今週はとにかくきつい一週間であった。実は先週の土曜に尿管結石を発病してしまったのである。
いろいろと伏線はあったりするのだが、痛み自体は突然やってきて、これがまあ辛いのなんの。経験された方はわかるだろうが、痛みでもう一切何もできない状態。立っていても横になっても痛みは変わらない。とにかく結石の痛みはきつくて、何でも世界三大痛のひとつと言われているらしい(苦笑)。救急に駆け込み、処方された薬が効くまではひたすら耐えるしかないのである。
ちなみに尿管結石の痛みというのは、結石が尿管を傷つけるからと勘違いしている人も多いようだが、これは間違い。正しくは結石が腎臓から膀胱への尿の流れを遮るために生じる腎臓の圧力増大にある。つまりせき止められた尿によって尿管や腎臓が拡張し、このとき腎臓を包む皮膜というのが引き伸ばされて痛みを招くらしい。これ豆知識。
で、今週は薬で痛みをごまかしながら仕事を続けていたのだが、あまりに辛くて月曜火曜は早退、水曜は遂に体力がもたなくなって一日ほど休みをとりつつ、ようやく金曜あたりで痛みの波も減り、本日に至るという次第。とりあえずヤマは超えた感じなのでご心配なく。
どうでもいい枕を振ったところで、本日のお題である。グリン・カーの『黒い壁の秘密』。
グリン・カーは1940年半ばから1990年代にかけて活躍した作家である。多作でジャンルも広いのだが、ミステリに関してはシェイクスピア俳優リューカーを探偵役にした本格ミステリを中心に発表した。著者自身の趣味である登山を活かした、いわば山岳ミステリとでもいうべき作品が多いのも特徴だ。
日本では新樹社から唯一『マッターホルンの殺人』が邦訳されている。実はこれが読んではいるのだけれど、それほど印象には残っていない。当時も確か山岳本格ミステリというような謳い文句だったはずで、ハードルを上げすぎたというか、どうしても冒険小説と本格の融合みたいなノリを期待していたところもあったせいで、けっこう期待はずれに終わった記憶しかない。
とはいえ最近クラシックでは健闘している創元である。あえて久々のグリン・カー邦訳とあれば、これは読むしかあるまい、ってんで前回の印象はリセットし、気持ちを切り替えて読み始めた。
シェイクスピア俳優として人気を博し、舞台監督も兼務するアバークロンビー・リューカー。公演後の休暇で、妻のジョージナといっしょに湖水地方の小村を訪れていた。ユースホステルができたおかげで、近年は登山目当ての若者も増えたこの地。だが数ヶ月前にはクライミング中に転落して命を落とした若者もいるという。
そんな話を地元のパブで聞かされたリューカー夫妻。するとその場へ、仲間が行方不明になったと二人の若者が駆け込んできた。捜索の甲斐もなく、やがて行方不明者は遺体で見つかった。一時はクライミング中の事故として処理されかけたのだが、遺体には不審な点が……。

結論からいうと、前回読んだときに比べれば遙かに印象はよい。とりたてて相乗効果があるとは思えない「山」と「シェイクスピア」という二大要素だが、味つけとしては意外にどちらも上手く取り込んでいる。特に本作ではクライミングそのものがプロットやトリックの胆にもなっているし、単なる味つけに終わらせていないところも○。
文章も凝ったものではないが読みやすいし、登場人物が多い割にはきちんと性格付けもできている。会話も適度にユーモラス、適度にシリアス。クライミングの描写などは著者の得意分野だけあって、さすがにこなれたものだ。
事件の真相や犯人の意外性などはやや予想がつきやすい嫌いはあるけれど、きっちりまとまっているし、伏線なども序盤から細かく張ってあるのはお見事。本格ミステリとしては非常にフェアで、良質な一作といってよいだろう。
ただ、ここが難しいところなのだが、それでも本作をお勧めするとすれば、やはりクラシックファンに限られるかなという気はしている。
リアルタイムならいざ知らず、本作が書かれてから五十年以上が経過している。それを楽しめるのは、やはり本格やクラシックを様式美として楽しめる人に限られるだろう。もちろん古い作品でもそういうもの抜きで楽しめる小説はあるが、それができていたのならとっくにクリスティやクイーンと同等に紹介されていたはずだ。本作も良作ながらそこまで飛び抜けた部分はない。
まあ個人的には『マッターホルンの殺人』で受けた印象を拭うことが出来たのは収穫。今後もシリーズ作が続けて翻訳されることを願うばかりなので、クラシックファンはよろしく。