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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

仁木悦子『仁木悦子少年小説コレクション3 タワーの下の子どもたち』(論創社)

 論創社の「仁木悦子少年小説コレクション」の最終巻となる『仁木悦子少年小説コレクション3 タワーの下の子どもたち』を読了。

「タワーの下の子どもたち」
「水曜日のクルト」
「ピコポコものがたり」
「未収録童話集」
「随筆編」

 仁木悦子少年小説コレクション3タワーの下の子どもたち

 長篇「タワーの下の子どもたち」を丸ごと収めると同時に、大井三重子名義の童話をできるかぎり収録し、大井三重子全集ともいえる本書。収録作が多すぎるのでさすがに全作紹介は勘弁してもらいたいが、以下、簡単にまとめておこう。

 「タワーの下の子どもたち」は著者お得意の探偵好き少年少女を主人公にした冒険もの。「よみうり少年少女新聞」になんと百六回にわたって連載されたものである。これだけ長いとさすがにだれそうなものだが、そこは新聞連載。芯になるストーリーは押さえつつも複数の主人公を交互に活躍させる形をとり、単調にならないような工夫はされている。
 ちょっと面白かったのは、単純に敵対味方のシンプルな構図をとるのではなく、ここに第三の一味を絡ませることで三竦みの構図を作っていること。もちろんジュヴナイルなのでそれほど複雑なものではないが、そのおかげで序盤はなかなか真相を掴ませない効果をあげている。何より子供向きだからといって手を抜かない姿勢がいい。
 連載当時のイラストをほぼすべて(おそらく)掲載しているのも素晴らしい。

 「水曜日のクルト」以下は大井三重子名義の作品である。「水曜日のクルト」は唯一出版された童話集をそのまま収録したもの。「ピコポコものがたり」は動物村を舞台にしたシリーズもの。「未収録童話集」は未発表作品や紙芝居までも含めた単行本初収録の作品ばかり。とにかくボリュームがすごくて、いや、相変わらず日下氏の仕事ぶりはお見事。
 ただ、管理人のようなおっさんでは、ジュヴナイルはともかく、もはやこれら童話の真価を掴むことはほぼ不可能ではある。ほぼノスタルジーだけで読んでしまった(苦笑)。


 ところで論創社の「少年小説コレクション」だが、山田風太郎、仁木悦子と続き、これらの売上げ次第では鮎川哲也、高木彬光へ連なるということだったのだが、その後どういう状況なのであろう?


仁木悦子『仁木悦子少年小説コレクション2 口笛探偵局』(論創社)

 『仁木悦子少年小説コレクション2 口笛探偵局』を読む。論創社の「少年小説コレクション」シリーズの一冊。まずは収録作。

「なぞの黒ん坊人形」
「やきいもの歌」
「そのとき10時の鐘が鳴った」
「影は死んでいた」
「盗まれたひな祭り」
「あした天気に」
「まよなかのお客さま」
「やさしい少女たち」
「雪のなかの光」
「緑色の自動車」
「消えたケーキ」
「口笛たんてい局」

 仁木悦子少年小説コレクション2口笛探偵局

 仁木悦子の作品はそつがない。つぼを押さえているというか、読者の求めるところがちゃんと頭に入っており、それをきれいにまとめて上質の娯楽作品として提供する。インパクトの強烈さにやや欠けるところはあるが、総じてアベレージは高く、外れがほとんどないのが素晴らしい。何より読んでいて楽しいのである。
 ジュヴナイルをまとめた本書でもそれは変わらない。子ども向けだからさすがに複雑なトリックやロジックなどはないけれど、手抜き感というものはまったく感じられず、むしろミステリのエッセンスが凝縮されている印象を受ける。
 同シリーズの前作『灰色の手帳』では冒険色を押し出した作品が多かったけれど(低学年向けの作品が多かったせいか)、本書では謎解き要素の強い作品が多いので、よけいにそう感じるのかもしれない。

 本書の目玉はやはり単行本初収録の長篇「口笛たんてい局」(なんで題名は平仮名なのに書名は漢字にしたのだろう?)か。小学四年生の仲良しグループで結成された「口笛たんてい局」の活躍を描いた連作形式の長篇で、お約束的な展開が目白押しだが、これも先ほど書いたように、きちんとつぼを押さえている証しである。ボリューム的にも読み応え十分。
 ただし、本作はあくまで冒険がメインであり、探偵小説的には「なぞの黒ん坊人形」がイチ押しだろう。某有名作品と同様のトリックなのだが、不覚にも最後まで気がつかず、「そのネタか」と思わず唸ってしまった(笑)。
 この「なぞの黒ん坊人形」をはじめとして、続く「やきいもの歌」「そのとき10時の鐘が鳴った」「影は死んでいた」あたりまでは真っ向勝負の探偵小説で、仁木悦子の底力を見る思いである。

 いま読むと昭和の雰囲気も非常に懐かしく、マニアックなシリーズではあるのだけれど、本書に限っては万人におすすめできる一冊といえるだろう。


仁木悦子『仁木悦子少年小説コレクション1 灰色の手帳』(論創社)

 本日は久々に西荻窪へ。盛林堂書房さんが昨年から始めたミステリアス文庫の最新巻『大阪圭吉作品集成』の受け取りである。先日の狩久全集と違って、実に手作り感溢れた小冊子という風貌の『大阪圭吉作品集成』だが、単行本未収録の作品ばかりだそうなのでこちらも読むのが楽しみである。



 本日の読了本は『仁木悦子少年小説コレクション1 灰色の手帳』。山田風太郎に続く論創社の「少年小説コレクション」シリーズの一冊。まずは収録作。

「午後七時の怪事件」
「みどりの香炉」
「なぞの写真」
「ころちゃんのゆでたまご」
「七百まいの一円玉」
「消えたリュックサック」
「灰色の手帳」
「消えたおじさん」

 仁木悦子少年小説コレクション1灰色の手帳

 仁木悦子が子供を主人公にしたミステリを数多く残していたのはよく知られているところ。以前には出版芸術社からそれらの作品をまとめた「子供たちの探偵簿」といったシリーズも出ている。ただ、「子供たちの探偵簿」は子供を扱っているけれど、あくまで大人向けの作品集。本書は仁木悦子が推理作家としてデビューする以前に書いていた、完全なジュニア向け小説集である。
 したがって、さすがにひとつひとつの作品にミステリとしてどうこういうものはなく、仁木悦子ファンや当時のジュヴナイルに興味がある人だけ楽しめばよい。山田風太郎のときと同様、挿絵も豊富に収録されているのがよい。

 収録作の多くは当時の学年誌に掲載されたものだ。当時の編集者からどのような注文があったかは不明だが、どの作品もミステリや冒険小説といって差し支えないものばかり。もう根っからのミステリ作家だったのだなぁと実感。
 ちなみに本書にはエッセイの類も相当量、収録されている。著者のミステリ観がこうして読めるのはかなり珍しく、本書の目玉はむしろこちらにあるのかもしれない。


仁木悦子『探偵三影潤全集3 赤の巻』(出版芸術社)

 本日の読了本は仁木悦子の『探偵三影潤全集3 赤の巻』。『白の巻』『青の巻』と続いてきた私立探偵、三影潤シリーズの最終巻。本作では『赤の巻』と題して、秋をテーマにした作品がまとめられている。収録作は以下のとおり。

「くれないの文字」
「夢魔の爪」
「どこかの一隅で」
「暗緑の時代」
「アイボリーの手帖」
「緋の記憶」
「数列と人魚」

 探偵三影潤全集3赤の巻

 三影潤ものを読んでいて、いつも気になっていたことがある。それは仁木悦子がどこまでハードボイルドを意識して本シリーズを書いていたかということ。
 本シリーズは仁木悦子の異色ハードボイルドと呼ばれることも多いし、そのテイストは確かにハードボイルドの要素を多分に含んでいる。だが、『探偵三影潤全集1 白の巻』の感想でも書いたのだが、やはり根本的なところが違う。作品の根底にあるのはあくまで謎解きを中心とした本格ミステリであり、主人公たちの行動原理は他者に対する優しさである。絶対とはいわないが、これはどうしてもハードボイルドとは相性が悪い。
 そんなこんなで、ぶっちゃけ著者自身はどうなんだと。そんなモヤモヤが、本書の解説であっさり解消してしまった。
 結論から言うと、仁木悦子はハードボイルドを書いているつもりはまったくなかったとのこと。これは『EQ』八十四年七月号に掲載されているインタビューの中で明らかになっている。曰く「その気はまったくないですね。……自分の好きなものはなるべく書かないようにしているんですよ」。
 長篇『冷え切った街』などはとりわけハードボイルド味が強いが、作品によってはまったくハードボイルドっぽくないものもある三影潤もの。この返答でその理由も納得である。ただ、本人のハードボイルド嗜好が与える影響は決して小さくなく、結果として仁木流のハードボイルドに昇華したということだろう。
 っていうか、『EQ』八十四年七月号ってリアルタイムで読んでるはずなんだけどなぁ。全然憶えてなかったぞ(苦笑)。

 内容的には非常に安定した作品ばかり。驚くようなトリックなどはないけれど捻りはきいているし、扱っている事件が家族の暗部をえぐり出すようなネタが多く(こういうところもハードボイルド的なのだよなぁ)、想像以上に読み応えがある。
 密室のなかで催眠術をかけられ、伯父を殺害したという学生の事件を調査する「夢魔の爪」。同じ夢を何度も見てしまう理由は過去の殺人事件にある、という女性の依頼を調査する「緋の記憶」。全体に満足度は高いけれど、この二作は特におすすめ。
 逆にワーストも挙げておくと三影潤デビュー作の「くれないの文字」。ダイイング・メッセージものだが、これはヤバイ。仁木悦子でもこういう作品を書いていたのかという意味では興味深いけれど(笑い)。
 まあ、そんな玉に瑕も含め、楽しめる短編集ではありました。


仁木悦子『探偵三影潤全集2 青の巻』(出版芸術社)

 仁木悦子の『探偵三影潤全集2 青の巻』を読む。私立探偵の三影潤を主人公とするハードボイルド風味の短編小説集。「ハードボイルド風味」などと書いてしまうと、少し否定的なニュアンスにとられるかもしれないが、決してそんなことはなくて、仁木悦子が本来備えている明快かつ爽やかな作風に謎解き、これにハードボイルドがミックスされた、仁木悦子独特のハードボイルド世界ととらえていただきたい。

 探偵三影潤全集2青の巻

「沈丁花の家」
「蜜色の月」
「青い風景画」
「美しの五月」
「しめっぽい季節」
「色彩の夏」
「夏の終る日」

 収録作は以上。『〜青の巻』では春から夏にかけてをイメージした作品が採られている。全般に謎解きとしてはやや弱いけれど、上にも書いたように独特の仁木ハードボイルドを構築しており、満足度は高い。安心して万人におすすめできる短編集といえるだろう。以下、簡単に作品ごとのコメント。

 「沈丁花の家」は伏線の張り方が巧く、小技が効いた一品。ハードボイルドだと思って読んでいると、いきなり足払いを食らわされる感じがいい。
 「蜜色の月」は小説家の原稿をなくした編集者を助ける話。題材は面白いが、前半部の調査が御都合主義でちょっともったいない。
 「青い風景画」はダイイング・メッセージが大きなポイントだが、個人的にはこれでハードボイルド風味が薄れてしまい、逆効果に感じてしまう。
 「美しの五月」仁木悦子のハードボイルド志向が強く出た作品。こういう暗い題材だとよけい巧さが光る。
 「しめっぽい季節」はハードボイルドがスタイルではなく、テーマにも依存するということを思わせる作品。ミステリとしてはやや弱いか。
 「色彩の夏」も御都合主義が少し強め。ただ、読後感が切なくて嫌いではない。
 「夏の終る日」はバランスもよく、結末の意外性もあり。


仁木悦子『探偵三影潤全集1 白の巻』(出版芸術社)

 出版芸術社の実質的な仁木悦子全集も数年かけてぼちぼちと読んできたが、ようやく三影潤シリーズに着手できた。本日の読了本は『探偵三影潤全集1白の巻』。
 仁木悦子といえば、明るくハートウォーミングな作風+本格謎解きものといったイメージがやはり先に立つが、いくつか例外的な作品があることもまた知られている。その代表格が、私立探偵の三影潤を主人公としたハードボイルドのシリーズだ。
 本書にはシリーズ唯一の長篇『冷えきった街』をはじめ、「白い時間」「白い部屋」の三作を収録している。

 長篇の『冷えきった街』から。
 桐影探偵社に竪岡清太郎という男から調査が依頼された。最近、竪岡家の周辺で起こる奇妙な事件についてであった。二男の冬樹が暴漢に襲われ、長男の清嗣がガス中毒、さらには長女のこのみを誘拐予告する手紙が舞い込んできた。三影潤はさっそく調査に乗り出すが、竪岡家の全容すらつかむ間もなく、長男の清嗣が毒殺される。調べを進めるうち、三影は竪岡家に隠された秘密に触れてゆくことになる……。

 探偵三影潤全集1白の巻

 何やら訳ありの主人公、複雑な人間関係、一族に隠された秘密、関係者への聞き込み、さまざまな妨害、苦い結末などなど、まさに絵に描いたような典型的ハードボイルド進行である。裕福で幸せそうな一家の表皮が一枚一枚剥がれ、真実が徐々に明らかになってゆく様は、この手のミステリの醍醐味であり、スケールは異なれど先日読んだ『ミレニアム1ドラゴンタトゥーの女』などとも共通するものだ。

 ただ、コードは押さえているのだが、だからといってハードボイルドとして成立しているかどうかとなると、これは微妙なところではある。
 特に気になった点がふたつ。
 ひとつは主人公について。未読の人の興味を奪いたくないので詳しくは書かないが、この主人公は過去に大きな悲劇に見舞われている。当然その悲劇は主人公の性格付けに影響を与えるべきだし、言動や思考の節々にそれを匂わせるべきだろう。だからこそ主人公の行動にある種のルールが生じ、それが他者との衝突を生み、物語に動きや深みを与える。そこを本作では妙なほどさらっと流しすぎるため、せっかくの設定か生きてこない。ぶっちゃけ、三影、簡単に立ち直りすぎ(苦笑)。
 もうひとつは主人公の三影と冬樹という青年の交流に関する部分。これも作品のうえでかなりの肝になるのだが、主人公と冬樹を結ぶ要素が、「厳しさ」ではなく「優しさ」であることが気になってしょうがなかった。これも従来のハードボイルド観でみると、ちょっと違うんじゃないかとなる。仁木悦子という作家の資質が、やはり根本的にハードボイルドには向いていないのではないだろうか。

 ただし、そういう違和感を感じつつも、作品自体を決して否定的にとらえるつもりはない。本作はハードボイルドの体裁をとりつつも、著者本来の持ち味である本格謎解きの部分もきっちりと立てているのだ。ときには屋敷の間取り図なども挿入されて、従来のファンを魅了する手間も惜しまない。終盤のたたみかけで真相を炙り出していく手腕もさすがだ。
 著者が最初から本格とハードボイルドの融合を目指したのかどうかは不明だが、結果的に普通のハードボイルドとは趣の異なる、著者独自の世界になっていることだけは間違いない。お勧めか否かであれば、迷わずお勧めする次第である。

 一応、短編にも触れておこう。「白い時間」「白い部屋」はミステリとしてはそれほど悪くないのだが、三影潤を起用しているにもかかわらず、ハードボイルドとしての味つけはほとんどないのが残念。「白い部屋」に至っては安楽椅子探偵ものだからなぁ(苦笑)。

 なお、この「探偵三影潤全集」は本書「白の巻」以外に「青の巻」「赤の巻」と全三作での構成となり、すべての三影潤ものが読めるようになっている。各巻の色はそれぞれ冬、春から夏、秋をイメージしており、それに沿った作品でまとめているとのこと(ま、無理矢理なものもあるようですが)。うむ、いろいろ考えておるなぁ。


仁木悦子『子供たちの探偵簿3夜の巻』(出版芸術社)

 仁木悦子の『子供たちの探偵簿3夜の巻』を読む。著者お得意の子供を主人公にしたミステリを集めたシリーズで、これが最終巻。収録作は長篇『灯らない窓』を含む以下の三作。

「灯らない窓」
「小さな矢」
「聖い夜の中で」

 子供たちの探偵簿3夜の巻

 子供を主人公にしているとはいえ、仁木悦子のそれはジュヴナイルではなく、あくまで大人向けだ。子供の視点から事件を描くことで、社会の有り様や人間模様をより鮮明に浮かび上がらせようとする。
 ただ、短編ならともかく、長編をまるまる子供の語りで進めると、どうしても鼻につく部分がないでもない。重厚さにも欠ける。それを解決する手段として著者が思いついたのが、大人と子供、両者の視点を用いることだった。
 「灯らない窓」は、団地内に発生した殺人事件の容疑者となった母親を救うため、その夫と長男の小学生がそれぞれ事件解決に乗り出していく。語り手がパートごとに交代するため、物語にアクセントがつくだけでなく、片方だけが情報を知っていることでサスペンスも生まれ、なかなか効果的だ。特に子供パートはもともと著者の十八番なだけに、子供社会なりの苦労も盛り込んで、実に楽しく読める。若干、筆が走りすぎて小学生とは思えない考え方や言葉遣いがあったりもするが、まあ、これぐらいは目をつぶろう。
 むしろ一番気になるのは、ラストの犯人の告白シーン。一応、著者は小説内でこのシーンの理由付けも行ってはいるけれど、ここまで事件を詳細に語る必要はまったくない。全体では概ね面白く読めるものの、この最後の不自然さが非常にもったいない一作だ。

 「小さな矢」は車椅子生活を余儀なくされていた著者の体験が生きた好短編。また、「聖い夜の中で」は著者の遺作だが、それがこのような切ない題材を用いたクリスマス・ストーリーであるという事実に、何より胸を打たれる。


仁木悦子『子供たちの探偵簿2昼の巻』(出版芸術社)

 仁木悦子の『子供たちの探偵簿2昼の巻』を読む。仁木悦子の子供を主人公にした作品ばかりを集めたシリーズの二巻目。まずは収録作から。

「あの人はいずこの空に」
「まよなかのお客さま」
「消えたおじさん」
「うさぎを飼う男」
「悪漢追跡せよ」
「老人連盟」
「倉の中の実験」
「壁の穴」
「誘拐者たち」

 子供たちの探偵簿2昼の巻

 全体的な印象は『子供たちの探偵簿1朝の巻』とほぼ同じである。とにかく子供を主人公に据える必然性がしっかりしており、物語の完成度が高い。単にほのぼのとするから、などという安易な理由で子供を中心に据えるのではない。子供から見た社会や大人、逆に社会や大人から見える子供の姿を、共感と悪意の両サイドから観察し、ミステリというシステムに自然に溶け込ませているのである。
 他愛ない話もあるが、全体では良質の作品集といえる。以下、各編の感想。

「あの人はいずこの空に」は巻頭を飾るにふさわしい好短編。本書ではもっとも推理小説らしい推理小説でもある。
「まよなかのお客さま」はショートショート。心温まるけれどももう少し捻りがほしかった。
「消えたおじさん」は本書の目玉と言っていいだろう。長らく入手困難だった長編をまるごと収録したもので、暗号から誘拐劇、アクションとサービス満点。著者は本書の執筆時に『エーミールと探偵たち』が念頭にあったそうだが、ミステリとしての出来で言うならこちらが上。物語の起伏がややアンバランスなところもあるけれど、まずは楽しめる。
「うさぎを飼う男」はあえて奇妙な味と言ってしまいたい。ミステリの部分は普通なのだが、主人公の少女の揺れ動く心理描写がじわじわ怖い。これは男の作家ではなかなか出せない味だよなぁ。
「悪漢追跡せよ」は本書のなかでは落ちる。最後の仕掛けも弱い。

 ここから三作はかなりブラックで、仁木悦子のダークサイドが堪能できる。
「老人連盟」の主人公は、ある意味、老人たち。ユーモラスだがかなり毒を含んだ話。
「倉の中の実験」は異色作。表面的には老人問題っぽい事件を扱うものの、その実、思春期の少女の微妙な精神状態を裏テーマにしているのは明らか。
「壁の穴」は唐突に来る劇薬的な一作。この救いの無さを書けるのもまた仁木悦子である。仁木悦子をしっかり読むようになったのはここ数年のことだが、こういうタイプの作品も実は得意だということを知ったのが一番の収穫かもしれない。
締めは「誘拐者たち」。これもダークな話かと思わせつつ、実は捻りを利かせたラストで爽快感をもたらす。もちろん著者が上手いのだが、こういう並びで収録した編者もお見事。


仁木悦子『子供たちの探偵簿1朝の巻』(出版芸術社)

 少年探偵・春田龍介のせいで、もう少しこの手のものを読みたくなり、仁木悦子の『子供たちの探偵簿1朝の巻』に手を出す。
 すべて小学五、六年生が主人公だが、春田龍介シリーズと大きく異なるのは、彼らがごくごく普通の子供たちであるということ(ま、当たり前ですが)。偶然に巻き込まれた事件のなか、彼や彼女はほんの少しの勇気と知恵を振り絞って、事件を解決に導いてゆく。収録作は以下の十編。

「かあちゃんは犯人じゃない」
「誘拐犯はサクラ印」
「鬼子母の手」
「恋人とその弟」
「光った眼」
「銅の魚」
「夏雲の下で」
「石段の家」
「うす紫の午後」
「穴」

子供たちの探偵簿1朝の巻

 何より特徴的なのは、いずれの作品も子供たちの一人称で語られること。そしていずれの作品も完全な大人向けの作品であるということだ。著者が意識的に始めたこのスタイルは、数々の童話の創作もこなしてきた著者ならではの技法であり、真相をうまくカモフラージュする効果と、独特の作品世界を確立させる二重の効果を上げている。
 各作品の出来のムラが少ない点もポイントが高いところだが、読んでいるうちにある種のパターンみたいなものも感じられる。これは決してマイナス要素ではなく、そのパターンに慣れてきたところでドカンと来る「うす紫の午後」みたいな作品があるから、ほんとに油断できないのである。本書は万人におすすめできる良質の短編集。いいぞ。


仁木悦子『名探偵コレクション3点の巻 砂村朝人の全事件』(出版芸術社)

 仁木悦子の『名探偵コレクション3点の巻 砂村朝人の全事件』を読む。翻訳事務所を経営する砂村朝人を主人公としたシリーズをまとめたもの(といっても長編『青じろい季節』と短編「縞模様のある手紙」の二作のみ)に、ボーナストラックとしてノンシリーズ作品「一本のマッチを擦る時」を加えた構成である。

 『青じろい季節』について少々書いておこう。これはハードボイルドテイストの本格作品であり、仁木兄妹シリーズとはやはり一線を画した作品であるように思う。
 といっても謎解きは相変わらずしっかりしたものだ。派手なトリックを押し出した作品ではないけれど、仁木作品に特徴的な綿密な構成や伏線、意外な真相などは、十分満足できる水準に達している。
 だが、このシリーズで注目すべきは、やはりそのハードボイルドというテイストにあるだろう。もともと仁木悦子はエッセイや対談などで、けっこうハードボイルドが好きなことを公言しているし、そもそも三影潤というそちら方面のシリーズもある。ではなぜわざわざハードボイルド系の作品をもうひとつ別に作ったのか。
 まずひとつ考えられるのは、本作が巻き込まれ型の作品でもあるからだろう。主人公をとりまく特殊な状況なくしては物語が成立せず、シリーズものの主人公では都合が悪かったからだ。これは読んでもらえれば一目瞭然のはず。
 そしてもうひとつの理由。それは本書に登場するような社会的弱者、仕方のない理由からさまざまな不幸を背負って生きることになった人たちを、応援したかったからではないか。これはシリーズでもできないことではない。だがシリーズものはどうしても固定読者のためのものになりがちだ。しかもシリーズのカラーが決まっているから、本作のように少し異質の内容にはマッチしにくいというのもあるだろう。
 著者は、そういった逆境にありながら頑張り続ける人たちの具体例を、いくつも作中に自然に溶け込ませている。そしてそれが物語に深みを与えているのである。このシリーズがわずか二作で打ち止めになったのは、本書で書かれているそれらのテーマが、シリーズという器で薄められないように、という配慮があったからなのかもしれない。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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