は、作品の時間軸が大きく流れて、主人公が親から子へと変わっていくこと。つまりこのシリーズが続いていれば見事な櫟サーガを形成していたわけだが、残念ながらこの試みは三作で終了している。というか作者はあくまで遊びでやっており、そこまで雄大な構想は考えていなかったようだ。解説の新保教授はこのパターンの先例として英国の作家M・M・ボドキンを紹介しているが、この手の試みでもっとも成功したミステリというと、スチュアート・ウッズのデラノ・シリーズではないだろうか。まあ、仁木悦子の方が全然先なんだけど。
以下は各作品の感想。
まずは『二つの陰画』。櫟夫妻が住む満寿美荘の大家、木岡満寿美が、自宅にいるところを密室状態で殺される。折しも満寿美は満寿美荘の大幅家賃値上げを宣言したばかり。おまけに満寿美の甥や姪に譲られるはずだった遺産に、新たな相続人までが登場し……、というお話。
密室の謎というよりも、密室に絡む物語の背景、遺産相続の謎などが面白い。個人的にはアットホームな物語は苦手なのだが、登場人物たちのプロローグや、作中で提示される現場の見取り図やアリバイ表など、ミステリを心ゆくまで味わってもらおうとする作者の姿勢が心地よく、大変楽しく読めた。
「花は夜散る」と「一匹や二匹」は主人公が違えども、自分の信念を貫こうとする少年たちの行動が気持ちよい。仁木悦子の十八番です。
「あした天気に」についてはどういうおはなしかまったくしらなかったので、ページをめくったしゅんかんにおどろきました。
仁木悦子『名探偵コレクション1線の巻 吉村記者の全事件』読了。
仁木作品での名探偵といえば、すぐに思い浮かぶのが仁木兄妹シリーズと三影潤シリーズであろう。しかし仁木作品には他にも知名度が低いながらレギュラー探偵がおり、それぞれのシリーズを各一冊ずつにまとめてしまったのが出版芸術社の「仁木悦子名探偵コレクション」である。
ちなみに出版芸術社からは既に「仁木兄妹の探偵簿」「仁木兄妹長篇全集」「子供たちの探偵簿」「探偵三影潤全集」などがまとめられており、さながら仁木悦子全集の様相を呈している。まあ、はなからそういう企画なのだろうが、ここまで続くにはそれなりの売上が立たねばならないはずだし、仁木悦子の小説が今でも多く読まれている証しともいえる。実際、仁木作品の長所のひとつは、当時の風俗などがしっかり描かれているにもかかわらず、今読んでも古さをあまり感じさせないことであろう。書かれた時代を考えると、これはなかなか凄いことだ。
さて、『名探偵コレクション1線の巻 吉村記者の事件簿』である。収録作品は以下の5作。
『殺人配線図』
「死の花の咲く家」
「幼い実」
「乳色の朝」
「みずほ荘殺人事件」
ほのぼの系の仁木兄妹ものとは異なり、吉村記者シリーズは若干辛め。物悲しい余韻を漂わせる作品も少なくはなく、個人的にはかなり意外であった。でも考えると仁木悦子自身はハードボイルドが好きだったらしいので、これもその流れを汲んでいるのかもしれない。
作品のグレードは全体的に高めである。どれも安心して読めるが、しいておすすめを挙げるとすれば、やはり本書中唯一の長編「殺人配線図」になるだろうか。シンプルなネタだが非常に巧妙に書かれた作品で、あちらこちらに伏線やらミスディレクションやらを張り巡らせているのに感心する。また、「幼い実」はエンディングがあまりにも切ない。ミステリはあくまで娯楽と考える著者ではあるが、ただのミステリ作家にはこの味わいは出せないよなぁ。
2週間ほど前に読んだ『仁木兄妹の探偵簿1 兄の巻』に続き、『仁木兄妹の探偵簿2 妹の巻』読了。
『妹の巻』といっても別に妹の物語だけを収録しているわけではなく、収録作を発表順に二分冊で収め、『兄の巻』、『妹の巻』と便宜的に名付けただけのようだ。
したがって『妹の巻』ではシリーズ後期の作品群が収録されており、そのせいか質的にこなれている印象を受けた。特に感じたのは、モチーフや作品のテーマがより鮮やかに浮かび上がっていること。彼女の短編は丁寧に書かれているのが特徴だと思うが、ややもすると長すぎてサスペンスやキレを弱めてしまい、作品によっては盛り上がりに欠ける場合もある。しかし、後期の作品はプロットもきれいにまとめられ、その分、完成度の高い作品が増えているように思う。
例えば、ちょっと終盤がバタバタしてもったいないものの、嵐の山荘もの+登場人物たちによる推理合戦が楽しい「青い香炉」。女性ならではの観点が見事な「木がらしと笛」や「うさぎさんは病気」、「サンタクロースと握手しよう」など。イメージが思わず目に浮かんでくるような作品は好きだなぁ。以下、収録作。
「木がらしと笛」
「ひなの首」
「虹の立つ村」
「二人の昌江」
「子をとろ子とろ」
「うさぎさんは病気」
「青い香炉」
「サンタクロースと握手しよう」
「巻末特別収録・月夜の時計」
仁木悦子の『仁木兄妹の探偵簿1兄の巻』読了。作者の初期のシリーズ探偵である仁木兄妹が活躍する全短編を集め、二分冊したうちのいわば上巻である。
ううむ、それにしても仁木悦子をまとまった形で読んだのは一体何年ぶりのことになるだろうか。下手をすると二十年振りぐらいか。当時読んだのは乱歩賞を受賞した『猫は知っていた』、そして角川文庫から出ていた短編集を数冊といったところだったはずだ。
実はそれっきり読むのを止めてしまったにのは訳があって、単純に作風が好みではなかったからである。ご存じのように仁木悦子といえばあまりクセのないほのぼのとした作風が特徴だ。ところが当時の私はといえば、国産ものでも乱歩や正史を読み漁っていた時代で、常に刺激の強いものに惹かれていたガキの頃。そんなガキには仁木悦子の健全な小説が物足りなく感じられたのである。
で、今回、久々に仁木兄妹が活躍する短編集を読んでみたのだが、こちらが歳をくったせいもあるのだろうが、意外なほどすんなり読めた、っていうか、もともとすんなり読める作風なのだが(笑)。いずれの作品もしっかりとした骨格を備え、緻密に計算されたものであることを再認識できたのは、個人的に収穫であった。って何を今更なセリフだが。
ただ、ちょっと思ったことがある。仁木悦子の作品は確かにほのぼのとして読みやすく、幅広い層に受け入れられるタイプだ。だが、ミステリには本来犯罪という殺伐とした要素が不可欠なので(一部例外はあるにせよ)、こういうアットホームな雰囲気が全体をおおっているとなにか居心地が悪いのである。一言でいうと、ミステリが本来持つ毒を薄めすぎているのではないか、ということ。
また、主人公の仁木兄妹がまったくの一般人なのに、毎度のように事件が降りかかってくる状況に対し、どこかしら違和感を感じてしまうということもある。
個人的にコージー全般が昔から苦手なのだが、こういうところに原因があるのかもしれない(とはいうものの仁木悦子の作品は決してコージーとは思わないが。矛盾しててすまん)。
何にせよ、仁木悦子の作品には未読がまだまだあるので、いましばらく他の作品も読んでみて、もう少し考えてみたい。なお、収録作は以下のとおり。
「灰色の手紙」
「黄色い花」
「弾丸は飛び出した」
「赤い痕」
「暗い日曜日」
「初秋の死」
「赤い真珠」
「ただ一つの物語」
「横町の名探偵」